第9話 宇華の過去と未来(第一章最終話)

「ちょっと失礼するぜ」


 そう言ってスーツ姿の一人が正面の椅子に座った。机を挟み俺と対面している。もう一人のスーツ姿の男は斜め後ろで立っている。おそらく椅子に座った人物が緑川だろう。


 緑川であろう男は誰が見ても分かる高そうなスーツを着ている。俺には絶対に買えなさそうな代物。年齢は三十代前半くらいだろうか? 年上に見えるが老けてはいない。黒髪でかなりのイケメンだ。


「まずは俺様の自己紹介からだな。おまえさんとは初対面だしな。俺様はグリーンファイナンス代表取締役社長の緑川京一みどりかわきょういちってもんだ。後ろのコイツは社員だ。俺様はいろいろな事業をしているが、その一つに金貸しがある」


「え? はぁ、そうですか……で、俺に何か様ですか?」


 緑川京一と名乗る男は只者ではない雰囲気を出している。礼儀正しく自分から名乗るとは思っていなかった。好感が持てる相手だ。


「俺様はまどろっこしいのは嫌いでな。おまえさんに忠告だ。貞松夫婦と仲良くするのは構わないが、二人の関係性を壊そうという考えは今すぐにやめろ」


「はい? いや、俺はそんな事は考えていません。仲良くする事も壊す事も」


 緑川京一はフッと鼻で笑った。


「おまえさんは自分でも気づいていないだけで、すでに心の奥底に持っているんだよ。だから俺様がおまえさんが行動を起こす前に教えてやるのさ」


「だから俺はそんな事しませんよ。もう良いですか? 知り合いも待たせているので」


 俺は椅子から立ちあがろうと思い、机に両手を乗せ立ち上がる準備をした。


「まぁまぁ、落ち着け。俺様が貞松将悟の嫁の今後の事を教えてやろう。おまえさんも知りたいはずだ」


「……貞松将悟の嫁……宇華に何かあるのですか」


 緑川京一は貞松将悟に俺と宇華の関係を聞いたのだろうか? 今後の宇華に何があるというのだろう……。


 宇華の事を聞きたい俺は立つのをやめて椅子に座り直した。


「よし、良い判断だ。貞松将悟の嫁はな、近々アダルトなビデオの素人人妻シリーズに出演する」


「え? 宇華がアダルトな……ビデオに出演?」


「そうだ。大人を楽しませる映像のアダルトなビデオだ」


「どうして宇華が……」


 宇華がアダルトなビデオに出演する。想像すらしていない出来事を俺は聞かされた。


「何故かって? 貞松将悟のギャンブルの借金だ。俺様の会社から嫁が金を借りていてな。その返済で出ることになっている」


「貞松将悟のギャンブルの借金のせい……くそっ」


「おっと、だから言っただろ。おまえさんは二人の関係性を壊すと。そこで忠告だ。二人の関係性を壊すとあの夫婦は命が危うくなる。もちろんおまえさんもな。だから手を出すなと言っている」


 緑川京一は宇華と俺の命を人質に俺の行動を抑制した。俺はどうなっても良いが、宇華の命が危うくなると言われると何も出来ない。


「あの夫婦はな、俺様の会社の上客のお得意様だ。夫がギャンブルで金を使うがギャンブルの才能が無いので勝てない。なので嫁が借金をする。そして嫁は体を使い返済をする。俺様は儲かる。良き循環だ」


「良き循環じゃない。借金は貞松将悟が作ってるのに、何故宇華が借金して返済してるんですか。貞松将悟に借金させるべきでしょ」


「返済能力のないヤツに金を貸しても……まぁ無意味ではないが、確実に返済出来るヤツに貸すのは当たり前だ。今回のビデオ出演の件であの夫婦に入る金は微々たるものだ。が、そこから生まれる利益も俺様に入る。どうだ美味いだろ? 貞松将悟の嫁は上玉だ。二作目と三作目の作品制作も決まっている。たがら手を出すなと俺様は言っている。ここまで言えば、おまえさんも理解出来るよな?」


「……分かります。だけど宇華は……やりたくないはず……」


「それがなぁ……そうでもないんだよ。嫁が自ら申し出たんだ。アダルトなビデオに出演して借金を返済するとな」


「え? 宇華が自分から?」


「そうだ。誤解のないように言うが、俺様達からは何も言っていない。嫁の借金返済は計画通りにキチンと行われている。それなのにだ。正直俺様も不思議に思っている。あんなギャンカスに尽くしている嫁にな。どこが良いのかさっぱり分からん。貞松将悟は暴力で嫁を従わせてはいない。貞松の嫁が『愛してるから』と言ってはいるが、アレはもう愛と言うより洗脳だな」


 洗脳……宇華が洗脳されている? まさかそんな事が……本当に出来るのか……?


「よし、ま、おまえさん……おまえさんの名は何という? 聞いていなかったな」


「斉藤祐一です……」


 宇華の事で頭がいっぱいな俺は何も考えず言われるがままに名前を教えた。


「斉藤、おまえさんが貞松将悟の嫁に出来る事、それはな、足しげく店に通って金を落とす事だ。頑張れよ。金が尽きたらウチに来い。融資してやる。返済出来なくなっても安心しろ。某国の金山で働けるように斡旋してやる。そこで働く野郎どもはいい奴ばがりだ。日本人相手には特に優しい。すぐに兄弟になれるぞ」


 そう言った緑川京一は名刺を机の上に置いて去って行った。俺は返事はしなかった。静かに机の上にある二つの連絡先を眺めるしか出来なかった。


「……さん。斉藤さん。大丈夫ですか?」


 顔を上げると一緒に来た日高一誠が目の前にいた。


「あ、ああ、大丈夫だ。別行動させて悪かったな」


 日高一誠は正面の椅子に座った。そして手に持っていたコーヒーを机の上に置いた。


「俺は全然大丈夫ですけど……斉藤さんは顔が真っ青ですよ。緑川京一に何か言われました?」


「緑川京一を知ってるのか?」


「知ってますよ。ギャンブル業界では有名な人物です。優しいけど裏切り者は絶対に許さない。地獄の果てまで追いかけて必ず仕留める人物です」


「そうなのか……そうだろうな……そんな感じの人だな」


「それと……斉藤さんは、貞松将悟と友達なんですか? 気になって」


「貞松将悟を知っているのか? アイツとは友達でも親友でもはない。只の中学時代の同級生でどちらかと言えば嫌いだ。大した事ではないがアイツに用があってな。だから接触した。それも今終わった。今後は近づく事はないだろう」


「そうですか。良かった。斉藤さんがもし貞松将悟と友達で仲がいいと言っていたら、俺は斉藤さんと付き合いを辞めてましたよ」


「一体どうした? 日高と貞松将悟はどんな関係なんだ?」


 日高一誠は貞松将悟を嫌っているのが分かる。過去の二人に何かあったのだろうか?


「貞松将悟とは高校が同じってだけです。俺が一年の時にアイツが三年。俺の方が知っているだけで貞松将悟は俺の事は知らないです」


「ん? すまん。いまいちよく分からない。日高が貞松を嫌っている事だけは分かる。アイツが誰かに暴力でもふるっていたのか? 日高の友達をいじめていたのか?」


「そう言うのではないです。でもそれと同じくらいのマジで糞なんですよアイツは。聞いてくださいよ斉藤さん。アイツは高校の頃、自分の彼女を他の男に抱かせて金を稼いでいたんですよ。一度に複数人を相手にさせていたとも聞きました。俺は年上には興味はなく年下好きなのでヤってませんが、俺の知っている同級生の何人かも、金を払ってアイツの彼女で初体験をしています。マジで糞で最低なヤツなんですよ」


 貞松将悟の高校時代の彼女は……宇華なのか? 違う人物と思いたいが、頼まれてそんな事をする女子は滅多にいないだろう。今の状況を考えると宇華しかいない……。


「その当時の貞松将悟の彼女の名前は何で言うんだ?」


「えっとぉ、何で名前だったかなぁ。う〜ん……彼女の名前は、あか、いか、うか……そんな名前だったような……」


 やはり当時の彼女は宇華か……宇華、俺の知らないおまえの人生はそれで良かったのか? 幸せなのか? この先も貞松将悟に尽くしていくのか?


 宇華を助けるのは俺のエゴなのか……今は幸せと思っている宇華に迷惑になるのか……。


「斉藤さん、斉藤が買ったレース、万舟券出たの知ってます?」


「え? あ、そうなのか?」


「はい。斉藤さん、また万舟券当てましたね。今日もしっぽりと行きますぅ?」


 日高一誠は嬉しそうな表情を浮かべ俺に聞く。


「すまん日高、悪いな。今日はそんな気分じゃない」


「そう……ですか。う〜ん残念。斉藤さんに何があったのか分からないけど、気分転換になるかと思ったんですが、ムッツリの超エロい斉藤さんの性欲がないなるほど、とんでもない事が起こっていたのですね」


「そうだな、悩ましいな……って、日高おまえ、俺のことムッツリ超エロ星人って思っていたのか!」


「はい。ですよ」


「おまえなぁ……ありがとな。気を使わせて悪いな」


「斉藤さん、俺に感謝してるなら斉藤さんのおごりでしっぽりとヤリに行きましょうよ」


「それは無理」


 と、俺が笑顔で返事をすると日高一誠は『チッ』と舌打ちをして笑った。


「……なぁ、日高。帰りにあの神社に寄ってもいいか?」


「あの神社? はい。良いですよ。当たったお礼ですか?」


「……まぁな。そんなところだ」


 宇華……おまえは自分の意思で全て決めていると勘違いしている。宇華、おまえの人生は間違っている。今の俺には神様にお願いすることしか出来ないが、何かキッカケがあれば……俺はおまえを救いたい。


 ——第一章・完——

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