第5話 約束の競艇場——(3,811文字)

 高級な大人のお店で宇華を相手にしっぽりと過ごした日から三日後。俺は同じスーパーマーケットで働く日高一誠と二人で平日の午後から競艇場に来ている。


 俺は精肉コーナー、日高一誠は青果コーナーで働いている。今日は店は普通に開いているが、俺と日高は部署が違うので同じ日に休みが取れる。なので休みを合わせて約束のボートレースへと来ていた。


 ちなみに今日の昼飯は日高一誠と二人で外食。イートインでジャンクフードを食べた。


 昼食が終わり競艇場に向かう途中、競艇場の近くにあるギャンブラー御用達の小さな神社に行った。日高一誠は競艇場に行く時は必ず立ち寄り参拝するという。その神社でお参りをするとギャンブル運が爆上がりするらしい。


 参拝後に競艇場へ。俺はボートレースは生まれて初めての経験。日高一誠に教わりながら、初めてのボートレースに挑戦する。


「斉藤さん。ホントにそれで良いんですか?」


 歩きながら日高一誠が俺に話しかける。


「ああ、良いんだよ、俺のは浪漫賭けでさ。その方が日高も楽しいだろ? それに賭け金も小さいしな」


「斉藤さんが楽しいのならいいですど……絶対に当たりませんよ、それ」


「いいからいいから、神様のご加護とビギナーズラックで当たるさ。それにな日高。当たったら俺のおごりで、このまえ行った高級風呂に行こうぜ。夕飯は焼き肉な」


「——ま、マジっすか! 斉藤さんは神様だったのか。ゴッドオブゴッドだ。店の予約は下僕の俺に任せて下さい」


 日高一誠がウキウキ気分になったのが手に取るように分かる。


「下僕って……日高も三日前に風呂をおごってくれただろ。お互い様だよ。おごるって言っても、当たったらだからな。ちなみにだな、高級風呂はこの前と同じ店で同じ女性で頼む。予約が取れなかったら別の日にしよう」


 日高一誠が俺を見てニヤニヤしだした。


「なるほどね。斉藤さん、前回の女性がよほど気に入ったんですね。浪漫賭けと言いながらも真の目的は女性に会う為じゃないですか。そんなに良かったんですか?」


「まぁ……うん」


 幼馴染の宇華と過ごした大人の時間は最高だった。今さらながら宇華に特別な感情を抱いてしまった。また会いたいと思ってしまう。だけど、宇華が働く高級店は俺が気軽に行ける場所ではない。


 宇華は既婚者。何度店に通っても恋愛的なものは何も起こらない。久しぶりに会った俺たちの今の関係は客と従業員……その程度だ。それに毎日宇華に会えない俺のこの特別な感情は時間が経過すれば冷めると思うが、今は宇華に会いたい。


「——ふっふっふ、斉藤祐一さん。あなたがお風呂に行きたいと思う気持ちは十分に分かりました。なので俺が特別に念を込めてあげますよ。斉藤さんの舟券貸して下さい」


 俺は言われた通りに、日高一誠に勝舟投票権を渡した。日高一誠は合掌した手に俺が渡した勝舟投票券を挟んでいる。


「いきますよ……はぁぁぁ、当たれ〜、当たれ〜。万舟券になれ〜。うぉ、うひゃ、うひょ! ふんっ! はい。お返します」


 俺は日高一誠の一連の行動を見て、息を大きく吸った。


「日高ありがとな……当たらんな、コレは」


「何言ってるんですか。斉藤さんの為に、年に一回しか使えない貴重な俺のギャンブル念を込めたんですよ。当たりますよ、それ」


「ほうほう。そんな貴重な念を使ってくれたのか。ありがたや〜。そんな貴重な念のお返しは、焼き肉と風呂で使った残金の半分でどうでしょう」


「え? いやいや、流石にそこまでは……」


「いいっていいって。年に一回しか使えない念を込めたんだろ。逆に俺が半分貰えるのはありがたい」


「それなら遠慮なく貰いますけど、斉藤さん、絶対に馬鹿にしてるでしょ」


「してないしてない。馬鹿にはしてない」


「馬鹿にはしてないけど阿呆にはしていると?」


「いや、天使様だな」


「はは、やっぱり斉藤さんと来て正解だった。楽しいです」


 周りから見れば阿呆な行動を日高一誠とやりながらも俺たちは客席に到着。平日なのに観戦している人は多い。


 俺は周りを見渡す。そして一人の男に目が止まる。少し離れた観衆の中に絶対にココにはいないであろう人物がいる。横顔しか見えないので似た人物なのだろうと思っている。その人物は一人なのだろう。周りの誰とも話をしていない。


 レースが始まっても、俺はレースを見ずにチラチラと気になる人物を見る。俺とは違いレースに夢中だ。そしてその人物がこちら側を向いた。


 ……間違いない。アイツは宇華の結婚相手の貞松将悟だ。何故、ヤツがココにはいる? どうしてギャンブルをしている? 宇華から聞いた話だと、貞松将悟は同窓会が終わってからすぐに東京に戻り経営コンサルタントの仕事をしているはずだ。


 もしかして宇華は……騙されているのか? 貞松将悟に利用されているのか? 脅迫なのか? 本当に結婚しているのか?


 幼馴染の宇華。その結婚相手の同級生の将悟。二人に対していろいろな疑念と疑問が湧き出る。


「——さん。斉藤さんっ」


「ん? なんだ? 日高どうした?」


「どうしたじゃないですよ! 掲示板見てください。当たりましたよ! 斉藤さんが買った舟券! 万舟券になりましたよ!」


 レースを見ずに考え事をしていた俺。隣にいる日高一誠が指をさしているレース確定の掲示板と俺の勝舟投票券を交互に見た。


「えっと……ホントだ。俺の三連単、マジで当たってる。って、ちょっと待て。これって百円がいくらになるんだ? 一倍で百円だろ? 十倍で一千円、百倍で一万、四千五百倍だと……は? 四十五万勝ち!? マジか! えっぐぅ」


「斉藤さん、どうっすか! 俺の念、最強でしょ」


「マジか。マジで当たるのか。神様、仏様、日高様だな。よし! 今すぐ帰ろう。勝ち逃げだ」


「了解! 帰りましょう。さっそく店に予約します。焼き肉楽しみだ〜」


 ウキウキの日高一誠。俺は少し離れた場所にいる宇華の旦那、貞松将悟を見た。かなり悔しがっているのが分かる。自分の勝舟投票券をビリビリと破っていた。貞松将悟はコチラに気づいていない。


「斉藤さん。風呂の予約取れましたよ。二十一時です」


「おお、さすが日高。仕事が早いな。じゃあ焼き肉を先に食いに行くか」


「いいっすね〜。ちょうどお腹減りましたし、行きましょう」


 競艇場には俺の車で来た。なので勝舟投票券を換金してから駐車場へ。


「なぁ日高。めっちゃ勝ったけど、ギャンブルって税金どうなってる? 支払い義務ある?」


「ありますよ。年間五十万超えると税金を払います。もちろん俺も払ってますよ。今回の斉藤さんはギリ大丈夫ですね」


「そっか、日高はちゃんとしてるんだな」


 それから俺と日高一誠は普段は食べる事が出来ない高級な焼き肉店に行った。個室に案内され対面に座る。


「斉藤さん、おすすめの牛肉って何です? やっぱり黒毛和牛の最高ランクのヒレですか?」


「俺のおすすめは黒毛和牛の内臓肉のハラミかサガリだな。肉の味はしっかりしているけど、脂身がないからさっぱりしていて無限に食べれる。この店にもあるみたいだから注文しよう」


「ハラミかサガリですね……うげ、たかっ!」


 メニュー表を見ながらの会話。さすが高級店、すべてのメニューがいいお値段をしている。


 俺たちは値段は気にせず、食べたい肉を一通り注文した。焼いて食べてみる。値段は高いが値段相応の肉の美味さ。俺と日高一誠は大満足だ。


最初の肉を食べて、一時間半ほど高級な肉を堪能して俺たちは店を出た。


 その後はコーヒー店に寄り時間を潰した。予約時間近くになると、俺たちは宇華が働く高級な店へと行く。店に行くと宇華が満面の笑顔で迎えてくれた。


「また来てくれたのね。嬉しい。ユウちゃん、ありがと」


 おそらく宇華は俺に会えた事が嬉しいのではない。宇華の旦那の貞松将悟の為に稼げるのが嬉しいのだろう。そのくらいは分かっている。勘違いはしない。


 競艇場で貞松将悟の存在に気づいていなければ、俺は宇華に会えるのを楽しみにしていただろう。人妻になった宇華を相手に背徳感に酔いしれ、ひとときの快楽に溺れていただろう。


 だけど、今の俺はそんな気持ちは何処かに行った。夫婦の事に部外者の俺が口を出す気はなかったが、宇華に聞きたい事がある。


「ユウちゃん、真面目な顔してどうしたの?」


 宇華が不思議そうに俺を見る。


「宇華……今日俺さ、競艇場に行ってさ、そこに貞松将悟がいた。ボートレースやってたよ」


「えっ……あ……うん……」


 宇華から笑顔が消える。宇華の反応を見ると、貞松将悟がボートレースをやっていることは知っているようだ。


「宇華……お前の話のほとんどが嘘だったんだな」


 宇華の表情が暗くなる。やはりそうか……。


「宇華達には借金がある。その借金は仕事ではなく、貞松将悟がギャンブルで作った借金なんだよな? 貞松将悟は経営コンサルタントなんて仕事はしてない。毎日ギャンブルしているんだよな。そうだろ? そして宇華だけが働いて稼いでいるんだよな」


 宇華は沈黙をしている。俺は一人話を進める。


「宇華……おまえ、将悟に脅迫されているのか? 何か弱みを握られているのか? 結婚も嘘なんだろ?」


「ユウちゃん、それは違うよ。将悟さんとは結婚しているし、脅されてもいないよ。私たちは愛し合ってるから。それにね、この仕事は私が望んで働いているの。稼ぎがいいからね。だからねユウちゃん、将悟さんを悪者にしないで」


「宇華、その話は本当なのか? 本当のホントに真実なのか?」


 宇華がうなずいた。宇華の口から出た言葉は、俺の求めていた返答ではなかった。

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