第13話 名前付き

 畑へと続く道を全力で走る。

 酷使に耐えかねた両足が悲鳴を上げていたが、ヨネサンは足を緩めなかった。

 シェルファひとりなら特に心配はしない。エルフは身軽な種族だし、彼女自身、身を守る術に長けている。

 だが、村人が一緒となると話は違ってくる。

 元々彼女が扱う精霊魔法は支援が主で、敵を倒す手段に乏しい。一体二体なら大丈夫だろうが、襲撃してきたトロールの正確な数がわかっていない以上、楽観などできるはずがない。


 だから、道の向こうからやってくる村人の一団の中にシェルファの姿が見えたとき、ヨネサンは心から安堵した。

 アリーシャやルカが一緒にいるのも確認できた。どうやらトロールは畑の方には現れなかったようだ。所詮は残党、それほど数は多くなかったのかもしれない。

 こちらに気付いたシェルファとルカが、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら手を振っている。呑気なものだと呆れながらも、ヨネサンは片手をあげてそれに応えようとした。


 すさまじい咆哮が聞こえてきたのは、そのときだった。

 近くの森から一斉に鳥たちが飛び立つ。

 木々の合間から姿を現したそのモンスターを見て、ヨネサンは胸騒ぎの原因はこいつだと瞬時に理解した。


 名前付きネームドモンスター――。

 モンスターの中には、ごく稀に突然変異で特別な力を持って生まれてくる個体が存在する。ずば抜けて高い能力を持つその個体は、多くの人間を殺し、いくつもの村落を滅ぼしていくうちに、いつしか固有の名で呼ばれるようになる。


「隻腕のダラッジ……」


 ヨネサンは思わずその名を呟いていた。

 隣国で暴れまわり、討伐にやってくる騎士や冒険者を次々と返り討ちしたことで、その名を轟かせたトロールである。

 見た目からして普通ではない。異様に発達した下顎と鋭い牙を持ち、どす黒い肌に覆われた身体は筋骨隆々で、通常のトロールよりもふた回りは大きい。

 だが、一番の特徴は、その名の通り片腕しかないことだろう。

 トロールは高い再生能力を持っており、片腕を切り落としても、しばらくすれば新しい腕が生えてくる。

 ではなぜダラッジは片腕のままなのか。

 その原因は、北の山の縄張りを巡ってガジールと争い、酷い凍傷を負って腕の組織が壊死したからだと噂されていた。

 この場合、ダラッジがガジールより弱いことは、なんの慰めにもならない。

 同じ巨人族でも、霜の巨人フロストジャイアントとトロールとでは格が違う。本来ならば成立するはずのない争いが起こったこと自体が、ダラッジの異常性と凶暴性を物語っていた。少なくとも並の大型モンスターより遥かに危険な存在であることは間違いない。

 その悪名高き隻腕のダラッジが、山を越えてレニゴールにやってきていた……想定していた以上の最悪な状況だった。




 ダラッジが再び吼え、突進を開始した。

 トロールは人を喰らう。なかでも若い女性や子供は彼らにとって最高のご馳走である。ダラッジの標的が先頭を歩くシェルファやルカなのはあきらかだった。

 どこで手に入れたのか、ダラッジの手には人間用とは思えない巨大なだんびらが握られている。あんなもので斬りつけられたら華奢なエルフなどひとたまりもないだろう。

 しかし、シェルファは逃げようとしない。後ろに村人たちがいるからだ。


「みんな逃げて!」


 シェルファはそう叫んでから手を前に突き出し、魔法を詠唱した。

 すると地面が隆起し、巨大な人の手の形となってダラッジに掴みかかる。標的を拘束する土の精霊魔法だ。

 だが、ダラッジはだんびらを雑に振り回すと、まるで雑草を刈るようにあっさりと土の手を破壊してしまった。


「シェルファ――」


 逃げろ、という言葉をヨネサンは飲み込んだ。

 代わりに身体が勝手に走り出していた。

 魔法を使うという選択肢は端から頭になかった。自分の魔法でどうにかできる程度ならば、そもそも名前付きネームドモンスターなどとは呼ばれない。


 ダラッジが咆哮を上げてシェルファに襲い掛かる。

 辛うじて間に合った。

 ヨネサンは無我夢中で飛び込み、シェルファの身体を突き飛ばした。

 一瞬だけ、目が合う。

 どうして――シェルファの目はそう言っていた。

 直後にすさまじい衝撃がヨネサンの全身を襲った。

 ヨネサンは藁人形のように吹き飛ばされ、十メートルほど派手に地面を転がったところでようやく止まった。


「が、はっ!」


 喉の奥から熱い塊が吐き出された。

 即死しなかったのは、もはや奇跡だろう。肩口から胴体にかけて衣服が裂け、瞬く間にどす黒く染め上げられていく。ヨネサンは自分が致命傷を負ったことをはっきりと認識した。


「ヨネサンッ!」


 シェルファの絶叫が耳に届く。

 よかった、無事だった。そう思ったが、安堵はすぐに霧散した。

 立て続けに聞こえる村人達の悲鳴。ダラッジが獲物を見逃すなどありえない。

 このままではシェルファが殺される。いや、彼女だけじゃない。アリーシャやルカ、そしてここに向かっているはずのライザールも……。


「ぐっ……!」


 ヨネサンは気力を振り絞って起き上がろうとする。

 だが、意思に反して身体が動かない。限度を超えた痛みのせいか、逆になにも感じられない。自分の身体が自分のものではないようだった。

 意識が遠のくほどの絶望が押し寄せてくる。

 そのとき、鈍い金属音が響き渡った。

 何度も何度も聞いてきたその音が、ヨネサンの胸にかすかな希望の火を灯した。

 霞む視界の中に現れたのは、メイスと盾を構えたパーティの盾役タンク、リアムだった。




 ダラッジの注意が、初めてシェルファから逸れた。

 リアムはさらにメイスを盾に打ちつけ、挑発を続ける。

 ダラッジは不快な音を発生させる人間をあらたな標的に定め、一直線に突進した。

 リアムの盾とダラッジのだんびらが激しくぶつかり、火花を散らす。


「ヨネサン!」


 シェルファはヨネサンの元へ駆け付けると、血まみれの姿を見て泣きそうになりながらも、すぐさま回復魔法の詠唱を開始した。

 しかし、それを見てヨネサンは小さく首を振った。


「私のことはいいから……リアムの援護を……」


「ばかっ! そんなことしたらあんたが死んじゃうでしょ!」


「どのみち、たすかりません……だからリアムを……」


「気が散るから黙って!」


 シェルファは苛立ちを隠そうともせずに叫んだ。


「あ、あのっ……!」


 唐突に別の声が会話に割り込んできた。

 声の主はアリーシャだった。他の村人たちはとっくに逃げたのに、彼女だけはなぜかこの場に残っていたのだ。


「なにをしてるんですか……はやくお逃げなさい……」


「わ、わたしが、やります……!」


 震える声で少女が言った。


「わたしが、リアム様を援護します」


「しかし、あなたは――」


 言いかけたヨネサンを、シェルファが遮った。


「お願い、あたしの代わりにオルンを守って!」


 アリーシャは頷くと、リアムの方へと向き直った。そして手を前にかざし、魔法を詠唱する体勢に入る。

 ……だが、ただ口をぱくぱくさせているだけで、一向に詠唱を始める気配がない。よく見れば額に大粒の汗が浮かんでおり、手足も小刻みに震えていた。

 自分のミスで、また命が失われてしまうかもしれない……その恐怖と重圧に押しつぶされそうになっているのだ。

 それに気付いたとき、ヨネサンは無意識に声を掛けていた。


「大丈夫……あなたがどんなに失敗しても、あそこで戦っている戦士は……絶対に倒れません……」


 シェルファが「喋らないで」と目で訴えてくるが、構わず続ける。


「彼は……リアムは、レニゴールの絶対守護者が誇る、最強の盾役タンクです……だから、焦る必要はありません……練習のときのイメージを思い出して……ゆっくりと詠唱すればいいんです……」


 ヨネサンは激しく咳き込んだ。傷口から溢れてくる血は一向に止まる気配がない。自分の命が尽きかけているのがわかる。

 それでも、これだけはどうしても伝えておきたかった。


「望む未来は……手を伸ばさなければ掴めません……今こそ、勇気を……」


 再び少女が前を向いた。

 手足の震えは今度こそ収まっていた。

 ゆっくりと、丁寧に、呪文が紡がれていく。

 これまでに聞いたことのない術式……拙いし、非効率な部分もたしかにある。

 だが、独自にアレンジされたそれは、彼女の努力の結晶だった。

 発動したシールド魔法が見事にダラッジの攻撃を弾き返したとき、ヨネサンはアリーシャがパーティに加わった未来をこの目で見てみたいと、心の底から思ったのだった。


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