第7話 アリーシャ

「あ、あのぅ……すみません」


 か細い声とともに入室してきた少女を見て、ヨネサンはこの少女がアリーシャだと直感した。全身から魔法士特有のかすかな魔力の波動も感じる。


「あ、こちらの家の方ですよね? 騒々しくしてしまって申し訳ありません」


 ヨネサンが頭を下げると、少女は慌てたように両手を振った。


「いえっ、こちらこそ、ルカがお邪魔しちゃってるみたいで、すみません」


「気にしないでください。ああ見えて彼女は子供と遊ぶのが好きなんですよ。なんせ精神年齢が近いですから」


 ヨネサンはルカ少年と遊ぶシェルファの方を見ながら、にこやかに笑ってみせる。

 効果があったのか、少女は少しだけ緊張を解いたようだった。


「失礼ですが、あなたがアリーシャさんですか?」


 その問いに、少女は驚いたような顔をした。


「どうしてわたしのことを?」


「村長から伺いました。我々のことは村長から?」


「あ、はい。ついさっき聞きました」


「では、我々がこの村に来た理由も?」


「え? いえ、聞いてません。伯父さ――村長からは旅の途中で立ち寄った冒険者の方々だとしか……」


 どうやら村長は勧誘目的で来たことを伝えてはいないようだった。


「失礼、先に名乗るべきでしたね。私はヨネサン。あっちでルカくんと遊んでいるのがライザールとシェルファです。あともうひとりいるのですが、今はちょっと席を外しているので、機会があればあらためて紹介します」


 名を呼ばれたライザールは妙にカッコつけたポーズで「よろしく」と言い、シェルファは器用に精霊を操りながらにこりと微笑んだ。


「ア、アリーシャです」


 少女が丁寧に頭を下げた。

 ヨネサンはあらためてその姿を観察する。

 亜麻色の髪に青い瞳。鼻の周りには少しそばかすが残っており、あどけない顔立ちと華奢な体つきとが相まって十七歳という年齢より幼く見えた。


「ルカくんは弟さんですか?」


 とりあえず無難な話題から入る。


「いえ、違います。えっと、わたしから見て父さんのお兄さんの子供の子供だから……そういう場合は、なんて呼べばいいんでしょう?」


 少女が首をかしげながら問いかけてくる。


「さて、咄嗟にはでてきませんが、ようするに村長のお孫さんですよね?」


「そうですそうです。でも、わたしにとっては弟みたいなものです」


 そう言ってアリーシャは柔らかく微笑んだ。その屈託のない笑顔から、彼女にとってこの家や村での生活に大きな不満がないことが伝わってくる。


「とりあえず、立ち話もなんですから座りませんか?」


 さりげなくテーブルの方へ誘導する。


「い、いえっ、ルカを連れてすぐに戻りますから」


 アリーシャはぶんぶんと手を振った。その仕草は臆病な小動物を彷彿とさせた。


「まぁそう言わずに。我々はレニゴールの街で活動する冒険者でして。『レニゴールの絶対守護者』と呼ばれているパーティなんですが、ご存知ありませんか?」


「えっ!?」と少女の目が驚きに見開かれる。


「し、知ってます知ってます! 単独パーティで次々と大型モンスターを討伐して、二年前には霜の巨人ガジールからレニゴールの街を守ったっていう、あの『レニゴールの絶対守護者』ですよね!?」


「え、ええまぁ……ずいぶんと詳しいですね」


 予想外の喰いつき具合にヨネサンは若干引いていた。

 その反応を見て、アリーシャも我に返ったようだった。


「ご、ごめんなさい、つい……。月に一度、レニゴールから行商人の方が来て、よくお話を伺うんです。こんな田舎だと街のことを知る機会ってあまりないですから……」


 そうは言っても、わざわざ冒険者の噂話を仕入れたりするくらいだから、よほど興味があるのだろう。大人しそうな見た目に反して、この少女は思いのほか好奇心が強い性格なのかもしれなかった。


「それで、その……本当にあの『レニゴールの絶対守護者』なんですか?」


 少女が上目遣いで問いかけてくる。


「証明できるようなものはありませんが、そうです」


「す、すごいです……」


 純度の高い尊敬の眼差しが眩しかった。

 ふと視線を感じて顔を向けると、ライザールが実に不服そうな顔でこちらを見ていた。自分だって使ってるじゃん。目がそう言っていた。

 なんにせよ、少女がパーティに好感を抱いてくれているというのは、交渉する上で有利な材料と言えた。


「あれ? でもたしかレニゴールの絶対守護者は七人パーティだったような……」


 少女の疑問にヨネサンは苦笑する。


「本当に詳しいですね。ちょっと事情がありまして、来たのは四人だけなんです」


「そうだったんですね。けど、そんな有名な方々がどうしてこの村に……あっ、ひょっとして西の山に出たモンスターを退治する為に来てくださったのですか?」


 今度は期待のこもった視線が向けられた。


「残念ながら違います。実は今、我々のパーティは新しく仲間になってくれる回復役ヒーラーを探していましてね。この村に凄腕の魔法士がいるという噂を聞いて、それで訪ねてみたわけです。なんでもその魔法士は強力なシールド魔法で領主様の危機を救ったとか……」


 少女の肩がビクッと震えた。


「そ、それって……」


「そうです。あなたのことです、アリーシャさん。我々はあなたをパーティに勧誘しにきたのです」


「わ、わたしを……?」


「いかがでしょう。もしあなたにその気があるのでしたら、我々の話を聞いていただけませんか?」


 すると少女は、なぜか後ずさった。表情からは先ほどまでの興奮が消え失せ、まるで何かに怯えているようだった。


「わ、わたしは、その、無理です。冒険者なんてとても務まりません。あなたのおっしゃっていた領主様の件も、大げさに伝わっているだけで、わたしはぜんぜん、そんな大したことなんてしていません」


「なにもすぐに答えを出す必要はありませんよ。まずは我々の話を聞いて、その上でゆっくりと考えてから決めればいいのです」


「で、でも、本当に無理なんです」


「村長――伯父さんに反対されるからですか?」


「それもあります……」


 つまりそれだけではない、ということだ。


「では、やはり西の山に現れたというトロールが関係しているのですか? あなたがいなくなれば、この村を守れる者がいなくなる。それで村から離れられないと?」


「そ、そういうわけでは……。とにかく無理なんです。わたしにそんな凄い力はありません。それに、これから収穫で忙しくなるので、とても村を出て冒険者になるなんて考えられません」


「失礼ですが、能力のあるなしはこちらで判断させてもらいます。待遇についても相応のものをお約束します。少なくともあなたが抜けた分の労働力を補うのに十分すぎる額にはなるはずです。パーティへの加入時期だって、なにも今すぐというわけではありません。なんでしたら収穫が終わってからでも構いません。大切な仲間になるのです。あなたの要望には可能な限り応えるつもりでいます」


 ヨネサンは一気に言い終えると、精一杯、安心させるように微笑んだ。

 しかし、アリーシャからの返答は期待していたものと真逆だった。


「ごめんなさい……」


 少女は深々と頭を下げた。誰かに言わされている、という感じはしない。間違いなく彼女自身の言葉だった。


「……わかりました。残念ですが、こちらとしても無理強いをするつもりはありません」


 そう伝えると、少女は露骨にほっとしたような顔になった。

 無論、言葉通りに諦めるつもりはない。誘ったけど断られました、で終わっては、さすがにカイルに会わせる顔がない。


「――それはそれとして、個人的にあなたにとても興味があるのですが」


「えっ!?」


 アリーシャがびっくりしたように大声をあげた。その過剰な反応に、ヨネサンは言葉の選択を誤ったことに気付いた。


「すみません、誤解を招くような言い方でしたね。私は独自に魔法理論の研究をしておりまして、あなたが扱う魔法にとても興味があるのです。もしよろしければ、いくつか質問をさせていただきたいのですが……」


「え、で、でも……」


 アリーシャは先ほどからしきりに扉の方を気にしていた。おそらく村長から会ってはいけないと釘を刺されているのだろう。それでもこうして顔を見せにきたことが、少女の好奇心旺盛な性格を物語っていた。


「二、三質問するだけで、そんなに時間は取らせません。あなたの勧誘に失敗した挙句、このまま手ぶらで帰ったとあっては、私はリーダーに叱られてしまいます。助けると思って協力してもらえないでしょうか?」


「そ、そう言われても……」


「この通り、お願いします」


 両手を合わせて頼み込む。

 アリーシャの視線が遊んでいるルカの方へと向けられた。

 ルカ少年はライザールが幻覚魔法で作りだしたドラゴンとシェルファの操る光の精霊が繰り広げる決闘劇にすっかり釘付けになっているようだった。


「それじゃあ、少しだけでしたら……」


「ありがとうございます」


 ヨネサンは心の中でライザールとシェルファにも感謝した。気が変わらぬうちにとアリーシャに椅子を勧め、自分もさっさと席に着く。


「早速ですが、アリーシャさんはどなたから魔法を?」


 知っているが、あえて尋ねた。


「村に住んでいた薬師のおばあさんからです。ずっと昔に魔法学校へ通っていたことがあるとかで、基本はその人から教わりました」


「その方は、今は?」


「二年ほど前に病気で……」


 語られた内容は、ヨネサンが事前に読んだ資料の内容通りだった。

 アリーシャは亡き師が残した書物を頼りに独学で魔法を習得し、農作業の合間を縫って修練に励んだのだという。

 あらためて、信じられないという思いを抱く。

 魔法の習得はそんな容易いものではない。独学でマスターできるのならば、魔法学校の存在意義が失われてしまう。本当にこの少女は高度なシールド魔法が扱えるのか、そんな疑惑が浮かんでくる。


「もしよろしければ、実際にここで魔法を詠唱していただけませんか?」


 ヨネサンはストレートに要望を口にした。

 論より証拠。詠唱を見れば、その魔法士の実力はだいたいわかる。

 だが、少女は怯えたように首を横に振った。


「ごめんなさい……できません……」


「なぜですか?」


「それは……は、恥ずかしいですし……それにお師匠様から気安く人前で魔法を使ってはならないと言われているので……」


 明確な拒絶を示した割にふわっとした回答である。

 ただ、この件に関しては強引に迫るのは悪手に思えた。下手をすれば心証を悪くするだけだろう。それに、魔法士の才能を見極める方法は他にもある。

 ヨネサンは椅子から立ち上がると、ベッドの脇に置いてある背負い袋からひとつの魔道具を取り出した。


「では、せめてあなたの魔力値を測らせてもらえませんか?」



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