第17話  妹と兄

 (この扉の向こう側にお兄ちゃんが……)

 コトは今にも飛び出していきそうになる自分を、必死にコントロールしようとしている。しかし、ついつい足が勝手に扉に向かいそうになる。

 カナはコトを行かせてあげたい。だが今は耐えなければならない。全てはコトの未来のためだ。

 しおりんは今度こそコトを守り切らなければならないと感じていた。あの時、コトを守りきれなかったことがしおりんの心に焼き付いてしまった。今度の人生では、生涯かけてコトを守り切る。


 隣室で、何か動きがあったようだ。侍女が振り向きこちらに来る。コトの心臓は今にも口から飛び出しそうだ。

「お嬢様方、ご準備をお願いします。ご案内いたします」


          ♦︎


「さて、それでは余の孫娘たちを紹介しよう」

 国王陛下が切り出す。ここまではほぼ予定通りに進んできている。このあと、国王の後ろの扉からニ人が出てきてケイと対面する予定である。

 カナが言うには、顔を見た瞬間に妹だとわかるはずだそうだ。そのあとはコトの落ち着き方次第だが、しおりんを加えた三人とケイを別室で話し合いさせて、親は親で話し合いを持つしかないであろう。


「我が孫娘キャナリィ・カッシーニ、公爵令嬢カテリーナ・マルデノじゃ」

 ロマーノ家の三人は『ん? なぜ公爵令嬢?』と疑問を持った。しかし今は謁見の最中、余計な事を考える余裕がない。

 正しくはセレナだけは余裕があるが、考えるつもりがない。自分も公爵令嬢だし。


 王と王妃の左右から小さな人影が出てきた。向かって右に銀色の子が。左に金色の子が。

 ケイはパイロットである。それも、戦闘機乗りである。転生した今も目には自信がある……


 息を呑んだ。見間違いじゃないはずだ……まだ、可愛かった頃の……


 (お兄ちゃん……お兄ちゃん……)

 コトの感情が制御から外れかけている。カナはそれに気がついたが、これはもう止められないと判断した。

「お兄ちゃん、お兄ちゃんっ!」

 ことが階段を駆け降りていく。カナはゆっくり後に続く。

 コトが階段を全て駆け降り……兄の前へ……ひざまづいて胸に手を当て頭を下げた!

「このわたくし、沢井琴は我が神に我が人生の全てを捧げ、尽くす事を誓います!」

「ちょっとコトっ! 想像の斜め下すぎっ! 見てよ全員固まってるから! ってもう……兄、なんとか言ってあげて。多分兄の言葉以外聞こえないから!」

「え? え? え? 琴? 奏? え? なんで? 何がどうして?」

「いいから琴に声かけて! そしたらわたしも忠誠の誓いでもなんでもするから!」

「あ、ああ……」

 ケイがコトの高さまでしゃがみ、声をかけた。

「琴、ただいま」

「お、お、……お兄ちゃ……」

 あとは言葉にならなかった。コトはその場で泣き崩れ、カナもコトを抱きしめ泣き始める。ケイはコトの頭とカナの頭を交互に撫で始めた。

「さて、陛下……これがどういうことなのか、ご説明はしていただけるんですよね?」

 セレナの目がブラックセレナモードになっている。対応を間違えると、また何人もの心に傷を負わせることになるアレだ。

「ああ、それについてはもう準備してある。まずは子供たちを子供部屋へ。大人は応接室へ移動しよう」

 子供には侍女の他にエレクトラがつく。動かないコトをケイが背負った。

「兄……コトは喜んでるから良いんだけど……女の子をファイアーマンズキャリーで運ぶのは、どうかと思うの……」

「スマン……訓練で叩き込まれたから……」

 そのまま今日はパトリシアの小宮へ向かう。普段は勉強室として使われている子供達のための共同部屋があるので、そこを使う予定だ。

 侍女が部屋の扉を開けて脇により頭を下げる。エレクトラを先頭に室内に入り、まずソファーにコトをおろした。部屋にはもう一人、知らない女の子が待っていた。

「はぁ、お兄ちゃん……」

 コトがあっちの世界に行っているが今は後回し。まずは状況の把握と対策が必要である。今この場で本当に訳がわかっていないのは、どうやらケイだけらしいと気がつき、ケイが口を開く。

「それで、誰から説明を受ければ良いのかな?」

「わたしが……と言いたいところだけど、ここはエレクトラ母さまにお願いした方が良いかしら」

 最近、カナはエレクトラのことも母さまと呼び始めた。

 実は第二王太子妃もそう呼びたいのだが、なかなか会うコトができない。

「はーい、ご紹介に預かりました、第三王太子妃なんてやってるエレクトラです。ケイオニクスくん、改めてよろしくね」

「はい、こちらこそよろしくお願いします。あと、自分のことはケイで構いません」

「はい、ケイもわたしのことはエレクトラで」

 こくん、とケイが頷く。

「でまぁ、ここにいるのがカナとコトなのは理解してくれたかしら?」

「ええ、もう、どこからどう見ても可愛かった頃の琴と奏ですから」

「兄、それはちょっと酷くない?」

「ほら、お前らすぐかわいい系じゃなくなったし……」

 内心、ヤバい! と思ったものの、本人的にはスマートにかわしたつもりである。

「お兄ちゃんもあの頃のまま……神」

「えーと……琴だけおかしくなった?」

 いや、だから酷いって、言い方!

「コトは昔からあんなだよ。兄の前では物理という猫被ってただけ」

「まぁ、俺も飛行機しか見てなかったからなぁ」

 コト、報われない子……

「続けて良いかしら?」

「あ、すみません、お願いします」

「あなたはドラゴンと戦って、その戦いに負け、ここで生まれ直した……ここまでは良いかしら?」

「はい、その通りです。自分はドラゴンとの戦闘で敗れて、こちらで新しい人生を受けました」

「そのドラゴンは、無事に討伐されたらしいわよ。安心して」

「良かった……じゃ、琴と奏はなぜ?」

「あなたが覚えてるかはわからないけど、あなたのぶつかった障壁? これがその後にまで残ってたらしいのよね。で、その調査にコトが駆り出されて、カナたちも巻き込んで事故を起こしたと」

「奏たち? あ、じゃ、その子も?」

 部屋の隅の椅子に座る黒髪おかっぱ美少女に目を向けた。

「シャイリーン、いらっしゃい。ご挨拶を」

 シャイリーンと呼ばれた少女が寄ってきた。

「お初にお目にかかります、沢井二佐。わたくしはシャイリーン・リットリーと申します。生前は幸田詩琳しおりと申しました。内閣調査室の人員として沢井博士のお手伝いをさせていただいておりました」

「まってまってまって、情報多すぎ! 内調って何それ琴何やらかした! って言うか二佐?一尉じゃなく? あ、殉職特進かっ!」

 自分が二階級特進したことに今更気がついたらしい。

「ドラゴンの案件は国家の存亡にすら繋がるものとして、政府主導で調査が行われました。そして、国内最高峰の理論物理学者として」

「琴が選ばれたってことか……」

「ちちちち、ちょっと待って……待って……あなたたちの世界って、科学とやらがすごくすごく発達してたのよね?」

「少なくともこの世界よりは進んでたと思いますが……」

 ケイが答える

「その世界で国内最高峰の……学者? 聞いてないわよ! それ!」

「言ってなかったの?」

 ケイがカナに振り返りながら聞く。

「聞かれてないし……」

「あー、じゃあ、奏のこともわかってないのかな……」

「何よ……まだ何かあるの? ……」

「その琴に物理学教えてるの、奏なんですよ」


 エレクトラはもう、何も言葉が出なかった。優秀だ優秀だとは思っていたが、なんだそれは。進歩していると言うその世界での最高峰? それは、今のこの国ではどんな立ち位置になるんだ? で、その最高峰を指導していた? 何を言ってるのかわからない……

 (ちょっとわたくしの裁量ではもう無理ですわね)

 これは前回と同じく、子供同士で話をさせておくのが正解か…今回は通気孔なんて便利なものはないので、さりげなく立ち位置をずらしながら子供達の会話を聞き始めた。


「それで、事故って?」

「二佐は、ご自分が何かにぶつかったのは覚えてらっしゃいますか?」

「もう階級ないからケイで良いよ」

「かしこまりました、ケイさま」

「ケイで…いや、まぁいいや。で、覚えてるよ。なんか鏡みたいなの?」

「はい。後にあの鏡は四国沖鏡しこくおきかがみと命名されました。まぁ、いわゆる一つのバリアーですね」

「バリアーかぁ。そんなだったわ。そんな感じだった」

「そのバリアーが継続的に四国沖の高度1,200メートルに残りまして」

「1,200メートル…4,000ftだからそんなものか」

「その鏡の物理特性があまりにも既存の物理学から外れているということで、コト…沢井博士に白羽の矢が立った次第でございます」

「幼女の敬語は違和感あるなぁ」

 お前がいうな、おまゆうである。

「そして、その調査中に突然鏡が膨れ上がって、わたくしは飲み込まれました。おそらく、その後にコトとカナも飲み込まれたのでしょう」

「それで、みんな揃って転生したと。えっと、コトは公爵令嬢? カナはお姫様? で、しおりさんは子爵令嬢で良いのかな?」

「あ、その件だけど……」

 エレクトラが口を挟む。

「この三人の今の身分は、全員王家預かりってことになってるの。そして、ケイ、君もそうなります」

「王家預かりってなんですか?飛行機の研究はどうすれば?」

「飛行機械の研究は、王家が全面的にサポートすることに変わりはありません。場所も、都合が良い場所を買い取ってでも提供するでしょう」

「それは大変ありがたいですが…」

「だから…お願いですから、旅に出るとか、他国に行くとか言わないでくださいませ。王家にできる最大限の支援をお約束しますので、どうか」

「今の所、自分は飛行機の研究が思う存分できる場所を離れる気は、ありませんよ。安心してください」

「ありがとう、ありがとうケイ」

「あー、ついでに、物理実験しやすいように大きな塔か、地下空間が欲しいです…できれば真空チャンバ付きだと嬉しいです」

 いつの間にか復活しているコトが何か言ってるが、全員無視を決め込んでいる。

「さて、コト! さっきのアレはなんなんなん? いきなり兄に誓いの言葉とか述べてたけど結婚でもするつもりなの?」

「結婚なんてそんな恐れ多いことができる訳ないじゃない、何言ってんのカナは。相手はお兄ちゃんだよ? 神よ、神」

「はいはい、コトがそれで良いのならわたしもそれで良いんだけどさ」

「これ、言われた本人はどんな顔してれば良いのかわからないんだけど……」

「笑えば良いと思うよ」


「ところで、今作ってるグライダーなんだけどやっぱりここの材質だと、強度と軽さのバランスが今ひとつでさぁ。何かいい方法ないかと探してるんだけど」

「今までどんなもの試したの?」

「あ、うちのロマーノ家って鍛冶屋なんだ。だから鉄関係はあらかた。あとは銅とかも有るんだけど軽合金が全滅なんだよね」

「軽合金は電気無いと厳しい素材が多いから……魔法でなんとかするか……あ!」

 困った時の人間百科事典、歩くWikipedia、一家に一台『奏』をどうぞ。

「確かこの南に海があるんですよね?なら近くに石灰岩取れる場所ないかな。そこでドロマイトが取れればマグネシウムが行けるかも」

「おおっ! さすがカナっサスカナ!」

 マグネシウムは、同強度ならアルミニウムより遥かに軽く仕上がる金属である。耐腐食性は低いものの、塗装がんばればなんとかなるなる。

「ドロマイトを真空チャンバに入れて加熱して……あ、オートクレーブ作れるならカーボン繊維も行けるかも……アクリルは無理でも笹でもなんでもやってみれば……」

 一家に一台カナ以下略。

「あ、そうそう、カナならわかるか?ワイバーンって、あれ、プテラノドン?」

「吻の形や翼形はそれっぽく見えるけど、翼を支えてるのが小指と薬指の二本だから完全に別種。というか翼竜目ですら無いんじゃないかな」

 (うっわ、予想はしてたが、カナ便利すぎる……)

「収斂進化だとは思うけど。あれ、ハンターギルドとか行けば解体見せてくれるかしら。双弓類なのかどうかだけでも見たいよね」

 (あ、めんどくさい方のカナが出た……)

「あとは、今はともかく将来的には動力飛行したいんだけどね。まだあてが全然ないんだよねぇ」

「まぁ、あとあとは何かしらのエンジンモーターが必要でしょうけど、今はとりあえず魔法でなんとかする?」

「俺、男なの。多分魔法使えないと思うわ」

「それはおいおい訓練してから考えよ。兄が最初にしなきゃいけないのはコトのケア。それから他のことやってね」

コトがうるうるした目でカナとケイを交互に見ている。

と、突然カナにぎゅーっと抱きついて

「カナだいすきっ!」

 今度はカナのケアが必要になりそうだ。その様子を微笑ましく、でもちょっとだけ羨ましそうにしおりんが眺めている。

 いくら中身が大人でも、彼らの今の年齢は八歳と五歳。まだまだ手が届く範囲は広くない。

 いまはただ、お兄ちゃんと、兄と、二佐と、再開できたことを喜ぼう。妹達と会えたことを喜ぼう。

 子供達の夜は更けていっ……………夕飯っ!

 お腹すいたっ! 子供の食欲なめんなっ!


 結局、予定通り晩餐会は開かれ、子供達は大変楽しく食事に励んだ。

 大人達は…晩餐会もほどほどに、隅の方に集まって対策会議だ。

 世界最高峰の物理学者と、その師匠の取り扱い……五歳……混ぜるな危険! なんでこんな面倒なことをこんな少人数で対策しなければならないのか……子供達が食事しているのを、遠くから眺めながら明日もまた会議を開くことが決定された。

 

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