第3話 魔法士ヨネサン
ヨネサンの父トクゲンは、王都で活躍する商人のなかでも屈指の辣腕家として知られていた。
彼の家は元々魔法士の家系で、曾祖父の代に違法な魔法実験を行ったことで国を追われ、大陸の遥か東にある小さな島国からレニゴールの地に流れ着いた移民だった。
その後、生活苦から東方由来の魔道具を売ったことをきっかけに商売を始め、それが軌道に乗ると夢中になって金儲けに奔走し、気が付けば一族から魔法士がいなくなっていたという悲しき一族でもあった。
なので、トクゲンが魔法に興味を持ったのは、ある意味で必然と言えなくもない。幼いころから魔法に強い憧れを持っていた彼は、魔法士になることを夢見て日々努力を積み重ねた。
だが、残念ながらその才能が花開くことはなく、魔法士への道は志半ばにして絶たれてしまった。
やむなく家業を継いで商人となったトクゲンは、皮肉なことにそっち方面の才能には恵まれていた。桁外れの行動力と鋭い観察眼を邪気のない笑顔の裏に隠して多くの競争相手を出し抜き、さほど大きくなかった商会を王国内の各都市に支部を置けるほどの規模に成長させた。
「俺は商売に夢を見ていなかったからな」
人から成功の秘訣を問われると、彼は面白くなさそうにそう答えたものである。
商人として成功を収めたトクゲンだったが、魔法士への憧憬の念が消えることはなかった。
そこで彼は不完全燃焼に終わった自身の夢を、子に託すことにした。
その方法は、誰もが眉をひそめるようなものだった。
最初の妻と死別すると、金に物を言わせて魔法の素質がありそうな女性を選んで結婚し、次々と子を産ませていったのである。倫理的な問題や、そこに愛情があるかどうかなど、彼にとっては些末なことだった。
そんな歪んだ努力の結果、四番目の妻が強い魔力を宿した子を産んだとき、トクゲンは狂気乱舞したという。
こうしてヨネサンは、トクゲンの十三番目の子としてこの世に生を受けた。
父の期待を一身に受け、生まれながらに魔法士になることを義務付けられた彼は、生活のほぼすべてを魔法の勉強に捧げることになった。高額な魔術書を買い与えられ、一流の家庭教師も付けられた。
が、肝心の本人には、あまりやる気がなかった。
彼が興味を抱いたのは魔法ではなく商売だった。幼いころから日常的に商館に出入りして父の辣腕ぶりを目の当たりにしてきたのだから、当然といえば当然である。
父トクゲンは魔法は操れなかったが、数字を誰よりも巧みに操る男だった。
「数字を通して世界を見ろ」
それが父の口癖だった。どのような現象も数字を媒介することで、先入観やしがらみに囚われることなく俯瞰的に見られるようになる、ということらしい。そのくせ父は客相手に都合の良い数字だけを見せて思考を誘導するという手法をよく使っていた。
数字そのものは決して人を騙さない。
だが、人は数字を使って他人を騙す。
主観を客観に見せかけ、相手を意のままに操る父の姿を通して、ヨネサンは数字というものに魔法以上の魅力を感じるようになっていた。
無論、そのことを決して口に出したりはしなかった。たとえ歪んでいたとしても父の愛情は本物であり、裏切りたくなかったのである。
ヨネサンは父から言われるがまま勉学と修行に打ち込み、十二歳で見事に魔法学校の入学試験に合格すると、晴れて魔法士への第一歩を踏み出した。
だが、魔法への関心が薄い者が通用するほど、魔法学校は甘くなかった。
魔法はただ魔力があれば扱えるというものではない。膨大な理論を学び、繊細な魔力操作を身につけて初めて詠唱が可能となる高度な専門技術だ。
魔法学校の生徒たちは、魔法への強い情熱と、それに見合った才能を併せ持つ者ばかりで、ヨネサンが凡人の海に沈むのに一月と掛からなかった。
魔法学校は卒業まで最短でも六年かかり、半数以上の生徒がその間に「才能なし」の烙印を押されて学校を去ると言われている。
ヨネサンは入学からわずか半年でその烙印を押されかけていた。
もし放校となったら父が悲しむだろう。いや、悲しむ程度で済めばまだマシで、新しく子を作るなどと言い出されたらたまったものではない。ただでさえ十三人もいる兄弟間で将来の遺産分配を巡る牽制が始まっているのだ。さらに競争相手が増えようものなら、余計ややこしいことになる。
そんな強迫観念から、ヨネサンは仕方なく本腰を入れて魔法の習得に励んだ。必死に魔法理論を頭に叩き込み、魔力操作を向上させるべく試行錯誤を重ねた。
そんな努力の甲斐もあって、落第点すれすれの成績ながらも、なんとか魔法学校に身を置き続けることができた。
その過程で意外な発見もあった。
それは、数字と魔法には親和性があるということだった。
特に
魔法という見えない力が生み出す現象を、わかりやすく数値化する。入学して二年経つころには、ヨネサンはすっかりその魅力に憑りつかれていたのである。
多くの生徒が魔法の威力や精度を高めることに必死になるなか、ヨネサンは数字を魔法に活かす為の研究に勤しんだ。当然、周囲から奇異の目で見られたが、気にせず我が道を行った。
そうして魔法学校で過ごす日々のなかで悟ったのは、「結局のところ才能がすべてを凌駕する」という救いのない現実だった。
何年も地道に研鑽を続けても、才能ひとつで簡単にひっくり返される。数字を通して見ることで、より一層それを強く思い知らされた。
特に二学年上に在籍していたイスタリスは、その象徴ともいえる存在だった。
ヨネサンが何百回と失敗を繰り返してようやく習得した魔法を、彼は一度見ただけで完璧にものにし、針の穴を通すような精密な魔力操作も苦もなく実行してのけた。「どうしてそんなことができるのか?」という周囲の疑問に対しては、「これくらいコツを掴めば誰だってできるだろう」と平然と嘯く、まさに才能の塊のような男だった。
この頃になると、ヨネサンも自分の才能に見切りを付けていた。
上を見ればきりがない。魔法学校を卒業し、正規の魔法士になりさえすれば父も満足だろう。そう割り切って己の研究に没頭し、誰にも需要のなさそうな論文を書いては教師にも呆れられた。
そうして月日は流れ、二十歳になったヨネサンは無事に魔法学校を卒業する運びとなった。八年掛ったが、それでも卒業生の平均より少し遅いくらいである。
卒業後のことはあまり考えていなかった。それなりに使えそうな魔道具を作って売り、それを元手に商売でもするか。そんな進路を漠然と考えていた。
そんなある日、ヨネサンの元にひとりの男が訪ねてくる。
男は冒険者を名乗り、信じられないことに「君の書いた論文を読んで感銘を受けたので、ぜひともパーティに加わってほしい」と言ってきたのだ。
なんの冗談だと、ヨネサンは最初まともに相手をしなかった。
だが、男はしつこかった。世界一の冒険者パーティを作るという子供みたいな夢を熱っぽく語り、執拗にパーティに加わるよう要請してきた。
その男こそ、カイルだった。
ヨネサンは彼の異常なまでの熱意にほだされ、少しずつ話に耳を傾けるようになった。
話のなかで、イスタリスとダイアナという魔法学校ではもはや伝説となっていたふたりの卒業生がパーティメンバーだと知って驚いた。
魔法士の進路といえば、王宮魔法士か、研究機関の研究員か、貴族の家庭教師というのが一般的であり、冒険者はそれらの職に就けなかった落ちこぼれがなるもの、というのが世間の認識だからだ。
この男のパーティは、それほどのものなのか。
俄然興味が湧いた。
だが、同時に疑問も抱く。
他にも優秀な魔法士などいくらでもいるのに、なぜ自分なのか。
その疑問に対するカイルの回答は、ヨネサンの心のど真ん中を見事に射抜いた。
「上を目指すには力だけでは駄目だ。誰よりも速やかに、効率よくモンスターを討伐する必要がある。君の論文にはその為に有用だと思える事柄がいくつも書かれていた。君はパーティに唯一無二の価値をもたらしてくれる存在だと、俺は思っている」
魔法ではなく、頭脳を求められた。
才能ではなく、研究が認められた。
ヨネサンはカイルのパーティに加入することを承諾した。
てっきり反対すると思われた父は、意外なことに諸手を挙げて賛成してくれた。こと魔法に関しては実利ではなく浪漫を求める人間だったようで、我が子が魔法士として派手に魔法を使ってモンスターを討伐する姿が見たいと、涙ながらに熱く語ったものである。
こうしてヨネサンは冒険者になった。
冒険者としての日々は、決して順風満帆なものではなかった。
モンスターとの戦いは恐怖の連続で、幾度となく命の危険に晒された。
ただ、実戦で得られる経験とデータは、研究室にこもっていたら決して手にすることのできない貴重なものばかりだった。
ヨネサンは戦闘で収集したデータをパーティに惜しみなく提供し、時にはカイルと共に戦術を考え、画期的な連携をいくつも生み出した。生きたモンスターが相手である以上、思い通りにいかないことの方が多かったが、その都度情報を更新し、翌日にはより洗練された戦術を提案することで、パーティ内での地位を確立していった。
リーダーのカイルも決して口だけの男ではなかった。戦闘では冷静な状況判断で的確な指示を出しながら、目にも留まらぬ剣技でモンスターを圧倒した。そして、類まれなリーダーシップを発揮して個性的なメンバーをまとめあげ、数年でパーティを『レニゴールの絶対守護者』と呼ばれるほどに成長させた。
そんなカイルに引っ張られ、時に引きずられながら、ヨネサンはパーティの
自室に戻ったヨネサンは、さっそく手紙の中身を確認した。
父トクゲンは定期的に手紙を寄こす。
一方の息子は三回に一回返事をすればマシという、親不孝者である。
冒険者になることを反対しなかったことからもわかるように、父は冒険者となった息子を応援していた。
その応援とは精神的なものだけでなく、物質的なものも含まれていた。
父は商会長という立場を存分に活かし、パーティに必要な装備品や道具類を格安で提供してくれているのだ。ちなみに現在拠点として使っている館も父に紹介された物件である。
送られてくる手紙の内容は装備品や道具の紹介ばかりで、息子の体調を気遣うような文言がないのがいかにも父らしい。
今回の手紙も似たような内容だったが、込められている熱量がいつもと違った。
手紙には、およそ百年前、魔神との戦いが激化していた時代に作られたと思しき『弓』が手に入った、と書かれてあった。やたらと勢いのある文字から、父の興奮度合いが伝わってくる。
強い魔力が付与された弓から放たれる矢は、遠く離れたオーガの首をも吹き飛ばすと言われている。その分扱いは難しいが、使いこなせれば大きな戦力になるだろう。
とはいえ、今のパーティに弓を扱う者はいない。
後衛職は全員が魔法士だし、
「父さんもパーティの編成くらい知ってるだろうに……」
知っていても紹介したくなるほどの逸品ということなのだろう。
ヨネサンはため息をひとつ吐いてから、手紙を机の引き出しにしまった。そして棚の背負い袋を手に取り、そこへ旅に必要な物を詰めていく。
その作業が終わる頃には、手紙のことはすっかり頭の中から消えていた。
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