第8話 貞松将悟という男(2,516文字)

 競艇場のフードコートの一番奥の隅っこの二人席に俺は壁を背に座る。貞松将悟は対面して座った。


 席に座る前に俺の奢りのでトンカツ定食を注文。そのトンカツ定食を貞松将悟は食べている。俺はコーヒーを飲みながら食べ終える貞松将悟を待っている。


 貞松将悟の食事が終わり、食器の後片付けと食後のコーヒーを俺が机へと持って行く。貞松将悟はコーヒー受け取るとひと口飲んだ。


「やはりここのトンカツ定食は何度食べても美味いな。で、斉藤、話は何だ? 手短に頼むな。本来ならおまえのようなゴミとは話はしない主義なのだからな」


 貞松将悟は機嫌が悪い。俺を嫌っているのもあるだろうが先程のボートレースがハズれて悔しいのだろう。


「単刀直入に言う。貞松将悟、ギャンブルはやめて真面目に働け。昔のおまえは誰もが憧れる存在だった。あの頃に戻れよ」


 貞松将悟はコーヒーをひと口飲み俺を見てため息を吐いた。


「斉藤。おまえが中学を卒業後、何も問題を起こさずに真面目に働いていると風の噂で聞いた。だから今回は話を聞こうと思った。が、予想通りおまえの言葉は俺に向けてではない。宇華の為に言っているのはバレバレだ。俺が何も知らないと思っているのか? 宇華に会いに何度も店に行っているだろ? 今更宇華に惚れたのか? ふっ、残念だったな。宇華は俺に惚れている。宇華は俺が真面目になるのを望んでいない」


 勝ち誇った顔で俺を見下す貞松将悟。


「だがしかし——」


「斉藤、おまえは俺たち夫婦の何なんだ? 俺と親友なのか? それとも友達なのか? 違うだろ。宇華が幼馴染だからとでも言いたいのか? 幼馴染は他人だ。俺たち夫婦の事に口を出すな。おまえは昔と何も変わっていない。他人の事情など考えない自分勝手な自己中の糞野郎だ」


 ……貞松将悟の言う通りだ。俺は二人の夫婦生活に意見を言える立場ではない。神様にお願いしても願いは叶わない。だから自分で行動した。結果は何も変わらない。


「だけど、周りに嘘を言っているのは後ろめたさがあるからだろ? ギャンブラーはやめて真面目に働けば嘘なんて言わなくて良いだろ?」


「真面目に働いて何になる? 楽に金を稼いだ方が良いだろ?」


「でも稼いでないだろ? 借金してるよな? 貞松、おまえはギャンブルの才能がないと思うぞ」


 貞松将悟に借金があるのかは正直分からない。だけど、ギャンブルの才能が無いのは分かる。


「俺に借金はない。話は終わりだ。さっさと約束の金を出せよ」


 ギャンブルの才能が無いと言われたのが気に食わなかった貞松将悟。少し早い口調で金を催促し手を差し出した。


 俺は財布から十万ずつ分けていた束を三つ取り出し渡した。貞松将悟が金の要求をすると予想していたので事前に準備をしていた。


 貞松将悟は金を受け取ると枚数を数え始めた。


「ちゃんと三十万あるんだな」


「約束だからな」


 金を受け取った貞松将悟の機嫌が良くなった気がする。険しい顔から笑みを浮べる顔になり、声が嬉しそうだ。


「なぁ斉藤。おまえ、俺に毎月三十万払う気はないか?」


「は? 何言ってんだ?」


 貞松将悟に毎月三十万円支払う……コイツは何を言ってるのだろう……。


「斉藤、おまえは宇華に惚れている。惚れているから宇華の働く店に通っている。だが、普通に働いているであろうおまえには過ぎた店だ。店に行くには金がいくらあっても足りないよな」


「何が言いたいんだ? それに俺は惚れてはいない」


「まぁ聞け。斉藤、おまえは俺に毎月三十万円支払う。支払えば宇華を直接呼んで抱いていい。何回もだ。回数制限はない。飽きたら支払いを止めればいい」


「おまえ……何言ってるんだよ。宇華を愛していないのかよ」


 貞松将悟は俺が予想もしなかったとんでもない提案を言い出した。


「ん? ああ、もちろん愛してるさ。愛の形は人それぞれだろ? どうだ? おまえには悪い話じゃないたろ?」


「……ふざけんなよ。そんな取引するかよ」


「まぁまぁ、そう睨むなって。誰でもいいって訳じゃない。この話は宇華を大切にしてくれる奴にだけ言っている。おまえが社会人になってから問題を起こさずに真面目に働いているのは風の噂で知っていた。そして今は宇華の為に動き俺を説得した。斉藤、おまえは信頼出来る。だからこの話をしている。真面目になった自分へのご褒美と思えばいい」


「貞松、おまえ……他の男にも宇華を紹介しているのか?」


「まぁな。今は四人だな。五人が限度と思っている。いつでも好きな時に呼べるとは言ったが、宇華の仕事の時間は遠慮してくれ。それと紹介している男の相手をしている時は順番待ちだな。それでも週二、三回は宇華に二人きりで会えて抱ける。悪くはない話だろ?」


 俺はハラワタがにえくり返っている。目の前の貞松将悟の胸ぐらを掴みぶん殴りたい。だけどそんな事をしたら人生が詰む。もう俺は子供ではない。


 だが俺は怒りで机の下で握り拳をつくりプルプルと震わせている。貞松将悟は俺が怒っている事に気づいている。


「宇華を思うおまえの怒りは爆発寸前で、今は冷静な判断は出来ないと思う。キレない今のおまえは立派だよ。冷静になってよく考えるといい。宇華とのプライベートプレイ枠はあと一つだ。なるべく早く返事をしたほうがいい。枠はすぐに埋まる可能性がある。後悔しないようにな」


「……宇華は……望んでそんな事をしているのか?」


「もちろんだ。宇華は俺の為なら他の男に進んで抱かれる女だ。俺は強制はしていない。頼んでいるだけだ。宇華には断る選択肢もちゃんとある。じゃ、俺はもう行く。連絡先は……ちょっと待ってろ、紙に書いて持ってくる」


 そう言って貞松将悟は席を立った。一人になった俺だが冷静に考える事が出来ない。貞松将悟の言葉が頭の中でグルグルと繰り返される。


 しばらくして貞松将悟が戻ってきたが一人ではなかった。俺の知らないスーツ姿の男二人を連れている。


「斉藤、俺の連絡先だ」


 貞松将悟は手に持っていた手のひらサイズの紙を机の上に置いた。


「では緑川さん。俺は行きます。おい斉藤、失礼のないようにな。失礼します」


 貞松将悟はスーツ姿の男二人に頭を下げて、一人その場から去った。


 俺は、俺と知らないスーツ姿の男二人が残るという意味不明な状況が理解できずに椅子に座ったままでいた。

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