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 ロンドン郊外。緑に囲まれ、住人や交通量はそこそこ多いものの、都市圏よりはるかに静かな場所。そこに建つ「シアリーズ」というパン屋。

 一人娘であるカリーナ・ホルズワースは自分の部屋で、銀の装飾が施された拳銃に弾丸を詰めていた。普通の弾丸だ。

 最近、この辺りにはよく魔物が出る。被害が大きくなる前に狩ることが、1年前から彼女の夜の日課となっていた。


「行ってきまーす!」


 多分台所にいるであろう母に声をかける。カリーナは外に出ると、とりあえず屋根に登った。

 魔物の気配を探る。西に一つ、北に一つ、南に二つ。西の方は禍々しい気を放っている。あれを放置するのはまずい。

 カリーナは屋根から屋根へと飛び移り、西に向かった。

 近づくにつれ、目の前の瘴気を帯びた黒い霧が濃度を増す。霧の中には狂気に満ちた眼を光らせる人狼がいた。痩せ細った四足歩行の狼の姿をしている。


「人狼…?珍しいわね…」


 彼らは人知を超えた魔力を操る知能と理性を兼ね備えた生き物であり、人間に最も近しい魔物で有るため、堕ちた個体に遭遇するのは稀だ。

 カリーナは一発狼の身体に弾丸を打ち込んだ。閃光が奔り、狼から黒い液体が飛び散る。同時に、鉄の匂いが広がった。明らかに怒りをあらわにした狼は、カリーナに牙を向けた。猛スピードで襲いかかる狼を避けたが、黒い液体に足を取られた。鋭い牙が眼前に迫る。


「わっ…!」


 カリーナが倒れながらも狼の口の中に照準を定めた。

 刹那。

 激しい閃光と銃声一発。狼が苦しみ咆哮した。銃声の方を振り返ると、拳銃を構えた青年が立っていた。







◇          ◇          ◇

 カリーナが家を出る少し前。シアリーズから二つほど南の路地には不気味な建物と通路がある。

 空き家と思われるほど、おんぼろな一階建の家。アンティークな外灯が照らすのは、先の見えない通路とその前に設置された門。

 まるで関所のようだ。

 外灯が何かの風を受けて揺れる。

 それと同時に、家の窓が空いた。家主である女はタバコを咥え、新聞に視線をやりながらぶっきらぼうに答えた。窓の下には子牛ほどの大きさで、暗緑色の毛色の犬が寝ている。


「現れたのは一匹だ。くれぐれも逃してくれるなよ。儂が怒られる」


 勢いよく飛び出した二つの影が北と南の方角へ向かう。少し遅れて、青年が路地から歩いてきた。


「頼んだよ、次期支配者様」


「ああ」


 青年は一言答えると、闇にの中へ消えていった。

 黒い髪、とがった耳には緑の大きな玉の耳飾り。緑色の服に、灰色のローブ。人間離れした美貌を持つ女は、青年が消えた闇を見つめる。


「まったく。ここんところ、獣が多くて嫌になる。なあ?クー・シー」


 犬は主人を見上げ、もっともだと言うように耳をぱた付かせた。

◇          ◇          ◇





やせ細った狼に照準を合わせたまま、青年はカリーナに問いかける。


「大丈夫か」


「うん。ありがとう」


 静かな声音がカリーナを安堵させた。闇に溶けてしまうほどの漆黒の髪。月光を反射する紅い瞳が冷たく狼を射抜く。

 やせ細った狼は咆哮すると、後ろ足で立ち上がった。着弾した箇所からは、泥のようなものがぼとぼとと滴り、だらりと垂れ下がった手の指には、鋭い爪が備わっている。光のない眼が、忌々し気に青年を見つめていた。


「シュヴァルツ……しかも、同族か……」


 刹那、狼が地を蹴った。目にもとまらぬ速度で青年との距離を詰める。

 だが、こうなった魔物には理性というものはなくなり、ただ衝動的に障害物を排除する獣へと成り下がる。

 青年は動かない。

 一度の瞬きの間に、体の奥底に存在する孔へ意識を向ける。瞼を開けるのと同時に、目の前の獲物を狩れるだけの力を排出した。

 力に呼応するように紅い瞳は鮮烈に煌めき、人狼の動きが一瞬の逡巡と畏怖を見せた。

 その隙を見逃さない。

 弾丸が真っ直ぐに、人狼の核を射抜いた。人狼は魔力を保てなくなり、身体ごと消滅する。

 カリーナは風に流された最後の塵を見届けながら、顔を引き攣らせた。

 人狼が駆け出してからの一連の出来事は、5秒もかかっているかどうか。

 やはり、彼の力は抜きん出ている。


「カリーナ」


 魔力が完全に消滅したのを確認した青年が振り返り、カリーナに手を差し伸べる。

 カリーナはその手を取り、ようやく立ち上がった。

 

「ありがとう、アラン」


 カリーナが微笑むと、青年、アランは僅かに表情を和らげた。


「お。終わったかー?」


「お疲れ様です、カリーナ、アラン様」


 声の方を振り返ると、アランと同い年くらいの青年とカリーナより歳下の少女がいた。

 青年は東洋系の面立ちをしており、見慣れない異国の出立ちをしている。日本の「着物」というものだ。一方で、少女はウェーブのかかった長い髪をハーフアップにし、手には分厚い本を抱えていた。


「水月、シャロン。南にいたのは2人だったのね」


「うん!シュヴァルツがどこに逃げるか、わからなかったし」


「どうせアランが追い込むだろうから、先回りしてたんだよ。必要なかったけどな」


 水月は苦笑した。

 ふと、シャロンはアランが何か思案していることに気がついた。


「アラン様?どうしたんですか?」


「いや……何でもない」


 何かが胸の中に引っかかる。先の人狼を倒した時の違和感。何体も狩ってきたからこそわかる、妙な感触だ。

 人狼が畏怖する理由はわかるが、逡巡した理由は何だ?


「アランも、ちょっとこっちに来てー!」


 カリーナが呼んでいる。シュヴァルツを倒したのにどこへ行くというのだろう。


「今日、パンが結構余っちゃったからみんなにお裾分けしたくて」


「わあ!カリーナのお家のパン、大好きなんです!」


「ありがたいけど、お代は良いのか?」


「良いの。いつも仲良くしてくれてるお礼」


 シャロンと水月がそれぞれ喜ぶ。カリーナ、ホルズワース家の作るパンは美味い。朝から昼にかけて、学生から主婦までに愛される、地元のパンだ。今日はどうやら、メロンパンとブリオッシュが残っているらしい。


「アランの好きなミートパイも余ってるからね」


 ミートパイ、という言葉に現実に引き戻されるアラン。顔にはあまり出ないが、3人には、ぱたぱたと横に振っている尻尾が見える気がしないでもない。

 普段一匹狼のくせに、こういう時は犬になるんだよなあ、と遠い目をする水月である。


『まあ、今はいいか』


 アランは先ほどの違和感について考えることを止めた。今はミートパイが待っている。

 4人はカリーナの家へと向かった。




 アラン達が消えた路地に佇む二つの影。

 ボイスチェンジャー独特の機械声が言葉を放った。


「……我らの母に、血を、肉を」


 蒼白い月に手を伸ばし、仰ぐ。


お前達だ。人狼ライカンスロープ共」


 月光に照らされ不気味に浮かぶ白いおもて。感情のない笑みを浮かべたその面は、抗えぬ運命だと告げるように言い残すと闇の中へと消えていった。

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