#002 海沿い街の灯り

 熱は下がったものの倦怠感がとれず、イヴォルナはさらに数日仕事を休んだ。次期議官の選出はとうに過ぎ去った出来事だった。彼女が熱にうなされている間に、結果は出た。若さをアピールしたニウエリクが先んじて議席を確約したのだった。

 次点はルーリング であった。二つの議席がうまり、ニレンは議官の職を失った。

 真っ先に不正を疑い、実際に選出にあたり動いた若者たちに報酬が出ていた証言など思い出されたが、朝になって思い返せば、だからといって世界が巻き戻されることもない。自然と涙がこぼれていた。彼女たちの力不足であった。

 広い屋敷にまだ一人閉じこもっている夕暮れに、ミズミへと連絡を入れた。ニレンへの支持表明を出さなかったことは彼にとって幸いだっただろう。しかし次期議官に継続を目指すニレンの票を取りまとめたことは事実で、彼女たちの失態に怒りをぶつけられても仕方なかった。しかし折に触れて情報を寄せてくれたことには、礼を言わなければならないと思った。

 スピーカーの向こうで、その声はいつも通りの強い調子だった。結果だから仕方ないと言い、謝る必要はないと慰めた。声に混じってドアを開ける音がして、彼がどこか外に出たのだと分かる。でもケーレヴェルさんはあまり動かなかったですね、と言うので、イヴォルナは否定して、そうであっても勝てるはずの戦いであったと付け加えた。ミズミの口調は明瞭で前向きな調子だったが、こちらの落ち込んだ様子に気が付いたか、ふと言葉を途切らせる。わずかな一瞬、暗く冷たい川にふたり立っているような沈黙があった。

 ふたたびの声は明るい調子で、またこちらにも遊びに来てくださいと言う。イヴォルナははっと現実に引き戻されて、今度はなるべく明瞭に「はい」と答えた。その明るさは、会話の終わりを示していた。

 スピーカーから音が途切れる。彼女はひとりの部屋にいたが、まぶたにはあの港町の夕暮れが思い浮かんだ。音声が失われたあと、外に出ていたその人の目に映っただろう風景だ。日が西に傾くと、山あいの集落は夕暮れの影がおちる。空はまだほのかに明るい藤色を残して、ぽつぽつと家々に明かりが灯り始める。

 数日前の祭りに行ったばかりだったが、あのとき港前の小さな空間には、ひしめき合って人々が集まっていた。賑やかな喧騒はいまは遠く、記憶の中にぼんやりとあるだけだ。今日この時間に、静かな夕暮れを迎えているのだろう。イヴォルナには今やその風景が、手を伸ばしても触れられないほど遠いものに感じられるのだった。

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