第50話 続・初等練習機
ついに魔導式ターボプロップエンジン搭載の練習機が初飛行を迎える。
この日は少し低めの雲が垂れ込めているものの、風は穏やかである。
ただ、気圧は低めで湿度も高め、気温もそこそこ有るので飛行機は浮きづらくなる。滑走距離が少し伸びるかもしれない。
飛行機本体は、ロマーノの工場から飛行場脇の格納庫まで、えっちらおっちらと人力で押してきた。
エンジンをかけて動力移動させることも考えたが、リスクが高いと判断して諦めた。
いや、尾輪式の飛行機って、地上走らせるの難しいのよ。ほんと。
ちょっと横風吹くと、すぐ真横向いちゃうし。
飛行場の格納庫で最終確認をして、集まってきた関係者に挨拶をする。
なんか、初飛行のたんびにこれやってる気がするんだが……
格納庫の正面扉が開いていく。高さ三メートル、幅十メートルの飛行機が出入りする扉で有る。とても大きく、片側につき四人で動かしている。
あのあたりももう少しスマートに動くように改良したいものである。
扉が開くと、続いて飛行機の移動だ。ケイはリヤシートに収まると、ベルトをきちんと締め、飛行帽をかぶりゴーグルを付ける。
この後席、現在はケイ専用である。大人と共用のサイズでシートや操縦装置を作った結果、ケイには手足が届かなくて操作ができなかったのだ。
仕方がないのでケイが乗る時は、コクピット内部をごっそりと入れ替えることとなった。
格納庫の外に出たところで、再び
ポーリーが前に進み出てハンドサインを出していく。ポーリーの指示に従い操作を続行する。機体後方はクリアとの合図で、エンジン始動手順に移る。
魔導回路接続、魔石起動。圧力チャンバ温度正常、推進水加圧、バルブ、オープン!
どーん。聞きなれた始動音も、初めて聞く人は随分驚くらしい。観客から軽い悲鳴が聞こえてきた。
指示通りに、四つのエンジン全てを始動した。無負荷でのアイドリングは四発ともほぼ揃っている。
プロペラ回せの合図でクラッチを繋いでいく。緊急時に切るだけのつもりで作ったクラッチだったため、運転中の接続に耐えるものに作り変えるのは、それなりに大変だった。
そんなことを考えながら四つ並んだクラッチレバーの一番端をゆっくり上げていく。一番エンジンの回転数が一瞬下がったが、プロペラが回り始めると少し低いところで落ち着いた。続いて二番、三番、四番と上げる。プロペラはもう、ブンブンと唸り、今にも飛んでいきそうな感じだ。
いや、今から実際に飛ぶんだけどさ。
ポーリーがブレーキリリース、スタートと合図を出してきた。いよいよだ。
必死に突っ張ってブレーキを踏んでいた両足のつま先の力を抜くと、機体がゆっくり進み始めた。
曲がりたい方向のブレーキをそっと掛けると、そちら側に首を振る。まず、滑走路端に向かうために左に機首を振り、街側へと進んでいく。
尾輪式の飛行機は、地面を走ってる時には前が全く見えない。離着陸滑走の時以外は、微妙に蛇行しながら、横から前方を確認しないとならないので運転もとても大変だ。
滑走路長は現在1,200m。十分な余裕を持って作ってもらっている。
滑走路の風上側の端につき、ぐるっと回って湖を向く。ここからではもうポーリーのハンドサインは見えない。まだ無線も用意できていないので、手旗で合図を送ってもらう。と言っても、それも見えるか見えないかギリギリである。
白旗が上がって、下がった。ブレーキリリース、スロットルオープン。
空気ではなくジェルを包み込んだタイヤが、振動を殺し切れずにごとごとと機体を突き上げてくる。それでも制御を失うほどではないので加速を続けた。
機体に備え付けられた計器と、コンソール魔法の表示する数字との間に齟齬がないかを確認しながら観客の前を通過。速度は十分、操縦桿を軽く引いた。
あっという間に地面を離れ、機体が空気を切り裂いていく。速度が上がるにつれ、プロペラの回転数も上がっていく。
プロペラピッチとエンジン出力からの計算では、200ノットを超えるぐらいの速度は出ると思われる。
カナのシミュレーションでは、高度6,000ftで230ノットを超えたと言っていた。
ケイの乗った飛行機が、あっという間に見えないぐらい遠いところまで飛んでいくのを見て、観客たちは騒然としていた。
三人娘は飛行機っていうのはそういうものだと思っていたので、最初、皆がなぜそんな反応をしているのかわからなかった。
「あ、そっか……みんな今までの飛行機しか知らないのか……」
昨日までケイが乗っていた複座機は、ダイブで100ノット少々が限界だった。
今飛んでいった機体は、水平飛行でも軽くその倍の速度が出てしまうのだ。
秒速百メートル。
「はぁ、飛んでったねぇ」
「お兄ちゃん嬉しそう」
「あー、テスト忘れてなければ良いのですが……ケイさん、たまーにやらかしますよね?」
と、遠くからプロペラの音が聞こえてきた。
音の出所を探すと……いた!相当高い。
「あ、スクロール魔法さんで見れば良いのか」
スクロール魔法の超センスを解放する。高度12,000ft、速度170ノットとか表示された。便利だな、これ。
「あちゃー、本当にテスト忘れてないよね?」
「お兄ちゃんはしゃいでるっ! 良かったよぅ」
カナとコトで随分反応が違う。同じ顔なのに。
と、エンジン音が突然途絶えた。
「ありゃ? 止まった?」
「大丈夫かな……」
「まぁ、エンジン止まったぐらいじゃ落ちることは無いから安心しなって。それにほら、兄は墜落慣れしてるし」
「安心できるかーっ! 慣れるなっ!」
すーっと円を描く様に滑空しながら降りてくる複葉機。
……と、パリッパリッパリッヒューっと再起動のかかる音がした。
「あー……また上がってったよ……降りて原因調べないのかしら」
「お兄ちゃん大丈夫かな」
真上をぐるぐる回りながら高度を上げ、再びエンジン音が消える。
「また、止まった?」
再び途中で再始動に成功したものの、今度はそのまま高度を落としてきた。
飛行場の上空、手を振れば見える高さまできたところで街の方に向かい、九十度ターンを二度繰り返して滑走路に進入してくる。
高度を徐々に落としながら滑走路を斜めに流れる風に正対し、機体中心を合わせてきた。
着地の時は、正確に三つの車輪が同時に地面に接地するようにぴたりと決める。
時折風でフラフラと風上を向こうとしている様だが、巧みに機体を操り格納庫脇まで来たところでエンジンを止めた。
ケイはシートベルトを外し、よいしょっと気合を入れてたちあがる。
上空でのトラブルの原因は大体判っていた。まずは挨拶してから妹たちと相談だ。
ポーリーとリンダとコトが走って飛行機に近寄る。カナは他の地上作業員と一緒に歩いて近づいた。
兄は丁度翼から飛び降りたところだった。まずはみなさんにご挨拶を……ということで、再び格納庫前までゾロゾロと戻る。
「お集まりの皆さん、本日の初飛行はいかがでしたでしょうか? 想像よりも速く、力強く飛んでいたのがご覧いただけたかと思います……」
トラブルがあったことを悟られないようにしつつ、兄の締めの挨拶が続く。
これが終わったら格納庫に機体を片付けてから、原因究明と各部点検になるだろう。
あ、挨拶が終わったらしい。兄と次々に握手しながら出ていく人々。
残るのは身内と……B.J.
「よーし、じゃ、格納庫へ入れます。せーのっ」
と言ってもそんなに重くない飛行機だ。五人もいれば力が余る。
格納庫へお尻から収め、正面扉を閉じ、サンドラにお茶を淹れてもらってからお話しである。
「と言っても、原因はもう判ってるんだわ」
操縦桿を握っていた本人が言った。
「アイシングだわ。あれは」
「あ……」
カナとコトはすぐに気がついた。しおりんも一拍置いて
「ああ」
となっている。
アイシング。凍りつき。
この飛行機のエンジンは水を加熱することで気体に変換し、運動エネルギーを得ている。
そう、ただの水なのだ。
今日、ケイが上がった高度は最高で15,000ft近かった。メートル法に直すと4,500mである。富士山より高いのだ。
大気の温度は、100mにつき0.58℃ずつ下がる。高度4,500mでは、地上に比べて25℃以上低くなる。
地表付近で25℃であっても、上空では0℃なのだ。
更に、加圧した水を噴射する時には一気に圧力が下がる。
急な減圧は温度を下げ、その結果インジェクタ部分で水が凍結、エンジンが止まってしまったということなのだ。
エンジンが止まって高度が維持できなくなり、降りてくると温度が上がって再びエンジンがかかる。これを繰り返していたと言うわけだ。
「と言うわけで、デアイス機構つけないとだめかな。この温暖な時期でこれじゃ、冬は飛べない。と言うかタンクの中で凍るわ」
「確かに……こんなん、日常的に工学やってる人なら秒で気がつくんだろうけど、わたしの知識なんて基本ペーパーだからねぇ」
「いやいや、超助かってるから。カナにもコトにも……しおりんにもリンダにもポーリーにも」
微妙に付け足した感の有るケイのセリフだが、セーフだったようだ。
「デアイサーかぁ。やっぱりエンジンの熱をそのまま使うのが一番スマートだよねぇ。かといって、全部流したら今度はベーパーロック起こすし。サーモスタット機能かぁ」
ベーパーロック。アイシングの反対で、配管内で沸騰してしまい水が供給できなくなってしまう現象だ。
結局、水そのものを温めるのではなく、配管周りを隔離して、そこに上空の空気と混ぜて低温にした蒸気を流す方向で調整しながら飛んでみることになった。
その間、B.J.はひたすら飛行機の周りをぐるぐると回っていた。ときおり飛行機の前席を覗き込み、入り込んで操縦桿を握りしめたりペダルをふみふみしたりと楽しそうであった。
ポーリーが監視がてらで機能説明をしている。そろそろB.J.の操縦士学習も始めないとならないだろう。
機体の改修に十日ほどかかった。
今回は本人たっての希望でB.J.が前席に乗り込む。
初飛行と違って、必要な人間しか来ていないので、随分静かな飛行場である。
「ではB.J. 指示があるまで、絶対に操縦装置には触れないでくださいね。下手に触ると、死にます」
「ああ、判っている」
「じゃ、ポーリー、お願い」
「はい、機体クリア、エンジン始動してください」
いつもの手順で飛行準備を進め、
「ではB.J. これから滑走を始めます。白い旗が振り下ろされたらスタートです。周りの景色と計器の動きも気にしていてくださいね」
白旗が振られ、スロットルが開けられる。機体が震えながら加速していく。
ぐんっと重力が増え、機体が持ち上がる。B.J.が以前経験したのとは比べもののにならない速度で地面が離れていく。
「おおおお、これまた凄いぞ。この間の比じゃ無いな。これが新型のパワーなのか」
ぐんぐんと高度を上げる飛行機。B.J.が初めての減圧症に苦しみ始めた。
「うお、耳が痛いなこれは」
「高くなればなるほど空気が薄くなります。これからいく場所は高度15,000ft。地上の七割しか空気がない世界です」
B.J.には、徐々に航空物理の勉強をし始めてもらっている。基本的な航空機の操作方法も教え始めた。
「なんと! そんなにも違うのか」
「あくびするとか、唾を飲み込むとかで解消することもあります。試してみてください」
「ああ、判った。やってみる」
そして、高度15,000ftに到達した。外気温は5℃。アイシングが起こるほどではないが、機内は寒い。
「あははは、寒いなこれは。話には聞いていたが、本当に寒いんだな!」
一つ一つが全て新鮮に感じられるのであろう。B.J.がとても楽しそうだ。
「ではここで水平飛行にします。それでは、ここからB.J.に操縦桿を渡します。教えた通りに左右の旋回を試してみてください。決して慌てない様に、ゆっくりで構いません。危なくなったらこちらに奪い返します。ユーハブコントロール」
「あ、ああ、よし。アイハブコントロール」
B.J.が操縦桿に手を置き、そっと左に倒す。飛行機は徐々に横転していきながら高度を落とし始め、ゆっくりゆっくり回頭していく。
操縦桿の角度を維持したままなので、徐々にバンク角を深くしていきながら、急激に高度を失い始めた。
「うおっ」
「慌てなくて大丈夫ですよ。操縦桿から手を離してみてください」
「こ、こうか?」
操縦桿が中立に戻り、機体の自律安定力によりバンク角が戻ってゆく。
「下向いた分だけ戻しましょう。少しスティック引いてください」
「こ、こうかうぉっ!」
焦りから力が入ってしまったのか、強めに操縦桿を引いてしまい、一気に空を向き始める。
「大丈夫ですよー。一度手の力を抜いて、ほら、安定しました」
「いやぁ、驚いた。ほんの少しの差で、あれほど劇的に変わるものなんだな……」
「はい、これが飛行機なんですよ。では、僕が操縦しますので、スティック、ペダルがどう動いてるのか、気にしながら見ていてください」
「ああ、頼む。ユーハブコントロール」
「アイハブ。では、それっ」
スロットルを全開に叩き込みスティックを耐えられるだけ引き寄せる。ループを描きかけた機体が背面になった瞬間にまたロールさせた。
「今のがインメルマンターンです。速度を犠牲にして高度を稼ぎながら真後ろを向く機動です」
「ほぅ、素晴らしい!」
「続いて今の反対、高度を犠牲にして速度を得ながら反対を向くスプリットSという機動をしますね」
スコッと機体を裏返し、スティックを引く。子供の身体にはGがキツすぎる。思ったよりも高度を落とし過ぎたが、無事に水平まで戻せた。
「はい、反対側向きました。この動きは、まだ体が出来上がってない子供には向きませんね……はぁ、イタタタ」
「むむ、大丈夫なのかね?」
「ええ。まぁ、今日はここまでにしましょうか。一度戻りましょう」
「ああ」
機首を飛行場に向け、徐々に高度を落としながらコンソール魔法を確認すると、ピーク時で5.1Gがかかっていた。
(キツくてかなり手加減してこれかっ!)
想像以上に運動性は良い様である。と言うか、すでに子供の体では限界だ。
(でもなぁ、こればっかりは成長待たないとならんしなぁ)
思念は特注のステータスオープン魔法に伝わり、マイクロマシンが忖度する。
また、兄妹の改造度が上がっていく。
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