第81話 ああ、聖女さまっ!
ブラスレン帝国 中央聖教会 教皇トリスタンは苛立ちを隠せなかった。
南の小国に女神が降臨していると、皇帝が血迷ったことを言い始めたのは去年である。
その後、どうしても南の小国に向かうと言う皇帝と共に、テドリン大司教を視察に向かわせ……テドリン大司教も南の小国に女神がいるなどとの戯言を言いふらし始めた。
湧き出るように空中に現れ、鳥よりも速く空を舞い、不思議な現象を巻き起こす。
二人の美しい天使を従え、人の身を装い王国で暮らす女神。
そのようなものが存在するわけがない。
♦︎
彼らの信仰する宗教は多神教である。最高神ガイアナと、ガイアナを支える八柱の神たち。
マーキュリー、ビーナス、マルス、ジュピター、サターン、ウラノス、ネプチューン、そしてヘリオス
ギリシャ神話っぽさ満点だが、性別が違っていたり色々と差がある……とカナが言っていた。
カナが言うなら多分間違い無いだろう。
♦︎
最高神ガイアナは女神だ。大地を司る女神だ。
その女神が顕現した? しかも南の小国に? あり得ない。この国に現れたというのなら話は別だ。我らが中央聖教会ならば女神が顕現してもそれを受け入れ、女神として崇めることができるであろう。
しかし、南の小国では女神をもてなすことすらできないではないか。そんな場所に女神が顕現するわけがないのだ。
ならばフェイクだ。国全体で世界にペテンをかけようとしているに違いない。
そちらがフェイクを仕掛けてくるならば、我々は打って出よう。
我らが聖女を派遣し、女神の化けの皮を剥ぎ取って見せる。
そのためには、まず聖女の認定から……
なんという泥縄な団体であろうか。
聖女を派遣するために、聖女を作るところから始める。
トンカツ定食を頼んだらなかなか提供されず、催促したら『ああ、豚さんがアメリカから出荷されたところだよ』とか言われた気分だ。
もっとも、聖女候補はすでにいたのだ。
小さな時から魔法を発動できた農村の少女。貧乏農家の四女であり、噂を聞いた教会はすぐに動き少女を確保した。
わずか五歳で教会に保護され、徹底的に教会ファースト、教皇ファーストに育て上げられてきた。
今は聖魔法で人々を癒す訓練を繰り返している。
聖魔法の発動まではできるようになった。しかし、まだまだ能力が足りていない。
もっとも、この年で発動までできたこと自体が聖女の証に違いない。
普通のシスターは、早くても十五歳前後にならなければ発動すらさせられないのだ。
カティア・ミリオム。八歳。通っていれば幼年学校三年生だが、独自の教育を行うために幼年学校へは行っていない。
ただ、聖教会のために。教皇のために。
教皇としては一刻も早くカティアを南の小国に送り込み、化けの皮を剥がしたいところである。
しかし、まだまだ教育が足りていない。更に教皇に依存し、確実に相手の足元を崩せるように教育を続けなければならない。
聖魔法も、周囲の人間が驚くような強力なものが必要だ。
手足を生やせとは言わないが、切り傷ぐらいは見てる目の前で整復できるぐらいにはなってから……やはり、学院に入る年から留学させるのが最適であろうか。
友好の使者とすれば、怪しまれずに偽女神に近づけるであろう。
残念ながら偽女神と歳が違うが、同学年の中にも偽女神と近しいものはいるであろう。そこから取り入れば化けの皮を剥ぐのも容易かろう。
教皇トリスタンは、信心深い割には欲深い人種であった。
腐っても聖職者なため女性を買ったりすることこそなかったが、来るものは拒まず、接待などにはよく顔を出す。教皇という立場はとても強い利権に結びついているために、お布施と言う名の個人への献金や献上物も毎日のように届けられている。
「それにしてもハザルバルめ。役にたたん」
ハザルバル・テドリン大司教。つい先日までは、ここ中央聖教会のナンバーツーであった男。
トリスタン程ではないが、それなりに出世欲も権力欲も色欲も物欲も持っていた筈だ。
しかし、南の小国への出張以後は人が変わったように信心深くなり、毎日先頭に立って説法を説き、信者に触れ、祭壇の前で祈りを捧げ続けている。
「だいたい、人が空を飛ぶなど、南の小国の宣伝戦略でしか無いと言い切っていたのは、ボルスワグ帝ではないか」
トリスタンは手元の蒸留酒を飲み干し、手酌でおかわりを注いでいく。
心配そうに眺める稚児がいるが、気にも止めずに飲み続ける。
聖教会の聖堂よりも奥は、女人禁制となっている。たとえ聖女といえど入ることは出来ない。
トリスタンがこの手の飲み方をしていると、時々ゴブレットが飛んできたりする。当たれば当然怪我をするので、稚児たちは自分が当番の時にトリスタンが暴れることがないように、いつも祈りながら仕事をする。
しかし、祈りというものはなかなか通じないものなのだ。
ああ、願わくばゴブレットが飛んできませんように……
翌日から、カティアの聖女修行が始まった。と言っても、聖魔法の修行と人を籠絡するための技術がメインである。
教員は、かつて南の小国に浸透していた諜報員達だ。
彼らはあれだけ帝国のために尽くしていたのに、女神達の、王室預かりたちの情報に余計なバイアスをかけたとして罷免され、途方に暮れかけていたところをトリスタンに拾われた。
バイアスなどかけていない。王室預かりの面々はただの人間だ。そう主張しても認められることはなかった。
そして、認めてくれない皇帝も、原因になった王室預かりの子供達も、恨みの対象になった。
……うん、あなた達は恨んでいいわ。それ、逆恨みじゃないわ。
♦︎
「はい、そこで手を組んでじっと目を見ながら、『殿下、素敵です』だ」
「で、殿下、素敵です」
「だめだ、今ひとつ萌えてくるものがない。やり直し」
「殿下、素敵です」
「あ、今のは良かった。ちょっとウルっと来た。ただ、あざとさとツヤが一体になったあざと艶がもう一つ欲しいな」
どんな訓練なんだよっ!
毎日毎日、繰り返し訓練を続ける。
まだ見たこともない誰かを籠絡し、まだ見たこともない誰かを陥れるために。
南の小国という国全体を籠絡し、中央聖教会への信仰を集めるために。
美しさも磨かなければならない。
カティアはブロンドに近い赤髪である。割とどこにでも見られる髪色だ。ならば、いっそ希少性の高い髪色に変えてしまおう。
薬剤と魔法で髪の色を少し抜き、ピンクブロンドに生まれ変わった。
甘い感じがちょっとタレ目気味の表情とマッチして、柔らかい雰囲気の美少女に変身である。
飛び道具も用意する。
可憐な転び方。頭のぶつけ方。食べられるんだけど絶妙にまずい料理の仕方。
こうして、日々『対王室預かり兵器』としての能力を鍛えていった。
ほんの少し前まで、教会と教皇様のことだけを考えれば良いと言われていたのに。
なぜ突然知りもしない国の、知りもしない人を誘惑することになったのかしら。
なぜ突然知りもしない国の、知りもしない人の化けの皮を剥がないとならなくなったのかしら。
わたしは教皇様に甘え、将来は教皇様の元へと嫁ぐ予定ではなかったの?
あ、嫁ぐは言い過ぎか。教皇は妻を娶れない。だから教皇様に恭順するシスターになる筈だった。
それがどうしてこうなった? 誰のせい?
女神を騙る悪魔のせいだ。
なら、悪魔を退治しなければならない。
このわたしの聖魔法によって、悪魔とその取り巻きを倒し、全てを手に入れて教皇様に捧げるのだ。
そう、わたしは聖女だから。聖女はなんでもできる。なんでも許される。世界に一人だけの聖女に籠絡される人はどんな人なのかしら。今から楽しみだわ。きっと喜んでくれるはず。だって、聖女の寵愛ですもの。
♦︎
王国からブラスレン帝国向けの船で自動車とオートバイが輸出されていく。
当初、皇帝陛下への贈り物として四輪自動車一台、三輪オートバイ一台、オートバイ三台を送ったところ、さらに購入の打診があったのだ。
国内での販売価格に輸送費を乗せ、さらにチョチョイと割り増しした金額を提示したところ景気良く買ってくださるとのことで、只今絶賛輸出中である。
とは言っても、国内需要もきちんと満たせていない。増産に次ぐ増産をしてはいるものの、需要が尽きる気配はまるでなかった。
そんなある日、光学迷彩に包まれた偵察機が帝都上空を舞っていた。
エンジンに消音モードを装備し、ほとんど誰にも気づかれることなく侵入し、上空から一人の少女を放出する。
空中に投げ出された少女は姿勢を整えると、猛然と加速し皇帝居城へと向かった。
光学迷彩を纏ったまま皇帝の居室まで赴き、声をかける。
「お久しぶりです。ボルスワグ帝」
「はっ! そ、その声は……女神様!」
すぅっと姿を現すしおりん。
ちなみに、この『すぅっ』と姿を現す機能も、コトが頑張って実装したものである。
理由は単純に『かっこいいし』であった。
「ほ、本日はどのような件でこちらに……」
「いえ、お変わりないかな? と思いまして立ち寄らせていただきましたわ。拝見する限り、お元気そうで良かったですわ」
「おお、これは勿体無ぅございます。帝国は女神様のご寵愛をいただき、皆が元気に過ごしております」
「ふふふ、リッカさんもお元気ですの?」
「はい、リッカも女神の寵愛を受けしものとして、城内でも大人気でございます。また、お授けいただきました魔法で、身の回りも安全になり、大変名誉なことでございます」
「それは何より。また何かありましたらいつでも連絡をいただければと思います」
「はは、ありがたき幸せ……」
「では、今度はリッカさんにも会いに来ますわね。あとの二人も連れて来ましょう」
「おお、天使様まで……」
「それではごきげんよう、皇帝陛下。御身体にお気をつけくださいませね」
再び、すぅっと消えていく。
そして、こっそり窓から抜け出し上空で待機中の偵察機へと戻っていくのであった。
「ああ、女神様に来ていただけるとは……今日はなんという幸せな日であろうか。リッカが立ち会えなかったのが申し訳ないが、今度からリッカも執務室に……いや、流石にそれは示しがつかん。ならば女神様に我が宮殿に来ていただくか……それは不敬に当たるな。むむむ。どうすべきか……」
しばらく悩んでからふと思い出した。
「そういえば教会が聖女を探し出したとか申しておったな。この件は女神様にはお伝えした方が良いのか?」
聖女が本当に聖女ならば、女神様が知らないわけがないであろう。
しかし、聖女が本物の聖女ではないとしたら……
女神様はお怒りになるであろうか。
それとも、笑って許してくださるだろうか。
初めて女神様がこの城にお見えになった時、女神様に対抗しようとした城の警備隊が全滅した。
それこそ、何一つできずに全滅した。相手は神なのだ。人が対抗できような相手ではない。そのぐらい超越した存在なのだ。
ならば、たとえ偽聖女だとしてもすでにその存在はつかんでおられるであろう。
なぜならば女神だから。
概ね、ダメな方向へと信頼感が高い。
皇帝が執務を終え、宮殿に帰ってからリッカに相談するも、リッカもほぼ同じ結論に達した。
だって女神様だから。
♦︎
聖女カティアは今日も訓練に励んでいる。
騎士団の訓練に付き添い、怪我人が出るたびに聖魔法で癒していく訓練である。
ふと、空の上から『ゴゥ』と音が聞こえた気がした。見上げた空は澄み渡り、何が見えるわけでもない。
「気のせい?」
視線を戻すと、目の前にはぽぅっとカティアを眺めている怪我をした騎士が座っていた。
カティアは磨かれまくり、美少女として覚醒していた。まだ八歳だというのに、大人である騎士団の男たちが、こぞって熱い目で見てくる。
全員ロリコンであるという疑惑もなくはないが……カッシーニの第一騎士団長の様な例もあるし。
いや、カッシーニと一緒にしたら可哀想か。あの国は国王からしてダメだったわ。
「聖女カティア様、いつも我ら騎士団のために御足労をおかけして申し訳ございません」
「いいえ、わたくしこそこちらで修行をさせていただいている身でございます。どうか些細な傷でも拝見させてくださいまし」
正直言ってキツい。魔力も毎日ギリギリである。しかしこれも敬愛する教皇様のため。ならばわたしは身を粉にして働きましょう。
八歳児の精神をここまで追い込む聖教会。そして教皇。
それでも、彼らは信仰に殉ずるためだと信じている。信仰のためなら小児の運命を捻じ曲げることすら正しいと信じている。
カティアの聖女としての活動は、まだ始まったばかりである。
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