第24話  沢井琴博士

 奏は知っている。沢井家にいる本当の天才が誰なのかを。

 兄すらこのことは知らないかもしれない。間違いなく琴も知らない。奏だけが知っていた。


 家の外ではともかく、家の中では奏は天才少女だと思われている。しかし、奏本人はそんなこと、少しも思っていなかった。

 確かに記憶力に自信はある。そして、知識にあることをヒントに、それから繋がる理論推論に辿り着くことも容易にできた。一を知れば十を知る。いや、一を知れば百を知る、そんな少女が奏だった。

 奏の中のもう一人の自分、琴は違った。琴は琴だったから。奏じゃなかったから。

 琴は何でも知りたがった。知ることが喜びだった。知らないことを知る、でも誰も知らないことはわからない。そんな悲しいことは認めない。だから考えた。すごく考えた。めちゃくちゃ考えた。

 そして、答えにたどり着いた時の感動。新たな知見、新たな発見。わたしが見つけた。


『発想の転換』なんて誰もがやっている。会社で新製品会議をやれば、三度に一度はそんな言葉が出てくる。

 しかし、琴のやっていることは『発想』そのものだ。

 これぞ天才。正しく『99%の努力と1%の閃き』の人なのだ。


 テレビで、雑誌で、琴が『天才美人物理学者』と持て囃されていたのは当たり前。

「天才といえば奏だよね」

「琴の師匠だしな」

「絶対、わたしより奏のが凄い」

 家族に言われるたびに思っていた。

「本当にすごいのは琴だから。でも良いの。わたしだけが知っている琴の秘密……うふ、うふふ、うふふふふふふふふふ」

 そして、奏は知らない。このリアクションができる辺りが、奏も負けず劣らずの天才であると言う証明になることを。

 いや、ただのストーカーかもしんない。


         ♦︎

 

 コトが目をつぶり瞑想モードに入っている。

「この状態になったコトは、本当に凄いのよ。他の誰にもできない、本物の天才がどういうものか、見せてくれるわ」

「紀伊半島沖の虹色鏡にじいろかがみやあの四国沖鏡しこくおきかがみで拝見しました。あの時の琴さん、綺麗だったなぁ」

 ガシッとカナに手を掴まれた。カナがしおりんの目をじっと見つめて

「同志よ」

 つぶやいた。


 コトが瞑想を始めて小一時間が過ぎた。ずっとコトを眺めていても仕方がないので、カナとしおりんはその他の検証作業を続けている。

「はぁ、これは本当に洒落にならない魔法だわ。わたし、明日にでも世界王女になれるレベルね」

「その代わり、世界は大混乱。世界レベルの大戦争から大飢饉、世界滅亡までワンセットですけどね」

「ほんそれ。というわけで、やはりスクロール魔法そのものは門外不出。本当に信用できる人だけに機能制限版を教える感じで」

「一般の方にはどうしましょうか。インフォメーションと基本データの表示ぐらい扱えると色々捗る気もしますし」

「本来の『ステータスオープン』だね。それは良いんじゃないかなぁ。ただ、男性で使える人はほとんどいないと思うけど。兄が魔法使えるのは先入観の差と現代知識のせいな気がするし」

「アサシン魔法は絶対に門外不出ですね。これは使うのも細心の注意を払って自衛のためだけとかにしないと、あまりにもあんまりかと……」

 あんまりにもあんまりな魔法。検証の結果、たとえ見えない様な遠距離……水平線のはるかかなたであっても、座標さえ確定できれば爆破できてしまうことが判明した。

 例えば、今この瞬間に隣の帝国の首都を消滅させるコトだって可能なのだ。それも、ファイヤーボール一発程度の魔力量で……

「はぁ、こんなの誰にも相談もできやしないわ。うー、ストレス〜」

 カナが禿げ上がりそうになりつつあるところで、コトが目を開けた。

「カナ…何してん?」

「いや、アサシン魔法の検証してたらめまいがしてきただけ。大丈夫よ。たぶん」


「で、コト、何か思いついた?」

「うーん…わたしら、どこから来た?」

「えっと、二十一世紀の地球?」

「そうね。どうやって?」

「うーん、鏡を通って……かな?」

「じゃ、鏡を通ってここに来られるのは二十一世紀の地球からだけ?」

「あー、それはまだ、わからないかな?」

「こちらから二十一世紀の地球へは?」

「もしかしたら、ドラゴンが行ってる?」

「ドラゴンはあの感じだと、転生じゃなくて転移だよね。じゃ、わたしらは何で転移じゃなくて転生なのかな?」

「生き物は一方通行なのかな?四国沖鏡の実証実験の時、裏側から通した生き物はほとんど死んじゃいましたよね」

 しおりんが思い出しながら話に参加してくる。

「さて、ここでお兄ちゃんの戦闘機を思い出して。あの戦闘機、ほとんど粉になってたけどほぼ全量が地球に残ってるとされてました。ということは、お兄ちゃん自身は私たちと違って鏡に触ってない可能性があります」

「あ、虹色膜か」

「はい、虹色膜は物質は通さない。虹色膜と鏡の間には間隙がある。じゃ、お兄ちゃんはどうやってここへ?」

「体はおそらく来ていない、なら魂だけとか、霊体だけこちらに来た?」

「350ノット。時速650キロでお兄ちゃんは虹色膜にぶつかりました。そして、魂だけは五ミリの間隙を越えて鏡に飛び込んだ。つまり、魂が慣性を受けていた可能性があります」

「慣性の法則に囚われるものには質量がある?」

「はい。魂には質量があるかも知れません」

 魂の質量……二十世紀はじめに、マクドゥーガル博士が人の死の瞬間に重さを測定し続け、魂の重さは21gであるとの説を唱えたことがある。そして、長い間それを信じている人もいたのだが否定材料も多く、科学的には間違いであるとするのが一般的だ。

「この場合の質量は、そんな何十グラムもある様なものじゃなく、測定可能かどうかもわからないものです。しかし、質量があればそれを量子化することができます」

 魂の量子化……今まで考えたことがなかった。というか考える必要性もなかった。

「では虹色膜は何をはじいて何を通しているのか。光は通ってるので、電磁力を弾くのは鏡であって虹色膜じゃない」

 確かに、鏡は電磁波を完全に反射していたが、虹色膜は半分ぐらいは通していた。

「では質量、重力を弾くか?魂に質量があると想定すると、弾かれなかった」

魂に質量があるというのが、今話している仮説のスタート地点だ。

「じゃ、弱い力?弱い力は全ての素粒子と関係するのでこれを封じたら何も通れない」

 宇宙を構成するあらゆるものは弱い力の影響を受ける。これを止めたら何も通ることはできない。

「残るは強い力だけ、崩壊が早い素粒子は除外…未発見のボソン……いえ、素粒子ではなく二次元の波……質量を持つ波、膜と真空との境界面に情報を載せて通り抜ける。これだと影響空間は四次元から離れて多次元へと波及する」

 こうしてコト……沢井琴博士の講義が始まった。二時間ほど語り続けたところで気がついた。

「こうして七次元から十一次元までの次元回廊が出来上がり、次元移動によって発生したエネルギーが相転移しながらエネルギー密度の低い場所へと降りてきて……あら? 二人とも何かげっそりしてない?」

 げっそりというか、しおりんはすでに脱落している。カナはかろうじてついていっているが、まだ咀嚼できてないので理解の解像度が低かった。

 共有設定した仮想黒板には複雑な式がところ構わず書き込んであり、コトのエキサイトぶりが弾けていた。

「で、ここからが本題なんだけど」

 いや、ここまで前置きかよ! と突っ込みたいが、二人とも突っ込む元気もない。やる気になった時のコトのバイタリティには、ほとほと感服するばかりだ。

 

「このエネルギーの次元断層からの取り出しを応用すれば、質量のあるものを移動することも可能かもしれない」

「えっと、それって、あちらに移動したものをまたこちらに持ってくることは……」

「やってみないと解らないけど、わたしの勘はできるんじゃないかな?って言ってるの」

「あの、それっていわゆる一つの……」

「アイテムボックス」

「インベントリ」

「四次元ポケット」

 全然揃わなかった。


「ま、まぁそういうこと。可能性としてはできるかも。さすがに生き物は無理っぽいけど」

 異世界転移の三種の神器、言語理解、鑑定、アイテムボックス。

 言語理解は転移じゃなくて転生だからクリア。

 鑑定もこちらの常識で育てられてるのだから無くても生きていける。

 アイテムボックスは…あったら便利だよ。欲しいよ。学校に手ぶらで行けるのよ?忘れ物の心配、しなくていいのよ?食料たくさん持ってれば、サバイバルするのだって余裕だし、なんならキャンプ用具一式持っていってもいいの。どこにでも。

 いざチャンバラって時でも刀を持ち歩けるし、鞘だってしまえるから『小次郎破れたり!』とか言われないでも済む。

「ということで、余裕があったらそちらの検証も進めましょうか」

 余裕なんていつできるんだろうか。日に日に謎が増え、検証しなければならないことが増え、なのに新しい謎を次々と開発したり発見したりする人間が二人もいる。

 (唯一の常識人の、わたしが何とかしなくては)

 とか、勘違いしてるしおりんを誰か止めてあげてください。この娘も十分常識の外にいますから。


 コトはエネルギー問題解決に向け、仮説を補強するための実験を繰り返していた。

 エネルギーはより高い場所から低い場所へ流れようとする。熱力学の第二法則でやってるあれは、素粒子論や大統一理論でも全体で見れば概ねそんな感じになる。細かく観察すると結果が変わってしまうので検証不能だが、だいたいそんなもんだ…程度にはあっている。

 細けぇ事はいいんだよ!

 

 ということで『エネルギーを他次元から取り出すためのゲート』を開くのに使うエネルギーが最低起動魔力量なのである。全ての魔法の最低起動魔力量が決まっている原因はここにあった。

 ここに『あちらから押し寄せるエネルギーをコントロールするための魔力量を足したもの』がいわゆる『魔法を使うために使う魔力量』と呼ばれているものになる。

 魔力は開けるゲートの幅の大小に相当すると思われる。

 そして、押し寄せてきたエネルギーを質量変換してから魔法を発動しているのが現在の魔法だ。

 非効率この上なく見えるが、

「あ、これ、安全装置なんだ。世界を壊さないための安全装置」

 無制限に使ったら、惑星上の生物なんてあっという間に絶滅する。個人個人が核兵器を持ち歩いている、そんな世界になる。

 そんな危険な未来は容認できない。だから強力な安全装置を作って、ある程度以上の威力の魔法は使えない様にする。それは、世界を守るため。


「やっぱり、魔法の成り立ちに誰かの意図を感じるよねぇ。神様なのかなぁ」

 コトがまた新たな命題を抱え込み始めた。

「魔法が使える様にした……誰が、何のために? 科学技術が発達しなかったから? 魔獣たちのせい?」

 魔法はどうして生まれたのか、とても自然発生とは思えない動作理論。エネルギー供給。二十一世紀の地球を生きたわたしたちの、はるか先を行く理論。しかし何でも教えてくれる優しい科学。


 しばらくかかりそうな命題なので自分への宿題にしつつ、今抱えてる問題を解決していく。

「一つ提案があるんだけど……良いかな?」

「コト、どうしました?」

「ん?どしたん?」

「スクロール魔法さん、そろそろお名前変えない?」

「それかよっ!」

 まぁ、もうスクロールとかじゃ表現しきれない代物になってはきてるんだけど、お名前……

「えーと……スクロールだから、スクちゃん」

 しおりん……

「流石にそれはどうかと思うよ、しおりん」

「うぅー。じゃ、スクロールだからクロちゃん」

「スクロールから離れようか」

「じゃ、ロールちゃんもだめですか?」

「カナはなんか無い?」

シカトですか、メソメソとしているしおりんは放置してカナに振る。

「ナビゲートしてくれるから、ナビ?」

「あー、それどっかで聞いたことあるからパスで」

「じゃ、Si◯iとかAl◯xaとか」

「却下で!」

「O.K.Goog◯e」

「シャーラップ!」

 

 結局、当面はスクロール魔法と呼称することになった。起動するのも完全無詠唱、発動ワードレスなので不便はないが、スクロール魔法の話題を出す時に先の話題を思い出しては思い出し笑いをしてしまう弊害が発生した。

 全てコトのせいである……というわけで、スクロール魔法の機能制限版の名称はコトが考えることになった。

「もう、ステータスでいいべ」

 あ、なげた。

 こうして、機能制限版の魔法はステータスに、更にライトな一般バージョンはステータスオープンと決まった。


 沢井琴、世界最高峰の物理学者にして、微妙にセンスと責任感は怪しい彼女は、今日も元気に兄を崇める。

 

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