第28話  地球の現状

 四国沖鏡しこくおきかがみの惨劇からひと月が過ぎた。

 沢井琴、沢井奏、幸田詩琳の三名は公式には行方不明扱いとなっている。しかし、三人が鏡に飲まれたことは周知の事実となり、生存は絶望視されている。

 沢井兄妹の両親は、悲劇の人となり、日本政府に批判が集まっている。


「まぁ、あいつらどっか別の場所行ったろ。どう考えても、この世界に収まる様な子たちじゃなかったもんな」

「そうね、兄妹できっと仲良くしてるわね」

 とはいうものの、やはり子供が全員この世からはいなくなったのだ。子を持つ親として、これほど辛いことはない。

 自衛隊二佐の遺族年金や、琴、奏の保険金、政府からの見舞金などで十分な金銭的補償は受けたとは思うが、それとこれとは別問題で有る。

 還暦を越え、もう子供を育てることも叶わないだろう。あとは二人で寂しく歳をとっていくしかないのか……

 琴の部屋も奏の部屋も、いつまでもそのままにしておくつもりだった。

 今はまだ、気持ちの整理がつかない。何もしたくない。何もみたくない。誰か代わりに息をしておくれ。

 沢井家は失意の中に沈んでいた。


          ♦︎


 事故の後、政府も手をこまねいていただけではなかった。それまでに得られていたデータ、沢井博士の初期論文、残されたビデオ映像などからこの現象は次元断層による他次元との境界面が表れているものだと推測し、更なる研究が進められている。

 この現象を解明すれば、宇宙の成り立ちの説明や大統一理論の解明もできるかもしれないと多くの物理学者が期待をし、我こそはと研究の手を挙げている。

 実際に鏡の研究のためにフロートへと移ってきた学者も多い。

 ただ、同じ悲劇が繰り返されない様、緊急退避の手段の確保と、頻繁な退避訓練は精力的に行われていた。

 あの時現場にいた人の中で、今も同じ職業を続けているのはカメラマンと田中教授の二人だけである。

 他の人たちはみなPTSDと診断され、退職したり配置転換されたりで現場を離れていった。

 女性レポーターは婚約も解消して田舎に帰ったらしい。

 その田舎が茨城県小美玉市だったのは何かの偶然であろう。


 余談だが、ドラゴン来襲時に最初にドラゴンを発見したE-2Dのオペレーター小川理沙二等空曹は、ドラゴン事件の直後に退役し、帝国大学理学部を受験し二年後に合格していた。あのドラゴン研究のために沢井博士のいる研究室を目指していたが、その前に沢井博士が消失してしまったので生物化学へと希望を変更した。

 何としてもドラゴン関連の研究をするつもりの様だ。

 

 ドラゴンそのものの研究も進んでいる。

 未知の超高硬度なドラゴンの角は、カーボンナノチューブと珪素が結合しているものでほぼ単分子で出来上がっていた。

 とても硬度が高い上にへき開性も低く衝撃に強い。耐熱性も非常に高く熱による脆化もほとんどない。夢の様な材質だが、加工性が悪すぎる上に今の所再現も出来ていない。

 

 心臓、肝臓、胃腸、肺、などの基本的な臓器は判明したが、おそらく生殖器官付近にあった巨大な内蔵は役目がいまだにわからなかった。この部分以外の部位の細胞検査では地球上の生物と同じくDNAによって形作られている様だが、この部分だけ明らかにDNAとは構造が違う。

 臓器内部から大量に見つかった細胞の集合体が、ドラゴンのその他の細胞と比べると異質すぎるのだ。

 ドラゴン本体のDNAは、これはもう『地球上の生物』と断定してしまっても良いぐらいに普通である。

 むしろトカゲより人に近いんじゃね?ぐらいの差異であり、DNA単体で見れば何の違和感もない生物である。

 だが、その謎臓器の中から大量に見つかった細胞は、明らかに異質……いや、この地球で自然発生したものではなかった。確かにポリマー状に連なる高分子の螺旋が入っているのだが、チミン、シトシン、アデニン、グアニンといった見慣れた核酸塩基が使われておらず、代わりにかなりの部分をシリコン、ガリウム、ゲルマニウム、ヒ素などが埋めた半導体の様な組成をしていた。

 これを持って、その臓器が第二の脳であるという説、そこで生成された細胞群体が血液に乗って全身を巡っている気配があることから、免疫系の一部であるという説、電子装備をさせられたサイボーグなのではないかという説など、様々な説が生まれていた。


          ♦︎

 

 ドラゴン来襲から四年、琴と奏がいなくなってから一年になる。この間、ひたすら失意の底にあった両親であるが、せめて、命日には子供達のいなくなった場所に行きたい。そう政府に願い出て、四国沖鏡しこくおきかがみ詣をすることが叶った。


「ここで景、琴、奏が…」

 修理改造された空飛ぶ研究室に乗り、いざ四国沖鏡の前へと辿り着くと同時に母が泣き崩れた。

 父はそんな母の背中を支え、頭を撫でる。

「ここから旅立っただけで、居なくなったと決まったわけじゃない。子供達が帰ってきた時のためにいつまでも元気でいるぞ。いいな」

 母は泣きながら、こくこくと頷く。子供たちに心配かけるわけにはいかない。前を向く。

 

 事故もなく、フロートへと戻る研究室。もう二度と事故は起こさない。そう決意された運用は、これからも安全に研究を進めてくれるだろう。

 それが、一年前から徹底されていれば。……いや、言っても仕方のないことだ。あの事故があったからこその、この体制なのだ。


 次に向かったのは紀伊半島であった。宿敵ドラゴンの倒れた地、旧メガソーラー跡と、海岸までのドラゴンの血にまみれた『ドラゴンロード』と呼ばれる地域であった。

 串本駅からメガソーラー跡地までタクシーで送ってもらった。メガソーラー施設はすでに撤去されており、ここには記念碑と現地研究所が残されている。記念碑に立ち寄った後、そこから海岸まで歩いていく。大した距離ではないが、少々起伏に富んでいるために楽ではなかった。二人とも還暦を迎えているのだ。

 途中、ドラゴンの血液が溜まったと言われる窪みに寄る。

「あ……」

 先ほど歩いた道程で疲れた足がふらついた。父がよろけ、母が支え損ない、二人揃って転倒してしまった。

「いっつぅ……」

「あいたたたた」

 二人して膝小僧を擦りむいて呻いた。

「はぁ、何やってるんでしょうね、私達」

「ああ、何やってるんだろうな」

「帰りましょう、みんなの家に」

「ああ、帰ろう」

 怪我した場所の止血もせず、すぐにタクシーを呼び戻して串本駅まで送ってもらった。串本駅から白浜駅まで普通列車で移動し、白浜駅から大阪行きの特急に乗る。今から帰れば今日中に家に着くはずだ。帰って、顔を洗って出なおそう。妻と、夫と、二人で前に進もう。

 ここからは平凡な人生を過ごそう。二人で仲良く平凡に。


 その時はそれができると、そう信じていた。


 膝の切れた毛細血管から入り込んだ『それ』は、血流の中で休眠状態を解除され覚醒を始める。一つ一つの細胞をチェックしながら脳と副腎と骨髄を支配し、わずかに入り込んでくる金属類をかき集め、自らの複製を作り始めた。

 細胞内のDNAを解析し、この個体の初期のDNA配置を算出、細胞分裂時にRNAに手を加えコピーされるDNAを昔の姿に戻してゆく。

 この二つの個体には馴染みがあった。『それ』同士の通信網により、過去に取り込んだ個体との強い関連性が示唆されていたため、改造ベースとしてデータが流用できそうだと判断された。


 さらに一年が経過した。人々はドラゴン襲来のことを過去の出来事と捉え始め、二次創作物ブームも波がさった。

 沢井家への取材依頼もすっかりとなりをひそめ、二人は静かに日々を過ごしていた。


「最近、何だかやたらと調子いいんだよな」

「あら、あなたもなの?私も本当に調子良くて、ほら、お肌とか十年ぐらい若返った気分だわ」


 そんな会話をしたのが半年前。そろそろ、本気で「これ、おかしくね?」と思う様な出来事が増えてきた。

 まず、皮膚に浮き出ていた老人性のシミやイボが姿を消した。白髪が減り始めた。明らかにシワが減った。息切れすることがなくなり、足腰にもぐんぐんと自信がついてきた。

 そして、老眼鏡の度数がどんどん下がり始め、とうとう必要なくなってきた。

 何だこれは。いくら何でもおかしい。しかし、これは他人に相談できない。もしかしたら実験動物にでもされてしまうかも? そんなことまで考えた。


 そんな時、日本以外の国で次々と動きがあった。


 カナダ最大の都市トロント近郊に、ティラノサウルスレックスが出現したとの一報が入ったのは、六月の下旬のことだった。

 寒い寒いカナダの短い夏の始まりの気配の中、911通報が入った。時間は午前九時過ぎ。すぐに出動したトロント警察は森林帯近くで本当にティラノサウルスらしき巨大生物を発見した。その巨大さにより捕獲を試みるにはあまりにもリスクが高いとされ、即時射殺命令が出された。

 大口径の狩猟用マグナムライフルが用意され、射殺の準備が整えられる。

 対象との距離はおよそ150m。必中距離だ。

 しかし、相手が大きすぎるのと経験のない相手ということで五人のシューターにより世界最強の狩猟用ライフル弾、.460ウェザビーマグナムが五発、巨大な頭部に打ち込まれた。


 そして、巨大生物による反撃を受けた。


 五発のマグナム弾は、確かに頭部に命中した。

 32gもの重量の弾頭が秒速750mで頭部に到達し、頭蓋を叩き割った。

 しかし、分厚く巨大な頭部に比べ脳の容積が小さすぎ、ダメージが通らなかったのだろうか。

 攻撃され凶暴化した巨大生物が突進する。時速は60キロにも達するのだ。慌てて退避するものの、二人の警察官が弾き飛ばされ殉職した。

 その後、数回の攻撃により射殺することはできたが、強力なマグナムライフル弾を二十発以上も受けて動き回れる怪物に、世界は慄いた。

 倒されたティラノサウルス……と思われた生物はティラノサウルスではなかった。と言うよりも恐竜だと言い切ることもできなかった。頭骨の特徴やガス交換機能の特徴が違いすぎるのだ。恐竜に良く似た別の生き物……としか言いようがなかった。

 それでも倒せた。それも民間レベルの装備で倒せたのだ。異世界生物は力を合わせれば倒せる! そんな流れが出来そうだった。


 しかし、これはまだ始まりでしかなかった。

 

 それから二ヶ月後、今度はオーストラリアの砂漠に巨大なイノシシが現れた。肩高四メートル。アフリカゾウと較べても負けていない大きさである。これが四頭、エアーズロックの近くに突然の襲来である。

 観光客が数名犠牲になり、オーストラリア軍のアパッチヘリコプターによる30mm機関砲で倒されるまでに、四時間近く暴れ回った。

 流石に30mm機関砲の威力はすごかった。一斉射で四頭とも地に伏せた。


 四日後、再び日本でモンスターが観測された。ワシの頭とワシの羽、獅子の身体を持つ空飛ぶモンスター。グリフォンと呼ばれる伝説上の生き物である。

 青森県の恐山付近に突如出現したグリフォンは、すぐさま三沢基地を飛び立ったF-35A型戦闘機の邀撃を受けた。

 前回のドラゴン戦で痛い目を見た日本政府は、この新たな敵を甘く見ることなく即時攻撃命令を出し、背後から迫ったF-35AによるAIM-120空対空ミサイルの攻撃により一発で討伐された。

 墜落したグリフォンは即座に回収され、ドラゴンと同じ様に解剖に回された。


 翌月、今度はドーバー海峡にて巨大な海蛇が目撃され、タンカーが一隻襲われた。しかしその後行方がわからなくなり、イギリス海軍とフランス海軍が必死に痕跡を探している。

 このため、ドーバーを渡る貿易船の数が減り、イギリスの経済に悪影響がで始めた頃、ノルマンディーの海岸に不思議な蔦状植物がはびこり始めた。人がおおよそ七、八メートルまで近づくと、その丈夫な動く蔦に絡め取られ、体液を吸われてしまうのだ。

 フランス軍は火炎放射器とナパーム弾で焼き払う方針を立て、実行に移す。

 ノルマンディーの海岸を、炎と黒い煙が覆い尽くす。

 それは、これから始まる人類対異界の化け物たちの戦いを暗示する狼煙の様にも見えた。

 こうして、世界は徐々に混沌の中に飲み込まれ始めていった。


 そんな中、沢井家では……

「今日も綺麗だよ」

「まぁ、あなたったら……」

 なんか春が来ている。ちょっと若くなりすぎだろおい。


 翌年、景、琴、奏の三人に妹が生まれた。

 実年齢で言うと六十一歳の超高齢出産である。しかし至って安産だった上に、マイナンバーカードや母子手帳を出すたびに年齢の再確認をされてしまう、若々しすぎるお母さんになっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る