第14話  空を飛ぶ 兄が飛ぶ

 ついに実機の材料が揃った。倉庫に並べられた素材を前に、ケイは満足そうに微笑んだ。

 隣にはリンダがちょこんと座っている。

「おっきいねぇ。凄いねぇ」

 もう何度目になるかわからない感想を述べながら、リンダが手を広げた。


 さぁ、設計図通りに組み立てるぞ! と気負い込み、まずは竜骨キールとなるスチールパイプを握りしめた。

 

 いくら鍛冶屋でも、パイプを作るのは至難の業であった。長さ十フィート、幅六インチ、厚み1/32インチの正確な鉄板。

 まず、圧延用のローラーを作るところから始めなければならなかった。ローラーを形作る鉄板も無いので、四日かけて叩いた。叩いては紙にあて試し刷りをし、叩いては試しでまる四日。学校こそ休まなかったものの、食事すら取らずにハンマーを奮う日もあった。

 その日は、飯を食わずにいい仕事ができるかっ! と、父親にしこたま殴られた。

 完成したローラーを精密な砥石で研ぎ上げる。

ボールベアリングはまだ不可能なので、銅を使ってメタルベアリングを作成、センターシャフトは鉄棒から削り出し、歯車は手作業で調整する。

 完成した圧延機で長さ十フィートの板を製作し、更に丸パイプ状に曲がるよう、少しずつ少しずつ金型を変えながら加工していく。合わせ目はテルミットを使いたかったのだが、アルミニウムが手に入らない。何かないか何かないか……電池作る?銅はある、亜鉛もある、電解質は……塩水でいいか。あとは積層でなんとかするっ!


 見事に失敗した。


 何度試しても『バチっ』『バチっ』と一回火花が飛ぶだけで継続できない。そうこうしているうちに電池が切れた。


 鉄のプロ、父親に相談してみる。

「炉に突っ込んで温度上げて、溶解鉄流し込め」

 まさかのロウ付けだったが、なんか綺麗に付いたからヨシっ!


 苦労の末、部品は揃った。


「よーし、そこ押さえといて。ここに骨固定するから」

 キールを中心にして左右の翼を固定するためのワイバーンの骨を取り付けていく。ボルトナットもリベットも使えないので、絹糸で作った紐で正しい位置に縛りつけ、ワイバーンの腱で支えていく。左右の翼の位置決めを行い、完全に固定するためのクロスバーを縛り付ける。ここにはコントロールバーも取り付くので念入りに調整をしていく。

 全体を支えるマスト、脚を支えるためのハーネス、そして翼面にはワイバーンの翅を張っていく。

 機体の初飛行は丸太を載せて無人で飛ばす予定である。自分の体重に合わせた丸太の作製も抜かりはない。

 明日は学校が休みだ。天候風向き次第だが、できれば試験飛行をしてしまいたい。両親に話して職人を三人借り出し、輸送や保助を頼めることになった。


 翌日、朝からよく晴れている。この調子なら良い上昇気流サーマルが起きているだろう。

 目の前の湖は割と大きく、昼間は湖から陸に風が吹くことが多い。その時間を狙って試験飛行を行おう。

 今日、このために来てくれた職人に声をかけ、倉庫からグライダーを引き出した。移送中の風の影響を極力少なくするために、テンションロープを外してある。パタパタとはためくワイバーンの翅が顔を撫でる。

 テスト予定の丘まで、子供の足で五分ほどだ。大荷物を抱えてはいるが職人の協力で半刻もかからず丘の上にたどり着いた。

 早速最終組み立てとアライメント調整をする。ロープを張り、翼の取り付け角を確認し、ダミー人形の搭乗位置を決めていく。

「ケイくん頑張れー」

 リンダが気の抜けた応援をしてくれる。丘の下から上がってくるのは両親だ。心配になって見に来たらしい。

「さぁ、やるよっ!」

 グライダー本体の重さがおよそ60ポンドある。ダミー人形が50ポンド。合わせて110ポンドはケイにはとても持てない。真ん中に一人、左右の翼に一人ずつ職人に入ってもらう。テールブームの手伝いはいつも通りにリンダだ。信頼感が違う。

 丘の下からは更に人が登ってきている。リンダの母、リーノかな、あれは。

 母セレナが手を胸の前で合わせ、何かに祈っているように見える。

「左ちょい下げ、よし。リンダはそこで固定……あ、少しだけ上げて、よし、そのまま」

 いつもなら自分が上げ下げして迎え角を調整するが、翼を左右で押さえているとリンダの方でしか調整できないことに気がついた。

「割とむずいな、これ。行けそうかな……じゃ、せーので前に走るよ。ゆっくり歩調合わせて……せーの!」

 五歩ほど進んだところでまた指示を出す。

「左右手を離して……リンダも離して……行くよ、ぶいつー!」

 真ん中の二人も手を離す。すーっと斜面沿いに降りながら前に進んだグライダーが、少しずつ対地高度を上げていく……

「乗ったか?」

 そのまましばらく地面から離れていくと、突然本当に上昇をした。本格的にサーマルに引っかかったようだ。旋回動作はできないので一瞬ではあるが、確かに高度を上げられたのだ。

 そこからは少しずつ高度を失い、最後に湖にコントロールアームを引っ掛けて前転気味に着水した。

 構造上沈むことはないはずだが、早めに回収船を出そう。俺のグライダー、褒めてやらなきゃ。

 ケイは溢れ出す涙を堪えられずに、涙で霞む湖面を眺めた。


「凄いなこりゃ……」

 父、ランベルトがつぶやく。まさか、本当にこんなに飛ぶとは思っていなかったのだ。所詮子供の遊び、また屋根から落ちた時の再現じゃね? ぐらいに思っていた。

 見た感じでも100ヤードを超える距離は飛んでいる。次はこれにケイが乗るというのだ。

 人が空を飛ぶ。ただの夢物語だ。吟遊詩人の物語には『箒に乗って空飛ぶ魔女』や『ワイバーンを使役して空飛ぶ騎士』が出てくることも少なくない。しかし、実際に飛んだなんて話は聞いたことがない。

 その常識が、今ここで、目の前で、自分の息子によって覆されるかもしれない。

 ランベルトはワクワクしてきていた。

「すっごぉい!」

 母セレナが感嘆する。

 (人が空を飛ぶ。凄い。見て見たい、いや、むしろ私も飛ぶ! 跳ねっ返りのセレナ舐めんな! 次は私の番だから!)


 回収されたグライダーが丘の上まで戻され、拭き取りと再調整を始めた。まだ時間はある。

 (もう飛んじゃおうか……いや、やめておこう。今日は無人テストを繰り返す。途中で方針を変えるのはあまりよろしくない。安全第一、指差し確認ヨシッ!)

 この日、三回の無人飛行を繰り返し安全飛行への自信を高めた。


 昨日に引き続き良い天候に恵まれた。いよいよ、この世界初の有人飛行試験を行う。準備は完璧に整っている。昨日、三度の飛行を繰り返し熟練度を上げた地上補助員グランドマンもやる気を見せている。

 今日はダミー人形を運ばない分荷物も少なく、準備も着々と進んでいた。

 工房は完全に休みにして、手の空いた従業員や屋敷のメイド、門番までやってきていた。

 (これ、屋敷のセキュリティどうなってんの? あ、お祖父様お祖母様まで見にきてる)

 ケイは祖父母に向けて手を振った。


 グライダーが組み上がった。治具を当てて機体の状態確認をする。左翼の上反角がちょっと大きめなので、下側テンションロープを張り気味にして調整した。これで全ての準備は整ったはずだ。機体は完璧。作業員の練度も士気も高い。そしてケイのテンションも高かった。いや、高過ぎだなこれ、深呼吸深呼吸、ヒッヒッフーヒッヒッフー。

 全ての動作をいつも通りに。テーブルに置いてあるコップの水を飲むが如く……ヨシっ


「風向、ヨシ。風速、ヨシ。右翼側準備」

「準備よし」

「左翼側準備」

「左翼よし」

「テールブーム、最終確認」

「クリア!」

「行きます、さん、にー、いちっ!」

 ケイはコントロールアームを体に引き寄せるようにしながら走り出す。三歩目でもう足が地面から離れる。

「ウイングリリース!」

 両翼の二人が倒れ込むように離れる

「飛ぶっ!」


 全員の手が離れた。機体は丘に沿って加速しながら下降していく。コントロールアームに乗り上がるようにして足をハーネスに乗せ、続いてコントロールアームを前に押し出す……機首が持ち上がり、地面が急速に遠ざかった。


「飛んだっ」

「おい、ケイが飛んどるぞケイが! ありゃ俺の孫だぞ! 孫が空飛びよった!」

「ケイちゃん、すごいっ! 頑張ってたもんね……」


 この世界に転生して八年。記憶を取り返してから三年。ついに再び空に帰れた。俺は空に帰ってきた! 帰ってきた!

 

 ふわっと身体が重くなる。サーマルに飛び込んだのだ。場所を記憶してゆっくりと身体を左にずらしていく。機体が左へと旋回を始め、ぐるっと回ってサーマルに戻れるかチャレンジしてみる。今は高度が少しずつ下がっていってるが、間も無くまた丘の上に入る……捕まえた。丘と湖の縁に沿って進んでいくと、またふわっと重力を感じ、機体が持ち上がる。再び左旋回して湖の上に出た。あとは左右に旋回を繰り返しながら徐々に高度を落とし、最後に湖から湖岸に向かってアプローチ……フレア。湖の足がつくぐらいの浅瀬に、綺麗に降りられた。文句のつけようのない初飛行。今日は涙は出なかった。ただただ、笑いが込み上げてくる。空を飛ぶ、俺が飛ぶ。

 いつか、誰もが飛べる空にしてやる。新たな決意のもと、駆け降りてくる皆を待った。


 さぁ、本日二回目の飛行、行ってみよう。綺麗な着水をしたために、ほぼ手直しの必要なく準備が整う。二度目の飛行となれば気も緩みそうだが、それこそが事故の元だ。航空機事故をなめちゃいけない。細心の注意を払いながら大胆に……

 (飛べっ!)


 二度目の離陸もスムーズに決まった。丘が温まってきたためか、心持ちサーマルも強くなっているようだ。ゆるい旋回を維持しているだけでぐんぐんと高度が上がっていく。体感ではもう200ft超えてるんじゃなかろうか。


 ……と、その時、何かの影が見えた……

下にいる皆が何か叫んでいる。下を覗き込んで、辺りを見回す。……!


 数百フィート後方に、ワイバーンの姿がある。そして、明らかにこちらを窺っている。

 この高さで襲われた場合、おそらく助からないだろう。迂闊だった。まさか試験飛行で空中戦ドッグファイトが起きるとか予想してなかった。

 機動性の劣る航空機が襲われた場合、高度を速度に変換しながら降下し、地面を使うことで相手のポジショニングを制限する事で生き残りを図る。

 ケイはコントロールバーを引き寄せ、一気に高度を下げ始めた。速度が上がり、ロープや翼面がばたつき始める。翼端がバタバタと上下に暴れ始め限界が近いことを知らせてきた。これ以上速度が出たら落ちる……機首を戻していくが暴れる翼面が空気を手放し始めた。

 ワイバーンは、もうすぐそこだ。あとひとかきで翼に触れる。触れられたら即バラバラだろう。ならば無理してでも回避しないと……

 一気に身体を右端に寄せる。失速寸前の翼がついに役目を放り出し右翼を中心にスピンに入る。

 このスピンで、翼のシミーが収まった。あとはスピンをなんとか……右に押しつけられる身体を無理やり左側に押し上げて、足をハーネスから外して『ずんっ』とバーに体重をかける。

 ふわっと身体に重力を感じ、スピンが止ま……ばしゃっ!

 墜落した。高度が足りなかった。最後に一瞬風を掴んだおかげで速度は大したことないとは思うが、水の中に放り出されて上下左右の感覚がなくなる。

 ひとまず五秒カウントして意識を保ち、身体に機体が絡んでないことを確認して身体を丸め、姿勢が安定するのを待つ。そろそろ息が苦しい。背中が上を向いた、こちらが水面、手で水をかき、機体の残骸に触れながら水面に出た。

「ぶはぁっ! くは、はぁ、はぁ……」

 ワイバーンはすでに上昇し直したようではるか上空に見える。湖岸に目をやると、慌ててボートを出そうとしている父と祖父と従業員が見えた。そちらに向かって手を振り無事をアピールする。

「はぁ、ワイバーン対策かぁ。これはどうしたもんかなぁ……」

 水面に浮いているキールを枕にし、救助を待ちながら次の計画を考えていく。

「この機体は直せるかなぁ……骨折してなきゃいいんだけど……」


 ワイバーンに追われて急激に高度を落としていくグライダー。見ていると翼がバタバタと羽ばたいている様にも見える。

「あの速度で落下したら、いくら水の上といっても危ないんじゃ?」

 誰かの言葉が胸に突き刺さる。

「ケイちゃーーーん!」

 叫んでどうにかなるわけではないが、叫ばずにはいられなかった。やはり空を飛ぶのは危険なのだ。

 板切れを背負って屋根から飛び降りた時と、本質は何も変わっていない。落ちれば怪我をする。運が悪かったら死ぬかもしれない。でも、きっとケイちゃんは飛ぼうとするんだろう。

 だって、ケイちゃんだから。


 無事に湖から引き上げられたケイは、安全対策を済ませるまでは有人飛行を禁止されることになってしまった。

 機体の安定性は想像以上に良かった。しかし、敵対する航空戦力が有るのは想定外すぎた。奴をなんとかしなければ飛ぶことはできない……また、ケイの挑戦が始まった。

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