我が名は奇真異螺

@zaitou

魂の澱

異貌なるかなけものの化身。

忌むべきかなけだものの末裔。

異生なるかなししの精神。


哀れたるはその命。

哀れたるはその定め。


鬼神位羅刹きしんいらせつ偽神曼荼羅ぎしんまんだら牛鬼集合等ぎゅうきしゅうごうら抜鵺魔生乱ぬぬえましょうらん禁域纏異森羅きんいきまとうしんら

 集うは現世うつよたがを守るため。


そのうちが一柱、そのうちが一概。

その魂は常に化性を纏う。

その力は常に生を流転す。


その名を奇真異螺きまいら

あらゆるものに抗いし獣。


  ■  ■  ■  


 その日は暑い夏の盛りであったという。

 田舎の病院、その会議室を占拠した老人達は、エアコンの効いた寒いほどの室内だというのに、誰もが背に滲むように嫌な汗を浮かべていた。


「本所の巫女殿が確認なされた。まず間違いないと」

「あれは傍流ぞ。なにゆえこのような事が」

「血は血。それこそ大河から流れた小川の先とて、芽吹くものもある。肝要なのは、その業をどのように扱うかということ」

「母御は?」

「亡くなった。元々、身体が弱く周囲も反対しておったが、本人が強く望んで産んだそうだ。難産に加え、時期が悪く」

「血圧の急激な低下による心不全やて。ほんにかわいそうになぁ、天というのはあないな幼子ややこから易く母親を奪うんやさかいやるせあらへん」

「父親は外様であろう。早々に赤子はどこかで預かるべきではないか?」

「ほぉ、幼子ややこから父親も奪うつもりか?」

「そう噛みつくな。あの子の業が思わぬところで発現した際にどうするつもりだ? 父親殺しなどともなれば、どうなるか想像もつかん」

「どこかで面倒みるにしても父親も一緒にせねばならん。あの力は心に、性根に左右される。放置は論外だが、干渉が過ぎればしっぺ返しをくらう」

「では?」

「うちんとこで子ぉと一緒に預かろう。今年、末の娘にも子が生まれる。同い年の子がおったら、悪いことにならんはずや」

「それは」

「四六時中、誰か張り付く。そうせなあかんなら、そうするだけという話」

「異論は?」


反論を発するものは居なかった。

 老人達の意見はまとまり、生後間もない一人の赤ん坊、そしてその父は、関西へとその居を移す事となる。

 十八年前の話であった。


  ■  ■  ■  


 京都から更に西。兵庫との県境にある山村。

 市町村合併にて生まれた育貞いくさだ町は、主産業は大手飲料メーカーの生産工場と、山岳部からの清水を使った山葵と果樹園。ほとんどの人間は京都、または豊岡の方に働きに出ている。

 山の裾野にはバブル景気前に乱立したマンションや新興住宅街がリフォーム物件として改修され、地価の安さから転入者も多い。

 都市人口でいえば1万人前後といったところだが、その中でも山間にある光条こうじょう区は古い武家屋敷の名残を残す家々が並び、まるで時代がそこに留まったような景観が現存している。

 そんな古い屋敷の一室で、一人の青年と老婆が向かい合っていた。


「あなた、嫁とりぃ」

「お婆様、説明を。どういうことで?」

「しゃあないわな」


絹のような白髮を結い上げた老婆こと光条 皐月こうじょう さつきは、光条家を取り仕切る前当主である。光条家は藤原北家の嫡流の一つである公家、華族の一つであるところの九条の分家であり、この光条区はもともと光条家が千年以上前から治める土地であった。

 京都から九州までを繋ぐ街道の一つ、その守護を司り、かつては三好家や池田家とも関わりの深かった名家としての歴史を持つ。

 ただ、その立場上、史書に名が出ることは稀で、兵庫県の郷土史に「織田家の上京に際し、都へ入る前に三好の誼にて光条にて一晩の宿を求む」との一行で語られるのみ。その書も昭和初期に原本は焼失している。

 とはいえ、その歴史が現代まで続いているのには理由があるのだ。


「あんた、今んとこ光条の縁付になっとるけど、そこに目を付けた馬鹿がうちんとこに繋ぎとろと思て嫁子いれようとしとる」

「普通に断ればいいのでは?」

「あぁいうのんはひつこいで? 誰かおらんの? 付き合ってる子とか」

「そんな話が出来そうな人、社長くらいしか居ないというか」

「なら、その人に声かけ」

「そんな無茶な」

「無茶かどうかは相手ん人が判断することや」

「まぁ、それもそうかぁ。ちょっと電話繋がるかだけでも」

「せやな」


そんな経緯から社長こと才賀 都さいが みやこへ連絡する青年。

 こう、異性間の感情というか、青少年にありがちなあれやそれといった葛藤もなく自身のスマートフォンから近所の知り合いかける気軽さで電話をかける。

 彼にとってそんなものなのかもしれないが。 


「あ、社長、電話だいじょうぶ? ちょっと用事あって。うん、それで今、付き合っている人とかおる? え? そうそう、今回の話に関係するけど。付き合っている人いたら? 別の人探さなならんくなるけど」


相手が日本でも有数の新興製薬会社、才賀ケミカルの代表取締役であるのだが、それを言えば彼が世話になっているのは『育貞の光条』である。知る者にとっては畏怖と敬意をもって接される古い家柄だ。

 その出会いは実に5年近く前になる。

 才賀 都さいが みやこと、異螺 貴久 いら たかひさ が互いを知った日は。


  ■  ■  ■  


 異螺 貴久 いら たかひさは呪われた子である。

 これは蔑称でもなければ比喩でもない。魂を汚染する症状、根幹を苛む異常に遭遇した古い古い血の末裔である。

 その血は薄れ、本来であれば只人と変わらぬ身であるはずも、古い血の目覚めから異能を得ることになる。

 中背で、黒髪黒眼。平坦な顔、平凡な容姿。

 記号的には万人の中に埋もれて然るべき者でありながら、少しずつ、違うものが混ざる。

 鋭い歯。皮膚の下でよじれた筋繊維の束。常人の倍以上ある体重。

 その身体は人であって、人に非ず。その異能は人にとってあまりに悍ましく。

 その力を封じてなお、人の中で生きるに苦労することばかりであった。隣にいる誰かを指先一つで大怪我させてしまうことを理解して以降、部屋から出ることにも躊躇う時期があった。

 自らが恐ろしい。世界が恐ろしい。

 そう貴久は戦慄の中で悟った。こんな力ですら兆しでないことを感じ、いっそ山奥に潜むべきかと震えた。

 そんな存在である彼が、社会の中に、残ることを決めたきっかけともなる事件。

 その時に出会った人間の一人が才賀 都である。

 事の発端は才賀家に届いた脅迫状。そこに刻まれた呪いに気づいた才賀家当主は即座に知己のある九条に頼った。まじないごとなど今の世では珍しいと思われがちだが、有るところにはある、それを知る者もまだいた。


「うぇ、けったいなものがこびりついとる」


当時、九条から相談を受け、実際の脅迫状を見た皐月のばば様は顔をしかめた。

 屍臭。

 それこそ血が奥の奥までこびりついたような尋常でない異臭が。

 常なる人知では及ばぬ何らかの第六感をもたぬ者は気づけぬような気配に対し、婆様は沈黙する。

 容易ならざる、というより、漏れ出る気配のおぞましさから、凡百では敵わぬと察するほどの力を感じる。それこそ、これを軽くひねれるような者、襲撃を察し、何時であれ易く対処できる者といえば。


「貴久のぼんしかおらんなぁ」


力と向き合い己を抑制する為、貴久には母の家業であるの仕事を預けることもあった。その力の異常さから力の表層もろくに掴みかねる状況だが、使わず、封じるだけでは今後に差し支えが出るであろうことは婆も見知っている。


「しゃあないわなぁ」


それは何に対しての言葉か。誰に対しての言葉か。

 忸怩たる、苦々しい表情のまま婆様は彼を呼ばわった。


  ■  ■  ■  


 光条の末席に居る異螺 貴久が護衛役として才賀に派遣されたのは7月。

 年の頃14歳になったばかりの初夏、夏休みの時期であった。

 相手方にしてみれば夏服の中学生が護衛と称して門前に来た時、さすがになんともいえぬ顔をせざるえなかったのは仕方ないだろう。

 手紙を受け取って取り次いだ使用人に対し、声に苦いものが混ざった老人の声が答える。


「紹介状は?」

「間違いありません。事前に連絡あった通り光条様よりのご紹介に相違ないかと」

「あの少年が? なんとかすると?」

「筆頭の楠木を通して確認させましょう」

「頼む」


家のずいぶんな奥から『聞こえた』やりとりに貴久はさもありなんと申し訳なく思う。むしろ大事な家族の命を、それこそ顔も知らぬ小僧へ簡単に預けられる方がどうかしている。そんな判断のできるまっとうな相手が雇い主であることは安心材料だろう。

 広い屋敷の庭へ通されると、そこにはすっきりとしたシャツにスラックスという休日のお父さん、とでも表現すべき柔和な印象の男が立っていた。

 しかしてその男、庭へ歩いてくる貴久の姿を見た瞬間に顔を強張らせた。

 巨体が音もなく動く気配、そろりそろりと足を忍ばせ近寄る猛獣と眼が合った時の気分。

 まさに野生の獣と同等であると、男の心臓が縮み上がった。


「ご当主様、相違ないかと」

「は?」

「私どもでは束になっても手も足も出ません」

「………なんと」


一瞥でこちらの力量を判断してみせた男性に、貴久も内心で驚く。

 そのうえ相手は、相当に潜めた声での短い耳打ちを貴久が聞き取っていることにも気づき、即座に動きを見せる。

 こちらの射程範囲のを見極めその傍まで歩み寄り、深々と頭を下げてきた。


「失礼しました。才賀で警護役の筆頭を務める楠木 雅治くすのき まさはると申します。異螺 貴久様ですね」

「はい。今回は光条家より任を受け参りました」

「お嬢様の御身、どうかよろしくおねがいします」

「微力を尽くします」


軽く楠木筆頭を観察すると、努めて微笑を保ってこそいるものの、踵へ体重が移っていた。それでも退かぬ様子に貴久は改めて心中で称賛する。


「こちらは才賀家当主、才賀 新三郎さいが しんざぶろう様です」

「新三郎だ。表向きは才賀ケミカルCEOという立場の方が分かりやすいかもしれないがね」


品のいい老紳士からの挨拶に同じく頭を下げる貴久。

 警戒こそあるが、嫌悪や敵視の類はない。こちらは問題なさそうだ。


「ご当主様、暫くの間ご厄介になります」

「気楽に、とはいえないが、自分の家と思って行動してもらって構わない。勝手に冷蔵庫を開けたくらいで怒ったりはしないからね」

「お気遣い痛み入ります」


好々爺、というよりまるで仙人のような気配がするな、と併せて貴久は判じる。

 一つの会社を動かす重責に携わるとこういった気配をまとうものかと興味深く気配を探ってしまった。しかし、楠木と違い観察に気づいた様子はない。

 貴久の眼で見た限り、どちらも白、かつ黒からの影響は残滓すらない。まだ無事だろう。

 案内されるまま屋敷の中へ上がった貴久は、薄く、探知の範囲を広げていく。

 二階建ての屋敷は人の気配も乏しく、屋敷の奥で動く人の数は4名ほど。作業の気配からおそらくは屋敷の勤め人の方々だろう。

 空気の匂い、風の動き、部屋同士の温度差。

 肌に触れる建物の振動、目に見えないほど微細な行き交いで残る足跡。

 もっと概念的な空間自体に残る人の気配すら、その鼻と、その瞳と、その肌をアンテナに捉えていく。

 まるで音もなく二階への階段を登っていく貴久に対し、静止すべき楠木の制止が遅れる。


「異螺 貴久、字名を万魔ばんま


片手が中空を握りしめるよう前へ伸ばされる。

 二階にある誰かの居室の扉、それが吹き飛ばされると同時に巨大な獣が躍りかかってきた。

 狼にも人にも似た肉の集合体。筋繊維を束ねてこねあげたような異形。

 それを虫でも払うよう横薙ぎに腕を振るっただけで吹き飛ばした貴久は、壁に叩きつけられた獣の頭を掌で押さえる。


「消えろ」


紙袋を潰した程度の軽い挙動。

 獣の頭は握り潰れて、無くなっていた。

 膂力という次元とはまるで違う行為、突然出現した獣と立て続けの異常事態の中でも楠木が動く。


「お嬢様!」


扉の壊された部屋へ向かう楠木を横目に、周囲の気配を探る貴久。

 音、匂い、空気の振動、もっと根源的な界のゆらぎ。

 どれにも予兆はなく、続く襲撃がないことを貴久は認めた。

 妖魅の類は形を変えて夜の裏に潜む。

 ネオンサイン輝かしい90年代から異物の力は再び増していき、それより数十年経った近年では小康状態が続いている。均衡は大駒一つで置き換わるというのは護り手達も理解はしていたが、盤上を動かせるだけの手段もなく今に至る。

 新しい異。返り咲く異。

 それらを前に、粛々と抗い続ける影の人々には光条も含まれていた。

 さりとて、こうもはっきりとした殺意をもって人を狙う光景は、明らかに異常である。人の手の介在がある。

 部屋の中で楠木に肩を借り、部屋から連れ出される少女を横目に内部を確認する。

 荒れた様子は少ない。砕けた椅子を見たところ、咄嗟に家具を盾にして一撃目をいなしたのだろう。襲撃者も加減していたように見える。

 貴久の侵入に気付き強硬策に出たことは間違いないが、奇襲を失敗して目標を貴久に変えたのは悪手だった。

 おそらく術者は遠隔地から指示だけ出したのだろう。判断としてはお粗末だが、その所為で若干とはいえ辿面倒ではあった。

 それでも片手で示した剣印だけで術式を編むと、常人には目視できぬ行によって成されたヒトガタ、人の形をぼんやりととった呪術の力が屋敷の外へ飛び出していった。ヒトガタを影で形作る影分身の一種であるが、貴久の異能の一部でこしらえられたものであるため、野生の獣じみたを備える。


「オン、サンマヤ、サトバン」


普賢菩薩の真言を短く口ずさみ、場を正す。

 女性守護、修行者守護、息災延命などを転じ、この場では婦女の部屋の安堵のために用いた。

 貴久が真言を用いるのは皐月の婆さまの夫、修験道を修めた血の繋がらぬ祖父の影響である。

 場の空気が変わると同時、貴久の視線が外を見る。

 あれも使役物だろうが、今のは下の下、さしたる脅威ではなかった。

 嫌な空気だ。

 崩れ始めた天気の下、じきに夕立がきそうな日だった。


  ■  ■  ■  


 空テナント、何もないフロアの窓際で、その青年は緊張と怖気に口元を押さえていた。

 光条の忌み子が顔を出すなど想定外である。

 万魔ばんまの通り名で呼ばれるあの餓鬼は突然変異そのものだ。

 先祖返りとはいうが、その力の一端でも知ればどれだけ常軌を逸しているか悟る。

 異能、霊能力の類を扱うには血筋か、それに値するが必要となる。

 その要素とは、才能しかり、神仏の加護しかり、呪いしかりだ。

 それらを用いて、ほんの数十年前、1980年代の頃から真っ暗な影の世界より光に近い場所へと再び輪郭を取り戻そうとしてきたを狩る。都市伝説ブームなんてものもあったが、それらは断片的な真実に他ならないのだ。

 最近ではネットミームという言葉が一般化したが、もともとミームとは生物が遺伝によって子孫に情報を伝えるように、集団内の模倣行動で様々な情報が伝わることを指す。意訳的な解釈をすればだ。

 噂、ブーム、つまり一定の影響力を備えた共通認識。

 無意識的な意識共有。

 それは宗教的な教義の流布、祈りや啓蒙によるイデアの共同化に似たものだ。

 とある海外の有識者が「宗教というOSのない日本人が高い社会的意識をもつのか」ということに着目した話がある。宗教的帰属意識が低いのに共感性が極端に落ちることがない理由は何か。

 それを日本の回答者は2つの理由で答えた。

 一つは画一化主義に近い教育、社会性。特に義務教育にはじまる同年代を一定の閉鎖性がある場所で共同学習し、社会通念、つまりは道徳の授業による教育が存在し、なおかつ集団生活についての慣らしが常に行われているという事。これは他国の教育とはニュアンスの異なる精神修養的な面を含む行為、児童による掃除や朝の会、委員や当番といったものまでを指す。

 一つは国民性、幼少期から培われる『勧善懲悪』や『逆転劇』などを好む正義への認識。巨悪を真正面から打ち倒す正義の味方、または義賊や離反者などの非道徳的な存在が正義を騙る相手をこらしめる、といった善対悪、悪対悪の図式による勝利を特に好む。

 集団生活への融和性と、単純悪への忌避感。これらがもたらす根源的なもの。

 見えない敵。

 社会、人という群れの全体が敵を求めるのだ。自身達がまともであり、対比すべき相手とは違うものであるのだと。

 社会学的にはここで生じるのが社会的弱者への攻撃転化行動にあたるのだろう。

 ただ、一般的な例と異なり、悪意そのものが形をとろうとする場合。

 はどんなものになるか。

 後ろ暗い力の行きつく先。霊的、非物理的な存在や能力。

 もともとあった黄昏より曖昧で、宵闇より深い場所の存在。

 は妖魅に類し、魔物に属し、それと対峙する者達そのものだ。

 らの抑制や管理を担うものこそ、光条を含む表の人智より外れた者ども。そんな相手でも一際におっかない相手があの少年である。

 どうする? どうすべきだ?

 既に撤退の準備に入っているが、痕跡を消すのは間に合わない。

 遠からず追いつかれる。 

 いや、もしかして。

 博打をするなら、今が最後のタイミングなのではないか。

 はっと気づいた青年が顔を上げた瞬間、キィと、蝶番が軋む音と共に部屋の扉が開く。真っ黒な廊下から視線と、そして気配を感じる。

 早い。

 とてもでないが、敵わない。

 床にゆっくり膝を着き、両手を挙げる。


才賀 新三郎さいが しんざぶろうの邸宅を襲ったのは貴様か?」

「………そうだ。降伏する。何か質問があるなら答える。命だけは」


 まだ年若い少年の声が途切れる。

 廊下から返ってきた沈黙が、相手の戸惑いか呆れか知らないがどうにかまだ死んでない。

 助かるかは、ここからが勝負だ。


  ■  ■  ■  


 襲撃者の正体を確認した貴久は苦い顔をしていた。彼の苦手な政治的な話となりそうだからだ。

 襲撃相手もまた、名のある家に縁のある者だった。

 主家は石堂妙顕寺せきどうみょうけんじ家。島根県西に本家を置く仏門の家柄で、明治の廃仏棄釈に際し山中の本堂を除き他の寺は閉じ、現在は本家のみがその教えと名を継いでいる。今回の襲撃に際して主犯として捕えた青年は、その分家にあたる斑岩はんがん家の者だった。

 依頼の出どころは主家より「みだらに裏の技術を用いた薬品を製造している咎あり。現当主の子女に式をけしかけ警告とせよ」というもの。脅迫状の件については一切与り知らぬとも。

 斑岩家の青年が貴久に気付き、即座に降伏したのが分岐点だろう。

 おかげで石堂妙顕寺含む中国地域の仏教勢力と光条の対立へ発展せず済んだ。

 どうにもきな臭い。場を混乱させようとする誰かが未だ掴めない。

 ひとまず皐月の婆様に報告する事とした。


『さよか。せやったら石堂の親類筋にツテがあるさかい、そっから話ぃ通してみる』


ひとまず確認待ち。屋敷の防護を幾重か増やしておこうと準備だけは進めることにする。大学の学生証と運転免許証から警察のとある管轄を通して身元の確認はとれた。

 虚偽もなかった為に解放とする。


「お騒がせしました。異螺いらの坊ちゃんにもご迷惑を」

「いえ、さいわいにも人的被害はありませんでしたから」

「俺からも家に確認して何かあれば光条へご連絡させていただきます。今回の温情は忘れませんので」

「はい。お達者で」


挨拶を終え、斑岩家の青年を見送る。

 話の経緯報告を才賀にも必要だろうが、このまま伝えると光条ふくむ裏の家々によるマッチポンプを疑われないかが気掛かりではあった。

 同時に、攪乱が通じないとなれば、力業か、更に別の手管を考えるのが攻め手だ。守勢が続けばどこかから綻びが出るが、残念ながら貴久にとって時間は味方になる。守勢であれ、攻勢であれ、万魔の名は伊達ではない。

 生き物には限界がある。さりとて、生き物という定義に時に反すものこそ怪異であり、異能者である。

 人で非ず、怪異に能わず。

 襲撃者が躊躇えば、その意味を深く知ることになるだろう。

 ただしかし。

 今はどう説明すべきかと頭を悩ます他なかった。

 屋敷に戻る足取りは少しばかり重い。


  ■  ■  ■  


 高校最後の夏、才賀 都さいが みやこは殺害予告を受けた。

 何の冗談か、はたまた競合他社から身内への嫌がらせの一種かと顔を顰めたが、それを確認した祖父の顔はひどく強張っていたことを覚えている。

 即座に実家から祖父の屋敷に移され、どこかと急いで連絡を取る様子にただ事でないことを遅れて理解する。

 自身の家が規模こそ大企業に一歩劣るものの、製薬会社として一定の地位や立場を備えていることは知っている。いや、知っているつもりだった。嫌がらせや脅迫状が家に届いたことだって初めてではない。

 それでも今回はそれらと異なるのだと。じわじわとした不安が背筋を這い廻る。

 人殺しが自分を見ていると、そう感じた瞬間に息が詰まりそうであった。

 それも、実際の事態に遭遇し、刃物や、鈍器や、一般的なそれらとまるで違う形で狙われたと体感した時。

 絶望が心臓を掴む。

 恐怖に抗った時に見たのはひとりの背中。

 無機質な視線に鮫を連想した彼は、こともなく化け物を倒し、襲撃を止めたという。

 は、何だというのか?

 その答えは誰もまだ教えてくれない。


  ■  ■  ■  


 ご当主である才賀 新三郎さいが しんざぶろう老に加え、孫にあたる狙われたご令嬢が同席する中、広い客間に戻ってきた貴久は襲撃のあらましと今後について口を開く。


「襲撃経緯は現在も確認中ですが、今回の襲撃者は確保のうえ対処済です。ひとまず僕、いえ私がこの屋敷に対策を仕掛けますので、以降は屋敷内に関しては安全性は保証します」

「そうか。ひとまず助かったよ」

「それで、そちらが?」

「あぁ、さきほど助けてもらった孫の都だ。ご挨拶を」

才賀 都さいが みやこです」


固く強張った表情をする年上の少女に対し、貴久の視線が確認するよう彷徨う。

 量が多く長くうねった黒髪に浅黒く日に焼けた肌。表情が暗くねめつけるような視線をしているが、これは仕方ないだろう。膝を抱え込むように背を丸めている格好であるが、女性的な特徴は傍目にもわかるほど大きい。

 同時、視た限りでは清浄だ。なんらかの呪術的、異能的な影響を受けた痕跡もない。怪我なども特にないことにほっとしていると、怪訝な顔の都と視線が合う。


「助けていただいたとのことで、ありがとうございます」

「いえ、ご無事でなによりです」


口調こそお互いに固いが、見ず知らずの他人が助けてくれたと頭から信じず、隔意があることを隠せているだけまだよいだろう。

 そう認識した貴久は視線を新三郎氏に戻す。


「現在は光条にて調査含め対応中です。再襲撃などの際しては私が引き続き対応するので、予定通りしばらく御厄介になります」

「承知した。部屋はこの子の隣を用意するし、普段は彼女の部屋に居てもらえると助かる」

「えっ? はっ? それは?」

「………伝えてらっしゃらなかったので?」

「伝える暇なんてなかったからね」


混乱する都を他所に、四六時中は面倒くさいなぁと思いつつ、しばらくはそうせざるえないと貴久も頷く。

 新三郎氏が少し楽しそうだったのが気になりはしたが。さもありなん。


  ■  ■  ■  


 世界の裏側、いわゆる呪術的、心霊的、外次元的な構造の変化は科学の発展と等価であった。情報の伝達速度の向上に伴い意識的、距離的な隔たりは限りなく希釈され、SNSの発展は集団的な無意識の共有化を促し、思考や意思の奔流が巨大な力場に等しい性質を備えるようになる。

 結果として、知らぬはずの異能や異常が、現実という薄皮のすぐ裏側、人々に認識可能な現象として近寄ってくる存在や界となり、行方不明者の何%かは、そういった事象に巻き込まれた結果だ。

 だが同時、体内の免疫のよう、異常を乗り越えることで異能という抗体を会得することもある。

 祟り神の力を退け、退魔の力を備えるようになった少女。

 悪魔の力を取り込み、同じ力に抗うようになった少年。

 都市伝説に苛まれ、ついには力を御することを成し遂げた誰か。

 古く伝わる風習・伝承であるフォークロアなどに楔を穿つ新たな異能者達。

 不変的な神性と異なる、大いなる精霊、事件や怨念の集合から生じる怪異の具象化や現象の異界化という異常事態。それらに人もまた、反作用のよう抗うのだ。


「とどのつまり、自分も単なる反作用の一つに過ぎないのだと思う」

「………例えるなら?」

過疎配信者カミサマから配信環境せかいを保つためにモデレータ権限おそろしいちからをたまたま付与された古参視聴者ひがいしゃみたいな?」

「すごいわかりやすくて草」


今回の事情説明の一環として、都の私室、フローリングの床に胡坐をかいて自身の立場をそう説明する貴久。その解説に乾いた表情の都は短く応える。

 彼は自身の力はたまさか転がり込んだ歪んだ才能であるとも評す。才能があるだけ贅沢だ、と言われるかもしれないが、例えば想像を絶する腕力があるとして、その力を持ったまま生活するのがどれだけ苦しいか想像できるだろうか?

 大事なオモチャは握り潰し、好きな子と手を繋ぐことだって出来ないようになる。

 泣き喚けば窓ガラスは割れるし、駄々をこねれば自宅が壊れたうえで手足が折れるといった不具合を一生抱えるのはあまりに面倒だろう。

 その説明を聞いたみやこは、それが実体験ではないかとうすうす察していた。ただ同時に、彼の気持ちを慮って沈黙を選んだが。


「そのせいで本来なら徐々に裏方として役目を終えるはずだった術師の家系が、再び影響力を得ることにもなった。そして、なにもない所から異能を得た人間が増え始め、今も増え続けている」


貴久は考えを整理するよう宙へ視線を彷徨わせる。

 

「血で繋がった技術というのは、わかりやすいし力量を示す指針や知識もあるし、誰がもっているかも把握し易く制御方法だって前例を元に培われている。けど、いきなり賦活された才能や、新たに沸いた異能が増加傾向にある今、こういった業界や世界にも混乱が生まれる」


特にそういったノウハウのない場所や国ほど混乱は広がった。

 歴史のない国ほどこういった過去の蓄積こそ重要な分野に対し、とれる対策があまりに少ないからだ。

 近年においても、内乱にこそ発展しなかったものの不審死の急激な増加を感染症の流行や災害、テロやガス被害などして報道規制のうえ封じ込みを図った事態も一度や二度ではない。


「度し難いのが、それが怪異の影響か、異能という道具を使った人と人の諍いか、どちらかわからないこともあれば、どちらも絡んでいることもある」


ナイフが異能に代わっただけだ。見え辛い手段で利権や恩讐のやりとりやるくらいなら石でも投げ合っていれば十分だろうに。

 そして諍いから次の異常が発生していく。

 世界が滅ぶまでその調子なのであればなんとも間抜けで滑稽なことだろう。

 付き合わされる側としてはたまったものではないが。


「核爆弾なんかと何も変わらないんだろうな。どれだけ大きな力や影響力だろうと、そこに想像力が伴わなければ簡単に使えてしまう人間はどこにでもいる」


自分のように。という言葉を貴久は飲み込む。

 えてして努力なく手に入れた力というのは実感が伴い辛い。自身の苦痛、自身の苦行から培われた異能の力も、こんなものさえなければと、何度思ったものか。得難いものであろうと、欲しいと思ったことは今のところそう多くはない。


「護符も用意したからポケットにでもいれておいて欲しい。ちょっと素材がアレなので見た目が悪いが」


そう言って貴久が取り出したのは赤黒い組紐である。腕に巻き付けられる長さの細いその紐は、なにか手に取るのが憚られる雰囲気があった。


「これ、何?」

「組紐に僕の血を染み込ませてる。術式、つまり異能の一種で穢れを寄せ付けず、居場所を隠すことを阻む」

「………GPS?」

「簡単にいえば」

「なんか、異能だの呪術だの大仰に言うわりにやってること普通なのね」

「技術体系が違うだけで人間が扱えるものだし、そのあたりはまぁ」


貴久自身もその程度のものと認識している節がある。

 機械を介すか血や魂を介すか程度の違いで、結果が同じならさしたる優位性などないだろう。精々が別の技術体系として、知らぬ解らぬ者に対してちょっとした隠蔽性を発揮する程度。

 同時に、内容さえ読み解いてしまえばと。

 都が最初に感じたよう、眼の前の存在が異能者の界隈でも飛び抜けて異質であることに改めて気づくのは少しばかり先になるが、まぎれもなく眼の前の少年は、自らが語った通り特異点に等しい存在なのだから。


  ■  ■  ■  


 万魔ばんま

 貴久の通り名であり、その意味は『よろずの魔』とも、『まんの悪魔』とも。その手管、対面した相手のからそう言い表されている。

 そう、己の力を遣い、貴久は人を殺めることがある。

 そこに後悔はあるが、絶望はない。

 時に人としての尊厳を奪い、人としての死すら穢すものこそ異能だ。その力を振るう時、彼は一瞬だけ倫理と人間性を閉じる。怒りに従い、悲しみに抗い、ただただ敵を殺す。

 そうすべき時にそうしなければ助からぬ者が居たからだ。

 戦わぬことを選べるのがどれだけ素晴らしいことかと、日常の最中にいる時、ふと感じてしまう。

 手を汚したことで失ったものは確かにあり、それでも手を汚すことを選んだ。

 それが今でもある、というだけ。


「ひっ、ひっ、ひ」


笑うような悲鳴を前に、首を握り潰す。骨と神経のへしゃげる歪な感触と共に、一人の人間が命を終えた。 

 深夜、斑岩の青年に配慮したところを見て与し易い、または命の危険までないかと判断したのか、才賀邸を狙う人間が複数名居た。そのまま敵意を屋敷内へ向けた瞬間、異能を発動しようとしていた男の傍へ音もなく貴久は現れ、その命を終わらせる。

 残り2名。


「ま、待ってくれ。話を」

「光条、いや異能をもった関係者が、ここに居ることを分かった上で手を出したな?」


断定的、そして交渉の余地を残さぬ乾いた声。

 とても田舎育ちの中学生が出していい殺意ではなかった。まるで相手の事情を斟酌しないその言葉は冷たい。


「し、知ら」

「嘘だな。昼の事情を知って夜を狙っただろう?」


手に握られていたコンクリートブロックの破片による投擲。

 喋っていた男とは別、逃げようと体重を踵に移そうとした誰かが頭を潰された。

   

「どこの誰だ? 目的は?」

「言うから、助け」

「質問に答えろ。次はない」

「き、北高のガヴァメントってグループだ。今回は支援者からの指示で、女子高生を連れてこいって話で」

「そうか」


動きに寸断はなく、気づけば眼の前に掌がある。

死が傍まで来た。


「やり口が手慣れている。何度目だ?」

「……………い」

「そうか」

「あ」


平手打ちで頭を潰された青年は、そのまま動かなくなった。

 スマホから特定の番号へ発信した貴久は応答を待つ。


『はい、こちら東雲防犯です。緊急通報ですか?』

「光条家の者です。携帯の発信地点にて遭遇戦。調査と始末を」

『通報地点確認、5分以内に担当が到着します』

「了解。対象は三名、確保なし」

『三名了解。それまで現場保全をお願い致します』


翌日、調査者より報告あり。

 対象は近隣地域に居住する成人済の未成年含む学生グループ。異能あり。

 グループLINEによる通話履歴確認。グループ名は『ガヴァメントCチーム』。

 特定スポットの影響下による後天的異能者の集団が複数存在すると推測。

 才賀襲撃を依頼した情報提供者の痕跡は現時点では不明。調査を続行。

 グループ関係者は殺人、死体遺棄、強盗、暴行容疑で即日逮捕された。

 その後、追加報道もないまま2名の行方不明者が増えるが、死体もない死は誰に知られることもなく忘れ去られた。


  ■  ■  ■  


 野生の獣が屋敷を縄張りにした。

 屋敷の護衛役を任じられた楠木 雅治くすのき まさはるにとって、貴久はそんなイメージに近かった。技術的な仔細は不明だが、屋敷の外と中を隔てる境が存在するようになり、まるで家の敷地内は深い森や峻厳な山に似た空気を感じるようになっている。

 警戒を外向きにされているのでまだ耐えられる、といったようなものだ。

 虎より重たい気配がお嬢様を守るよう屋敷内を巡回している。

 いや、巡回しているように感じる、だ。

 本人は隣室、またはお嬢様の部屋からほとんど動いていない。

 なぜあんな存在が周りに居てお嬢様が平気であられるのか、それが楠木には分からない。ともかく、護衛としてはあらゆる意味で破格だ。今朝になって新たに黒い大型犬のようなものが庭に数匹ほどたむろするようになっている。

 あれも眷属、いわゆる使い魔や式神という類の自動システムらしい。

 彼曰く『様式は違うが警備システムとしてなら役割は同じ』という説明であった。異常な技術体系をわけもない電子機器のように話すあたり、彼自身もなんというか名家のすえという意識は薄い印象だ。術師の類にしてはまだ意思疎通に気を遣わず済むあたりはありがたいが。

 ただ、その内包する力は桁違いなのは確か。

 でないと対処できないものがお嬢様を狙っているのかと、正直戸惑っている。光条を疑っているわけではないが、彼でないと対処できないものが直に現れるというのか?

 そう思ってたある日の正午、地獄は何の前兆もなく始まった。

 

  ■  ■  ■  


 空気の変質と共に、結界の境目への干渉を察知した貴久の動きは早かった。

 不意に音もなく立ち上がると、今となっては珍しい紙の単行本を折り目をつけないよう静かに閉じてみやこの座っていたデスクの上へ返す。


「続きも本棚にあるけど?」

「襲撃だ。部屋から動かないこと。二号の傍から離れないように」

「は?」


部屋の中、どこから連れてきたのか都も知らないうちに上がり込んでいた黒い大型犬、妙に狼っぽいというか、狼そっくりの犬が短く吠えたことを確認すると、するすると貴久が部屋を出ていく。

 門正面。数が多いが人型のものが100以上。

 しかし気配が人間のそれと異なる。

 玄関から外に出た貴久は、眼の前に現れた異形たちに顔をしかめる。


「何だこれは」


数多くの屍体がたかり、門の鉄格子を破壊しようとしていた。

 異能や術式にはルールがある。制御しないと使用者自体を呑み込むからだ。

 異能や術式は時にルールから逸脱する。制御する必要がない人間が使おうとした時だ。

 貴久はゾンビが溢れる門へ掌を扇ぐように動かす。

 異能により無形の力場が放射され、ゾンビがバラバラに吹き飛んでいくのを横目に、脳内に響く音声に舌打ちしそうになる。


『第一ウェーブが終了しました。15分後に第二ウェーブが開始されます』

「黙れ」

 

そういった誓約のある異能か術式か、それとも単なる煽りかは関係ない。

 、つまり話し声がどこからか聞こえるかなど、貴久の感知能力からすれば星の反対側だろうが察知できる。

 20秒後、才賀家から2キロほど離れたビルの外壁を電柱が貫通する。対象の気配はそのまま消えた。のちの報道で電柱の倒壊と気圧差による飛翔という突発事故により、会社員の中平 清彦(38歳)さんが残念ながら亡くなったとのこと。

 雑、というか、襲撃者に統一性がないことを貴久は訝しんだ。

 まるで異能者を片っ端から集め始めたような粗雑なやり口に、念の為、ちょっとした妨害を追加しておく。

 さて、予想の通りなら襲撃が更に直接的になるはずだが、と。

 

  ■  ■  ■  


 塞ぎ込む。淀んだあの世界。

 自分の時は誰も助けてくれはしなかった。くらくらい街の中、異界として超常に飲み込まれた街の中で、人でない人に襲われる地獄の中に放り込まれた。

 磯村町集団失踪事件。おほらより開放された怪奇による儀式は、総計70人近い村人を3日近く異界に飲み込み、合計58人の行方不明者、12名の生還者という地獄を形作った。

 顔のないヒトガタ。まるでウミウシやザザムシなどの海洋生物を無理やり人間の形にこねあげたような歪な眷属たち。

 それらが群れをなし、街を徘徊し、人を殺す悪夢から誰も救ってはくれなかった。

 自らの手で、眷属を殺し、怪異を殺し、無事には済まずとも、人々はようやくにして生きて帰ったのだ。

 そうやって得てしまった力を。

 自らの為に使って、何が悪いというのか?


「それなら」


夜の公園。

 街灯の下に現れるのは、何処にでもいるような一人の少年だった。

 動く口元を見た時、妙に鋭い、牙にも見える鋭い歯が覗いた事だけが妙に記憶に残った。


「もう、使わなくてもいい、そう選ぶことだって出来るはずだ」


街灯の光が消える。

 そこには闇があった。ただ、その中から彼の声が聞こえる。

 あぁ、こんな闇に包まれて静かにいられるなら、もう何もいらないのではないか。そんな安心の中で、ゆっくり意識を手放す。

 そもそもなぜ私は、こんな力に執着しなければならなかったのか。

 優しい腕の中で意識を失う途中、開放された心は、どこまでも安らかだった。

 

  ■  ■  ■  


 一人の女性を背負い、貴久は無表情に夜の街を眺める。

 襲撃者の傾向が見えてくると同時、扇動者の背中も微かに感じ始めた。

 中心は異能者だ。

 家や血に紐づいた術者ではなく、異界化したパワースポットなどから生じた新しい能力者達。

 当初の襲撃者である石堂妙顕寺せきどうみょうけんじの家の親類、斑岩はんがん家の者が動いていたことから、どこかの家が主導しているのではないかという不審がずっとあったが、石堂妙顕寺の家の人間がことが判明し、事情が変わっている。

 石堂妙顕寺家を脅して指示を出させ、そのうえで殺害。戻った斑岩家の若者から悲鳴のような報告を聞いて確認に動いたところ、石堂妙顕寺には生きた人間は一人も残っていなかったという。

 主犯は不明だが、古い家の人間を軽々と殺したことから、生半可な人間でないことだけは確かだ。そんな人間がなぜ異能もない、普通の薬品会社の娘っ子を狙うというのか。


「………薬?」


ふと、斑岩家が指示を受けた時の言葉を思い出す。

 たしか「みだらに裏の技術を用いた薬品を製造している咎あり。現当主の子女に式をけしかけ警告とせよ」というものだったはずだ。その場限りの嘘だったかもしれないが、なんらかの主義主張が混じっている可能性もある。

 サイレンもなく停車していた救急車に女性を預けると、無言で頭を下げる救急隊員に同じく一礼した貴久が車から離れる。

 あの女性にも洗脳、思考誘導の形跡があった。

 呪術的、異能的な干渉なので貴久の手によって引き剥がされたが、こんな散発的な襲撃で何を探っている?

 すっと、夜の闇へ消えていく貴久は、そのまま足音なく現場から立ち去った。

 

  ■  ■  ■  


 貴久が才賀家に留まり数日。

 中学生らしく夏休みの課題を片付けている貴久に対し、隣室からでなく正面の扉からノックの音がする。もともとは部屋付きの使用人部屋ということで、主となる都の部屋とは扉一枚で行き来が出来る。そちらからは部屋にたむろする黒犬たちを触りたいらしい都が顔を出すことも少なくないが、今回は違うらしい。


「すまないね、今からいいかい?」

「あぁ、ご当主。お手数おかけします」

「いや、こちらこそ待たせてすまない」

「私も一緒にって、何か相談?」

「あぁ。現状報告も兼ねているので」


才賀家当主である新三郎老と都が揃っていることを確認した貴久は、そのまま二人と客間へ移動する。

 ソファーで二人と向かい合う貴久は、課題とは別にまとめてあるファイルを片手に現状について説明を始める。


「現状、初日をのぞいて日中に二度、夜間に二度の襲撃が実行されています。日中のうち一度は屍体を操る死霊術師まがいの異能者、二度目は屋敷内に侵入しようとした人間、夜間の一度目は襲撃前に制圧、二度目は屋敷傍で異能を発動しようとしたところを捕縛しています」

「多いね」

「散発的とはいえ多いですね。屋敷内は式神、あの黒い狗のことですが、10頭のうち二頭から三頭を巡回させています。その警戒網に監視者と思しき気配が一名から二名ほど反応することがあります」

「そちらは?」

「こちらの反応より先に離れていますし、襲撃者の関係者か、それ以外かも定かでないので一旦は警戒に留めています。能力の上下に関わらず即座に対処された結果、相手側もこちらの実力や体制を掴みかねているのでしょう。外に情報を漏らさぬようにもしていますし」

「強固な分、相手も警戒していて尻尾を掴めていないと?」

「その認識で間違いありません。また、目的についてですが、会社の事業で、一般の製薬や研究と異なる異能など超常の力に関わるものはありますか?」

「いくつかは。もともと光条との関わりも、術式の影響による身体的不調ふくむ術師への治療薬を扱っていたところからだしね」

「なるほど。最近になって変わった部分は?」

「先祖還りした人の体細胞研究くらいかな? 新薬の研究にも参考にはさせてもらっているけど」


ふと貴久が顔をこわばらせる。

 しばし考えて、口を開く。


「………僕のですねそれ」

「え?」


だからどうだというわけではない、と続けるが。

 場に気まずい空気がしばらくただよった。

 だが、それがきっかけとなったとして、誰が? 何故?

 疑問の解決には至らず、貴久の脳裏に妙な違和感だけが残った。

 

  ■  ■  ■  


 自室でスマホゲームしている貴久を見て、勝手に部屋に入り黒い狗をブラッシングしている都はなんともいえない顔をする。

 狗達が「おれもおれも!」と集まって順番待ちしてくるので、面倒そうにしながらも毛並みを確かめるようブラッシングを続けていた。


「ねぇ? ちゃんと寝てるの? 夜中もいなかったみたいだけど」

「普通に寝てる。今日は朝九時まで」

「ほんと? 確かに朝ご飯の時に出てこなかったけど」

「八時までに顔出せない時はなしでいいって言ってるから大丈夫」

「じゃあ朝ご飯は?」

「昼と一緒にコメダ行ってこようと」

「あ、それなら私もかき氷たべたい。ちょっと待って」


狗達を引き連れ部屋を出ていった都が、新三郎しんざぶろう老を連れて戻って来る。祖父もシロノワールを食べたいので、連れて行ってくれるとのこと。

 夏休みの親戚の家か。とは思ったものの、貴久は素直に奢ってもらった。

 蝉の声の中、巡回という名の散歩を庭で楽しんでいる数匹の狗達は、そのまま追いかけっこをはじめていた。

 

  ■  ■  ■  



 禁域。

 もともとが穢れ、異常、淀みを伴う現象であるところの呪いにおいて、場を汚す、より強く穢れをもたらす状況がある。

 例えばそれは、神が堕ちた場所。

 そこは古い古いおやしろばやし。鎮守の杜。

 老人達が口を揃えて子も、親も、易く近寄ってはならんと言い伝えた暗い木々に囲まれた古い社が安置された土地。

 80年代の宅地開発ブームの際に取り壊し話も出たものの、結局は叶わなかった。

 口を挟もうとした周辺の地主である老婆が話が出た前後で早々に亡くなった。

 話を続けようとした息子夫婦も亡くなった。

 死に様は秘された。続けての不審死ということで当時も警察が調べた。そのうえで黙した。他殺ではないと以降の調査はなかった。

 かつて高度成長期に乱立した工業団地の影に隠れた社は今もなおひっそりと残っている。


 それだけが語られる話のはずだった、


 しかし、そうはならなかった。

 それから20年が過ぎた頃、近隣の小学校で三名の行方不明者が出た。

 もともとが素行に問題がある悪童であったことから家出の類ではないかと思われて数日後、一人の男子小学生の一部が発見された。

 それが千切れた右の下肢であることが判明すると同時、街にサイレンが響いた。

 その後も二度にわたり計12名の行方不明者が発生し、その消失場所が判明する。


 おやしろばやし。

 あの場所であると。


 地元住民達は戦慄した。親のまた親の世代から語られる禁断の場所。

 疑問と恐怖の中、行方不明者の出たとある家が曽祖父の手記を探り、かつて地主一家の不審死の際に警察より呼ばれた一つの家の名を知る。

 その家の名を天地あまち

 かつての名を明智あけち。古い時代に四国へ居を移し、その後に光条に加わった一族であるのだが、地主一家の不審死が起きた当時に手を貸していたという。しかしてなんとか連絡先を辿り電話をかけるも、手を貸した世代は鬼籍に入り、当時の話を誰も知らぬ、一族全てが既に異常なる界の話に感知できず只人に戻っていると。

 それでも、天地より宗家たる光条へ連絡がとられる。

 返答を待つほかなく、事件は未だ終わらない。

 人々は怯え、ただ嵐が過ぎることを祈る他なかった。

 嵐などと表現できぬ、悪夢が煮詰まった存在であるなどとは知らずに。

 

  ■  ■  ■  


 貴久がつかっている力は言葉に出すと単純だ。

 剛力、分け身、使役、神通力の4つ。

 剛力はそのまま筋力や膂力という概念をそのまま異能化したような超常の怪力である。橋を落とし建物を砕き獣をひねり潰す。貴久においては巨人がそのまま手足を振るっているようなものになる。

 分け身。分身を作る、力を移す異能。黒い影の形をとって自身の分身を放ったり、場や物品に力を遺すことが可能となる。都に渡した組紐もこの力の影響下にある物品である。

 使役。魔や妖の魂、または魄を己の一部として取り込み、自らの身体とし、または別として現出させ動き回らせる力。一号、二号と呼ばれている黒狗、いや巨体の狼達はこの力で使役される衰えたるも現代に残る大神の末裔である。

 神通力、これは貴久の場合、狭義の超感覚や物事の本質を見抜く智慧、また手指を触れずにものに働きかける念動力などを含む。釈尊、すなわち仏様はこれを使うを良しとせず、奇跡によらず人々に正しい智慧を教え、そのうえで正道に悖るを正す、と諭していたとされることもあるが、貴久自身も必要であれば躊躇わず使う。

 同時に、効果を定めるときに真言や念仏、祈りの句を通し制御を設けている。

 無論、万能ではないが、その権能をもって見通しうる限り、どのような怪異、異界、狂神であろうと干渉することが叶う。


 おやしろばやし。

 

 そんな名前で呼ばれているのは、小さな竹林と、その奥に隠されたほんの十数段の石段の先にあるお社。それが峻厳たる霊山の麓が如く異質な気配により幻影の中へ全てを沈め、遠く遠く、樹海のように広さを茫洋とさせ距離を見誤らせる。

 一歩踏み入れば無限のよう広がる竹林が人々を惑わし、決して外には出さぬ帰らずの杜。

 その中に貴久は躊躇なく踏み入った。


「ハラ・ドボウ・オン・ボッケン・シュタン・シリー」


吉祥浄土変真言。

 随求。滅悪。穢土を浄土となし、地獄の苦しみを救済し、吉祥あらしめ給えという祈り。転じて場を清め、災いを除け、吉祥とす。竹のひしめく柔らかい地面が徐々に乾き、竹のさざめきが悲鳴のよう遠くまで広がっていく。

 竹林のあるじが異質なる侵入者に意識を向けようとする。

 否。

 


「そこか」


神通力という表現でこそあるが、貴久のそれは極まった獣の嗅覚でもある。対象の発する僅かな身動ぎ一つでたちどころにその姿を捉える。

 弱きを喰らい、強きを狩る獣の眼。

 社の前に倒れ伏し、息も絶え絶えの幾人もの人間を睥睨する存在。

 人に似たなにかを竹林という遮蔽を無視して千里眼に等しくその視界に捉えた。

 相手を認識すると同時に貴久の足元が爆ぜ、ごうごうと風を引きちぎりその矮躯が弾丸より速く動いた。

 対面する異形から見てもその存在はなものではなかった。

 人ではない。ましてや神秘に属す己とも違う。

 竹林という惑わし、吸生、呪いの業の重なった場をものともせず走り、今にもこちらに飛びかかろうとする荒い呼吸が聞こえてきそうなそれ。

 石段を駆ける音がパタタと、続けて聞こえた次の瞬間、社のある境内に貴久が到達していた。

 黒い霧のような、煙のような不定形の影。

 人型をしたその影を一瞥した貴久は、そのまま社の屋根に向かって掌を突き出した。


「お前か」


貴久の掌から放射された力場に押され、屋根から

 金属を掻きむしったような悲鳴と共に姿を表したのは、関節のないゴム人形じみた化け物だった。

 両手足が触手の束、顔がイソギンチャクに似ているそれは、辛うじて人を模した形をしていたが、最初の一撃で腕と手足が既に一本ずつ破断し、石畳に落下して赤黒い血を撒き散らしていた。

 異神の眷属か何かだろうと適当な予測をつけた貴久は近寄ると、足裏で強く踏みしめる。

 頭部どころか上半身までが踏みつけの衝撃波で吹き飛ばされた異形は、そのまま断末魔もなく絶命した。

 命の気配、生命や魔力の残滓が消え去ったことまで確認し貴久は振り返る。

 そこには、変わらず黒い人影が存在していた。

 神性を感じるが、清い、または穏やかな気配を感じるモノではない。

 禍津神、または荒御魂の類ともとれるが、少なくとも基準をもっている相手だ。

 実際にあの異形の動きを押し留めたため、人死は出なかったのだろう。

 社に逃げ込んだ人々は誰もが意識を失っているが、全て生きていた。

 影から狗達を召喚し、その背に人を乗せていく貴久。その間も影が動くことはなく、ただじっとこちらを見ていた。

 社を離れ、竹林へ引き返していく貴久。

 それでも影は動くことなく。


 ただじっと、こちらを見ていた。


 その視線は途切れることも変わることもなく、まるで禁忌を触れる瞬間を待ちわびるように、ただこちらを注視し続ける。

 それは彼らが竹林を抜け境界を超える刹那、憎悪とも殺意ともつかぬ強い感情を一瞬だけ発するが、何が起きるでもなく気配は消えた。

 記録上、あの神の名は残っていない。

 いや、遺してはいけない神だったのかもしれない。

 異形をけしかけた誰かがあと一歩、本質に近づいていれば、被害が何十倍にも膨らんでいたのか。

 それを知るつもりは貴久にもなかった。同時に、相手は気付いていないだろうが、その超感覚によって徐々に輪郭を捉え始めていた。

 

  ■  ■  ■  


エコバックにコンビニのホットスナックとサンドイッチを詰めた格好で帰ってきた貴久の眼の前に玄関傍の廊下で蹲る新三郎老を発見する。


「し、新三郎さん、どうかしましたか?」

「こ、腰が」

「ギックリ腰!? 楠木くすのきさーん! 救急車!」

「の、呪いかのう?」

「そんな気配ないですって! 都さん! 爺様の腰が!」

「おじいちゃん!?」


大騒ぎになったものの、比較的軽傷だった新三郎氏は翌日にコルセット装備で退院した。


  ■  ■  ■  


 術師の家柄に属す男。初期襲撃時に無力化。

 異能者集団による襲撃。実行前に無力化。構成員は死亡。

 死霊術師による襲撃。死霊の殲滅。術師は死亡。

 異界の生き残りの女。交戦前に無力化。

 異界の神。誓約に抵触することなく行方不明者のみ救助。該当の神は残置。

 これだけやって力の全容も定かにならないのが光条の鬼子だ。

 手札を切らざる得ない状況に舌打ちもしたくなるが、まだ攻め手である自分が有利である。正面からぶつからず、疲弊し、悪手を打つまでいくらでも続けるだけだ。

 何度でも、何度でも。

 相手を仕留めるまで。

 その計画が既に崩れていることに、当人が気づいていないのは喜劇でしかなかったが。

 

  ■  ■  ■  


 護衛対象の寝息が聞こえる。

 時間は深夜になろうという時間であるが、起き上がった貴久は窓の外を見る。

 外は赤く、そして明るかった。

 部屋の中に伏せていた黒い狗達も起き上がる。

 器用に後ろ足で立ち上がると、ドアノブを押し下げ部屋を出ていく。それぞれ屋敷の中にいる人間を避難させるために。

 窓から外へ裸足のまま降りる貴久。二階から地面に着地した程度では音すら出さない。虎が如く重たい体も、その挙動だけなら猫よりしなやかである。


 中空に存在する巨大な気配、赤く光熱を放つ巨体は間違いなく高位の存在。

 いずこかの火神に相違なかった。

 不完全な為か、それともなのか、両手両足がないというのに身の丈3mに達す巨体で、頭全体が燃えたぎる溶岩と炎に包まれその容貌は定かではない。燃え上がる熱気と内に溜めこまれた炎は、今にも爆発しそうな弾頭のようである。


『………遠方よりお越し頂いたうえで誠に申し訳ないが、お帰り願えないだろうか?』


独特の抑揚、声の深い振動を伴う言葉は、神通力が込められた一種の真言だ。

 神性の意識、状況を確かめるよう発された呼びかけには、短いいらえが返された。


拒否するアリュフュッターレ

「残念だ」


戦意。そして確固たる意思。

 間違いなく神としての権能を振るえるだろう相手に対し、貴久の気配が膨れ上がる。野生の獣、神に属す獣、さらに上の荒神の化身に等しい力へ位階が跳ね上がり、屋敷と、その周囲を段階的に覆っていた結界が大きく振動する。まるで小規模な地震に等しい現象は、神に等しい存在同士がぶつかり合おうとする異常事態に対する世界からの抑圧、制御反応による結果だ。

 広く遠くまで広がろうとする神性存在の影響力を、世界という構造が抑えようとして狭い範囲の異常現象として留めようとしている。

 その間にも貴久の姿が黒く染まる。

 全身を黒い紐で覆うように神通力、剛力、展開されると、その身体がギチギチという異音と共に変質していく。

 人では有り得ない。

 獣でも存在しえない。

 まっとうな神の姿ではあるはずもない。

 長い法衣を腰から垂らし、六臂に憤怒を示すような裂けた口、六眼に二対の角と宝冠。肋の浮いた細身の胴体に獅子、山羊、蜥蜴の顔が浮かび、その全身は黒く黒く機械に似た甲殻に包まれ、まるで黒檀のよう、黒真珠のよう、ただ冷たいまでの黒をしていた。


「たか、ひさ?」

 

屋敷の裏手から逃げ出そうとしていた彼女がそう呟く。

 何時の間にか、そうやって名前を呼ぶようになっていた。

 日常。争いと関係のない時間。

 この異相だというのに、その名が口からこぼされた時、締め付けられるような安堵と、呼吸が途切れそうになるほどの恐怖が貴久の心中に湧いた。

 しかして、そんな人間的な情動も今の彼には許されない。

 燃え上がる炎に炙られるよう、一瞬で消え、心は平静に保たれる。

 火神から飛び火した火の粉で屋敷の屋根の一部が吹き飛ぶ中、どしんと、一歩分だけ足音のした黒い神が火神へ正面から躍りかかっていた。

 炎が爆裂する。

 この世の炎ではありえない指向性を備えた火炎の濁流は、粘つく溶岩の如く黒き神体に変じた貴久を襲う。

 しかして腕の薙ぎ払い一つで炎を打ち払う黒き巨体。

 無防備に晒された顔面に拳の一撃を叩き込み、よろけたところに引きちぎった道路標識を突き刺す。

 単なる公共物を使い、いとも容易く鎖骨のあたりを貫かれた火神が咆哮を放つ。

 しかし貴久は止まらない。

 サイズに見合った巨大な掌が相手の頭を掴み、浮遊していた身体を路面へ叩きつける。その衝撃で火神が身体にまとう炎が飛び散るが、透明な壁、遮蔽するための力場に阻まれ、何一つ焦がすことすら出来ない。

 まるで紙か何かのように路面から引き剥がされるガードレール。

 それが歪な燐光をまとい。大鉈のよう振り下ろされた。

 一撃。火神の顔を路面ごと叩き割る。

 悲鳴のような甲高い声がその喉から漏れ出ると、もがくように動いていた火神は次の瞬間に燃え上がり、真っ赤な炎へ砕けていく。そして消えた。

 神化した身体がギチギチと収縮する。

 黒い装甲が砕け、人という形に戻る為に押し込まれていく。

 紐のよう、肉体を構成する筋肉と甲殻がもともとの肉体に圧縮された。大半は人間としての身体の質量を維持し、残りを高次元的な格納と幾らかの要素が物理的なエネルギーに振り分けられ、物理現象として発された高熱によって貴久が元の姿に戻った瞬間に突風と熱波が短く放射された。

 Tシャツにズボンに裸足。

 普段通りの格好に戻った彼は、自身の掌を確認し、人としての肉体が維持出来たことにほっとしたよう呼吸を漏らす。

 肉体的な疲労は限定的だが、常と異なる肉体を制御しようとしたことで脳には若干の虚脱感は残った。

 それも使役する式神達の力を借りて分散化することで若干の軽減を行う。

 常在戦場というわけではない、だが、このくらいならまだ戦えなければお話にならないのだ。

 戦いの隙を狙うなど、誰だってやる。

 そうした予測通りに、超感覚的な知覚が狙われていることを察知する。

 遠く高い場所からの殺意、敵意の短い収束。

 一時的に維持していた高域稼働が可能な神通力を回す。

 貴久が感覚的に捉えるこの神通力の精錬は、通常域がガソリンでエンジンを動かすものだとして、高域稼働はジェット燃料にまで圧縮したものでタービンを回すようなもの。


地蔵菩薩よクシティ・ガルバ


七種利益のうち諸佛護臨しょぶつごりんの権能を借り受ける。

 お地蔵様の名でも知られ、道祖神として誰もが眼にしたことがある仏尊であられるが、釈迦の入滅後の長い長い期間の衆生を救うとされるその力は、特に日本という風土において、土地そのもの関する強い結びつきを発揮する。

 神通力を通して神仏の守護を借りた瞬間、普段とは一線を隠す境界が屋敷の周囲とその外を内外として遮った。

 遠方から飛来した暴風と魔力の塊が獣の姿を作るも、結界に触れた瞬間に砕けて爆砕した。

 あまりの衝撃に地面が揺れる。しかし、余波ごと結界の守護により空へ逃される。

 神霊そのものを弾丸が如く叩きつけるような真似だ。なまなかな防御ならまとめて吹き飛ばされただろう。


 同時。

 それだけの力を行使した時、簡単に痕跡を消すことは出来ない。

 結界の維持を狗達に移譲した貴久は、迷わず跳んだ。


 空中を泳ぐ身体。姿勢制御によって風を掴み、腕力任せに大気を突き飛ばす。

 空中で加速し、弾丸のよう飛来した先。

 そこはつい先日、飛来した電柱による被害から封鎖されているビルの屋上だった。

 遠距離から監視や攻撃できる場所にある建物であり、調査中から人の寄り付かない場所。

 なるほど、うってつけだ。

 術式、いや異国の神性を一時的に支配下におく異能。

 強大な力だ。一時的に人を支配することも、人知れず周りを調べることも、こうやって簡単に周囲を破壊することだって、にできるだろう。

 それを行使したのはスーツ姿をした若い女だった。成人こそしていようが、大学卒業したばかり、そのくらいの年齢。俯いた姿勢からは表情は伺えない。

 異能の残滓か、屋上に焼き付いた痕跡から火神を放ったのは間違いないし、実際に風神の類を追ってこの場にたどり着いたのだ。

 襲撃者、その首魁であるのは間違いない。


「目的をえ」

「だ、っxtて」


応えようとした女の声にノイズのような歪な破裂音が混ざる。

貴久は既に臨戦態勢である。場合によっては黒い異体、もしくは、もっと存在にも成れるように。


「あな、あな、あなななななnた、が、あんな女といっしょに、いるから」

「その『あなた』というのは誰のことだ?」


会話の間にも、彼女を中心に真っ赤な炎がちかちかと屋上の床に自然発火を始める。まるでスポットライトのように彼女を照らす。


「あなた? おまえ? お前も、あの女も? おも、おももももも、おもい」

「思い出せない?」

「ねぇ、どうして私のことを捨てたの? お父さんも、彼も、誰も、なにも。痛い思いをあんな場所で」


会話だけではない。歯車が一つずつズレていく感覚がある。

 世界との軸。

 異能が繋がっているチャンネル。

 既に異能を出力する媒体でしかない彼女の顔が上がった瞬間、その両目が潰れていることに気づく。

 

「どいつこいつも殺してやる」


最終的に彼女に残ったのはそれだけだったのか。

 それとも、残っていたもの全てを犠牲にしても才賀 都を殺す理由があったのか。

 

「………また貧乏くじだ」


苦々しい愚痴を口にした男子中学生は、右手で剣印を形作り、神通力によりを断つ。

 異能によって繋がれようとした神性存在への経路を即座に潰すと、異能の制御を行っていた彼女の脳が爆ぜた。額から銃弾でも叩きつけられたように後頭部が吹き飛んだことに貴久が顔をしかめる間にも、人間の都合や感情におかまいなくアクセスしようとした先から強引に割り込みがかけられていく。

 空間が歪む。

 認知にノイズが奔る。

 雲を割って姿を現す異形、雷をまとった巨体は、猪に似た顔に東方の鎧姿をしていた。

 火、風ときて雷神。

 限定的に現出しただけで大規模被害が出る存在を立て続けに召喚されてはたまったものではない。

 剣印のまま短くつぶやいた瞬間、貴久の姿がブレると、拳を握った彼は空中へ跳んだ。

 降り注ぐ無数の雷がビルを穿つ。

 瞬く間に倒壊する建物を背景に、貴久の拳は神体に触れることなく宙を泳いだ。

 空中を跳び回る貴久に向かって、雷撃が容赦なく打ち据えようと放たれた。


  ■  ■  ■  


 遠く、雷の閃光が煌めき、轟音が鳴り響く。

 通常ではありえない天変地異に口元を押さえた都は、跳び去った小さな背中を想い、神様でも仏様でもいい、誰か彼を守って欲しいと祈った。

 守られているだけの私の傍で、彼は何をねだるわけではなく、何を主張することもなくただ一緒に居た。

 適当で、雑で、自己主張のない少年。

 甘いものを食べて声も出さず笑うような男の子だった。

 居ても居なくてもわからないような人間のはずなのに。

 自然に守ってくれた。

 だから。

 見知らぬ誰かが目の前で巨大な剣を振り下ろそうとした瞬間、その顔が過った。


「甘い」


そして期待通りに。

 短いつぶやきと共にその誰かは一撃で吹き飛ばされ、そこには普段通りの貴久が立っていた。


  ■  ■  ■  


 一撃で粉微塵にするつもりで殴りつけたが、残念ながら相手は生きていた。

 二十代前後の青年。まぁ、美形と言ってもいいだろう。

 スラックスにシャツといった格好でありながらその手には時代錯誤な巨大な剣が握られている。

 周辺環境に被害が出ないよう加減こそされていたが、それでもトラックとの正面衝突程度の威力がある打撃を巨剣で受け止めた男は手足がひしゃげることもなくその場に立っていた。


「で、誰?」


伏兵なし。奇襲者は正面の1名のみ。狗達のおかげで既に周辺隔離も済。

 そこまで感覚や術式で把握した貴久は、構えこそとっていないが返答の如何で動けるよう重心を動かしている。

 対する青年は、何も言わずに大剣を構える。


「コード、プロメテウス」


形式こそ違うが魔力とも神通力とも違う種別の力が収束する。

 大剣を中心に光の渦が巻き起こると、次の瞬間には全身を茜色の装甲板に包み、まるで変身ヒーローのような姿となった青年の姿。

 その剣から炎が吹き上がる。


「また火か」


うんざりした様子でそう貴久が口にした瞬間、振り抜いた拳によって巨剣ごと空へ打ち上げられる。


「え?」


それは都のつぶやきだっただろう。

 月に吸い込まれていくよう、夜空に吹き飛ばされた装甲姿の青年。

 受けた衝撃に動けない青年が再び剣を使って防ごうと動くも、跳躍していた貴久によって防御ごと蹴りとばされる。

 その身体がまるで弾丸のように宙を貫き飛んでいく先には、雷鳴を引き連れた神の巨影。

 神の矛先を誘導していた貴久の分け身が消失する。

 消えた分け身につられるよう振り返った雷神と、青年が、それこそ落雷のような衝撃音と共にぶつかる。

 ひらりと着地した貴久が再び跳ぶ。

 空中を踊るその影が再び巨体へ変質していき、黒い巨人となった貴久が剛腕を振り抜く。

 もつれ、空中からこぼれおちる青年と、身悶える雷神。

 それを続けての拳撃で粉砕せしめる。

 都達はしばらくじっとそちらを見ていたが、そこから雷鳴も光も発生しない。

 神も、人間も、変わらず雑兵が如き扱いで、貴久により打ちのめされ終わった。


「もう安全なんで戻っていいですよ」


 避難していた面々が驚く。

 そこには、散歩から戻ったような気軽さで貴久が立っていた。 

 あんまりに普段通りのその様子に、誰もがしばらく呆然としていたが。

 そのうち、何かを我慢できなかったような様子で都が貴久の尻にミドルキックした。

 まるで鋼のような感触に都の方がもだえていたが。


「………なんで?」

「うっさい。あと、ありがとう」


パタパタとサンダルの音を響かせる都とその後ろに続く貴久の様子に、周りの人々、それこそ新三郎老や護衛の楠木氏もふくめ、気の抜けた笑みとともに屋敷へと戻っていった。


  ■  ■  ■  


 神性存在を用いた襲撃、そして異能による武装能力を有す青年による奇襲。

 こう毎日毎日、別の角度から刺客を差し向けられるものと思う反面、金だの接触手段だのがあれば、そういった存在同士が連携とるのが用意な時代であるだけでもある。

 そして、襲撃回数を増やせば通常の相手なら疲弊し動けなくなるだろう。


 


 襲撃翌日。夏だというのに肌寒く感じるような早朝。

 じっと空を眺めているようにしか見えなかった貴久が、何かを探るように周囲を見回し、そっと家の門を開けて外に出る。近くのコンビニで朝ご飯としておにぎりとペットボトルのお茶を購入、そのまま駅まで歩く。

 電車に乗って幾つかの駅を経由して近隣でも有数の商業地区へ踏み入った。

 蓄積した情報は十分だった。

 直接的な関与を最低限に抑え、行動していたつもりだろうが、貴久が判断するに足る情報は幾つもある。言語化するにはあまりに断片的な情報の集積とそこからの類推が重なっていき、そこから真実には至る。

 襲撃回数、襲撃者の背景、襲撃の頻度、襲撃のタイミング、襲撃者の強弱、襲撃の手段、襲撃間隔、襲撃するにあたって各襲撃者が持っていたであろう事前情報、前後の襲撃に関連性や連携の有無があったか、などなどなどなど。

 たとえば、相手は現在日本における術者の家系や国内の勢力図に関する知識がある。

 光条や石堂妙顕寺などの関係性を理解したうえで襲撃させるだけの知識があるということは、少なくとも単なる異能者ではない。術師そのもの、または術師の関係者である。

 そして、術師の家系を皆殺しに出来るだけの実力がありながら、表立って仕掛けてこないのは貴久こちらの脅威度をある程度は把握しているから。

 ただし、実情を知れる立場であったり、貴久本人に知己があるほどの関係性ではない。

 そのうえで異能者の状況を把握し、積極的に接触できる立場である。

 この条件は前述の術者であることを鑑みればそこまで難しくない。としたか、しているようなやからであれば、そこから横の繋がりを把握したり、更に支配したりも簡単だろう。

 消耗戦を考えているなら頻度がやや弱い。

 ただ間隔が空いても途切れないことから出方を伺うというより、威力偵察による情報収集を図っている。 そのうえで次第に能力の強さを上げている様子から、まぁ、威力偵察だけでも目的が達せるのかもしれない。その襲撃扇動者の予定では、だが。


 実に舐めている。

 政治で済ませるつもりだったのか?


 ただ、現場に手を出した以上、それ相応のツケを支払っていただけねばならない。

 異螺 貴久 いら たかひさは暴力装置である。

 あらゆる怪異、敵意、物理的な阻害を打破し、その力は日本でも有数である。

 そう思っているなら残念ながら認識が安い。

 正確に言うならだ。

 責任の所在を探り、相手の立ち位置を見定め、敵意の出発点を探り当てる。

 彼が目の前に現れた時点で詰みなのだ。


  ■  ■  ■  

 

 時刻は午前6時。

 地方都市としては非常に大きな20階建てのビルの前に立った中学校の制服姿をした少年に対し、早朝警備を務める男は慌てて駆け寄る。


「こんな時間にどうしたんだい?」

「すみません、この時間に出社されている方はおられますか?」

「え? いや、 清掃の方もまだ出社されていないし、そういったことはないと思うが」

「よかった。実は建物から変な音が聞こえた気がして」

「え? どういうことだい?」

「いや、まるで建物が軋むような異音だったので、何か異常があるのかと」

「本当かい? ちょっと待って、なら余計に離れないと、ほら君も」


そう言って少年を遠ざける警備員の耳にもメキメキという異音が聞こえ始める。

 慌てて離れた警備員の背後で、高層ビルが傾きはじめ、そのまま半ばに亀裂がはしる。見る間に建物が崩壊していき、中層階の窓が建物の歪みに合わせてビシビシと割れていく。

 そのまま完全倒壊こそ免れたものの、周辺に多数のガラス片、建物の瓦礫をばら撒いたビルの様子に消防への通報が殺到し始めた頃、慌てて避難誘導する警備員の傍から少年はいなくなっていた。


  ■  ■  ■  


 光条家によって借り受けられた都市部のレンタルオフィス。

 そこに座るのは貴久、そして光条の太母こと光条 皐月こうじょう さつき前当主。現当主の座こそ彼女の娘に譲られているが、当主修行中である彼女でなく皐月お祖母ばあ様が現在も実権を握っているというのは界隈では有名な話。

 丸いテーブルの反対に座るのは、齢70歳を超える老人だった。まるで剣を思わす鋭い容貌には疲労の色が見え隠れしている。


石動林 真丸いするぎばやし さねまる、かつて陰陽寮次席を担っていた石動林家当主にして大明治製紙だいめいじせいし株式会社CEO。最新情報としては、昨日さくじつに本社ビルで発生した倒壊騒動から現在は休業中」


ぺらぺらと資料をめくる貴久。その顔に警戒はなく、淡々と言葉を重ねていく。

 陰陽寮。飛鳥時代から続く国内最古の術師組織の一つ。

 大明治製紙だいめいじせいし。江戸時代初期に開業した『肥前製紙問屋ひぜんせいしどんや』を祖とする製紙メーカーであり、現在では包装紙やパッケージ制作など担う一般企業である。一時は術師の符など、呪術的、術式的に精錬された紙の生成を担っていたが、生産地での技術衰退から工業化、現代化を契機に術師界とは距離を置いている。

 これが前知識だ。

 そして。


「襲撃動機。かつての栄光への執着」


その言葉に無表情な老人の顔は変わらない。会議用のテーブルの両端に貴久と真丸老が座り、その中間に皐月の婆様が座る構図のまま話は進む。

 動機。

 裏方であった術師家系のうち、術師的、職人的な技術の衰退からを行った家は少なくない。血は薄れ、異端の技術は途切れ、そのまま市政の中に埋没できることこそ、平和の証左しょうさとも言える。

 シチリア発祥のマフィアという組織は、もともと数世紀にわたるアラブ人やフランス人、スペイン人といった外国人支配者による政治的な圧迫から、住民同士での互助組織を通じてその時々の外国人支配者に対して抵抗していた自治組織だった。本来的に彼らはその仕事が無くなり『自ら帽子を脱ぐ』ことを願っていたともされるが、戦前戦後の混乱から多くが犯罪結社への変性を辿り、現在は暴力的非合法組織全般を指しマフィアと呼称されるような状況だ。

 必要悪が実情悪となることと比べ、異能が歴史に埋もれ、人々の安寧が得られるのであればそれでもよかったはずなのに。


「1980年代以降、術師の家系でその血が賦活され、時を同じくして新しい異能の発生や怪異の再現出も顕著に増加した。この現象の加速が1990年代。そうしたなかで異能や術式の衰退から市政の只人に戻っていた家々のうち、どうにかして血を取り戻そうとする一派が発生した。俗に再興派と呼ばれる一団」


これはそう珍しい話ではない。

 かつての栄光を取り戻そうとする、または現在の地位の維持を望む、古い家々が居た。それだけの話だ。


「彼らが恐れた事の一つに、異能を得られないことではなくだった。たとえば、異能により発生した異常な細胞、それをかつて巫蠱みこをも務めた薬師の家の研究から新薬が作られるなど、あってはならないことだった」 


始まりはほんの小さな小さな話だったのだ。

 常人離れした再生力、恒常性、賦活性を備えた異能者たかひさの細胞の研究について、たった一人が携わった時だけ、その培養や賦活が成功した。それが、家業である製薬業にインターンとして研究協力していた一人の少女だっただけ。


「表の存在と裏の存在が結びつき、表の存在となった自分達を含め社会に影響を及ぼす。それはあってはならぬことだと」


世を支える裏方であった者達が表側に影響力を強めた際、表の人間では対抗が出来ない。それは技術体系がまるで違う異能に対するカウンターが存在しないから。

 結果、裏方に対抗する為に表に近い位置へ裏方が増える。そうして全てが表に晒されることになれば、世の混乱が加速することだろう。

 それが再興派の懸念であり、裏と表の距離を離すことを主張する論拠であった。


「だが近年、再興派の家から、神域、異界への接触から異能者を人為的に生み出そうとする事例が生じた」


その件を主導していのが石堂妙顕寺せきどうみょうけんじ家。再興派の中でも未だ一部の家に異能者の残る家柄であった。つまり、最初の襲撃者である斑岩はんがん家の者が「みだらに裏の技術を用いた薬品を製造している咎あり。現当主の子女に式をけしかけ警告とせよ」という旨で襲った時、まだ石堂妙顕寺せきどうみょうけんじの当主などは生存しており、警告のつもりだったのだ。

 ここで光条を通さず直接的な行動に出たのは、まだ異能者の元が光条だと知らなかったのだろう。つまり、異能者と才賀さいが家が懇意であることを人間が居た。

 その後、石堂妙顕寺家族滅から主導権は異能者を主体とした襲撃者をけしかけてくる者へ移る。

 異能者集団による襲撃。死霊術師による襲撃。異界の生き残りの女。

 このあたりは頭が一緒だった。


「主導は死霊術師もどき、ただ誤算は、自ら威力偵察を行おうとした瞬間に殺傷せしめられるとは思わなかったこと」


貴久にとってみればどれも等しく自分より弱かった。それだけだ。

 木端はまとめて潰すし、目前に立たねば反撃はくらわないと軽視していた扇動者もたちどころに位置を定めて撃滅、組織的行動が起こせぬまま各個撃破で終わりと。

 実際にその通りで、頭を失った異能者集団はその背後の思惑とは異なった動きを続け自壊を始める。

 本来の目論見通りなら馬鹿な学生組織による暴走を隠れ蓑に場を混乱させ、異界の神の暴走、異界踏破者の女による闇討ち、異国神の使役者と装甲異能の青年などで波状攻撃を行うはずだったのだろう。


「現場を統括していた異能混じりの死霊術師、中平 清彦なかひら きよひこ。元々の名は斑目 清彦まだらめ きよひこ。石堂妙顕寺の分家であった斑目姓で、入婿して名字が変わっていた」


このあたりは戸籍を調べれば簡単にわかる。そして、石堂妙顕寺と石動林は本家である石門いしもん家から分かれた家々だ。鎌倉時代の九州征伐に際して源 範頼みなもと の のりよりに従い従軍後に現地に残ったのが石動林、江戸時代以降で仏教徒に帰依する際に分かれたのが石堂妙顕寺家。

 ここで繋がりもわかる。

 そして彼の死亡後、背後に居た黒幕は彼らを制御する手段もなく放置する他なかった。何故なら、血の薄まっていた石動林側には異能を御するような実力者は他になく、経緯上、中平や異能者達を使って石堂妙顕寺も粛清したあとだったから。

 実に馬鹿馬鹿しい内輪争い含め、そうやって自壊していったのだ。


「踏破により異界は閉じられている。これ以上の異能者が管理下で生じることはな

く、形成していた異能者のネットワークを通じてかき集めた者達もほぼいなくなった。協力者であった家も方針の違いから族滅と。よくもよくも」


その目的が社会の平穏だったと?

 そんな訳はない。


「才賀の襲撃は表向きの目標ではあって、実際は僕を潰し『光条は没落した』としたかったわけですか。光条の鬼子では足らぬ、石動林をはじめとした旧家の術師的復興と共に新たな理を示さんと」


その問いに老人は答えなかった。

 代わりに、ゆるく首を左右に振る。


「わからん。主導していた息子は死んだ。自殺ですらなかったが」

「あぁ、そちらは自殺ではなく外法に関わったことによる死です。狙われた魂は延々と異界の神による罰を受け続けることになったかと」

「………ただでは死ねぬか。なんとも」

「馬鹿馬鹿しいでしょう? 更に、けじめとしてビル一個の被害。あれが異能を用いた破壊と、わかる者にはわかったはずです」


見せしめだ。

 どのような証拠も痕跡も残さず、陽のあるところでさえ破壊をもたらせるのだと。

 それをやった異螺 いらの悪名がまた広まるだろうなと、今度も貧乏くじであることにこぼれそうになった溜息を飲み込む。

 このくらいならまだましだ、と。

 結局、皐月の祖母様は一度として口を開かなかったし、老人は粛々と自体を受け入れ、その場を去った。

 数日後、石動林の家は途絶えた。

 新聞には食中毒と掲載され、まともな死に様ではなかったことは伏せられた。

 哀れなことである。

 

  ■  ■  ■  


 帰り道、最後まで無言だった皐月のばば様とも別れ、貴久は路上で夜空を見上げる。服をはためかす強い風がどこから吹くのか、そして何処へ去っていくのか。

 そんな感傷を吹き飛ばす世界の様子を自らの全感覚で確かめながら。


 そらからは巨大な眼が覗いている。

 地中の底では星を貫くほどの巨体が縛られたまま欠伸をしようとしている。

 水平線の彼方からは歌が聞こえる。

 数え切れない手は、山を、谷を、埋め尽くしている。

 それが自分に見える現在の有り様だ。

 そのことを貴久は決して口にしない。その真実をつぶやいただけでが数え切れないほどいるからだ。

 あの異界の神など、まだ人理や世界の表層に近しい側である。


 万魔とは、貴久の異名である。


 それは皮肉にも、万の魔を認識し、御し、平衡を保っているのが彼であることを知らぬ者達が名付けた、まことに正しい名だ。

 人界のこそばゆいほど小さな悪意と、善意のすぐそばにある終わりを、少しずつ延伸しようとしている彼に名付けられた、真の名であると。

 世の理は彼に不条理を強いる。

 だというのに、彼の善意をもって、彼の、彼らのエゴをもって、世界のまどろみに似た安寧は今日も守られていた。

 世に知られぬは数多の管理者。


 あらゆる者に名を伏せられ、幾つもの諱で語られる人々。

 互いを支え、最後の一線の均衡を守る者達。


 鬼神位羅刹きしんいらせつ。その役は断界。世界を断ずるほどの剣技を備えた神に等しい剣士。一太刀で世界を割り、一太刀で異神をも斬る。同時、その威は重ねれば世界の形を崩してしまう。あざな剣者けんじゃ


 偽神曼荼羅ぎしんまんだら。その役を調律。覚者にして世界の法、深淵の知識に通ずる大魔法を扱う術者。世界の理すら書き換え、天地すら裏返す。同時、法を司る術式を繰り返せば別の界より侵食を受ける。あざな黻摩ふつま


 牛鬼集合等ぎゅうきしゅうごうら。その役は統率。いかなる魔も神も従えるという召喚士。その御業は時に神話の大神すら招くと。同時、その業を深くもたらせば世界の創生に至り、今の世が滅ぶとも。あざな来迎者らいごうしゃ


抜鵺魔生乱ぬぬえましょうらん。その役は境界。死者を統率し、生者と分つ。あらゆる疫病を退け、あらゆる魔も神も殺害せしめる概念を有す聖人。その理も過ぎれば智慧も技術も摂理も残らず消え失せる。あざな偽聖ぎせい


禁域纏異森羅きんいきまとうしんら。その役は摂理。収斂する世界線や可能性の特異点を司り、運命力や時間の進行に干渉する力をもつ特異点の顕現者。その干渉が過ぎれば連続的に界や場が崩壊する。あざな暗夜あんや


 そして奇真異螺きまいら。その役は抗体。あらゆる力、あらゆる運命、あらゆる災厄に対抗し無限に力を得る現人神。同時、その果ては世界そのものに至り、あらゆる可能性を駆逐し全てを等価とし飲み込み消し去るだろう。万魔ばんま


 世界を滅ぼす力に対抗するには、滅びに等しい力が必要となる。

 同時に最後の一線、新たなる滅びとならない為には、お互いの域を超えぬよう、真理に至らぬよう、天に至らぬよう、どこかで均衡をとらねばならない。

 時に見ぬふりをする。

 時に誰かに任す。

 時に。

 その手が、人のままでいられるよう祈らずにはいられないのだ。

 そうして前に向き直った貴久は、再び歩き出す。

 仕事の終わり。別れ。

 気付けば住み慣れた、暗い夜道の先に浮かぶ才賀の屋敷の明かり。


 荷物は既にない。狗達が運び出している。 

 仕事は終わったのだ。

 なのに、どうして。


 そこまで考え、踵を返そうとした足を止める。

 屋敷の前、門柱に背中を預ける少女が一人。

 夏とはいえ夜半は冷えるのだ。慌てて駆け寄った貴久に、不機嫌そうな舌打ちが返ってくる。


「どうして、帰ろうとしたの?」

「………もう夜も遅いし、挨拶は明日にでも改めようかなと」

「嘘」


断定的な口調に思わず黙る。短い付き合いだが彼女の勘の良さ、理論立てた考え以外の部分でも秀でている幾つものことを知っている。

 彼女の足元では、既に引き上げているはずの狗達がうなだれるようにおすわりをしている。


「仕事は、終わった。ただの護衛なのに、随分と世話にもなってしまって」

「そうね。単なる護衛なのに、おじいちゃんが腰をいわした時は慌てて救急車を呼んでくれたし、人の部屋に居座る時だって、勝手に犬なんて連れ込んで」

「それはまぁ、必要だったから」

「そうね。必要だったから、仕事だったからの始まりだったけど、関係ってそういうものじゃないでしょ?」

「え………?」


軽く突き出された掌が、俯き加減であった貴久の頬に触れる。ひんやりとした感触が、随分と彼女が待っていたことを伝えてくる。


「仕事だって、割り切れない部分があったから、あんたは、その、私とも、それにおじいちゃん達とも、遊んだり、食事に行ったり、それを受け入れたりしたんでしょ?」

「そう、なのかな」

「そうよ。だって私達は、家族でこそないかもしれないけど、知り合いって言いきるほど余所余所しくないし、友達、って言っていいよね?」

「僕と、皆さんが?」

「それじゃ駄目?」

「いや」


視線を上げた貴久の瞳が、都の顔を捉える。

 夜風に乱れた前髪を揺らすその顔が、ひどく美しく見えた。いまだにろくに髪の毛を梳かさすぼさぼさのままで、くしゃりとした髪型なのに、乱雑に乱れる黒髪も、化粧っ気のない顔も、どこか、鮮やかだったのだ。

 思わず、頬を触っていた手を握り返す。こわさないように、ゆがめないように、ただ触れるようにゆっくりと。

 手の中にあるあまりに繊細な感触に、自分と彼女との間の隔たりに、ひどく寂しい気持ちが湧き上がる。

 その時、彼女の指先が掌から離れ、変わって少しだけ背の高い彼女の胸元に、貴久の顔がおさまっていた。

 心臓の音、体温、血の通った人間の感触。

 それらがまざまざと感じられ、貴久は動けなくなってしまった。


「一人だとね、生きていくことしか出来ないんだって」

「それは、何故?」

「誰かが居ないと、そこに生きてる意味がわからなくなるって。孤独のうえで自らの作品や矜持に生きることが出来る芸術家や企業家はいても、大半は、結びつきから顧みて自分の形を探すから」

「わかるけど」


 人に限らず、情報も、環境も、常に全と一、一と全という要素で成り立っている。

 比較があり、相互的であり、決して単独では存在し得ないもの。

 人生という状況において、一人である、孤独であるというのは自己認識における限りでしかなく、誰だって社会や環境を通してあらゆる人と関わっている。同時にどんな関わり方をしようと、そこに相手を見なければ何処にいようと誰といようと孤独のままなのだから。

 そうやって世界は出来ている。


「だからね、ひとりぼっちで居ようとしなくてもいいんだってさ」

「僕みたいな、指先一つで相手を傷つけるようなやつでも?」

「誰を傷つけても、誰に嫌われても、それでも一緒に居たいって思うのが友達だもの」

「………そんなふうに言えるほど友達多かったっけ?」

「うるさい」


貴久のからかいに抱擁から開放した都が後ろに回り込み、その背を押す。

 踏みとどまることもできた貴久であるが、ゆっくりと前に進み、やがて門を越え、玄関の明かりが届く場所まで進んでいく。

 そこには、落ち着かない様子の楠木氏と鷹揚に笑う新三郎老が居た。


「おかえり」

「………ただいま、戻りました」


深く頭を下げる貴久に、迎えた新三郎老はそれ以上何も言わなかった。

 楠木氏はどこかほっとした様子で新三郎老と共に屋敷の奥へ戻っていき、割り当てられた部屋へ無意識に戻った貴久は、片付けられているはずの私物が何一つ動いていないことに驚く。

 狗が命令を無視したというより、誰かがそれを止めたのだろう。

 そうして、狗が簡単にお願いを聞いてしまうほど懐いている相手といえば。

 そこまで考え、貴久はずるずると床に座り込む。

 こんなふうに、家が増えたっていいんだ。

 そう考え、感じ、受け入れた時、心の澱が、少しだけ軽くなった気がした。

 そう思えたのだ。


  ■  ■  ■  


 その夏、貴久は夏休みが明けるまで才賀家に居候することとなる。

 騒動が終わったことで慌てて娘を迎えに来た才賀夫妻とトラブルになったり、また別の騒ぎが起きたりもしたのだが、それでも、今までも数えるほど最良の日々であったと彼は笑う。


  ■  ■  ■  


 そして事件から数年を経て。

 京都から更に西。兵庫との県境にある山村。

 そんな古い屋敷の一室で、一人の青年は嫁取り話をされている。


 世界はいまだ続いているし、人は成長し、関係性も時に変わっていく。

 世界を覗く眼が善性であるという事実に至り、歌の正体を討伐せしめることにも成功した。まだ消えぬ脅威はいくらでもあるが、かといって、なにもかもが悪いままでもない。

 いつか終わるかもしれない。

 それでも、貴久は電話越しに叫ぶ都に目を白黒させながら謝り続けた。


「ごめん、ごめんて、悪かったから。そんなつもりじゃなかった。だから、え?」

『…………よ!』


にやにや笑いの皐月のばば様は都の声を聞こえぬふりをし、諦めたように空を見上げる貴久は、まだでいられそうだ。

 そして命が紡がれ、運命が続いていくのだろう。

 それだけの話である。




 ― 終 ―


 

 








 





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

我が名は奇真異螺 @zaitou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る