第2話  ロマーノ男爵家の長男

 「あー、落ちてるわ。あれは落ちてるわ…」

 目を覚ましたケイは過去のことをすっかり思い出した。どれだけ空に憧れたか。どれだけ飛ぶのが楽しかったのか。そして、どうやって自分が落ちたのか……落ちる覚悟もなく、気がついたときには妙な鏡の前にいた。その後のことは本当に何もわからない。ただ、あそこからの回避が無理なことはわかる。よく訓練された事業用しょくぎょうパイロットは、自分の乗る飛行機の挙動は骨の髄まで叩き込まれているのだ。

 

「転生、だよなぁ。これは」

 基本的に航空機関係の本しか読まなかった景だが、高専出身である。ライトノベルを読んだことがないわけない。

 「今は夕方か?あ、さっきの飛び降りっ‼︎」

 だんだん意識がはっきりしてくるにしたがって、現状を理解し始めた。板切れ背負って屋根から飛び降りて、気がついたらベッドの上。これは非常にまずいんじゃなかろうか?

 

 ケイのフルネームはケイオニクス・ロマーノ。ロマーノ男爵家の長男である。ロマーノ男爵家は、もともとは極東にある島国に住んでいた刀鍛冶の一族であった。

 今から二百年ほど前、難破して流れ着いたこの国の王兄を助け、その王兄と共にこの国に移り住んで来たのが始まりである。一族の作る『刀』に惚れ込んだ王兄の推挙によりロマーノという家名を賜り、治める土地を持たない準男爵として王都に住み、王族や近衛向けの刀を打つのを生業としてきた。 その後男爵へと陞爵し、今も王都にほど近い湖のそばに屋敷と工房を抱え、鋼を鍛え刀をうち王城へ納品しつづけている。

 ケイは五歳になったばかりだ。まだ言葉も話せない頃から、鳥や飛竜などの空飛ぶものを眺めるのが好きで、言葉を覚えてからは飛ぶ夢ばかりを語っていた。

 そして、とうとう実行に移し、墜落事故を起こしたというわけである。


 ではベッドを降りて……と思い足を動かした瞬間に激痛が走った。

「あがっ、いたっ‼︎」

 折れてる気配はないものの、かなり激しく捻ったようだ。ちょっとこれは歩けそうもない。

「お目覚めですか? ぼっちゃま」

 元乳母だったリーノが入ってきた。悲鳴が聞こえたのだろう。

「ぼっちゃまはやめて……」

 お約束の会話のあとに、報告と謝罪をする。

「その……ごめんなさい。心配かけて」

「それは奥さまと旦那さまにお伝えくださいませ。まずはご無事であったことを喜びましょう。お身体の具合はいかがですか?」

「左膝と足首がめちゃくちゃ痛い。それとお尻……」

「お医者さまによれば、折れたり潰れたりはしていないようでございます。では旦那さまをお呼びして参りますので今しばらくお休みくださいませ」

「リンダはどうしてるの?」

 リンダとはリーノの娘で、ケイの乳姉弟である。ケイが離陸に失敗して墜落した時に、隣にいた少女だ。

「ぼっちゃまが屋根から落ちた時には、それはもう大騒ぎでした。ケイちゃんが、ケイちゃんがって大泣きして、今は泣き疲れて寝ております」

「リンダにも悪いことしたね、あとで謝らないと」

「ではわたくしはこれにて。お食事は後ほどお持ちいたします」

 リーノが退出していった。

「ああ、リンダもとんだとばっちりだったよねぇ。止めてくれてたのに一緒に怒られるかなぁ」

 優しい幼馴染に酷い仕打ちをしてしまった自覚はある。ケイはバカではないのだ。ただ、莫迦ではあるが、そこはもう個性として目をつぶってもらえる事を信じています。

 

「旦那さま、ぼっちゃまがお目覚めになられました」

 リンダは鍛治工房に向かい、すぐに当主であるランベルト・ロマーノ男爵の元へ向かった。

 ロマーノ男爵はブラウンの髪にブラウンの眼、背は高くないが肩幅はしっかりとしており胸板は厚い。毎日、金槌を振り続けるとこうなる見本の様な身体つきをしている。

「おお、目が覚めたか。まぁ男の子だから多少のヤンチャは仕方ない。火の番を任せたら顔を見にいくとするか」

 鍛治工房の炉は夜間も火を残したままである。夜番の従業員が出てくるまで、あと一刻ほどある。

「では、お夕食は後ほど工房食堂に運ばせていただきます」

 リーノは頭を下げて工房をあとにした。

 ケイの母、セレナ・ロマーノは納品のために昼過ぎから王城へ行っていた。そろそろ帰宅する筈なので戻り次第ぼっちゃまのお部屋へ来ていただける様、門番に声をかけてから屋敷に戻る。

 普段は先代夫婦も屋敷にいるのだが、先月から「新婚旅行に行ってくるわ」と家を空けていた。ちなみに、今回で十回目の新婚旅行だそうだ。

 厨房に立ち寄り、旦那さまの夕食の手配を済ませたところで外が騒がしくなってきた。男爵夫人がご帰宅されたようだ。

「リーノ! リーノ! ケイは? 屋根から落ちたって? 怪我は? 」

 セレナが駆け込んでくる。

「打ち身と捻挫がある様ですが、ご無事でございます。お部屋で休まれてますので、お声をかけてさしあげてくださいませ」

「ええ、わかったわ。ありがとう」

 セレナがバタバタと駆けていく。それを見たリーノがため息をついた。

「はぁ……あれでも、王位継承権持ってたのよね……」

 セレナは現国王の従妹である。先王の兄の末娘であった。

 従姉妹たちの中でも一番年下だったので甘やかされ、好き放題に育ってしまっていた。もっとも、きちんとした場所では、きちんとした作法が出来る……と本人は言い張っている。

 セレナとリーノは王立学園の同級生であった。公爵令嬢であるセレナと、子爵令嬢にすぎないリーノがなぜか意気投合し、何度も学園を混乱の渦に叩き落としながらも無事に卒業、リーノは同級生の伯爵三男をひっかけ、セレナは教育実習生の男爵令息に引っかかった。

「まいっか、さて、ぼっちゃまの所へ参りましょう」

 リーノもケイの部屋に向かって歩き始めた。


            ♦︎

 

 結局、ケイはランベルトにもセレナにもほとんど叱られなかった。

「まぁ、男の子だしねぇ」

「男だからなぁ」

「あ、落ちる時は、下に人がいないかきちんと確認するのよ!」

「そこっ⁉︎」

 五歳児相手には放任すぎる気がしないこともない。しかも『男爵家長男』であり、現在はまだ『一人っ子』なのである。


 ただし、翌日になってからリンダには怒られた。しこたま怒られた。なんならポカポカまでされた。そして、屋根から飛び降りる事を禁じられた。

「だいたい、ひとがとべるわけないの! おはなしにでてくる、まほうつかいのおばあちゃんぐらいしかとべないんだよ!」

 この世界、魔法を使える人がそれなりにいる。実際にケイの周りだけでも、セレナとリーノは魔法が使える。火をつけたり、少量の水を出したり、風を送って涼んだり程度のことならできる。ただ、魔法を使える人の割合は、女性なら三人に二人。男性だと五十人に一人いれば多い方で、たとえ使えても女性よりも才能は劣るのが普通である。

「魔法かぁ。俺は男だから魔法つかえ……」

「おれっ⁉︎」

 リンダがケイに詰め寄った。

「けいちゃん、いつから『おれ』とかいうようになったの? え?」

「い、言い間違いだよ。僕、僕は男だからたぶん魔法使えないしって言おうとしたんだ」

 (あっぶな! 意識が完全に景になってるなこりゃ、気をつけないと……いやまぁ、どっちも俺……僕なんだけど)

 リンダにポカポカされたのを、ご褒美だと思ってしまった事を思い浮かべながら考えを続ける。

 (いや、ロリコンではなかったけどさ! と言うか飛行機の事を想いすぎて女の子にあんまり興味なかったけどさ!)

 立派な変態である。ちなみに景のスマートフォンの待ち受けは、当たり前だがF-15Jだった。なんだったら、写ってるF-15Jを飛ばしてるのは景だった。メカフェチのナルシスト? 手がつけられない変態かもしれない。

 おかげで、三十四歳にもなるのに浮いた話のひとつもなく、彼女いない歴=年齢であった。

 (いや、俺にはF-15Jがいたから)

 戦闘機乗りには『担当機』はない。どの機体に乗るのかは決まっていない。

 (こまケェことはいいんだよ!)

 リンダがじーっと顔を見つめてくる。

「けいちゃん……なんかきのうとちがう?」

「そ、そんなことないよ……まだ昨日のことで、びっくりしてるだけ。お見舞い、ありがとう、リンダ」

 (やっば、ヤベェなんか色々ダメだ俺。早いとこ僕と折り合いつけないと)

 何がヤバいのか今ひとつ理解はできないが、この事態を人に知られないようにした方が良いとは感じていた。

「元気になったら、また遊んでね、じゃ、またね」

 ボロが出る前にリンダを追い出すと、頭の中を整理するために毛布に潜り込む。あとのことは後で考える。今は休もう。そう考えて目をつぶった。

 

 「あのドラゴン、なんだったんだろうな……」

夕暮れ時、目覚めたケイは、ベッドの上で思い出したばかりの記憶を手繰っていく。

「こっちの世界ならわかるぞ、ドラゴンがいても。けどなんで地球に……っていうか、ここに転生したの、多分あのドラゴンのせいだよな?」

 ケイはまだ実物を見たことはないが、この世界にはドラゴンが実在していると言う。

「そのドラゴンがなんらかの理由で二十一世紀の地球に現れた? 代わりに俺がこちらに飛ばされて……僕に?」

 まず、あのでっかいのが飛ばされてきたと考えるのも、無理がある気がする。

「あれ、たぶんC-2輸送機よりでかいわ」

 

 この辺りを飛び回っているのは飛竜ワイバーンと呼ばれる別の生物だ。翼幅はせいぜい十メートル。四十メートルを超えるC-2どころか十三メートル強のF-15Jよりも小さい。

「ワイバーンも、あれ今考えるとめっちゃプテラノドンっぽくね? なっがいくちばしとか、トサカとか……」

 前世の記憶と常識を取り戻した今、今度はこの世界の常識が気になり始める。

「この世界……恐竜が生き残ってたりするのか? 他にも、魔物がたくさんいるし、魔法も有るし……」

 窓から外を眺め、空を見上げた。夕暮れから暗くなりつつある空に、白い線が一本見える。そのそばに、幾つもの小さな月が寄り添っているのもよく見えた。

 この星にはいくつもの月がある。大きめのものが三つ、細かいものは数知れず。

 白く空を横断している線は、恐らくリングなのであろう。この惑星には土星のような輪があるのだ。

「この世界って、何?

 誰かの創作物の中なのか、別の宇宙、別次元の何かなのか、はたまた誰かの夢なのか、推察する材料が足りない気がする。

「さて、それでだ、この世界で飛ぶんならどこから手をつけるかだな」

 そんな時は、いつも通りのケイに戻るだけであった。異世界に来てもケイは景である。


 七日ほど安静にした後、少しずつリハビリを始めた。と言ってもベッドを出て机に向かうだけであるが。

 この中世ヨーロッパ風世界では御多分に洩れず紙が貴重である。残念ながら紙の量産を図る青い髪の美少女はいないらしい。それでも貴族、しかも極東からの移住者ともなれば自前で紙の生産も、僅かながら行なっていたりする。

「刀のメンテに使うじゃん、ないと困るんだわ」

とは、当主の言葉である。

 工場からコッソリ紙束をかすめてきたケイは、独り言を呟きながらペンを走らせる。

「えーと、俺の重さがだいたい40ポンドで、機体の軽量化を進めたとすると……」

 紙に計算式が並んでいく。

「誰か……関数電卓……ください……」

 腐っても高専出身パイロット。航空力学的な計算は学生時代から死ぬほどやってきた。

「いや、まず、なんでこの世界の度量衡はヤードポンド法なのっ!」

 工業が発達していない世界では、身体尺が使われるのは理解できる。

 日本でもかつては尺貫法という度量衡が使われていた。

「なんとなく身体尺を脳内変換してるだけなのかなぁ……けど、十二進数までそのままなのはなんかおかしくない?」

 もっとも、アメリカ製のジェット機を飛ばしていた元パイロット。ネジの規格はインチだったし燃料の量はポンドだった。高度も僚機との距離もフィートで換算していたのだから文句を言う筋合いはないであろう。

「あとは、温度と圧力が華氏とPSIじゃない事を祈ろう……」

 五歳になる今まで、この二つはまだ聞いたことがなかった。


 細かな文句をつけつつも、新しい飛行機の構想を再開する。今まで、模型飛行機なら何十機も設計生産してきた。

 しかし、今度は人が乗る予定だ。当然、模型実験や無人飛行試験も繰り返すが、操縦装置のついた有人飛行機を飛ばすとなると、数段厳しい覚悟を持って挑まなければならないだろう。

 航空機の歴史は、事故との戦いの歴史である。地球の航空力学推進の立役者、オットーリリエンタールが飛行実験中に墜落死して以来、テスト中の事故は枚挙にいとまがない。

 しかも、ケイ自身、航空機事故の犠牲者なのだ。

「いやまぁ、まだあんまり実感ないけどね。思い出したばっかりだし」

 

 それでも空を飛びたい。再び大空を自由に飛んでいきたい。そのためならどんな努力だって厭わない。ここに、前世と全く同じ決意を持った飛行機野郎が爆誕した。


 

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