第5話  鏡よ鏡よ鏡さん、世界で一番美しいのはだぁれ?

 琴はいよいよ今日、四国沖に向かう。

「じゃ、行ってきまーす」

「いってらっしゃい、気をつけてね」

「早く帰ってね…待ってる。行ってらっしゃい」

 玄関まで見送りに来た母と奏に挨拶をし、玄関を出る。呼んであったタクシーに乗り込み、振り返って手を振った。玄関先まで出てきた母と妹が手を振りかえしてくれた。

「百里基地のゲートまでお願いします」

 運転手に行き先を告げる。

「はいはいー、茨城空港じゃなくて基地の方ですね。あ、シートベルトお願いします」

 右手で電動スライドドアを閉める動作をしながらルームミラー越しに目礼してくる運転手に、目で挨拶を返しシートベルトを締める。

 家から基地まではほんの十分ほどである。見慣れた田舎の景色を眺めながら今日の予定を思い返した。

 基地のゲートには、内閣調査室の幸田が迎えに出てくれていた。

「おはようございます、今日もよろしくお願いします」

「おはようございます。陸自のヘリはもう到着しています。このあと十時には出発しますので、お手洗い等、先にお願いします」

 ゲートから最寄りの建物に寄りトイレを借りたあと、車でヘリパッドまで移動する。ヘリパッドには陸上自衛隊木更津駐屯地のエアバスヘリコプターEC225が駐機していた。

「沢井です。今日はよろしくお願いします」

 機外で待っていてくれたらしきカッコ良さげな制服を着た隊員に挨拶をして、用意してもらったステップから機内に入った。

「今日はこのあと、木更津でオスプレイに乗り換えていただいてから四国沖鏡フロートへ向かいます」

「おおー、オスプレイ!お兄ちゃんがいたら興奮したでしょうねぇ」

 前回、紀伊まで飛んだ時はCH-47チヌークだったので、琴も初めてのオスプレイである。

「あははは、沢井一尉の飛行機好きは有名になりましたからねぇ」

 驚くなかれ、沢井景の伝記っぽい本まで出版されていたりする。

 そうこう言ううちに機体から機械音が聞こえ始めた。

「お時間ですのでお席についてシートベルトをお締めください。お荷物はこちらで保管させていただきます。お席はどちらでも結構です」

 先程の隊員に案内され左のドアより二つ後ろのシートに座る。何となく外が見える席だったからだ。

「木更津まではおよそ三十分ほどです。しばらくの空の旅をお楽しみください」

 ほんとに自衛隊機なの? と疑問に思うような丁寧な案内の中、タービンの音が高まっていき機体が動き出した。窓の外に見えている青い戦闘機が急激に小さくなってゆく。

 ゆるく左ターンしていくとき、自宅の赤い屋根が視界を流れていった。


         ♦︎

「はっや! オスプレイはっや!」

 木更津駐屯地でヘリコプターからV-22オスプレイに乗り換えた琴は、わざわざ窓のあるハッチの場所まで行って外を見ていた。

 オスプレイは真上から前方まで向きを変えられるプロペラ、チルトローターを持つ垂直離着陸、短距離離着陸の出来る固定翼機である。ヘリコプター並みの離発着場で運用できる上に固定翼機の速度と航続距離を持つオスプレイは、離島の多い日本の防衛には欠かせない機材となっている。

「速度そのものは普通の輸送機と似たようなものなんです。ただ、低いんですよ。ヘリコプター並みの高度で飛んでるので地面が近くてビュンビュン感がすごいですよね」

 幸田が解説してくれた。

 木更津駐屯地から短距離離陸で飛び立ち、東京湾を越えて三浦半島を飛び越し相模湾の横断を始める。

「目的地まではおよそ二時間です。少々かかりますのでお席でお休みください」


 四国沖鏡フロートへのアプローチは垂直着陸であった。

 残念ながら座席に座ってシートベルトをした状態では外の状況は全くわからず、普通のヘリコプターと似たような乗り味である。

「でも、楽しかったです。あと、ヘリコプターと比べるとものすごく静かで、乗ってて楽ですね」

「そうなんですよ、チヌークとかと比べるともうね」

 皆同じ事を思うようだ。


 四国沖鏡は黒潮本流ど真ん中に位置し、付近の水深は3,000メートル級とあって、フロート建設に手間取った。

 結局、12,000メートル級のアンカーで支え、マルチコプター利用時には大型タンカー四隻による力技で位置決めをすることになった。

「これは……写真で見るよりも大きいですね……」

 この計画の立案者本人が驚くほどの巨大施設がそこにある。

 今日はもう午後三時近い。このあとはブリーフィングを行いフロート内の施設で宿泊、鏡へのアプローチは翌日午前の予定となる。

 ブリーフィングでは、琴が来るまでに得られた基礎データの報告が主体になった。

「生体実験の結果がこちらになります……」

 生きた生物を鏡の中に入れる実験も行われている。

「マウスによる実験では、頭が入った瞬間に死亡しますね。逆に後肢から入れ始めて、胸近くまで入っていっても何も忌避反応を示しませんでした」

「ただ、挿入動作を止め、少しでも引き出されるとその瞬間に切断されたことになり一瞬で死にます」

「完全な一方通行……なのかしら。向こう側のデータが何も取れないのがもどかしいですね……」

 どんなに丈夫な外殻を付けても、差し込んだ先の事は全くわからなかった。鏡の縁付近で、半分外に出した鋼鉄の棒を押し込む実験も行ったが、何の手応えもなく綺麗な断面で切り取られる結果になった。

「この現象を応用出来たら、金属加工に革命が起きそうだな」

「けど、端材が無くなるから不経済すぎない?」

 ブレインストーミングで軽口を叩きながらデータシートを手繰っていく。

「さぁ、明日が楽しみだわ」


 宿泊施設はプレハブ建ての平屋で、四室ずつの建屋が数十棟並んでいる大規模なものだった。

 ほぼここに住み込みで働いている建築関係者や船舶関係者、マルチコプターの整備士に地上操縦設備のオペレーター。料理人やリネン室の方々。たくさんの人々に支えられてこの巨大施設は動いている。

 琴は与えられたツインルームに入り、サイドテーブルにノートPCを取り出す。電源を入れ、起動を待ちながらスマートフォンを取り出し、妹に電話をかけた。一日一度はお話ししないとめんどくさくなるのだ。

「もしもし、うん、無事着いたよ、うん、大丈夫大丈夫、心配ないから……」

 過保護な妹の愛が重い。

「そうそう、今日オスプレイ乗ったよ。あれはお兄ちゃんにも乗らせてあげたかったなぁ……あのね、めっちゃ静かで速くてねぇ……」

 今日あったこと、明日予定してること、とりとめなく会話を続けていく。

「え? 奏もお兄ちゃんの仇に会いたいの? うん……うん……わかった、明日にでも聞いてみるよ……」

 立ち上がったPCを研究室の外部サーバーに接続しながら、電話をまとめに入った。

「じゃ、また明日ね。明日には結果出てると思うから。おやすみ、奏」

 ぴっ。電話を切りスマホを充電器に繋ぐ。室内にはコンセントもWi-Fiも用意されているし、国内最大の携帯電話キャリアがパラボラアンテナごと移動基地局を設置してくれている。


 翌朝、食堂でスクランブルエッグとトーストの朝食をとり、身だしなみを整えてから研究所代わりの建屋へ向かった。

 身だしなみといっても、作業着にヘルメットという実験施設にいる時の正装である。

「おはようございます!」

 研究所の実験準備室には、すでに五人の研究員と幸田がスタンバイしていた。

「あれ? わたし、遅れました?」

「いえいえ、時間通りですよ。我々はまぁ、飛ぶ前の準備もありまして」

 現場責任者の田中さんがにこやかに答えてくれた。仙台大学で物理学教授をしている白髪混じりの男性である。

「じゃ、よろしければ参りましょうか。空中研究室までは車を出します」

 マルチコプターの駐機されているヘリパッドは、安全のために周囲の建物から十分な距離をとっているため、移動には車両が使われているようだ。入ってきた扉とは反対側の扉を出ると、牧場で使われているような八人乗りバギーが置かれていた。

「乗ってください、行きましょう」

 数百メートル先に白い大きな箱と、その上に八角形に配置されたローター八機が見える。空飛ぶ研究室だ。

 昨年乗った紀伊のマルチコプターは、ヘリコプターを三機無理やり組み合わせたものであったが、この一年で開発したのであろう。

「最初は有線で電源送ってたんですがね、線が長すぎてバッテリーより重くなっちゃいまして……」

 開発も苦労したようである。

 

 マルチコプター研究室の操縦は、オペレーターがマルチコプターに指示を出し、マルチコプターの自律飛行制御システムがそれに合わせて移動する。

 「15ノットの風までなら、突風が吹いても三センチ以下の移動量で抑えられます」

 近くまで行くと、部屋部分の側面にも横向きにローターが取り付けられている。重心位置と横風時の風力中心とメインローターの高さが一致していないため、揺れ対策には苦労したのであろう。

「では、いきましょう」

 室内に入ると、天井の真ん中に直径十六メートルの穴が空いている。ここに鏡が収まるように上昇することになる。

 また、虹色鏡の時と違い、今回は中央付近はケージで覆われており、万が一の転倒などでも鏡に触れることがないようになっている。

 ローターが回り出す音と同時に、エレベーターが上がっていくような重力の変化を感じる。

 1,200メートル上空まではわずか三分。耳抜きが間に合わずに鼓膜に鋭い痛みを感じた。圧がかかる時は強制的に耳抜きできるが、減圧の時は難しいのである。

「さて、これがいわゆる四国沖鏡しこくおきかがみですね」

 田中教授が解説してくれる。

「では、ご自分で試されますか?」

 琴は、手渡されたピアノ線を後ろから鏡に差し込んでみた。

 今までにも何度も繰り返された実験ではあるが、自分の目でみてみたかった。

 裏から見ていると、鏡があるらしき場所を通り過ぎてもそのまま向こうまで入っていく。しかし、戻そうとした瞬間に切断され、鏡の向こうに落下した。

 今度は残った部分を後ろから投げ込んでみる。何事もなかったように鏡を通り過ぎて向こう側に落下した。

「生き物でもできるかしら」

「それはまだ試してませんね。準備します」

 ケージに入れられたマウスが使い捨ての板に乗せられ、鏡の裏面から挿入された。

 鏡面側からじっと見つめる琴。鏡の中からスーっとマウスが出てきた……が、動いていない。

「あら? ……気絶?」

「確認します」

 結局、マウスは死亡が確認された。この日、三回の実験を行い三匹のマウスが死んだ。

「すみません、明日の実験までに、動くけど要らないノートパソコンって用意できますか?」

「大丈夫だと思います。用意しておきます」

 食事も取らずに続けていた調査を午後三時過ぎに終え、軽食をつまみながらデブリーフィング。

「あ、今回の調査終了前に、妹をここに連れてきても良いかしら……」

「妹さん、ですか?」

「ええ。双子の妹がいるのはご存知ですよね? 妹もお兄ちゃんの最期の場所に来たいと……それに、妹は私より優秀ですよ?」

 優秀かどうかの話題は笑って流されたものの、奏を呼ぶことの許可はすぐにおりた。機密部分も存在はするが、鏡に近づくだけなら問題はない。最終日にはメディアの取材もあるので、一緒に上がって取材も受けることになる。

「ありがとうございます。奏も……妹も喜ぶと思います」

 翌日からは実験と記録に明け暮れることになった。裏側からの生物投入は、脊椎動物は全滅。無脊椎動物でも大きめの神経節を持つものは半数以上が死亡。植物でも二割は活動を維持できなくなった。

 試しに入れたノートパソコンは、通り抜けた瞬間に電源が落ちた。再起動もうまくできないため調査に送る。これはさすがに時間がかかるため次回以降への宿題になるだろう。

 何も実験せずに、ひたすら思索に耽る日もあった。むしろ、この状態が一番琴らしいともいえる。

「次元断層の一種……境界層を光学観測できて……電気的データの欠損? ……命の定義……ドラゴンも中から来た? でも、鏡は見つかってない……」

 床に三角座りした状態で考え、時折左手でPCのキーボードを叩いて文字を入力していく。

 今回の調査は明日まで、明後日には奏が来て、そのあと一緒に帰ることになっている。

 帰りもわがままを言わせてもらい、新田原基地に三年ぶりに挨拶に寄らせてもらうように手配済みだ。

「うーん……あと二歩、いや三歩足りないかなぁ。もうちょっとなんだけど……」

 琴は立ち上がり、鏡の前に近寄った。目の下にクマが浮いて、ちょっとひどい顔が目に入りブルーになる。

「鏡よ鏡よ鏡さん、世界で一番美しいのは、だぁれ?」

 鏡が答えてくれるはずもなく、ただただ鏡の中の自分が見つめ返してくるだけだ。

「はふー、あーもぅ」

 何となく気恥ずかしくなって横を見……田中教授と幸田がそっと目を逸らした。

「いや、あの、えっとこれは……はぅー」

「お、降りましょうか。今日のところはゆっくり休んでください」

 気遣いがとても恥ずかしいが、降りることには賛成だ。今日はもう思索どころではなくなってしまった。


 このあと、琴はもうリフレッシュに努めた。お風呂棟でゆっくりとお風呂に浸かり、マッサージ機で全身をほぐし、一番小さい缶のビールを開けた。奏に電話をかけ、恥ずかしさの共有をしたところ、後日の実演を約束させられてしまった。なぜそうなったのかはわからない。奏と話をしていると、大抵奏のいう通りになってしまう。

 さぁ、明日で実験も一区切りである。気合いを入れ直して床についた。


 翌日は少しだけ曇り風も出ているが、実験には問題ない程度である。田中教授、幸田、研究員のみんな、そして琴が鏡の前に整列して調査開始の挨拶を行い、担当機器ごとに分かれていく。

 と言っても琴は完全なフリーハンドである。あちらの測定器を確認したらこちらの記録を参照し、鏡の前で妖しい踊りを舞う。いや、何だよその踊り……

 今日の琴は綺麗だった。ヘルメットに作業服は変わりないが、疲れ切っていた昨日までとは明らかに違う色香を漂わせている。

 現在三十四歳、独身。周りの男性研究員はあわよくば……と考えているものも多い。しかし、実績にしろ美貌にしろ高嶺の花すぎる……けどお話しぐらいしたい……さまざまな葛藤ののち、ラストチャンスとばかりに話しかけられることが増えた。

「沢井博士はその、お付き合いされてる方とかいらっしゃらないんですか?」

 勇者が出た。全員の耳がダンボになる。

「今は忙しくてねぇ……それにほら、今は許可してもらうお兄ちゃんもいませんし」

(いやいやいやいや、何でここにお兄ちゃん? この人あれなの? やばい人なの?)

 やばい人である。

「そ、そうですか……あの、頑張ってください」

 何を頑張れと言うのか……ヘタれた研究員がコンソールに向き直る。

 最終日は特に新しい成果はなかったものの、穏やかに終わった。

 明日はいよいよ奏が迎えに来る。

 

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