第二十話 二日酔い
「――うう~……頭が痛い……」
佐那は布団の上で二日酔いに苦しんでいた。胸のあたりがむかむかして、何度も吐きそうになる。彼女の背中をさすりながら、鈴姫が丸薬と湯呑みを差し出してくる。
「佐那さん。袖の梅をお持ちしましたわ」
「あ、ありがと……」
袖の梅とは、『玉楼』でもよく使われていた酔い覚ましだ。夜の店を生業とする者達にとっては御用達だが、まさか自分がお世話になるとは思ってもみなかった。
佐那と鈴姫が、徳利に飲み込まれてからの経緯は幸庵に聞いていた。
どうやら、幸庵も異変に気付いていたらしい。徳利が付喪神になりかけているのを発見し、佐那達の気配がその中にあるのも気付いた。二人を救い出すために、幸庵は外から様々な術を掛けていた。
更には、佐那が徳利の中で解放した己の力。癒しの力自体に効果はなかったらしいが、無意識のうちに錠前破りの方の力が働いていたらしい。それと、外からの幸庵の術が効いたのもあって、徳利の蓋が開いたのだった。時間的には間一髪で、佐那の決意が遅ければ、息が続かずにそのまま酒の底に沈んでいただろう。
外へ吐き出された時の佐那はたらふく酒を飲んでしまっており、酒に溺れたような状態となっていた。おかげで今日は、死んだほうがマシだと思えるほどの、強烈な二日酔いに悩まされている。
「う~……死ぬぅ……おぅえっ……」
胃の中の物を吐き出しそうになり、慌てて桶が前に差し出される。目覚めた時からずとこうで、もう吐き出すものもなくなってしまった。
「鈴姫は……あれだけ飲んだのに、どうもないの?」
何とか桶から顔を上げて佐那は訊ねる。どう考えても鈴姫のほうが飲んだ量は多いはずなのに、彼女はケロリとしている。
「あやかしはお酒に強いのですわ。わたくしでも一樽くらい余裕ですから」
「一樽……」
規格外の量に目が回りそうになる。同時に、あやかしと同じようには飲むまいと決意する。幾らもしないうちに酔い潰されてしまうのは目に見えている。
「――二人とも、気分はどうかい?」
桶を抱えて悶えていると、幸庵が部屋へ入って来た。二人の姿を見て微笑みを浮かべる。
「これはこれは、まるで姉妹のようじゃないか。騒動は大きかったが、二人の仲が良くなったのであれば、これは僥倖と捉えるべきだろうね」
「わたくしは、佐那さんを誤解していましたわ。それなのに身を呈してわたしを助けてくれましたの。この鈴姫、佐那さんに一生お仕えいたしますわ!」
「そんな、大袈裟よ」
酷い顔してるだろうなあ、と思いながらも佐那は何とか桶から顔を上げた。
「あたしだって鈴姫がそんな想いをしてただなんて知らなかったし。だから、お相子ってこと」
「おお、佐那さん。なんとお優しい」
よよよ、としなだれかかられ、哀れ佐那はそのまま布団の上に押し潰されてしまった。やはり鍵のあやかし。元が鉄だからかとても重い。
「鈴姫や。そのくらいにしておかないと、佐那が目を回してしまうよ」
ぐえええ、となりかけたところで、助け舟を出してくれたのは幸庵だった。はっ、となった鈴姫は、えづく佐那の背中をさする。
「あとは私が面倒を見ておくよ。鈴姫も疲れているだろうに。今日は下がって休みなさい」
「はい、幸庵様」
鈴姫は素直に下がり、部屋の引き戸を開けるたところで礼をする。
「それでは佐那さん。幸庵様とゆっくりお過ごしくださいませ」
余計な一言である。固まった佐那の身体を、幸庵が膝の上に抱き上げた。
「おやおや、顔が真っ赤だね。熱でもあるのかい?」
「ふ、二日酔いだからよ」
水に濡らした手拭いを額に当てられ、うひゃっ、とばかりに小さく首をすくめた。
今日だけは幸庵の腕の中から逃げる気力がない。彼の身体から発せられる妖力は佐那の身体に染みわたる。どうやら徳利の酒も妖力を持っていたようで、その効果を打ち消してくれているのだ。袖の梅よりもよっぽど効く。気分がどんどん軽くなっていくのが実感できる。
「本当に、佐那は頑張ったね」
慈しむように言われ、佐那は小さく肩をすくめた。
「幸庵こそ心配し過ぎよ……あたしなんかのために」
「君は自分を過小評価し過ぎだよ。君の力がなければ、鈴姫を救うことは出来なかっただろうし、君自身も助からなかったかもしれない」
「そんなことない。ただ……ただ、あたしは必死で」
あれ、どうしてだろう?
佐那は目の前の景色が歪んでいくのを戸惑っていた。何度目を擦っても歪んでしまう。二日酔いとはこんなものなのだろうか。
「鈴姫も、あの徳利も。救ってくれてありがとう。この屋敷のあやかしを代表して私が礼を言うよ」
「そんなこと……うっ……ふぐぅっ……」
どうして涙が出てくるのだろう。泣くところなんてどこにもないはずなのに。幸庵の大きな胸に自分の顔を押し付けるようにして、佐那は嗚咽を漏らした。
「怖かっただろう。恐ろしかっただろう? 恥じることはないのだよ。佐那はとてもよく頑張ったのだ。今はしっかりと泣くがいい」
幸庵の大きな手が背中に回り、何度も何度も優しく撫でてくれる。
(ああ……)
そこで佐那は、今日までどれだけ自分が気を張り詰めていたのかを自覚した。
周囲は見知らぬあやかしばかり。慣れぬ仕事に、敵対してくる者もいる。その中で未知の現象に巻き込まれ、何とか生還することが出来た。自分の精神状態はギリギリで、些細なことでぽっきりと折れそうになっていたのだ。
「幸庵……ずるい」
いや、折れてしまったのだと思う。幸庵の無条件の優しさの前に、いろいろな物がガラガラと崩れ落ちてしまった気がする。
「ふふふ。あやかしとは狡いものなのだよ。知らなかったのかい? 弱ったところへ、ここぞとばかりに襲い掛かる」
幸庵の両腕が佐那の背中に回り引き寄せられる。だが、言葉の内容とは裏腹に、彼の行動はまるで卵を扱うかの如き繊細さで、佐那の全てを包み込んでいく。
「言っておくけど……」
その中で顔を伏せたまま佐那は唇を噛んだ。
「あたし、まだ落ちてないから!」
それは、己に対する宣言のようなもの。
「分かっているよ。佐那は強い。この程度のことで、自分を見失ったりはしないよ」
全てを見透かしたかのような口ぶりに、佐那は拳で幸庵の胸を叩いた。
「あたしをものにしようなんて、百年早いんだから!」
「わかったわかった。私は百年でも待つから」
まるで赤子をあやすかのような優しさに包まれて、佐那は唇をきつく噛んで自分を律しようとする。
どうしようもなく大きくなってしまった、己の感情に戸惑いながら――
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