第9話 今度は本当に飛べるかな
ケイは七歳になっていた。
一応貴族なので王立の幼年学校に通っている。寮生活も選択できるが、王都住みな上に学校までもそれほど遠くないため、毎日馬車で通っている。乳姉弟のリンダも男爵の厚意で幼年学校に通っていた。
学校から帰ったら、すぐに工房にこもって飛行機作りに没頭する。
ただ、動力源にはあてがないので今のところは滑空機、いわゆるハンググライダーしか選択肢がない。
ハンググライダーはとても単純な滑空機だ。デルタ型の帆布を軽量なフレームに取り付け、機体からハーネスで体を吊り、身体をコントロールバーで支えて操作する。
身体が水平、いわゆる『飛行機乗り』をするために抗力が抑えられ、より長く遠くまで飛べるとても効率の良い小型グライダーである。
ハンググライダーには実際に乗ったこともある。実は、景が初めて一人で空を飛んだのもハンググライダーであった。
しかし、製作するとなると大変である。
まず、この世界ではアルミニウムが実用化されていない。軽量な金属だと
ナイロン繊維もポリイミド樹脂膜もないので帆布もとても重くなる。
第一回試作ではケイ四人分より重くなり、組み立てるまでもなく失敗となった。
「やっぱ鉄フレームは無理があるよなぁ」
刀鍛冶を営んでいるため、普通は手に入りにくい鉄が豊富に利用できる。しかも、これなら加工もお手のものである。
なんならハイカーボンスチールの焼き入れ処理品だって作れてしまうが、軽量化には限界があった。
「超ジュラとは言わない、せめてアルミニウムが手に入れば……」
軽くて丈夫で耐食性を持たせることができるアルミニウムがあれば……
しかし、たとえアルミの原料のボーキサイトを見つけられたとしても、それをどうやって精錬すればいいのか、とんと見当もつかない。確か大量の電気を使うと習ったような……
「他の材料としては木材や竹を削って……」
竹はしなやかで強く、模型飛行機を作るときには定番の材質であった。
しかし、良質の竹もなかなか見つからない。笹に毛が生えたようなサイズ感のものならば、それなりに生えているのだが……
「他には軽そうな素材……ワイバーン素材とか手に入らないかな」
この世界、数々の魔物が生息している。ここ、王都にいるとあまり実感はないが、城壁を飛び越え、湖に魚を獲りにやってくるワイバーンはよく目撃されていた。
というか、今も頭の上を飛んでゆく。
「プテラノドンっぽいよなぁ、あれ」
こんな時は歩く百科事典、奏が欲しくなった。多分二秒で同定してくれるであろう。
「奏も琴もしっかりやってるかなぁ、まぁ、俺よりよっぽど優秀だし大丈夫か……」
しっかりやってるが、場所はケイの想像と違う場所だ。
放課後、家で四分の一サイズの模型を作っている時だった。
「ぼっちゃま、ぼっちゃま」
「いい加減ぼっちゃまはやめてくれ……」
「かしこまりました、ぼっちゃま」
庭師頭のジョンが駆け込んできた。
「湖岸に、ワイバーンが降りてまいりました」
「なんだと!」
ワイバーンは基本的に地上に降りることがない。湖で『スキミング』と呼ばれる『くちばし』だけを水に差し込み滑空しながら採餌する方法を取るために、降りる必要がないのだ。
降りると、天敵の『ニンゲン』に捕まって殺される危険がある。彼らはそんな危険を犯さない。
だから、これは千載一遇のチャンス、逃すわけにはいかない。
ロマーノ男爵家は小さな男爵家である。騎士団なんて持ってるわけもない。
工房には筋骨隆々の職人が何人もいるが、トンテンカントンテンカンやってる時に鍛冶場を離れる訳にはいかない。
必然的に戦えるのは三人の庭師と七歳のケイしかいなかった。
得物は弓矢と槍を選んだ。敷地の裏門を出て、三十ヤード程進むと開けた湖岸になる。左手側には葦が生い茂っているが、右手側は刈り込んであるために湖に直接出られるようになっている。町内会の共同桟橋があるからだ。
ワイバーンは、どうやらその桟橋の、杭と杭の間に脚の一部が挟まってしまったようだ。
「ち、近くで見るとでかいな……」
『大きくとも、翅を広げて十ヤード、翅畳んでたら大したことない』とか舐めてた自分をどやしつけたかった。足を挟まれ身体がかしいでいるが、それでも頭の高さは三ヤードはありそうだ。時折り翅を広げると、目の前にマイクロバスが横たわっているぐらいのサイズ感だ。
(そっか、俺も小さいんだ……)
今のケイは身長四フィートしかない。
しかし、夢のためには負けていられない。庭師に指示をし、矢を射かけてもらう。残念だが今のケイの体力体格では、弓を引き絞ることができないのだ。
放たれた矢が、ワイバーンの胸郭部に突き刺さる。極力翅に当てないでほしいと指示してあるので、胴体部に矢が集中した。
やがて、ワイバーンの動きが緩慢になり始めると、槍に持ち替えて近くへと進む。ワイバーンが前にのめるように姿勢を崩したところで首にひと付き。ついに決着がついた。
「僕は父に報告に行ってくる。おそらくハンターギルドに移送と解体の依頼を出すことになると思うから、準備頼みます」
ケイは工房に向けて走り出した。
報告を受けたロマーノ男爵はすぐさま着替え、警備隊の詰める番所へ討伐報告を上げに行くことになった。
ほとんど人を襲ったりしないワイバーンだが、歴とした『城下町に侵入してきた魔物』なのだ。討伐すれば褒美が出るし、報告義務も発生する。
「実際に戦ったのが庭師であっても、指揮したのが男爵家の嫡男とか、めんどくさくなる予感しかしないんだが……」
もう夕暮れも近い。明日にすることも考えたが、ちゃっと済ませてちゃっと帰るなら今日かな? と出発する。
ハンターギルドからはすぐに人が寄越された。大きい魔物はそのままでは動かせないので、ある程度解体してから輸送することになる。
ケイは翅と腱と腕から指にかけての骨を選び、それ以外の部分を売却することにした。
ハンターギルドから素材が来るまで、七日から十日ほどかかるらしい。その間に四分の一スケール模型の飛行までは済ませたいところである。
工房にある紙の中でも、もっとも薄いものを選び出し、笹を乾燥させて切り出した竹ひごを組み合わせて主翼と
操縦者の代わりには木片を切り出して重さを合わせたものを使う。
二乗三乗則により実機より軽くなる分は鉄製のバラストを積むことで調整し、翼面荷重を揃える。コントロールバー上の任意の位置で固定できるようにしてあるので重心位置は変更可能である。
二年前に飛び降り事故を起こした屋根に、模型を担いで登る。物干し竿が設置されているので階段が使えるのだ。
四分の一サイズと一口にいっても、もとの大きさがそれこそワイバーンほどもあるので十分以上に大きくなる。幅は二メートルを超える。重さは本体、木片ともに四ポンドに揃えてある。
大荷物を抱えて屋根に登っていくケイを見つけたリンダが駆け寄ってきた。屋根の上で追いついて、じとーーーーーと見つめてくる。
「ぼ、僕は飛ばないから‼︎この模型飛ばすだけだから!」
慌てて釈明すると、ならよし! みたいな生暖かい視線に切り替わった。
風は弱いが吹いてはいる。今は湖側から吹き寄せている感じなので湖側の端により、模型を持ち上げる。この大きな翼は正直一人では制御できない。風を受けると浮き上がってしまい、下手すると落下の可能性もある。
リンダにも手伝ってもらい、まずは風に正体させて揚力バランスを確認する。
機体が浮き上がるか上がらないかギリギリの迎え角にして、そっと手を離してみる。すーっと左に流れようとするのですぐさま捕まえて、木片の位置をずらして固定する。再び手を離し、すー。ずらす。手を離し、すー。ずらす。手を離し……浮いた。数秒浮いてから機首が下がり、屋根に接地した。
「だいたいこの辺りかなぁ。まぁ、一発目から綺麗に飛ぶことはないだろうけど、一度やってみよう。リンダ、もう一回手伝ってくれる?」
リンダがテールブームを支えてくれた。
「じゃ、リンダは指示するまでそのまま動かないで。指示したら手を離してね」
リンダにテールの位置を固定してもらい、機首を上げ下げしながら風の様子を探る。揚力を感じないところを探り当てて合図を出した。
「リンダっ」
「いーよ」
抗力中心の目安マークのあたりをそっと押し出すと、すーっと機体が下がっていき、数メートル進んだところで水平に戻る。
「ケイちゃん、と、飛んだよ」
「飛んだな……」
数秒後、徐々に左に傾き始め、ゆっくり旋回しながら機首から落下した。
「あー、落ちちゃった……」
「いや、上出来上出来。想定以上だよ。完全勝利って言ってもいいぐらいだわ……っしゃー!」
(めちゃくちゃ嬉しい!)
まさか試作初号機からこんなに安定飛行するとは思っていなかった。学生時代に色々作ったとはいえ、工作精度も素材の特性も遠く及ばないのだ。まさかまさかのケイオニクス大勝利である。
「よし、回収行こう」
二人で階段を降り、落下したグライダーの元に向かう。
「あー、壊れちゃってるね……」
リンダが悲しんでいるが、このぐらいは折り込み済み。むしろ翼の紙が破れて、コントロールアームが外れた程度で済んでいるので『無傷』と言っても過言ではない。
「いやぁ、良かった。本当に良かった。開発の方向性、間違ってないよこれ。次はこの機体直して、丘から飛ばしてみよう」
屋敷の隣の湖には、五分ほど歩いた場所に湖面に向けてなだらかに続く丘の斜面があった。
天気の良い日にはワイバーンやトビが高度を稼ぐために使う
翼は張り替えるので紙は破れても問題ない。いや、工房の紙が減ったと叱られたが、あとでまた貰いに行かないと……
これ以上壊れないようにそっと機体を持ち上げると、航空機製作に使わせてもらっている倉庫に運び込んだ。
あとは翼の紙を剥がし、落下に伴い機体のアライメントが狂っていないかどうか、治具を使って確認するところまでで今日の作業を終わりにした。
夕食後、父親に呼び止められた。
「あー、先日のワイバーンの件なんだが……」
何か言いづらそうにしている。
「ちょろっと番所の窓口で報告だけして帰ったんだがな、今日、今度は王城に呼び出された」
父のランベルトはまだ三十一歳である。祖父があまりにも早く引退して自由過ぎる生活を送っているために、この年で男爵家を支えている。当然、役所にいる同窓生もまだまだ若造扱いされる年代なのでコネも効きづらい。
「でまぁ、呼び出されたのが……王陛下の御前でな」
「は、はぁ?」
「齢七歳でワイバーンに立ち向かう勇者に、ご興味が湧いたようでな。そのうち、謁見があると思うがあまり驚かんようにな」
いや、驚くわっ!
(この小さな男爵家の中の幼年学校生がなんで王様に呼び出されるんだよ)
実はケイの母セレナは国王の従妹だったりするのだが、それをまだ知らないケイには正直わけがわからない。
しかし王からの呼び出しを無視するわけにもいかないだろう。その時は諦めて登城するしか選択肢はない。
(これで飛行機作ってるとか知られたら、さらに面倒になるかなぁ。航空機なんて軍事転用したくて仕方ないだろうし)
ケイは元自衛官である。飛行機が国に徴用されて軍事転用されるならば、それは仕方ないと思ってもいる。というか心の半分では、もしそうなったら航空機技術が一気に進歩するんじゃないかという期待もあったりするのだ。
地球の歴史でも、1903年にライトフライヤー号が空を飛んでから十一年後の1914年に第一次世界大戦が勃発。翌1915年には世界初の戦闘機が開発されている。
それからわずか43年で、景が憧れて育ったF-4戦闘機が生まれているのだ。最高速度マッハ2.4。音の二倍を超える速度で飛び回る時代まで、わずか半世紀である。
今から半世紀。ケイはまだ生きているかもしれない。なら、また超音速で空を飛び回ることができるかもしれない。
航空自衛隊でF-15Jに乗り、音を置き去りにして舞い上がったあの日を思い出す。
もっとも、超音速訓練はめちゃくちゃ燃料を喰い、機体寿命を縮め、訓練可能時間も短いために年に数回しか出来ない贅沢訓練であったのだが。
♦︎
ついにハンターギルドからワイバーンの素材が届けられた。
いよいよ実機の組み立て準備も始めることになる。さすがに地球のハンググライダー並みの分解組み立て性能は望めないので組み立てには広いスペースが必要になるだろう。
さぁ、まずはこの倉庫を片付けて、組み立てスペースを作るところから始めようか。
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