第9話 劣等感

 夜、ヨネサンはベッドでうとうとしているライザールに「ちょっと外の空気を吸ってきます」と告げて外へ出た。

 落ちている木の枝を拾い、先端に魔法の光を灯す。月明かりのおかげで歩くのに不自由はないが、念のためである。

 足元を照らしながら足早に村の外へ向かう。

 本当に散歩するわけではない。万が一、トロールの襲撃があった場合に備えて村の周囲に侵入者検知の結界魔法を施すのが目的だった。

 やっていることは昼間のリアムと似ているが、動機はまったく異なる。ヨネサンにとって村はどうでもよく、あくまでもパーティに危険が及ばないようする為の予防措置だ。わざわざ夜を選んだのは、人目について妙な勘違いをされては困るというのと、暗い方が集中力が増すというつまらない理由である。


 夕食時にリアムから村周辺の地理については聞いていたので、モンスターが侵入してきそうな場所を回って結界魔法を施していく。複雑な魔法ではないので、作業にはそれほど手間はかからない。

 余裕がある分、頭の中は別のことを考えていた。

 ヨネサンの思考を占拠していたのは、やはりアリーシャのことだった。


 計測器が示したアリーシャの魔力値は『四〇八』。

 四〇〇を超えたのはライザール以来、二人目だ。本物どころか、とんでもない逸材である。仲間に加わってくれればパーティの戦力は大幅に強化されるだろう。

 これまでのやり取りから、アリーシャが冒険者という職に対して悪感情を抱いていないのはわかった。むしろ強い興味を抱いていると言っていい。

 自ら志願して討伐軍に協力するほどだから、人の為に戦える優しさと勇気を持ち合わせているのも間違いないだろう。

 仲間になる条件は完璧すぎるほどに揃っている。

 だが、アリーシャはパーティに加入することを拒否した。

 理由も「とにかく無理」の一点張りだ。


 気になったのは、勧誘直後に彼女が怯えたような様子を見せたことだ。

 トロールとの戦いを経験し、モンスターの恐ろしさを知ったからだろうか。

 そうは思えなかった。モンスター相手に手も足もでなかったのならばそうなるのもわかる。しかし、彼女の魔法は通用した。それも周囲を驚かせるほどに、だ。

 実際、彼女の発言は自身の能力の否定ばかりで、モンスターに対する恐怖は一言も口にしていない。

 では何に怯えているのか。

 それを知ることが、彼女を仲間にする必須条件に思えた。

 だからこそ多少強引でも、もう一度会う約束を取り付けたのだ。


 ただ、アリーシャと出会ってから――正確には今回の件を引き受けてからずっと――瘴気のような黒い靄が自身の心を覆っていることに、ヨネサンは気付いていた。

 アリーシャに仲間になってもらいたい。その気持ちに嘘偽りはない。

 しかし、心の内のすべてでもなかった。


 心を覆っている黒い靄の正体……それは嫉妬だ。

 アリーシャが持つ才能に嫉妬しているのだ。

 魔法学校時代から自分の能力が平凡であることはわかっていたし、当時から特に気にしていなかった。

 しかし、カイルのパーティに入り、才能豊かな仲間たちと出会い、共に戦っていくなかで気持ちに変化が生じた。

 最初に抱いたのは劣等感。次いで仲間に置いていかれるという焦燥感。それらの感情は時が経つにつれて徐々に大きくなっていった。


 そして、二年前の霜の巨人ガジールとの戦いでそれが一気に表層化した。

 ヨネサンの攻撃魔法はガジールにまったく通用しなかったのだ。なんとかなったのは、イスタリスが足りない分の火力を補ってくれたからだ。

 あの戦いはメンバー全員が己の力不足を認識した戦いでもあった。そのおかげか、誰からも足手まといだとは指摘されなかった。

 ただ、指摘されなかったというだけで事実はなにも変わらない。


 あの戦いの後、パーティはライザールを仲間に加えた。そして今度はアリーシャを迎え入れようとしている。

 もし次に彼らに比肩しうる才能の持ち主が現れたら、九人目としてパーティに入れるのだろうか?

 そうはならないだろう。パーティは八人が限界というのがカイルとの共通認識だ。これ以上人数を増やせば二つのパーティを運用するのと変わらなくなり、単独パーティであるメリットが失われてしまう。

 ではどうするか。

 簡単だ。パーティ内で最も不要な人材を切って、枠を空ければいい。

 その不要な人材が誰になるかは、考えるまでもなかった。


 ――ヨネサン、俺はここで満足するつもりはない。もっと上を目指す。君もそのつもりでいてくれ。


 出発前にカイルから言われた言葉が脳裏に蘇る。

 次はお前を切る――あの発言にはそんな意味が込められていたのではないか。

 カイルはそんな遠回しな言い方はしない。それはわかっている。

 だが、今のヨネサンにはどうしてもそれが真実のように思えてならなかった……。




 すべての作業が終わったのは二時間後だった。

 ヨネサンは鬱々とした気分のまま村長の家に戻る。玄関の扉を開けようとしたところで、裏手から何かを振り回すような風切り音が聞こえてきた。

 もしやと思い行ってみると、案の定、そこには上半身裸で黙々とメイスを振っているリアムの姿があった。おそらくかなりの時間そうしていたのだろう。全身が汗だくである。いついかなる時でも鍛錬を怠らない。そのストイックさこそが彼を最強の盾役タンクたらしめているのだ。


「精がでますね」


 ヨネサンは無意識に声を掛けていた。

 自分の行動に驚くが、今は誰かと話したい気分でもあった。

 リアムは一瞬だけ手を止めるも、素振りをやめたりはしなかった。

 無視されたとは思わない。彼は普段からそうなのだ。なんだかんだで五年近くの付き合いである。個人的に親しくしていなくても、共に戦う仲間としての信頼がある。なので勝手に話を続けることにした。


「新しい回復役ヒーラー候補を見た感想は?」


 返事はすぐに返ってこなかった。規則正しい素振り音を十回ほど響かせたところで、ようやくリアムは口を開いた。


「ほんの一瞬見ただけだ。感想を求められても困る」


「第一印象だけでも」


「……小動物みたいな子だったな」


 まったく同じ印象を抱いた身としては苦笑せざるを得なかった。


「話をした感じでは、素直で真面目な良い子でしたよ」


「そうか」


「興味なさそうですね」


「そんなことはない」


 嘘つけ、と心の中で突っ込みを入れる。


「実際のところ、今回の件、あなたはどう思っているんです?」


 それが一番知りたいことだった。


「どうも思ってない。俺はカイルが決めたことに従うだけだ」


「それにしたって、盾役タンクとして何か意見くらいあるでしょう」


「カイルがお前に任せると言ったんだろう? なら俺は口出ししない」


 予想通りの回答だった。

 リアムは滅多なことでパーティの運用には口を出さない。ただ黙々と己の為すべきことを実行する。シェルファが「ゴーレムみたい」と揶揄するのも、決して見た目に限った話ではないのだ。

 ただ、本物のゴーレムと違うのは、リアムが鋼のように強固な意志でカイルと共にいるということだ。

 カイルは決してリアムを特別扱いしないが、ふたりが唯一無二のパートナーであることはメンバー全員が知っていた。


「……彼女は本物ですよ。魔力だけならライザールにも匹敵します」


「そうか」


「これは何気に凄い事ですよ。世界中を見渡しても、あれほどの魔力を持つ魔法士が二人も在籍しているパーティは存在しないでしょう。彼女が加われば、パーティはさらなる飛躍を遂げられるはずです」


 そこでようやくリアムは素振りを止めた。

 静かな目が真っすぐヨネサンに向けられる。


「その割にずいぶんと浮かない顔だな」


 思わぬ言葉に、心臓が跳ねた。


「……そう、見えますか?」


「見えるというか、お前が俺に話しかけてくるなんて滅多にないことだからな」


「……」


「俺の勘違いならそれでいい」


 ここで「なにかあったのか」と聞いてこないあたりが、いかにもリアムらしい。それでいて広い背中からは拒絶の意思はまったく感じられない。

 リアムならば、ここで行われた会話を他人に言いふらしたりは絶対にしない。そんな信頼感が、ヨネサンに心の手綱を緩めさせた。


「……私は時々疑問に思うんですよ。なぜカイルは私をパーティに引き入れたんだろうってね」


 パーティに勧誘してきたとき、カイルはヨネサンの持つ理論や知識が有用だからだと言ってくれた。だが、それらはすべてパーティに還元し終えている。カイルならば、ヨネサンがいなくても十分に有効利用していけるだろう。

 つまりヨネサンはとっくに用済みのはずなのだ。


「私よりも優秀な魔法士なんていくらでもいる。私を切って新しい魔法士を仲間にした方がパーティの戦力強化にもなるはずです。それがわかっているのにそうしないのは、私の実家が王都でも有数の商会だからじゃないですか? 私をパーティに誘ったのだって、最初から実家の支援が目当てだったと言われた方が納得がいきます」


 口にしていて情けなさが込み上げてきた。だが、やめろという意思に反して、言葉は濁流のごとく口を突いて出てくる。


「私から見たパーティメンバーは、全員がとんでもない才能の持ち主です。ひとりひとりが強い輝きを放っている。けど、私は違う。魔法士としての能力は平凡で、それは数値を見ても明らかです。言うなれば、たくさんの宝石の中に石ころが一個混じっているようなものだ。このままいけば、いずれ私はパーティについていけなくなる。あなただってそう思っているんじゃないですか?」


 言い終えた途端、ヨネサンの胸に激しい後悔の波が押し寄せてきた。

 自分はいったい何をやっているんだ。これは本来カイルに直接言うべきことだ。そうしないのは、彼の口から真実を聞くのが怖いからだ。

 リアムはなにも答えない。呆れているのか。それとも関心がないのか。表情からは、その心の内を読むことはできなかった。


「……すみません、今のは聞かなかったことにしてください」


 あまりの居たたまれなさに、ヨネサンは背を向け、立ち去ろうとした。


「――お前はどうしたいんだ?」


「えっ?」


「仮にお前の言ったことが事実だったとして、お前はどうする? 腹を立ててパーティを辞めるのか?」


 リアムの問いに、ヨネサンは咄嗟に答えられなかった。


「お前が自分をどう評価しようがそれは自由だ。だが、お前がこれまでにやってきたことの価値を決めるのはお前じゃない。周りの人間だ」


「……」


「不要だと思っている人間をパーティに置いておくほど、カイルは馬鹿でもお人好しでもない。あいつは自分のパーティに妥協はしない。お前だって知っているだろう」


 辛うじて、ヨネサンは頷いた。


「大事なのは他人の思惑ではなく、自分がどうしたいかだ。少なくとも俺はそう思う」


 そう言うと、リアムは再び背を向けて素振りに戻った。


 結局、ヨネサンはなにも言えないまま逃げるようにその場から立ち去った。

 部屋に戻り、自分のベッドにもぐりこんで頭から毛布をかぶる。

 情けなかった。

 お前だって宝石だ。そんな言葉を期待していたわけではない。それでも心のどこかで否定の言葉を求めていた己の浅ましさを見透かされた気分だった。

 起こるかどうかもわからない未来を憂いている滑稽な男の愚痴……。それに馬鹿正直に付き合い、フォローまでしてくれたリアムの優しさが身に染みる。シェルファが彼に想いを寄せる理由がわかろうというものだ。


 ヨネサンは毛布から顔を出し、大きく息を吐き出した。


「大事なのは他人の思惑ではなく、自分がどうしたいか……」


 口の中でリアムの言葉を反芻する。

 自分はどうしたいのだろうか。

 誘われるままパーティに加入し、流されるまま協力してきた。命を危険に晒し、劣等感に苛まれながらも冒険者を続けてきた原動力はなんなのか。これまで深く考えたことなんてなかった。

 父の期待に応える為?

 自分の理論の価値を証明する為?

 たしかに最初はそうだった。

 だが、今はどれも違う気がした。

 答えはすぐに出そうにない。ならば、今は己の為すべきことに集中しよう。少なくとも、己の仕事を全うできぬ者をカイルが必要としないことだけは確かだから。

 ヨネサンは目を閉じ、睡魔が訪れるのをひたすら待つことにした。


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