第二十二話 真実を知る

(――やっぱり、見て見ぬ振りなんてできない!)

 暗い天井裏。音を立てないよう、そっと羽目板をずらすと、下の様子が見えた。幸庵と大丸屋の二人が座っており、ちょうど文福がお茶を出したところだった。

 あれから、佐那は大急ぎで自室へ戻ると、着物から動きやすい忍び装束へ着替えていた。無為に過ごしていたわけではないので、屋敷の構造は全て把握できている。自室から天井裏に上り、そのまま客室へと移動した。

 あからさまに佐那を外しての密会。義賊としてはこの情報を逃すわけにはいかない。高鳴る心臓を深呼吸で鎮め、下で行われている出来事に耳を傾ける。

「こちらはどうでしょうか」

 大丸屋の旦那が出したのは、見事な白無垢の着物と、唐物と思しき壺や茶碗。どの品物も一目見ただけで、かなりの品だとわかる。

「これは……本当によろしいのですか?」

 着物を手に取った幸庵が、驚いたような声を上げる。こっそり覗いていた佐那も同様に驚いていた。着物の方は祝言をあげたときの衣装だろう。

「はい、よろしいのですよ。これで皆にお給金を払うことができるのであれば。むしろ、前回のお金がまだ返せていない中でのこのお願い。浅野屋さんは受けてくれるだろうか?」

「質草があれば私としては構いませんよ。ですが……このような思い出の品。立ち入ったことを聞くようですが、やはり苦しいのですか?」

「恥ずかしながら、世間を騒がす義賊。彼らに入られてから店の評判が落ちてしまいましてねえ」

 それはもちろん佐那達のことだ。『朝顔』が店や屋敷に忍び込むのは、金目の物を奪うことだけが目的ではない。『朝顔』は少数精鋭。金目の物を全て盗んでいくわけにはいかない。むしろ、狙った者が溜め込んでいる量からすれば、それほど痛くないかもしれない。

 しかし、義賊として確立した『朝顔』の世間からの名声。その義賊から狙われたとなれば、世間からの評判はガタ落ちする。商売をする者にとっては、金品を盗られるよりも痛いはずだ。

「真っ当な商売をしていたつもりなのですが、まさかうちに入られるとは想像もしていませんでした」

 あはは、と弱気に微笑む大丸屋の旦那。

(真っ当な……って、嘘ばっかり。越後屋さんから聞いたんだから!)

 佐那は心の中で憤慨する。あの越後屋のにっくき高安から、貞操の危機まで晒して得た情報なのだ。大丸屋こそ嘘八百を並べようとしているのではないだろうか。

「まあ、この大丸屋も大店として、様々な場所で取引をしている店です。強引な取引も身に覚えがないわけではありません。どこかで不興を買ってしまった輩がいたのでしょう」

 悲し気に目を伏せる大丸屋の旦那に、幸庵は首を横に振った。

「私はそうは思っておりませんよ。最近、うちへ来た娘への着物を幾つか頼みましたが、どれも素晴らしい品でした。そちらも商売が苦しいはずなのに、安い金額でよいと仰ってくださる」

「ああ、噂は聞いておりますよ。『玉楼』から引き取ったのでしたっけ? 利発で可愛らしい娘だとか。先ほど少しだけ拝見しましたが、確かに噂通りだ。新しい門出を祝うのに、高い銭を受け取らないで本当によかった」

(いや、あたし、引き取られたわけじゃないし!)

 噂に変な尾ひれがついてしまっている。小声でツッコミを入れながらも、佐那はどこか違和感を覚えていた。

 大丸屋の旦那には、裏でこそこそするような人間特有の、どこか後ろ暗い影を背負っているような雰囲気がない。それどころか、常に柔らかい表情を崩さず、腰の低い男だという印象がある。それは店の暖簾をくぐった時から感じていた。越後屋の旦那の顔も佐那は知っているが、働く先を選べるのであれば、大丸屋の方を選んでしまいそうだ。

 幸庵は煎餅を大丸屋の旦那に勧めると、自分も一つ取った。苦々し気に口元を歪めながら、ばりっとかじる。

「実際のところ、私は越後屋さんが大丸屋さんを陥れたのではと思っておりますよ」

「ほほう。いつもは温厚な幸庵殿が、そのような顔をするとは」

「何しろ引き取った娘……佐那を、化け物扱いにするような噂を流してですねえ。私の商売の邪魔でもするつもりだったのでしょうか」

「その噂はこちらも聞きましたな。さすがに荒唐無稽すぎて、信じる者は誰もおりませんでしたが」

 くすくす、と笑う大丸屋の旦那。そのおかげで高安ときっぱり縁が切れたので、佐那としては複雑なところだ。

 大丸屋の旦那は穏やかに幸庵の意見を窘めた。

「商売敵を陥れるのは常套手段とはいえ、証拠がありませんでしょう」

「証拠ですか……」

 幸庵は飲もうとした湯呑みをお盆に置いた。何やら迷っているようだったが、袂から書状のようなものを取り出すと、大丸屋の旦那の前に広げた。

「どうやら、町奉行も目を付けているらしい。越後屋は勘定奉行に賄賂を配り、運上金や冥加金を安く済ませているようだよ」

 大丸屋の旦那はしばらくその書状を穴の開くほど見詰めていたが、信じられないといった様子で顔を上げた。

「これは……本当なのでしょうか」

「やはり、大丸屋さんには回っていませんでしたか。越後屋に関する情報を集めていると、町奉行から密かに頼まれたのですよ。私の店も越後屋さんと取引がありますからねぇ」

「こちらの店に回って来ないのは、理解はできるのですが……」

 強く握りしめた大丸屋の旦那の拳が小さく震える。

「他の店を悪くは言いたくない……ですが、これはわたしも薄々感じていた通りだ……。どうしてこの店に『朝顔』は入らなかったのか……いえ、いけませんね。わたしとしたことが、恨むような発言をしてしまった」

「大丸屋さんの気持ちは、私もよくわかっ……」

 ――がたん。

 手元で鳴った音に、佐那は反射的に羽目板の隙間を戻していた。はっ、と息を呑んだ拍子に、潜んでいた彼女の手元で音が鳴ってしまったのだ。

「誰かいるのですか?」

 しまったと思う間もなく幸庵の声が聞こえた。それから逃げるようにして佐那はその場を素早く立ち去る。幸いにも人を呼ばれる気配はなく、「鼠でもいたのですかね」と、遠くで声がした気がした。

(そんな……っ)

 佐那は自室へ逃げ込むなり、ペタンとその場に座り込んでいた。口元を覆い、悲鳴を上げそうになるのを何とか耐える。

 そんなことはない、絶対にない、と必死に自分を納得させようとする。間違っていたなんてあり得ない。

(でも……)

 越後屋と大丸屋は同じ木綿問屋であり商売敵でもある。越後屋の方が老舗だが、大丸屋は飛ぶ鳥を落とすかの如き勢いで成長してきた。佐那達が大丸屋へ忍び込む直前は、越後屋の方の売り上げが落ちていたという話も聞いていた。

 もしも――もしも、越後屋が自らの売り上げを守り、ライバルを蹴落とすために、大丸屋が悪事を働いているという悪い噂を流していたのだとしたら。あのお調子者の若旦那は、佐那が積極的に情報を流してくれると考え、彼女へちょっかいをかけていたのだとしたら……。

 もちろん、情報を鵜呑みにすることはなく、裏取りはしていたつもりだった。大丸屋に対しても情報収集をしたつもりだったが、片方の言い分だけに偏っていた面はなかっただろうか。

(もしかして、間違っていた?)

 だとしたら自分の責任だ。自分が情報に踊らされてしまった。自分のせいで罪のない人に苦労を背負わせる羽目になってしまった。

「……うえぇっ……」

 嫌なものが喉をせりあがって来て、佐那はその場に突っ伏した。

 そんなはずはないと否定するも、大丸屋の印象や、幸庵が見せた書状、奉行所が密かに調べている……状況証拠は、佐那の方こそ間違っていたと断罪する。

(そんな、そんな……っ!)

 色んな感情がごちゃ混ぜになって、流れる何かで顔がぐちゃぐちゃになっていく。罪の意識で頭がどうにかなってしまいそうだ。

 佐那は部屋に一人伏せ、嗚咽を漏らし続けた。

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