第10話 盾の少女

 翌日の昼過ぎ、ヨネサンはアリーシャとの待ち合わせ場所に向かった。村はずれの森の入口にある大きな木がそれだ。

 アリーシャの師である薬師の家は、その森に入って少し歩いた場所にあるのだという。人目につかない森の中というのがいかにも魔法士らしいが、単に薬草が採れる場所が近いほうが便利だからという理由なのかもしれない。

 陽射しを避けるように木陰で待っていると、しばらくしてアリーシャが息を弾ませながらやってきた。


「ごめんなさい。お待たせしてしまって」


 畑からここまで走ってきたのだろう。アリーシャは胸に手を当てて懸命に息を整えている。その胸元が汗で少し透けているのに気付いて、ヨネサンは慌てて視線を逸らした。


「私もついさっき来たばかりですからお気になさらず。それよりも貴重な休憩時間にわざわざすみませんね。途中で抜けてきて大丈夫でしたか?」


「はい、大丈夫です。それよりもあの……他の方は?」


 アリーシャが辺りをきょろきょろと見回しながら尋ねてきた。


「シェルファ達なら自警団の詰め所の方に行ってます。ほら、昨日あなたにぶつかってしまった大柄な戦士がいたでしょう。彼が村の若者に声を掛けられたみたいです。なんでもモンスターとの戦い方を教えてほしいと頼まれたとかで……」


 お人好しのリアムがそれを断るはずもなく、そんな彼にシェルファがくっ付いていくのもごく自然な成り行きである。てっきりライザールはこっちに来るかと思ったが、根が寂しがり屋なので、にぎやかな方を選んだようだ。


「そうですか……」


 そう答えたアリーシャの声は、どことなく沈んで聞こえた。

 そこでヨネサンは己の迂闊さに気付く。昨日会ったばかりの男と二人きりで森に入るなど、若い娘なら警戒して当然だろう。せめてシェルファだけでも連れてくるべきだったと後悔するも、今さらである。

 ただ、アリーシャの表情は特に不安を抱いているようには見えなかった。どちらかと言えば、がっかりしているように見える。

 ふと、ヨネサンは昨日アリーシャがリアムとぶつかったシーンを思い出した。あの時の反応から、ある仮説が浮上する。思いついたら確かめずにはいられないのは魔法士の職業病みたいなものである。


「ひょっとして、残念に思ってます?」


 途端にアリーシャの目が丸くなった。


「えっ!? な、なにがですか?」


「いえ、てっきり彼がいないことにがっかりしたのではないかと思ったもので」


「そ、そんなことはぜんぜんありませんから! たしかに立派な戦士様だなとは思いましたけど、別にそんな……」


「えっと、私が言っているのはライザールの方なんですが」


「――っ!」


 アリーシャの顔がたちまち真っ赤になった。

 ライザールがこの場にいたらさぞ憤慨したことだろう。

 からかわれたのだと気付いた少女の恨みがましい視線が突き刺さる。

 ヨネサンは苦笑しながら「すみません、冗談です」と謝った。そして率直な疑問を少女にぶつける。


「ひょっとしてリアムと知り合いなのですか?」


 アリーシャは例によって両手をぶんぶんと振った。


「違います違います。私が一方的に知っているだけです」


「やはりレニゴールの絶対守護者のメンバーだから、ですか?」


 アリーシャは少し恥じらうように、こくりと頷いた。


「人々の為に自ら盾となってモンスターに立ち向かう戦士リアム様は、わたしの憧れなんです。……昨日のあの戦士様がリアム様なんですよね?」


「そうですよ」


「やっぱりそうだったんだ……」


 アリーシャが嬉しそうに両手の指先を合わせる。どうやら昨夜のライザールの洞察は正鵠を射ていたようだ。

 レニゴールの街ではカイルが絶大な人気を誇っているので、アリーシャくらいの年頃の女の子でリアムのファンというのは珍しいが、人の好みはそれぞれである。

 パーティに入れば彼と仲良くなれますよ。そんな言葉が喉まで出かかったが、ヨネサンは自重した。そんな浮ついた理由で加入してくれるなら、昨日の時点で楽に説得できていただろう。


「さて、あまり時間もないことですし、さっそく向かうとしましょうか」


 少女を促して森へ入る。

 五分ほどでたどり着いた薬師の家は、予想していたよりもおんぼろだった。

 魔法士の中にはゴーレムを使役して立派な屋敷や塔を建てたりする者もいるが、どうやらアリーシャの師はそういうタイプではなかったらしい。

 それでも外観と違い、中は綺麗に整理整頓されていた。どこからどう見ても薬師の部屋といった内装で、大きな作業台の上に薬研やげんやすり鉢といった器具が置かれ、周囲には保管用と思しき壺がいくつも並んでいる。

 素材の類は種類や採取した日付ごとに棚にしっかりと分けて置かれていることから、家主の几帳面な性格が見て取れた。


「ここの管理はあなたが?」


「はい」


「村長はあなたが魔法を学んでいたことはご存知だったんですか?」


「……魔法のことはずっと隠していました。伯父が知ったのは、わたしが領主様に協力を申し出た時です」


「それはさぞかし驚かれたでしょうね」


「はい。そのあと、ものすごく叱られました」


 それはそうだろう。それまで普通の子だと思っていた姪がいきなり魔法が使えると言い出し、挙句の果てにモンスター討伐に赴くと言い出せば、誰だって驚くし、叱ってでも止めようとするだろう。それが実の娘のように育ててきた子となれば尚更である。


「わたしがお師匠様のところに出入りすることが許されていたのは、お師匠様の後を継いで薬師になると思われていたからです。お師匠様の薬草は村では重宝されていましたから……」


 薬師という肩書がちょうどいい隠れ蓑になっていたということなのだろう。

 アリーシャが薬師としての勉強を続けているのは、室内の様子を見てもわかる。それと並行して魔法を習得したというのだから、たいした努力家である。


 それからヨネサンは「好きに見てください」というアリーシャの言葉に甘え、壁際にある書棚に向かった。一通り背表紙を確認してみたが、ほとんどが薬学関連のもので、魔術書の類は見当たらなかった。


「魔法に関するものは、あっちです」


 そう言われて案内されたのは、部屋の奥まったところにある机だった。物置スペースとして使われているのか、ここだけ周辺に棚や物が置かれており、上手い具合に入口からは見えないようになっていた。

 机の上には小さな書棚以外に大量のノートや紙の束が乱雑に積み上げられている。

 ヨネサンは書棚の本を一冊抜き取り、ぱらぱらとページを捲る。基礎的な魔法理論について書かれた書物だった。次いでノートと紙の束に素早く目を通す。


 とりあえず、わかったことがいくつかある。

 まず、アリーシャの師はさほど優秀な魔法士ではなかったということだ。

 おそらく魔法学校を途中で放校処分になった可能性が高い。ノートには魔法理論のごく基礎的なことしか書かれておらず、おまけにいくつか間違っている箇所もあった。

 ただ、弟子想いの師だったのだろう。とても丁寧にわかりやすく、しっかりと系統だてて知識を残している。このノートのおかげで、アリーシャは師の死後も魔法を学ぶことができたのだ。


 そして、乱雑に積み上げられた紙の束……ノートと字体が違うことから、これらはアリーシャが書いたものだろう。

 内容は魔法の実験結果を残したものだった。量を見ただけでも、恐ろしいほどの試行回数を重ねてきたことがわかる。ただ、知識不足のせいで無駄が多く、ほとんどの実験が失敗に終わっていた。

 それでもアリーシャがトロールの攻撃を防ぐほどのシールド魔法を習得できたのは、持って生まれた才能と、ひたむきに努力を重ねた結果だろう。

 ただ、一点だけ気になることがあった。


「アリーシャさんはシールド魔法以外の魔法を使えますか?」


「き、基礎的な回復魔法くらいでしたら……」


「それ以外の魔法は?」


 アリーシャは申し訳なさそうに首を横に振った。

 やはりだ。彼女はシールド魔法以外の魔法をまともに扱えないのだ。

 驚くべきことに、紙の束に書かれていた内容のほぼすべてがシールド魔法に関するものだった。まるでそれ以外には興味がないと言わんばかりである。その情熱は、少々常軌を逸しているようにも思えた。


「あなたはシールド魔法に並々ならぬこだわりがあるようですが、なにか理由があるのでしょうか?」


「えっと……誰かを守るための力が欲しかったんです」


 少女の声は小さかったが、言葉には力があった。


「わたしが小さかった頃、両親と一緒にレニゴールへ向かう馬車に乗っている途中で、モンスターに襲われたことがあるんです……。その時、両親はわたしを庇ってモンスターに殺されました。わたしだけ助かったのは、たまたま通りすがった冒険者に助けてもらったからです。その冒険者はモンスターを倒して、放心状態だったわたしを背負って村まで連れて行ってくれました。今わたしがこうして生きていられるのは、両親とその冒険者に守ってもらったおかげです。だから、わたしも誰かを守れるような人間になりたいって……」


「それでシールド魔法、というわけですか」


「お師匠様からシールド魔法のことを聞いた時、これだって思ったんです。この魔法をマスターすれば、わたしもあの時の冒険者のように誰かを守れるようになる。その為の力が手に入る……そう思ったんです」


「なるほど、そういうことでしたか」


 ヨネサンはもっともらしく頷いてみせたが、さほど感銘は受けていなかった。

 守ってくれた両親への感謝と、助けてくれた冒険者への憧れ……。

 アリーシャが語った過去はこの地で暮らす者にとって珍しい話ではない。特に冒険者のような死と隣り合わせの職業を志す者には、多かれ少なかれ家族や友人、恋人などをモンスターに奪われたといった過去が付きまとっているものだ。

 非力な少女が力を手に入れる手段として魔法が候補に挙がるのも自然な流れだろう。そのなかでも守ることに特化したシールド魔法は、彼女にとってまさに理想的な魔法と言えた。


 ヨネサンはあらためてアリーシャを見た。

 これまでのやり取りから、彼女が思い込みの激しい性格なのは、なんとなく察することができる。その性格からもたらされる愚直な努力を圧倒的な才能が支えたことで、シールド魔法に特化した歪な魔法士が誕生した。

 ありえない話ではないが、もたらされた結果は奇跡の範疇に片足を突っ込んでいた。これで正しい知識を学び、修行を重ねたらどこまで伸びるのか、考えただけでも末恐ろしい。

 この少女は間違いなく本物だ――ヨネサンはそう結論付けた。


「アリーシャさん、率直に申し上げると、私はまだあなたのパーティ加入を諦めていません」


 少女の目が驚いたよう見開かれる。


「で、でも、わたしはシールド魔法くらいしかまともに――」


 遮って、ヨネサンは一気に捲し立てた。


「あなたには魔法の才能があります。それもただの才能じゃない。極上の才能です。ただし、このままこの村に留まっていても、その才能が開花することはないでしょう。誰かを守れるような人間になりたい……あなたのその望みが叶うことは絶対にないと断言できます」


 アリーシャは悔しそうに下を向いた。誰に指摘されるまでもなく、独学の限界は彼女自身が一番よくわかっているはずだ。


「我々のパーティはレニゴールでも屈指の実力を誇るパーティです。当然、それに相応しい実力を持った一流の魔法士が在籍しています。それに拠点には、こことは比べ物にならないほどの高度な魔術書だってたくさんあります。我々の下で正しい知識を学べば、あなたは間違いなく一流の魔法士になれるでしょう」


 そしてヨネサンはひときわ言葉に力を込めた。


「あらためてお願いします。この地で暮らす人々を守るためにも、我々と共に戦ってはくれませんか?」


 アリーシャはすぐには答えなかった。

 ようやく顔をあげた少女の瞳は、悲嘆の色に染まっていた。


「ごめんなさい……やっぱり、わたしには無理です……」


 彼女がそう答えるであろうことを、ヨネサンは予想していた。

 本題はここからなのだ。

 誰かを守るために戦いたいという意志は確実に彼女の中にある。そしてそれに相応しい才能も持ち合わせている。なのに、なぜ頑なに拒否するのか。


「あらためて理由を教えてくれませんか? 私にはどうしてもあなたが冒険者になることを嫌がっているようには見えないのです」


「それは……」


「先日のトロール討伐の一件ですか?」


 アリーシャの肩がわずかに震えた。

 やはりだ。その戦いで彼女の心をへし折るような何かがあったのだ。


「こう見えても私は五年近く冒険者をやっています。魔法についても十年以上研鑽を積んでいるので、多少なりともアドバイスできることがあるかもしれません。あなたが何に思い悩んでいるのか、話してみてはくれませんか?」


 逡巡の間があった。

 やがて少女は、ゆっくりとその胸の内を語り出した。



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