五章 挫折と希望
第二十一話 怪しい客
佐那が二日酔いから復活して数日。相変わらず浅野屋は繁盛していた。右に左へと佐那は引っ張りだこ。
「佐那さぁ~ん。さっきのお客さんの印籠、どこへやりましたのぉ?」
屋敷の奥から鈴姫の声が聞こえてくる。佐那は帳場机の上に乗せていた印籠を片手に走った。
「ごめんごめん。まだあたしのところで止まってる!」
「ああ、よかった。また付喪神になってしまったのかと焦ってしまいましたわ」
「大丈夫だって! これは正真正銘、ただの印籠だから」
安心させるように伝えてから、鈴姫の手の上に印籠を置くと、近くからガッシャーンという派手な音が響いた。
「あーっ! 福太っ! またひっくり返してしまいましたね!?」
文福の悲鳴が上がる。どうした、と鈴姫と一緒にそちらへ向かうと、木箱が横に転がり様々な小物が散乱していた。佐那は慌てて転んでいた福太に駆け寄った。
「大変! ね、怪我はない?」
「お姉さん、ありがとうございますう」
切れて血の滲んでいた福太の指を、佐那は陰陽師の力で癒してやる。それが終わると、せっせと片付けている文福と鈴姫を手伝った。文福がペコリと頭を下げた。
「佐那様、お忙しいのに、すみません!」
「ううん。大きな怪我がなくてよかった。福太も慌てないように――」
――ね、と言いかけたところで、店の方から佐那を呼ぶ声。利康のものだ。
「嬢ちゃ~ん。台帳が無くなってしまってのう。新しい台帳を持ってきてくれんかね」
「あ、あたし、一冊持ってまーす!」
その場を文福達に任せて店の方へと走る。利康の座る帳場机の前に戻ると、胸元に持っていた一冊を彼の前に差し出す。助かったとばかりに拝まれて、佐那はエヘヘとばかりに頭を掻いた。
そんなこんなで場立ちのような午前中が終わり、少しだけ客が途切れる時間となる。佐那は利康に頼まれたものを台帳に記帳していた。
(あ~、忙し忙し)
最後の一行を記帳し終わると、佐那は疲れたとばかりに帳場机の上に突っ伏した。
(はぁ~……あたし、何やってんだろ)
手が空いた瞬間、我に返る。
すっかり質屋の仕事に馴染んでしまった気がする。もともと、屋敷のあやかしは佐那に対して好意的であったが、鈴姫との誤解を解いたことで、わずかに反発していたあやかしも全て佐那を迎え入れてしまった。
そして、佐那は浅野屋の看板娘として、周囲の人間にまで認知されつつあった。本来の目的は、浅野屋に忍び込むための『勉強』をするはずだったのに、これは一体どういうことだろう。
(高利貸しの質屋……か)
未だに浅野屋の横暴を見つけることは出来ていない。時たま法外な利息を要求するが、それは相手も佐那が『朝顔』として目を付けているような店や人物であり、心の中では「ざまぁみろ」と拍手喝さいを送ってしまう。
(見たくないな……)
いつしか佐那は、幸庵達が本当に真っ当な商売をしていることを願うようになっていた。世間で噂されているような高利貸しの証拠を見つけたくない。こんなにいい人達――もとい、あやかし達が悪事を働いているとは思いたくなかった。
(あたし、どうしちゃったんだろう)
そんな自分の気持ちの変化に戸惑っていると、「――もうし」と玄関から声が掛かった。
はっ、と顔を上げると、中年の男が浅野屋の暖簾をくぐっていた。にこにこと柔和な表情で佐那へ視線を向けている。
「こんにちは! 今日は何の御用でしょうか?」
はきはきとこたえながらも、佐那の心中は別のことを考えていた。
(この人……大丸屋の人だ)
佐那が義賊として忍び込んだことのある店である。主に木綿を扱う店で、この近辺では越後屋と並ぶ大店だ。だが、仕入れの値段を買い叩いていたり、お上に賄賂を贈り便宜を図ってもらっていたりという悪い噂が絶えない。
「これはこれは、大丸屋さん。お待ちしておりましたよ」
佐那が呼びに行く前に、幸庵が奥から姿を現した。大丸屋の旦那が丁寧に頭を下げる。
「幸庵殿、今日は無理を通してもらってすみませんねえ」
「いえいえ、困ったときはお互い様ですから。佐那、文福にお茶を奥の部屋へお持ちするように伝えなさい」
「はい! って、文福?」
最近は佐那の役目となっていたのに、文福が指名された。佐那が訊き返すと、幸庵は頷いてから続けた。
「あと、大丸屋さんとは大切な話だから、佐那は席を外すように」
「え……」
一瞬、ポカンと口を開けた佐那に、幸庵の叱責が響く。
「佐那、返事は?」
「あ、はい! すぐに」
弾かれたように佐那は立ち上がると、文福を呼びに奥へと走った。
(どうして……?)
今までこんなことは一度も言われたことはなかった。大切なお客も、勉強するといいよ、と一緒に話を聞いていた。あのような幸庵の厳しい表情も初めてだ。それほど佐那に隠したいものがあるのだろうか。
(まさか……)
高利貸しとして何か企んでいるのだろうか。とうとうその証拠が掴めるのかもしれない。
文福に声かけた後、佐那はあることを決意していた。
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