第8話  王太子の娘

 キャナリィ・カッシーニは王太子の娘である。


 彼女には、乳児の時からの記憶があった。いや、むしろ産道を抜けた瞬間、呼吸ができなかったことすら覚えている。もっと言えば、さらにそれ以前、別の人生を歩んでいたことすら記憶にある。

 沢井奏、天才は転生しても天才であった。


 王太子の娘、しかも第一子。国王の初孫だ。それはもう可愛がられた。可愛がられすぎて

「おじいさま、しつこい」

 と失言した日には、国を二分する戦いになりかねない事態が発生した。

 

 そのあと、おねだりという形で国王に甘え、なんとか場をとりなした。ただ、ねだったものが王女近衛団の創設であったことから、新たな権力闘争も引き起こした。


 三歳の時に腹違いの弟が生まれ、先月、キャナリィと同じ母からも弟が生まれた。

 

 キャナリィの父、この国の王太子は三人の妻を持っている。第一王太子妃のパトリシア、第二王太子妃のレベッカ、第三王太子妃のエレクトラ。

 キャナリィの母パトリシアと第三王太子妃のエレクトラはとても仲が良い。キャナリィもエレクトラに懐き、良く遊んでもらっていた。

 もっとも、キャナリィの遊びとは、琴を探すための手段であるのだが。


 奏は琴もこの世界にやってきていると確信していた。なぜならば奏がここにいるからである。

 

 奏はキャナリィとしての容姿もわかっていた。限りなく色が薄くクセのないプラチナブロンドのストレートヘア。同色の眉。そして幼少期の奏そのものの顔。

 となると、琴も同じ姿かたちでいる可能性が高いのではないかと思っている。


 今日もキャナリィはエレクトラの小宮に来ていた。まだお茶は早いと言われ、柑橘を絞った水に蜂蜜を溶かしたものを出してもらった。

 

「では、今日はなんのお話をしましょうか」

「この国の貴族の派閥について教えていただけますか?」

 四歳児の会話ではない。しかしエレクトラはもう「そういうものだ」と観念している。これがキャナリィ姫という生き物だと。

 

「はい、まず国王派ですね。一番大きな派閥になります。続いて王太子派。お父さまの派閥ですが、基本的には国王派に追従していっておりますね」

 他にも第二王子派、宰相派、道路族、魔法族、商工会議所族などがあるらしい。

 

 第三王子は国を出て、諸国漫遊の旅に出ているそうだ。王女も四人いるが、第一王女は隣国の第三王子と婚姻し、侯爵家夫人となっている。第二王女は国内の公爵家嫡男の元へ嫁ぎ、次代公爵夫人になる予定である。第三王女は王立学園の三年生。第四王女は幼年学校六年生だ。

 (兄弟多すぎ……)

 跡継ぎのことを考えたら仕方ないことではあるが、人が増えれば争いも増えるのが世の常である。


 キャナリィは間も無く五歳になる。五歳の誕生日はキャナリィの貴族たちへのお披露目があり、そこで無様を晒さないための教育が始まった。

 今までも基本的なマナーについては母やエレクトラに教わっていたが、姫として独り立ちするためにはその他にも様々な教養が必要である。

 立ち居振る舞い、ダンス、読み書き算術、万が一の時の逃げ方、助けの呼び方、そして魔法の基礎。

 専門の教師が用意され、キャナリィの教育が始まった。


 まず、真っ先に異常に気がついたのは読み書き算術の教師であった。

 (なんなのこの子……おかしいでしょ……)

 まず、足し算引き算から始めたのだが、気がつくと代入式を使ってその先の計算を始めている。教えてもいないのに掛け算割り算を使いこなす。多項式で問題を作り、勝手に解き始める。


 この世界、機械文明は遅れていれども文化教育はかなり先進的であった。数学も前世界のものと比べてもそれほど劣るものではなかった。感覚的には十九世紀終わりぐらいか。

 奏は教師を試すように数式を書き綴り、この世界を理解しようと務めた。


 翌日、読み書き算術の先生が辞職した。大変申し訳ない……少しだけ反省した。


 護身防衛術の先生も災難であった。

 掴みかかられる訓練の時、剣で襲われそうな訓練の時、消えるのだ。

 十歩ほど離れた場所から見ている侍女からは、キャナリィが『すっ』と避けてるだけにしか見えない。しかし、手を伸ばした教師からは瞬間移動したようにしか見えなかった。

 

 剣道と体操のコンボが、究極のフェイントとも言える視線誘導を行っていた。

 

 相手を掴もうとした時、目は相手の動く先を見、手は動く先を掴みに行く。訓練された武術家ならば、相手の予備動作から次の次まで動きを読み、確実に捕まえに行く。

 しかし、予備動作そのものがフェイクなら? 予備動作を無くすのではなく、予備動作で相手を誘導することで、常に相手の二手先を取っていく。


 翌日、護身防衛術の先生が辞職した。大変、大変申し訳ないと思った。


 立ち居振る舞いの先生は侍女長であった。さすがにこれについてはまだまだ未熟であり、毎日ギリギリの緊張のなか訓練が続けられた。

 

 ダンスも割と鬼門であった。運動能力も物覚えも文句なしのキャナリィであるが、相手に合わせて動くのが少しだけ、ほんの少しだけ苦手なようだ。

 ついつい相手を振り回すスタイルになってしまい、見ている人に「男女が入れ替わってるみたい」と言われてしまう。これは努力で何とかしないとならない。キャナリィはかなり頑張って訓練を続けた。


 そしてお楽しみの魔法の授業。何といっても前世には存在しなかった魔法である。

 

 (これ、琴は絶対興奮しながら勉強してるよねぇ。どんな理論組み立ててくるのか楽しみだねぇ)

 早く逢いたい……わたしはわたしに逢いたい。そのためには今は力を貯める時。奏は新たな決意のもと、魔法の授業に臨む。

 

 魔法の先生は宮廷魔導士の女性であった。バイオレッタ・アンサンデリカ。御年なんと二百歳超え。しかし一見アラサーにしか見えない妖艶なお姉様だ。

「バイオレッタ先生は、人族ですの?」

「ええ、人ですよ。エルフの血が入ったりはしてないはずです」

 (あ、エルフいるんだ……)

 そんな感想を思いつつも授業を受けていく。

 

「今日はまず、魔法の基礎知識からやっていきましょう。魔法使いはそのほとんどが女性であることはご存知ですか?」

「いいえ、知りませんでした」

「ほとんど女性なんです。たまに男性で魔法が使える方もおりますが、女性よりも魔力も魔力量も少ないです」

 どうやら明確な性差があるらしい。

 

「これは、子を産み、育てる機能が魔法に関係してるのではないか? と言われています」

「なるほど」

「姫様、下腹に手を当てていただけますか? その下に子を育てる子宮がございます。その辺りに意識を持って行って何かないか感じてみてください」

キャナリィは言われた通りに手のひらを当て、お腹の中に意識を持っていく。

「うーん……お腹すいた?」

「ちょっと違いますね。少し触らせてもらって良いですか? 補助で魔力を流してみますから」

 バイオレッタがテーブルを回り込み、キャナリィの隣にしゃがむ。ふわっと頭が痺れるような、甘い香りがした。

 バイオレッタの手がお腹にあたり、じんわり暖かくなると、そこに何かが流れてるのに気がつく。

「たとえば、血が血管を流れてるのって、わからないですよね。魔力の流れもそれと一緒です。ただ、自覚さえできれば流れを知覚することも制御することもできるようになります。あとは反復訓練ですね」

 

 はぁ……と納得する。

 今感じた流れを忘れないように、その源へと意識を向ける。

「これが魔力……なのね……この力の源って何なのかしら」

「魔力は、どんな強さで使えるのか? を魔力、どのぐらい使えるのか? を魔力量って呼んでますね。まぁ、大抵寝てれば回復して行くので精神力に近いのかな? とは言われてますが、正直なところわかっていません」

 (わかってないのか!楽しい‼︎)

 楽しみ方の方向性が琴に毒されている。


 感じた魔力を体内で動かして行く訓練を行いつつ、魔法を発動するための手順の基礎を習って行く。

 

「魔法は呪文でイメージを固めて、それに沿って発動ワードを唱えることで発動させるのが一番簡単です。最も簡単だと言われてる魔法を試してみましょうか」

 最も簡単‼︎キャナリィはワクワクした顔でバイオレッタの顔を見つめた。

 バイオレッタの顔がちょっと赤くなる。

 

「行きます。風の壁、風の壁、風の手となりて、風の手となりて、打ち付けよ、クラップ」

 パンっ! 手を打ったような音がした。

「ただこの音を出すだけの魔法ですね」

 笑いながらバイオレッタが手のひらを見せた。

 

「では、姫様もやってみてください。呪文を唱えながら魔力を掌に集めるようなイメージで」

 キャナリィは大きく深呼吸をすると呪文を唱える。「風の壁、風の壁、風の手となりて、風の手となりて、打ち付けよ、クラップ!」

 

 パンっ!

 

 綺麗に鳴り響いた。

「素晴らしい……一発とは驚きました。普通は二、三日はかかるものなのですが、姫様には才能があるようですね」

「バイオレッタ先生、呪文は、指定、指示、現象、発動……みたいな手順で良いのですか?」

「えーと……普通は学園入学前の子供に呪文構成を教えたりはしないのですが……というか本当に四歳?」

「どこからどうみても四歳じゃありませんか。ちゃんと人族ですよ」

「うーん……学園生とお話ししてるみたいな感じが……」

「えーと……範囲指定、対象指定、動作指示、現象、うん、ちょっと試してみます」

 

(対象は……そこらの水蒸気……分解できるかな? 電気使えるかわからないから固める方向で……範囲指定はこの部屋全体? わたしの体一つ分ずつで集まって、分子の運動量を減速……行けそう?)

 

「スノウ!」

 ボンッという音と共に部屋中に霧が立ち込める。

「あー、思ったのと全然違う結果だー」

「……な、何をやった? 何をどうした?何をどうすればこうなる!」

「えーと……空気の中のお水を集めて、冷やしてみたの」

「いや、そうはならないだろ!」

「なったよー」


 (なんなのこの子、なんなのよ……)

 まずこの世界、空気の概念こそ一般的になってはいるが、湿度を空気中の水分であると認識している人は多くない。

 それを、生まれて初めて魔法を使った四歳児が? この規模で?

 (あり得ないわ……魔力も魔力量も足りるわけない)

「き、今日はここまで。次回はちょっといくつか魔道具持ってきますから」

 (魔道具! 異世界っぽい!)


 バイオレッタ先生が帰った後は、自己復習のお時間です。

 最初にしたのは反省であった。

 (この世界の空気やお水って、H2OとかN2とO2の混合物で良いのかな?)

 (分子間結合は電磁気力なのかな)

 (そもそも、原子によって成り立ってるで良いのかな?)

 琴の師匠なだけはある。

 

「さて、呪文の分解はイメージ? それともプログラマブルな各個指定? 小規模なもので試してみますか」

部屋のスツールに活けてある花瓶からお花を取り出し、花瓶をテーブルまで持ってくる。

「花瓶の水 減速 熱 輻射 ……凍結」

 

 花瓶の中でパチパチと音がした。花瓶に触れると冷たい。ひっくり返しても出てこない。成功?

「これは範囲が明確だったから簡単だったのかな? それにしても、今の魔法? は、エントロピーの逆転? マクスウェルの悪魔を使役してるの?」

 

 今の事象で外部からのエネルギー供給は、魔力だけである。ただ、魔力がエネルギーなのかはまだ判明していない。

 「花瓶の氷 加速 熱 ……あ、エネルギーは魔力で良いのかな? 魔力を手からって言ってたし……もう一度」

深呼吸してもう一度。お腹の魔力を感じながら手のひらに集めて……

「花瓶の氷 加速 発熱 融解」

 ぱしゃり。水が溢れる。

「熱だけなら自由に扱える? あれ、これって危ない魔法すぐにできない?」

 

 花瓶の氷が一瞬で溶けた。もし、熱力学が地球と変わらず水や氷の比熱も変わらないと仮定すると……200gの氷を一瞬で水にするとなると、67kジュールの熱量が一瞬で発生したことになる。

 もしこの熱量を一点に与えたら……人体相手なら、脳幹あたりにでも撃ち込んだらどうなる……

「これ、どのぐらいの距離まで発動できるのかな」

 室内では危なそうなので、中庭に出ることにした。

 

 王太子妃に与えられている小宮は、王城東側の城郭の先、東宮の更に東側に並んでいる。大きな庭園の周りを囲むように、四つの小宮があり、うち三つが使われている状態である。

 この大きな庭園を中庭と称して、普段からキャナリィの遊び場になっている。

 

 キャナリィは落ち葉を拾い、一歩ごとに一枚ずつ、地面に並べて行く。キリよく32枚並べたところで、手前から順に熱を加えてみることにした。

「呪文は……そうねぇ……」

 頭の中に魔法の発動条件を組み上げてゆく。

 指定 葉っぱ

 距離 一歩先

 処理 加熱

 手順 分子の単純熱振動の増大

 処理時間 鼓動一回

 発動条件 任意のトリガー

 

「燃えて」

 

 ボンッっと葉っぱがひかり、灰のようなものが飛び散った跡だけが残された。

 

 指定 葉っぱ

 距離 二歩先

 処理 加熱

 手順 分子の単純熱振動の増大

 処理時間 鼓動一回

 発動条件 任意のトリガー

 

「燃えて」

 ボンッ

 

 指定 葉っぱ

 距離 三歩先

 処理 加熱

 手順 分子の単純熱振動の増大

 処理時間 鼓動一回

 発動条件 任意のトリガー

 

「燃えて」

 ボンッ

 ・

 ・

 ・

 指定 葉っぱ

 距離 二十七歩先

 処理 加熱

 手順 分子の単純熱振動の増大

 処理時間 鼓動一回

 発動条件 任意のトリガー

 

「燃えて」

 ………発動しなかった。


「これは……思った以上に範囲が広いわ……」

 四歳児の一歩である。せいぜい30センチかそこらだ。しかし二十七歩ならば八メートルはある。つまり、八メートル先の人を、一歩も動かずに倒せるということなのか……

 

「人間の中には魔力があるから、勝手にレジストとかされるのかな?」

 この辺は先生に確認を取らないとならないだろう。人で試すわけにはいかないのだ。


 次の魔法の授業は三日後であった。今日はバイオレッタ先生の他に、エルフらしき女性が先生としてやってきた。

 

「宮廷魔導士長のアンガスです。姫さま、よろしくお願いします」

 バイオレッタが早速、何やら水晶玉のついた天秤状の道具を取り出してきた。

 

「これは魔力そのものを計る魔道具です。魔力は魔力の出てくる圧力と、出てくる量を掛け合わせたものなのですが、個別に計る道具は大きくて持ち運びが難しいのです」

「この、皿に手を押し付けてですね、ぐーっと魔力を流すと皿が下がりますので、その下がり方で調べます。早速試してください」

「はーい」

 紅葉のような小さな手を魔道具の皿に押し付け、ぐぃっと魔力を流し込んでいく。

「うー、うー、むーぅぅ」

 はぁはぁ、全力を出した。やりきった。

「魔力……3.7×10^3……四歳児としては破格の魔力だけど、王族ならこのぐらいでもおかしくない……程度かな」

 良かった、特におかしくないんだ……と安心するキャナリィ。しかし、次の一言で窮地に陥る。

 

「だとすると、前回のあの魔法は、あり得ないの。あり得ないのよ」

 あの、失敗した霧魔法のことだろう。あれは失敗だったからあんなに派手になったのである。この二日間、密かに練習したキャナリィに死角はなかった。

 

「先生、あの時は失敗だったからあんなになっちゃったの。あのね、本当はこうするつもりだったのよ」

 指定、空気中の水分

 範囲、自己中心に半径26歩

 処理A、わたしの身長を一辺とする立方体ごとに水分を集積

 処理B、コアとなるコンタミに、温度を下げながら吹付け

 処理時間、範囲内の空気中水分の八割を凝固させるまで

 発動条件、任意のトリガー

 

「あのね、こんなふうに……スノウ……」

 室内にぶわっと雪が舞った。

 室内の水分量などたかがしれているので大した雪ではないが、確かに雪が舞った。

「……」

「……」

「あの……せんせ?」

 

「呪文は?」

 バイオレッタが光の消えた目でキャナリィを見ながら言った。

「え? 呪文ですか? 言葉にしないとダメなんですか?」

「いや、しなくてもいいのよ、良いんですけど……私も聞きたい。呪文は?」

 アンガス先生も同じことを聞いてきた。

 

 困ったキャナリィは、紙に魔法のフローチャートを書いてアンガス先生に渡す。アンガスとバイオレッタがそのメモを見ながら固まっている。

「これ、革命起きないか?」

「多分、魔法に革命が起きますね」

「この魔法、公表は出来んねぇ」

「できないでしょうねぇ」

「わたしらは使ってもいいと思うか?」

「まぁ、大っぴらにはやめた方がいいと思います。ただ、この調子だと姫さまが何かもっとひどい魔法を作りそうで……」

 

 キャナリィはそこで聞きたいことを思い出した。

「あの、先生。人の体に直接魔法撃ち込んだらどうなりますか?」

「直接って、ファイアーボールとか?」

「いえ、相手の頭の中とか、そう言ったところに」

 

 キャナリィは「えいっ」っと無造作に指を向ける。すると、部屋の隅に立てかけてあったトルソーが弾け飛んだ。

「はぁっ?」

「もしかして、あまり防御はされない?」

「もしかしないでも……これは……防御不能だぞ……」

 

 魔法を覚え始めて三日目の四歳児が、暗殺者よりも厄介な魔法を使いこなす。なんの悪夢だというのだ。

「姫さま、とりあえずその魔法は今しばらく禁止です。その他の魔法も許可が出るまでお控えください。近日中には回答しますので、どうかご内密に」

 こうして、この日の魔法教室もあっという間に終わってしまった。

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