第51話 帝国と王国
カッシーニ王国北部、大きな山脈にさえぎられているその先には、巨大な帝国が存在する。
どのぐらい巨大かと言うと、支配地域の面積で言えば、カッシーニ王国の軽く三十倍はある。
カッシーニ王国だって小さな国ではないのだ。南北1,200km、幅200kmの細長い半島国家なのだ。面積としては、二十一世紀の日本と同じぐらいはある。
その十倍となると、北海道五十個分である。
そこに王国の三倍の人が住んでいる。
人口密度はカッシーニの十分の一だ。当然人が住んでいない地域も広大である。そして、そんな場所は魔物たちの宝庫でもあった。
帝国と王国の間にある山脈はとても大きい。最高峰は標高6,000mを越え、東西1,500km以上、幅は広い場所で500km近い巨大な山脈だ。
王国のある半島から南に向かうと、割とすぐに隣の大陸に行き着く。その大陸が北に移動をしており、それに押されたこちらの大陸にシワが寄った様な山脈である。
この山脈のおかげで帝国から王国へ大きな軍勢は差し向けることができずに、王国は二千年以上にわたってこの地に存在することができていた。
そのまま、息を潜めて大人しくしていれば、まだまだ平和を享受できたのかもしれない。
しかし、世界のパワーバランスはここ数年で一気に変わってしまった。
♦︎
ブラスレン帝国皇帝、ボルスワグ・ダリンド・ブラスレンは、あまり版図を広げるつもりはない。帝国は充分に大きく、強大である。
現在、主に敵対しているのは、更に北側から東に広がる、これまた巨大なソラシア帝国と、西方に広がる西部同盟諸国であり、南方の山を超えたその先などにはあまり興味もない。
そう、興味もなかったのだ。
数年前のある時期から、カッシーニ王国からわずかに輸入されてくる工業製品の品質が、急激に上がり始めた。そして『空を飛ぶ乗り物』が開発されたとの噂が、漏れ聞こえてきた。
空飛ぶ乗り物? そんなものは一笑に付された。
世界一優秀だと自負する帝国の魔術師団にすら、空を飛べるものなんていない。
東部大森林に住むエルフたちや、南部山地に不法滞在している魔女たちの中には飛べるものもいると言う噂があるが、誰も確認したものはいない。人が空を飛ぶなぞ、まやかしに過ぎない。
しかし、高品質の工業製品は別だ。最近は美しいガラスの入った、時を刻む機械や温度を測るための道具、複雑な計算を簡単にする尺など、今まで存在しなかった製品が多数輸入されてきた。
何か技術的なブレイクスルーでもあったのかもしれない。
そんなおり、現地に入り込んでいる間諜から、国王の周りで大きな動きの気配があること。新製品どころか、本当に空を飛ぶ機械を、何度も目撃していること、そして、王室預かりと言う聞いたことのない待遇の子供達の存在があることなどが伝えられてきた。
「これは、多少強引でも状況把握のために調査人員を送るべきでしょう」
そんな進言を受け、帝国議会が極秘調査団を送ったのが一年ほど前。
半年ほど前には『王室預かり』の子供達と国王が一堂に会する式典があると言うことで大規模偵察隊を送り込んだが……
「一体軍部は何をやっとるんだ!」
皇帝、ボルスワグ・ダリンド・ブラスレンは苛立っていた。敵でもなんでもなかった南部の王国に、数十名もの軍人が拘束された上に返却されてきたのだ。
しかも、誰一人、何一つできなかったと言うではないか。
戻ってきた兵士達を尋問しても埒が開かない。気がついたら倒されていた、突然仲間が倒れた、目と耳がいきなり使えなくなった。
更に、王国調査の結果も、空を飛んでた。毎日飛んでた。飛び立つ瞬間や降りる瞬間も確認していた。そして、子供だった。
真偽の判断がつかない。しかし、大規模な調査隊を送るのは、今はマズイ。恥の上塗りになりかねない。
「だいたい、襲撃する命令など、余も元老院も、誰も出しておらんぞ。」
「はっ! 現在、調査中でありますが、諜報部が一枚噛んでいたとの報告が上がってきております」
「アレフか……」
アルフレッド・バーグマン上級大佐。帝国諜報部のトップである。職務に忠実ではあるが、そのためには手段を問わない傾向にある、微妙に手にあまり始めた軍人だ。
今回のことで多少の懲戒は必要かもしれぬな……皇帝としてはその程度の感情であった。
南部の王国に対して、少々恥をかかされた。その原因はバーグマンのせいだが、我がブラスレン帝国に刃向かった王国も微妙に許せない。
「多少の報復はしておくべきか……」
しかし、どこに向かって?
王を直接狙うのは、今はまずい。警戒も強くなっているであろうし、帝国の正当性を担保できない。下手に我が帝国が動けば、北のソラシア帝国が手薄になった我がブラスレン帝国にちょっかいを出すやもしれぬ。
ならば、我が帝国以外のものに報復をさせる?どうやって?
皇帝ボルスワグは思考の波に入り込んでいく。
アルフレッド・バーグマン上級大佐も苛立っていた。
送り込んだ襲撃部隊が、全員生きたまま送り返されてきたのである。
帝国兵士は屈強である。一対一で王国兵に負ける様な軟弱者など一人もいない。しかも、今回は魔法使いも付けたのだ。
普通、他国への侵入作戦に女を同行させることはない。魔法を使う以外は何の役にも立たず、ただ部隊のお荷物になるだけなのだ。
突入時のただ一点の戦力として苦労して連れて行き、万全の状態で呪文を行使している最中に卒倒? 何を言っているかわからない。しかし、連れて行った女魔導士は全員、魔法発動前に卒倒したと言うのだ。
そして、突入部隊は全員、一瞬で無力化された? 突然世界が白くなり音が聞こえなくなった? 目と耳が回復した時には拘束されていた?
これも何を言っているのかわからない。
今回突入したのは、魔導士以外は全員特殊部隊の人間である。屈強な帝国軍人の中でも、更に上位の一パーセントなのだ。
それが誰も何もできずに? ただの学校式典で?
あり得るわけがないが、事実として全員送り返されている。催眠術か何かか? いや、そんな催眠術だってありえないだろう。
ならば本当に倒された? どうやって? 魔法?
しかし、魔法はそんなにポンポン飛び交うものではない。そんなことができるなら、、もっと軍部で重宝されているはずだ。
王国軍に潜り込んでいるスパイの報告では、軍にそんな魔導士部隊がいるなんて報告は来ていない。
これについても調査を進めた方が良いか。
♦︎
「さて、帝国は手を出してくるかね……」
国王が軍幹部を招集して会議中である。王国の軍上層部には、すでに王室預かりの特異性は周知のものとなっている。
流石に北部国境方面軍のやらかしが強烈過ぎたのだ。
「全く何もしてこないと言うのは、考えづらいかと思われます」
王国軍トップのジェリオ・グランバリィ元帥である。
今から五十年ほど前、北部山脈で魔物の
当時、まだ士官学校出たての少尉だったジュリオは、持ち前の機転と度胸で混乱する部隊をまとめ上げ、周囲の集落にほとんど被害を出さずに撃退をしたと言う伝説級の英雄である。
一頭二頭ならまだしも、群れたグリフォンが連携をとり始めると、人間には手も足も出なくなる。しかも、グリフォンは風の魔法まで使ってくるのだ。
空を飛び、矢も届かない距離から魔法を撃ってくる巨大な魔物を、罠に嵌め、夜襲し、毒を使い、二桁にも及ぶ数を討伐し、残りを追い返したその手腕。
今でも北部の一部村落では神扱いされる軍人だ。
北部国境を守る辺境伯領の騎士達にすら尊敬を受けている。
「ただ、表立って何かすることもないでしょう。だって、恥ずかしいじゃないですか」
グランバリィ元帥が笑いながら言う。
地位と年齢の割に、丁寧で物静かな口調で語る。
まもなく七十五歳になろうかと言う年齢だが、まだ元気そうだ。魔法使いではないので、年齢なりの見た目のおじいちゃんだが。
「となると、何をしてくるか……かのう」
国王は、グランバリィ元帥よりずっと若い。どのぐらい若いかと言うと、その事件があった頃は、ようやっと離乳食を食べ始めた頃だった。
小さな頃から知ってるおじちゃんなので、微妙に頭が上がらない。
しかし国王たるもの、それではいけない。必死に威厳を保とうとする。
「国内で騒乱を起こすか、交易に関税でもかけてくるか……海軍側では何か聞こえて来たりは?」
グランバリィが海軍のクシラハ・コーダンテ元帥に声をかける。
「いや、今の所は東西ともに哨戒線で何か見えたとかは上がって来とらんな。海沿いは考えづらいのではないかな? 南方からの侵攻対応で、我が国の海軍は規模が大きいとわかっているはずだ」
「うーむ。相手の動きをもっと早く察知できれば、動きやすいんじゃがのう……」
「そのことですが……王よ、あの飛行機とやらの可能性、もう少し考えてみては良いのではないかと」
さすが英雄グランバリィ。目の付け所が……
しかし、この判断により最初の実用機は軍用機になると決まってしまった様なものである。
実際、二十世紀の実用飛行機の歴史も軍から始まった。軍用機がなければ、こんなにお金のかかる機械が普及するわけがなかったのだ。
♦︎
ケイが国王から呼び出されたのは二日後であった。三人娘も同席である。
「なぁ、ケイよ。そなたの飛行機が飛ぶところは、最近毎日の様に見ておる。上空からならば、王国のこともさぞかしよく見えるであろうな」
「はい。先日も上空より、湖の向こうの村の祭りを見てまいりました。近隣の村の人々が、大勢集まってそれはもう盛大でございました」
「そうか、人の集まりもわかるか」
「はい」
「なぁ、大変申し訳ない頼みを聞いてもらえんか?」
「は?」
「そなたの飛行機技術を、国を守るために使わせてくれぬか?」
「飛行機を、軍用にでございますか?」
「左様じゃ。先日の襲撃事件があったろう。卒業式の」
「はい」
「あれを引き起こした北の帝国がな、きな臭いのじゃ。そして、狙われる可能性が高いのは、王室預かりの四人ではないかと推測される」
国王は、論理の運び方が卑怯だなぁ……と自覚しながら話を進めていった。
しかし、聞いてる方のケイも、別に軍用機に忌避感があるわけでもなく、妹達の安全も絡むのなら積極的に開発に参加したいとすら思った。
「そんなことをおっしゃらずとも、わたしは生前、軍用機乗りでしたので……」
「そう言ってもらえると助かる。これから国と合わせて軍部からも人を出す。まずは飛行機のことを教えてやってはくれぬか? 最初はそう、体験飛行が良いだろう。そして、開発と量産の手筈をだな……」
こうして、ケイ達の技術が軍に流れることになる。
ケイはもともと自衛官だ。
しおりんは半分ぐらい自衛官と言っても良いだろう。
「嫌です」
そこは少しサービスしてください。
「嫌です。私は警察官……だったはず」
次行きます。
カナは軍需産業にも関わるコングロマリットに所属。
「わたしは民生品しか扱ってなかったけどねー。と言うか、世界中の大手製造業で、軍事に全く絡んでない会社なんて皆無でしょ」
コトの理論は、すでに前世で兵器開発にも使われていたし。
「もう半分こじつけ?まぁ、お兄ちゃんが良いならわたしは良いんだけど」
それからしばらく、ケイは学校を休んで飛びまくった。
一日に二十五回飛んだ日もある。
そして、大勢の軍人が飛行機の可能性に気がついた。
特に食いついて来たのが海軍であった。
湖上空を飛行した時、湖で漁を行っている小舟が見える。
そう、見えすぎるのだ。
皆、この湖の大きさは知っている。大型帆船を走らせることすら可能なレベルの、直径30kmにも及ぶ円形の湖。その中を進む漁業用の小型船まで、何艘いるのか、どちらに向いて進んでいるのか、丸見えなのだ。これが何を意味するのか、それがわからない様な軍上層部の人間なんているわけがない。
そして、飛行機の動力に目をつけたのも海軍だった。
この、空飛んでる力で、海の上進んだらものすごい戦力にならないか?
こうして、飛行機と一緒に船舶開発、更には陸上輸送用の機械の開発も同時進行することになった。
ロマーノ家の工場には臨時に教室が据え付けられ、ケイによる技術者向け講習会が開かれた。
「お兄ちゃん、働き過ぎ……心配」
コトの心配ももっともである。
昼間は空を飛びまくり、夕方からは講義。夜になって飛行機の整備と新規開発作業。そして朝になる。
まもなく十三歳の子供の仕事ではない。
そして、ケイが過労で倒れた。
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