桜とともに別れましょう。
千羽稲穂
なので、次の年までお元気で。
お久しぶりです。もう何年目かになる桜が咲く季節とともにやってくる桜エッセイです。手に握りしめられる桜の花びらは、遠く。思ったよりも距離ができた、春。私は今、新天地にいます。桜エッセイは昨年一冊の本に収め、六年分のエッセイとして頒布をいたしました。多くの人が手に取ってくださり、そして感想を残してくださいました。エッセイ、良かったよ、とお言葉をもらえるだけで私はとんでもなく浮かれます。ちょろいです。
そんな私は、現在四回目のお引っ越しをしました。まさにこのエッセイとともに引っ越している形です。実家から上京、失恋からの引っ越し、そして今回。
慣れた手つきで内見、引っ越し、業者の手配、なくなく置いていく本たちと過ぎ去りました。そして昨年は劇的に周囲の人間関係が変動した時期でもありました。さすがにあまりにしんどさに誰かに泣きながら手を伸ばして助けを請うことも多くありました。
「助けて」
「これ以上は耐えられない」
「行きたくない」
「どうしてそんなひどいことを言えるの」
「どうしてそんなひどいことができるの」
果てに、
「もしかして、もう書けないかもしれない」
と震えていました。
言葉をお酒と一緒にまき散らしました。一生懸命生きていました。あるときは路地裏の壁にもたれかかり、友達に電話をかけました。どうしよう、動けない。あるときは、帰り道で泣きながら「ああ、あの人は私を好きじゃなかったんだな」とこんこんと家まで送ってくれた人に言葉を浴びせました。
原因としては、過去、桜エッセイで述べた人々と、実は再会していたからです。
あの人、や、あの方々、や。
まさか桜の季節に会おう、と心の中で手を振っていた方々の再会。
胸が躍るほど嬉しくて、もういっぱいいっぱいで。彼らのことを綴るのはとっても嬉しいのですが、逆に会いたくない人々にも再会することになりました。
私は、こういってはなんですが、現実には生きてはいない人間です。現在よりも過去を尊び、そのときの言葉を現在に引き出す。あの頃の言葉を綴るたびに、愛おしくなるのです。磨き上げた思い出や言葉たちは私の宝物になっていく。今、現在、こうして綴るものも全て、私にとっては過去になります。私にとっては現在なんてものはありません。
だから、現実や現在など、本当はいらないんだと、全て切った後に実感しています。今は強烈に、もう良い、とふてくされています。全部、もういいのです。自暴自棄です。でも結局、私の手は止まらないので、彼らのことを書きたくなる。
私と出会った方々に敬愛と、許しを。
今年はそんな自暴自棄になっている私が、新天地に引っ越す前に会っておきたかった人の話をします。
引っ越し先は、海を越えた場所。帰郷するにはあまりにも時間がかかり、費用もかさばりますので、引っ越す前に会えるだけ会いたい人にあっていました。
その中に、彼はいました。
彼との思い出など些細なものでした。久々に会った場所は同窓会。前日まであまりの行きたくなさに、行きつけのBARで「行きたくない」と泣き崩れていました。さすがにこの年でこの体たらくはありません。自分でも重々承知しておりますので、お叱りの言葉はいりません。
私は過去に生きているのです。つまり、過去と現在はほとんど同一でした。過去の点と現在の点を紙の上に並べたとします。私の時間認識は、紙を折り曲げて現在と過去をくっつけ合わせた感覚です。いつでもあの頃の私に戻ります。ふっと思い出されます。
彼は私が持ってきた十何冊かの本に興味を示していました。それは伊坂幸太朗『陽気なギャングが地球を回す』であったり、『死神の制度』など。家に置いてあった作品群。ちょうど美術の静物画で使うために持ってきたものです。埃と煙草の臭いが絡んだ、積読。中学三年生の冬。私は教室に来た担任に真っ先に渡しました。すると、そのまま担任はホームルームを始めます。誰も本など興味など持ってはいませんでした。
と、ホームルーム後に彼は積まれた本に駆け寄り、
「誰の本?」
と担任に唯一声をかけました。
彼はその数冊から一冊手に取り、席に戻ります。
ちょうど私の隣の席でした。背には窓脇の、汚れでシルバーがグレーになったカーテン。彼は前の席のクラスメイトに「誰の本?」と尋ねられ、私をあごで指し示しました。
それが、彼を最初にみとめたとき。
どうしてかはっきりと思い出せるのです。名前など記号だとし、顔も名前も覚えず、クラスの立ち位置と空気だけしか印象になくとも。
ただ、少し興味を持ってくれただけ。
私はその頃、自分が性的対象に見られることも、誰かをそういう対象として見ることも、大嫌いでしたから彼に興味をもつのも、誰かの記憶に入り込むのも、印象づけられるのも、全部をしないように細心の注意を払っていました。ただ、自分自身が少し他と異なることも、同時にそんなことせずともどうせ忘れられることもどこかで分かっていました。妹にも「私には好意がない。誰かを好きになることはない」と明言していたくらいです。
興味をもつことをやめて久しかった、けれど。
なぜか、どうしても、忘れられなかった。
次の記憶は、進路指導のとき。
彼は廊下で進学校ではない高校のパンフレットを持っていた記憶です。
そっか、大学行かないんだ。
ふとそんなことが過りました。私は母親を連れて、教室に入る前だと思います。頭の中を彼の持っていたパンフレットのことでいっぱいになりました。高校へ行ってそのまま働くんだ。それって、大学行かないってこと。しかも、一人で進路指導に入っていた。それって、それって。
察せられた家庭環境に、なぜか急激に親近感を感じました。
たった、それだけ。
それだけでなぜか奇妙な親近感と連帯感を帯びて私の記憶に巻き付きました。
他のみんなにはない、家庭環境のいざこざは、きっと当事者でないと分かりません。親との不和も、物語に逃げ込むしかない環境も。
ずっと孤独に生きていたことも。
他人と言語が異なることや、言葉が足りないことを、そして頭が足りないこと。私を私たらしめるものが私を縛りつけられている感覚があった私にとって、その何かの感覚は希望でした。
一緒、というもの。
それだけでした。
高校、浪人、大学生になったときも、変わらず私は彼を思い出していました。ふとしたときに思い出すだけなので、誰にも彼のことは話しませんでした。そこまで強い想いではありませんでしたし。
本当は何も確かめるつもりはありませんでした。
記憶は記憶のまま。磨きあげるつもりで、私はついに人生を終えた──
と迎えたかったのですが、人生何があるか分かりません。
同窓会で出会った彼は、あの頃のままの姿をしていました。何一つ、変わりません。鼻の高さも、髪の短さも、目の丸さも。肌の赤みも。思ったよりも背は低かったみたいでしたが。
そのときの私は、とにかくその何かにすがりついていました。次の週には会いたくない人に会って(桜エッセイ③「忘れてしまった桜花の背中」参照)、その次の週には会いたい人たち(桜エッセイ④「桜とともにまた会いましょう」参照)に会う。それはもう自暴自棄でした。人も多いし、言葉もうじゃうじゃと立ち上るし。頭の中に文字の海がごった返すし気持ち悪い。そもそも過去に生きている私が現在の現実に生きている人たちを見るだけでも気味が悪いのに。恐怖でくらくらする。吸い出した煙草で一服していると、彼がいるのをみとめました。
ぐるりと視界が一変しました。みんなはあのときから大人になっています。でも、私はそうじゃない。そうじゃないんです。あの頃のまんま。みんなあの頃と変わってないよねって言うけれど、違います。子どもができた人もいますし、彼氏がいる人もいます。高校、大学と進んできた、同年代。根本は変わらずとも、使う言葉が異なります。ふるまいが違います。とりわけ、心の在りようが違うのです。 私はやっとあの頃の心に今が追いついた状態。
だから、ようやくあのときの何か、を清算する決心がついたんでしょう。
私は、彼の耳に口を近づけて。
「あのとき好きだった」
後悔はありませんでした。
でも、本当の本当は、好きだったのか分かりませんでした。私はきっと好きではなく、「分からない、けれど一緒だと思っていた」と言いたかったのかもしれません。もっと良い言葉があったと思います。
あのとき、一緒だ、と感じたもの。
でも、それ以外にどう伝えられたのでしょうか。
その言葉以外にどう言えば良かったのでしょう。
そうではないと、これまで想っていたことを切るのはあまりにも惜しくて、苦しくて、これはもうそういうことなのでしょう。
それから、同窓会からこっち、彼と少しずつ連絡を取り始めました。彼には彼女がいて同棲していること、幼なじみの、あのクラスのガキ大将の話、最近の話。少しだけの、通話。あの頃のこと。彼の家庭環境と親のこと。話を辿るたびに、彼の明るい性格に触れて、世界の見方や考え方が違うことを知りました。それはそれで楽しくはありました。
友達として、あのとき一緒だと思った感覚は萎み、現在を歩いている感覚がありました。
転勤の辞令が届いた月初。私はしばらく会えないし、一度会おうということになりました。
カフェで小一時間の話を。
「髪、パーマ当てようと思ってるんだ」と彼。
「私インナーカラーいれたくて」と私。
「仕事辞めるって決めてさ。最後の転職になりそう」
「うわ~。もうそんな年か。私も辞めたいって思ってたとこ」
「どんな仕事つきたいん」
「ん~、未定。もう一年頑張るつもり。もう若くないしね」
「まだ二十代だって言い聞かせてる」
「若くないのに」
「まだ大丈夫大丈夫」
そんな、今の話。とりとめない話を。話している中で過去の関係を今の関係へと築き上げることは悪くないのだと、悟りました。
帰りの電車ではぼんやりしていました。あの頃、一緒だと思ったものの見方は数十年経ったら、結構違っているものです。彼は明るく捉えられるものがあっても、私はそうはいかない。その漠然とした差を理解していました。未だに据え置いている一緒の部分の受け取り方は、きっと私の方が間違えていることも根本から芯に理解していました。淡い期待は馬鹿げているし、自身の字書きの生態を捨てられません。私は、過去を彼のようには捉えられないのです。
「変わらないよね」と、親友に言われました。
当たり前です。私は今このときも言葉に生きているのだから。当時から、もうこの生き方をしてきたのだから。
「あのときの千羽がいた記憶思い出せない」と、彼に言われました。
当たり前です。私はあの頃には既に字書きとしての生態を受け入れ、生き方を決めてしまっていたから、もうそこには生きていなかったんです。
ようやく、最近私の生き方が追いついてきたのです。
会いに行きたいと思える人ができたのだと少しだけ嬉しがっているのと同時に、あまりにも世界が異なる人だということに悲しんでいるのに気づきました。
もう四月というのに雪が降っていました。私が通った小学校近くの駅です。駅構内に見られる桜は、寒そうに貧相な枝を持ち上げていました。まるで元気のない桜がぽろ、ぽろ、と花びらを散らすように雪は落ちていきます。視界は白で覆ってはくれません。目の前の現実をつきつけてくるだけです。
この生き方をしていると永遠に孤独です。
みんな生きているのだから。
私はあの頃より変われていますか。
ちゃんと生きられていますでしょうか。
遠くに来ました。海を隔てて、知り合いなど誰一人いないところへ。飲もうと言ってすぐに飲みに行ける人などいないところへ。
こちらでも桜は咲いています。
元気にしていますでしょうか。
時間を隔てて語りかけます。
桜とともに言うと、また出会えたので。
今度はしばらく一人でなんとかしてみようと思います。
なので、次の年までお元気で。
桜とともに別れましょう。 千羽稲穂 @inaho_rice
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