第11話 恐怖
領主がトロール討伐の為に村を訪れたあの日。
義勇兵を募る呼びかけに、アリーシャは意気揚々と名乗りをあげた。
身につけた魔法がついに役に立つ時がきた。努力して手に入れた力を試してみたい――誰もが抱く思いだろう。
君は戦闘終了後に怪我人の手当てを行ってくれるだけいい。同行している騎士からはそう言われたが、大人しく従うつもりはなかった。
命を捨てて守ってくれた両親や、危険を省みずに戦ってくれたあの冒険者のように、自分も誰かを守れるような存在になる。そんな強い決意と共に、アリーシャは戦いに臨んだ。
戦場は彼女が思っていたよりも遥かに過酷で残酷だった。
暴れまわる凶悪なモンスター。骨が砕ける鈍い音。魂を引き裂くような絶叫。むせ返るような血の臭い。それらすべてが少女を恐怖させた。
それでも、無我夢中で唱えたシールド魔法が領主の命を守った。
周囲の騎士達から歓声があがる。
強力な魔法の援護がある。その事実に劣勢だった騎士達がにわかに勢いづく。
自分の魔法は通用する――自信を得たアリーシャは、騎士達を援護すべく再び魔法を唱えようとした。
しかし、初めての実戦は少女から平常心を奪っていた。
わずかな詠唱の乱れから、ほんの一瞬、シールド魔法の発動が遅れた。
その結果、目の前で騎士が血塗れになって死んだ。
アリーシャには咄嗟に何が起こったのか理解できなかった。
仰向けに倒れた騎士の目が「なぜ?」と訴えているように見えた。
この時になって初めて、アリーシャは自分の魔法が他人の命を握っているという事実を認識した。
すると、それまで当たり前にできていたことができなくなった。
完璧に記憶しているはずの呪文が頭から飛び、詠唱の途中で何度も噛んだ。シールドを展開するタイミングもわからなくなり、挙句の果てには見当違いの場所に魔法を発動させたりもした。
それでも騎士達は己が使命の為にと、魔法の成否などおかまいなしにモンスターに挑んでいく。
待って、お願い――。
そんな悲痛な叫びも届かない。
焦れば焦るほど、負の連鎖が止まらない。
アリーシャは何度も、何度も、魔法の詠唱に失敗した。
そしてその都度、人が死んだ。
もうわけがわからなくなっていた。
次もまた詠唱に失敗したら……。
それは、これまで生きてきて感じたことのない恐怖だった。
大切な何かが音を立てて崩れていく。
死んだ両親への想いも、冒険者への憧れも、なにもかもが吹き飛んでいた。
戦いの後、彼女の心に残っていたのは、底知れぬ恐怖と絶望だけだった……。
ぱさりと音がした。机に積み上げられていた紙の束が、窓からの風にあおられて床に散らばっていた。
ヨネサンはそれらを拾い上げつつ、アリーシャに視線を向けた。
すべてを語り終えた少女は下を向き、肩を震わせていた。
戦いは多くの犠牲者を出しながらも、アリーシャの活躍もあって騎士団が勝利した。領主や騎士達はこぞって彼女の魔法を称えたという。
だが、その時の彼女に喜びの感情が一切なかったであろうことは、その場に居なくても容易に想像できた。
わたしのせいでたくさんの人が死んだ――そう自分を責めたに違いない。
無論、彼女は悪くない。責を負うべきは敵の戦力を把握しないまま戦端を開いた領主と騎士団である。
しかし、そんな理屈を受け入れるには、アリーシャという少女はあまりにも純粋で優し過ぎた。救った命よりも救えなかった命に心が引っ張られてしまう。そういう性格なのは、これまでに見てきた人となりでわかる。
おそらく、その戦いにおけるアリーシャの魔法の成功率は五割にも満たなかっただろうとヨネサンは推測していた。それでも魔法を唱えなければ、もっと人が死んでしまう……それは使命感などではなく、脅迫に近いなにかだったはずだ。
ヨネサンは深くため息を吐く。
不運としか言いようがなかった。
アリーシャがただの駆け出し冒険者であれば、こんなことにはならなかった。己の無力さを嘆き、隅っこで震えているだけならどれだけよかったか。
ほとんどの人間は、小さな失敗と成功を繰り返しながら、少しずつ経験を積んで成長していく。
だが、圧倒的な才能が、そんな悠長な物語を紡ぐことを許さなかった。
彼女の魔法は無力どころか、窮地の騎士団を救うほどのものだった。華奢な両肩に、その場にいた全員の命が預けられていたのだ。何の覚悟もできていなかった少女が背負うにはあまりに重すぎる責任……。
いくら特別な才能があるといっても、心まで特別なわけではない。なんといっても、アリーシャはまだ十代の少女なのだ。
ヨネサンには少女にかけるべき言葉が思いつかなかった。
それどころか、心を占めていたのは同情などではなく憤りだった。
目の前の少女は、ヨネサンが喉から手が出るほど欲している才能を持っていながら、それを朽ち果てさせようとしているのだ。
許せるはずがなかった。
だったらその才能を寄こせ。そう叫びたかった。
無論、そんなこと言えるはずがない。
だが、自身の才能のなさを嘆き、仲間に愚痴を零しているだけの人間に何が言えるというのか。
ふと、ヨネサンの脳裏にダイアナとシェルファの顔が浮かんだ。
常に冷静沈着で心優しいダイアナ。天真爛漫で自信家のシェルファ。彼女たちは今のアリーシャと同じような恐怖を抱いたことはないのだろうか。
ないはずがなかった。様々な経験を積み、恐怖を乗り越えてきたからこそ、今の彼女たちがあるのだ。
「……人の命を背負うことが恐ろしくなりましたか?」
気が付けば、ヨネサンは少女に問いかけていた。
「誰かを守れるような人間になりたいというあなたの望みが、そんな簡単に実現できるようなものではないと、思い知ったのではありませんか?」
アリーシャはなんの反応も示さない。唇を噛み、下を向いたままだ。
「たしかに
誰もが英雄になれるわけではない。
そして、誰もが強く生きられるわけではない。
「――ですが、私はこうも思うのです。自分のミスが人の命を奪ってしまうかもしれない……その恐怖を知ったからこそ、あなたは
初めてアリーシャが顔をあげた。
ヨネサンはその顔をじっと見つめながら、言葉を続ける。
「以前、仲間の
「……」
「人の命を背負うことに何も感じなくなれば、たしかに楽になれるかもしれません。ただ、私はそんな人間に自分の命を託したいとは思えません。あなたは恐怖に囚われながらも、命を守ろうと最後まで魔法を唱え続けた。それは決して誰にでもできることではありません。あなたはきっと良い
そのとき、ヨネサンの脳裏にリアムから言われた言葉が、すっと浮かんできた。
「大切なのは、あなたがどうしたいかです。私からはもう、あなたを無理に誘うつもりはありません。ですが、もしあなたがまだ冒険者に……
結局、アリーシャは最後まで何も言わなかった。ただ両手で顔を覆い、声もなく泣き続けている。
ヨネサンは手にした紙に視線を落とした。
そこには試行錯誤を繰り返したであろう実験記録がびっしりと書き込まれていた。
目の前の少女は、いったいどんな想いでこれを書いていたのだろうか。
頼れる師も仲間もおらず、来る日も来る日も、この部屋でたったひとり……。
並大抵の想いではできなかったはずだ。
だから、彼女はきっと再び立ちあがる。そう信じることができた。
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