第二十四話 苦境

 客室で座っている短髪の少年の姿。佐那は廊下から大きく手を振った。

「吉平! 久しぶり!」

「佐那こそ元気だったか!」

 吉平は立ち上がると、待ちきれないといった様子で客室から廊下を歩いていた佐那へと駆け寄ってきた。彼女の手を握り、ぶんぶんと上下に振る。文福が呼びに来たお客というのは、『玉楼』の見世番であり、義賊でもある吉平だった。

「よかった……って、なんか目元が赤くないか? 風邪でも引いたか?」

「き、気のせいじゃない?」

 あはは、と朝顔の花柄模様の着物に着替えた佐那は笑って誤魔化す。ついさっきまで死にそうなほど落ち込んだり、笑ったりと忙しかった。涙も流れた。化粧で隠せばよかったのだろうが、火急の用事ということで、準備もそこそこに出てきたのだ。

「いや、絶対赤い……はっ、もしかして!」

 吉平の視線が、佐那の背後に立っていた幸庵へと向いた。怒りを孕んだ声で問い詰める。

「佐那に何をしたんだ。許さないぞ?」

「私のせいにされるとは心外だねえ。『玉楼』に私の潔白を示すために預かっているのだよ。丁重に扱っているに決まっているではないか」

「……信じられないな。佐那、本当か!?」

 佐那の肩を掴んでぐらぐらと揺さぶってくる。その力は痛いぐらいだ。

 こんなにも仲間に心配されている。佐那は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「痛いって! あたしは大丈夫だから。お店の人はみんな親切だし、幸庵も指一本……その、あたしが嫌がるようなことはしない」

 指一本触れてない、と言いかけて直前のことを思い出して口籠ってしまった。冷静でいようとしても、頬が赤くなってしまった気がする。

「佐那……?」

 吉平の視線が余計疑惑にまみれてしまった。慌てて佐那は断言する。

「本当だってば!」

「そんな赤い顔して説得力ないんだけど! って、もしや……幸庵に手籠めにされたのか? 幸庵、許さねえ……」

「ちーがーうーっ!」

 盛大なる勘違いに佐那の悲鳴が屋敷に響き渡る。まあ、文福が来なければ危なかったが、そんな事実は心の中の蔵へと放り込んだ。

「あたしがそんなタマじゃないの知ってるでしょ!? はぁ……でも、ちょうどよかった。あたしからも話があるの。だから、さっさと部屋に戻る!」

 吉平に回れ右をさせて、その背中を押して客室へ入る。三人座り、文福がお茶を持ってきたところで、佐那は切り出した。

「それで、用事って何……」

「まずは佐那のほうから。本当に無事だって信じさせてくれ」

 頑なな表情を見て、佐那は小さく息を吐いた。

 だが、これは先に話した方がいいかもしれないと思い直す。己の貞操の証明よりも、もっと大切な話だ。幸庵へ視線を向けると、問題ないよ、といったように彼が頷いた。

「あのね、吉平。驚かずに聞いて欲しい」

 佐那は一つ間をおいてから、ゆっくりと話し始めた。

 この屋敷の主である幸庵はあやかしであること。高利貸しの噂は嘘で、それだけでなく高安から聞いた情報も嘘であったこと。そのおかげで大丸屋が苦境に陥っている……等々。佐那は今日までに知り得た情報を、包み隠さず――自分が幸庵に命を救われたのも含めて――吉平へと話した。

「そんな馬鹿な……」

 ショックを受けたように吉平は呟く。特に大丸屋の件は、越後屋が流した偽情報だというのが信じられないようだ。

「あたしも信じられなかったけど、この目で見た大丸屋さんは、あくどい商売をするようには見えなかった。それに、奉行所から越後屋が目を付けてるのも事実みたい」

 佐那は姿勢を正すと、畳に両手をついた。額を畳にこすり付けるようにして懺悔の言葉を口にする。

「ごめんなさい。あたしのせいで……間違った情報で『朝顔』を動かしてしまった。罰はいくらでも受ける」

「ば、馬鹿っ! 佐那だけのせいじゃないだろ」

 慌てて吉平が近寄り、佐那の肩を掴んで顔を上げさせた。

「そもそも、越後屋のあの失礼な高安にそんな知恵があるわけがない。きっと背後で旦那あたりが操ってたんだ。騙されたのは佐那だけじゃない。オレも間違って……」

「だからこそ、もっと慎重に精査すべきだったと思う」

 少し俯き加減に佐那は唇を噛んだ。

「たしかに高安……越後屋の若旦那に、あたしは不愉快な目に遭わされた。だけど、だからといって情報の精査を疎かにしちゃいけなかったの。あと一歩、あたしが冷静だったら……左近様から『朝顔』を追い出されても文句は言えないよ」

 悔しくて、またもや目から涙が溢れ出そうになる。吉平がそんな佐那の目元を、袂から取り出した手ぬぐいで拭った。

「――まあ、私としては」

 のんびりとお茶を啜りながら、二人の姿を眺めていた幸庵が口を開く。

「佐那が『玉楼』から暇を出されてくれたほうがいいのだがねえ」

「オレたちは家族なんだ! 左近様はそんなことはしない!」

 吉平がきっ、とばかりに幸庵を睨む……が、すぐにその声が小さくしぼんでしまった。

「しない……はず……」

「ど、どうしたの、吉平?」

 意外にも弱々しい反論に佐那は眉をひそめた。これは涙を見せている場合ではないと気を引き締める。

 吉平は唇を曲げてしばらく黙り込んでいたが、やがて意を決したように居住まいを正すと、今度は彼が幸庵と佐那へ頭を下げ訴えかけてきた。

「こんなこと、頼めた義理じゃないのは分かってるけど、オレたちを……左近様を助けてはくれないか!」

「えええっ……!」

 まさかの展開に、さすがの幸庵も驚いて目を丸くしている。これはよほどのことが起きている。

「……吉平でしたね。話してみなさい」

 一番最初に立ち直ったのは幸庵だった。のろのろと上がった視線が佐那と幸庵を交互に見るも、すぐに畳へと落ちた。そのままポツリポツリと話してくる。

「ここのところ、左近様が無茶ばかりするんだ」

「無茶なこと?」

 佐那の問いかけに吉平が頷く。

「ああ。金庫を力づくで壊そうとしたり、警備の厳しい大店に狙いを定めたり……前も本当に危なかったんだ。仲間があとちょっとで捕まるところで、見回りの同心が間抜けだったから助かったけど」

「たしかに左近様らしくはないけど、でも、いつも予定通りにことが運ぶわけじゃないよね? 想定外の出来事ってよくあるし……」

「それだけじゃないんだ!」

 冷静な佐那の指摘に被せるようにして吉平が語気を強めた。

「夜、左近様の部屋から不気味な音がするって、『玉楼』の女達が噂しててな。気になってオレもこっそり覗きにいったんだよ。そしたら、左近様は一人で畳の上に正座して、ぶつぶつ怖い顔で呟いてるんだ。恨みを晴らすとか、許せないとか、力を取り戻したら覚えていろ……とか。何かに憑りつかれてるんじゃないかと思ったんだ」

「……それで、あたしのところに来たのね」

 佐那は『朝顔』の中で唯一、陰陽師としての力を持っている。左近の様子を見て欲しいということだろう。『玉楼』の女達だけならば勘違いということもあるだろうが、吉平の目撃情報は明らかに尋常ではない。

 腕を組んでどうしようかと考えていると、吉平が「これ……」と二人の前にべっ甲の櫛を置いた。

「これは前に忍び込んだときに、左近様が盗んだ櫛なんだ」

「おやおや、これは。やはりそちらにあったのだね」

 今まで黙って話を聞いていた幸庵が初めて反応を示した。

「何度か左近様を注意して見ていたんだけど、ぶつぶつ呟いているときは、決まってこの櫛を膝の上に置いていたんだ。何か秘密があるんだろ?」

 佐那は櫛を手に取ってつぶさに調べた。すぐにあることに気付く。

「……一本欠けてる?」

 櫛の歯が一本だけ短くなっていた。根元からではなく、先端がほんの少しだけ。だが、それを見逃すような佐那ではない。

「私にも見せてごらん」

 差し出してきた手に櫛を乗せる。幸庵は櫛を何度か裏返して、他に傷がないか確かめてから言った。

「鈴姫からもこの櫛の話は聞いていたのだけどね。大方、予想通りの場所にあったということだ。ううむ、しかしこれは……」

「もしかして……あたしたちが壊しちゃった?」

 嫌な予感がして佐那は訊ねるも、幸庵は「そうではないよ」と首を横に振った。

「これは初めから欠けていたのだよ。前の持ち主が乱暴に扱ったみたいでね。可哀そうに、付喪神へ成る直前に欠けてしまった。そこから力が流れ出てしまって成れなくてね。だから、これは人間に恨みを持っていたのだよ。左近殿に憑りついてしまった可能性が高いね」

「どうしてそんな危険なもんを置いてるんだよ!」

 佐那の話から、ここがあやかし屋敷だと聞いた吉平が詰め寄った。

「付喪神になりかけていたからこそだよ。これが力を溜め直して付喪神になれば、まず最初に襲うのは人間に決まっている。それを止めるのは私たちの役目だからね」

「だったら、それを先に教えてくれよ!」

「吉平、落ち着いて!」

 食ってかかる吉平を佐那は宥めた。頭に血が上り過ぎていて冷静に物事を捉えられていない。

「それは、ほら……あたしたちも忍び込んだ側だし」

「むぐぐっ……」

 吉平は唇を歪めてぐうの音も出ない。佐那は幸庵へ向き直った。

「間違って屋敷に忍び込んだあたしたちに、お灸を据えるために、今日まで放っておいたってこと?」

「いや、それは少し違う。さすがにそのような危険な真似はしないよ」

 幸庵は首を横に振って佐那の疑念を否定する。もう一度、櫛に妖力が残っていないのを確かめてから自分の膝の上に置く。

「実はね、佐那に怪我を負わせたのは、左近殿に憑りついたであろう、この櫛のあやかしなのだよ。あのときも、左近殿を操っていた」

「え……」

 無意識に佐那は、己の胸に手を当てた。傷は塞がっているが、今も身代わりになってくれている人形の胸の穴は消えていない。

「そのときに、私は滅したつもりだったのだが……これはしくじったようだ。確認もそこそこに、瀕死の佐那のほうを優先したからね。ああ、佐那はそんな顔をするのではないよ。何よりも君が優先すべき私の目的だったのだから」

 佐那の脳裏にあの夜の情景がありありと蘇る。

 背格好は左近に似ているように思えた。だが、ただの人間があのようなあやかしの気配を纏うわけがない。そう考えてあやかしだと断定していた。しかし、付喪神になりかけのあやかしが憑りついたとなれば話は変わってくる。

「そういえば、あの夜の左近様からは血の臭いがしたんだ」

 小さく肩を震わせながら吉平が呟いた。

「戻ってこない佐那を、見たことがないくらいに焦って心配してた。いや、何だか恐れているようだった。翌朝、幸庵から手紙が来たときは、ものすごく安心してて……。それは、佐那が無事だとわかったからだと思ってたんだけど」

 あやかしに憑りつかれながらも、意識のどこかで佐那を手にかけてしまったのを感じていたとしたら。それが、幸庵の手紙で、己の妄想だったということからの安心感だったとしたら……。

「そう……だったのね」

 佐那の中で、様々なことが一本の線に繋がった。それと同時に、左近に憑りついたあやかしを何とかしないと、いずれ左近だけでなく『玉楼』全体の問題になってしまうことも、容易に想像がついた。

「幸庵、どうしたらいいのかな? あたし、左近様を助けたい」

 佐那の問いかけに、ふぅむ、と幸庵は顎を撫でた。

「左近殿がここを訪れたときは、あやかしの気配はなかった。ということは、相手もかなり用心しているということだね。簡単には尻尾を出してくれないだろう」

 左近に憑りつきつつも、普段は用心深く身を隠しているということだ。正面突破では失敗してしまう可能性が高い。

「吉平や。左近殿は外で無茶をすることがあるという話だったね。きっとそれは、妖力の強いものを探して、失った妖力を取り戻そうとしているのだよ。どこか、次に義賊の仕事をする予定はないかい? そのときに罠をかければいけるかもしれない」

「いくらなんでもそれは……」

 渋面を浮かべる吉平だったが、別の何かを思い出したように手を打った。

「そうだ! 左近様が越後屋の宴に招かれてるんだ。オレと『玉楼』の女達も同行するんだけど、そのときとかはどうかな?」

「ちょっと、待って吉平。越後屋さんに呼ばれたの? どうして?」

 反射的に佐那は口を挟んでいた。左近一人が赴くならまだ理解できる。『玉楼』の女達まで連れて行くなんて話、今までに聞いたこともない。

「……そういや、そうだな」

 佐那は嫌な予感しかしない。『玉楼』と『朝顔』。この二つは注意深く切り分けていた。『玉楼』でも佐那達の裏の仕事を知らない者もいるくらいだ。

「高安……なのかもしれない」

「何かあったのか?」

 吉平からの問いに、佐那はこの屋敷であった高安とのいざこざについて説明した。あれから佐那が化け物だという噂が近隣で流れたが、もしかすると越後屋の主人は高安の言い分を信じたのかもしれない。

「あたしが『玉楼』にいたのは隠しようもない事実だし。あたしに大丸屋の情報を流した後に、大丸屋は襲撃された。何か勘付いているのかも? そうじゃないとしても、あたしは高安に恨まれてる。それを種にして『玉楼』の評判を落とそうとしているのかも」

「それは、考え過ぎじゃないか? ……いや、しかし」

 佐那を気遣ってようとしたのか、吉平は笑い飛ばそうとするも、腕を組んで眉間に皺を寄せてしまった。何かしら『玉楼』にとってよくないことが起きようとしている。それだけは確信したようだ。

「越後屋ねえ……しかし、越後屋か」

 幸庵も難しい顔で呟いた。

「このべっ甲の櫛はね、元を辿れば越後屋にあった櫛なのだよね。『玉楼』に越後屋の気配が残っていたのなら、むしろ左近殿に憑りついたあやかしが、そのように仕向けたのかもしれないよ」

「それは……もう、決まりじゃない?」

 櫛のあやかしは左近を通して、越後屋に復讐を遂げようとしている。それならば、左近のおかしな行動にも説明がつく。

「証拠はないのだがね。動く価値はあるね」

 幸庵の言葉に佐那は力強く頷いた。

「吉平。その日はいつなのかな? 今から左近様と『玉楼』を救うために準備しよう。いいよね、幸庵」

「もちろんだとも。佐那のお願いを私が断れるわけがない。それに、これは私の犯した失策でもあるからね」

 いつになく真剣な瞳で幸庵も同意する。

「佐那も、幸庵も……すまねえ」

 吉平はありがたいとばかりに、もう一度深々と頭を下げた。

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