第十六話 消えた徳利

 ――要するに、話はこうだった。

 鈴姫は蔵の管理を一手に引き受けているあやかしだ。質草を整理し、お客が引き取りに来た時には、利康と協力してすぐに出せる状態にしておく。

 質屋が休みの日は、蔵の掃除だけでなく棚卸も同時に行っていた。鈴姫は利康と協力して蔵の総点検を行い、帳簿と内容が合致することにほっと一安心していたらしい。

 だが、事件は幸庵達が白夜の元に出かけた後に起きた。

 いつもは台所に置いていた徳利が、いつの間にか無くなっていたというのだ。幸庵や佐那が夕餉で使っている、あの徳利だ。

「――その娘が盗んだ違いありませんわ!」

 決めつけるような鈴姫に、佐那はむっと唇を曲げた。幸庵のおかげで檻からは出されたものの、鈴姫の逃がしては困るという強い意見で、後ろ手に鈴姫特性の手錠を掛けられていた。

「隠せるような大きさの徳利じゃないし。どうやって持って出たっていうのよ!」

「陰陽師の術でも使って、幸庵様を騙したに違いありませんわ!」

「無理よ無理! そんな都合のいい術はないし!」

 鈴姫の主張に、佐那は激しく反論する。

 佐那が得意としているのは錠前破りと、もう一つはここでは使っていないが、とてもあやかし討伐には向いていない術だ。戦闘では鼠の式神程度しか使えないし、そんな目くらましの術が使えるならば、落ちこぼれなんて呼ばれなかった。

「ふうむ、鈴姫や」

 腕を組んで話を聞いていた幸庵が問いかける。

「私たちが出るまでは、台所にあったのは間違いないのだね?」

「利康も見ていましたから間違いありませんわ!」

 話を振られた利康は、どちらかというと鈴姫の剣幕に弱り顔。

「じゃがのう……嬢ちゃんを台所では見なかったからの。それで疑うというのは難しかろうて。幸庵様も嬢ちゃんの側にいたことだしのう」

「で、でも! 仲間が忍び込んで……!」

 どうやら鈴姫は、どうしても佐那を犯人に仕立て上げたいらしい。義賊とそこら辺のコソ泥を一緒にしてもらっては困る。いい加減腹が立ってきた佐那は、ぼそりと呟いた。

「鈴姫こそ、何かの手違いで割っちゃったとかじゃないの? それをあたしのせいにしようとして……アイタタタッ!」

 ぎりぎり、と鈴姫が操るあやかしの手錠が手首に食い込んで、佐那は悲鳴を上げた。苦しむ彼女の前で、鈴姫が腰に両手を当てて見下ろしてた。

「幸庵様に忠誠を捧げているわたくしに何ということを。その両手、使い物にならなくして差し上げますわ!」

「やめなさい、鈴姫。佐那も今の発言はいけないね。二人とも、謝りなさい」

 折られるかと思ったところで、幸庵の手が手錠に触れると、一瞬にして痛みが引いていった。

「誰がこんな泥棒娘に謝るものですか!」

 屋敷が揺れんばかりに、鈴姫は強く足を踏み鳴らして不満を露にする。

 佐那はすっと剃刀のように目を細めて、鈴姫をねめつけた。やってもいないことを認めるわけにはいかない。

 一歩も引かない様子の二人を見て、諦めたように幸庵はため息を吐いた。

「この件は、一旦私が預かることとしよう。幸いにも骨董品としてそれほど価値のある徳利ではなかったしね」

「そんな! これはわたくしの問題。わたくしの不始末は、わたくしが解決すべきですわ! こんな泥棒娘など、締め上げれば一発で……」

 悲鳴のような声を上げて鈴姫が幸庵にすがりつく。そんな彼女を落ち着けようと幸庵は軽く背中を叩いた。

「冷静になりなさい、鈴姫。佐那はそんな甘い娘ではないよ。己の仕事に責任と誇りを持っているからね。それを守るためなら、進んで命を投げ出す覚悟のある娘だ」

 幸庵は、言外に佐那に何かしたら許さないと告げている。それに気付いたのだろう。悔しそうに鈴姫は更に地団太を踏んだ。

「覚えてなさいまし。いつか絶対に正体を暴いて差し上げますわ!」

 どしどし、と足音高く、鈴姫が奥の部屋へと下がっていく。

「あ、これ、佐那の手錠を……いやはや」

 幸庵が背後で妖力を籠めると、パキンという音と共に佐那の両手が自由になった。

「なに、あのあやかし!」

 佐那は痛む手をさすりながら毒づいた。

「敵対心を向けられるのは仕方がないね。佐那は初日に鈴姫の誇りを傷つけてしまったのだから」

「屋敷の警備担当だから……?」

「それだけではないよ。気付いていないのかい? 蔵の鍵は全て鈴姫が作ってくれているのだよ。高安の時はわざと簡単なものにしていたが、君は鈴姫自慢の錠前を破ってしまったからねえ」

「ああ……」

 鈴姫の耳に下がる和錠の耳飾りを思い出す。彼女は鍵の付喪神なのだろう。それを、ただの人間である佐那に破られたとなれば、それは怒りたくもなるだろう。幸庵からの信頼も損ねてしまったと考えるに違いない。

 尤も、それで「はい、そうですか」と佐那も納得は出来ない。誰に何と責められようが、自分はやっていない。

「ねえ、幸庵」

 不意に心配になって佐那は訊いた。

「もしかして、あたしのこと疑ってる?」

「安心しなさい。私は佐那の味方だよ」

 不安で見上げると、幸庵の右手が佐那の頭に伸びた。首をすくめたところに、よしよし、と大きな手が優しく彼女の頭を撫でた。

「そもそも、君には動機がない。あの徳利を盗んだところで、何もならないしね。それに、何かあれば真っ先に君が疑われるような状況で、騒ぎを起こすようなことはしないだろう? 周りは敵だらけ。下手をすればあっという間に三途の川を渡ってしまうよ」

 論理的に筋道を立てて説明されて、佐那はほっと安堵の息をついた。

(あれ、あたし……幸庵に信じてもらえて、ほっとしてる?)

 幸庵だけには疑われたくないと思っていた。彼に疑われていたら、精神的に崩れていたかもしれない。それを自覚して、自分の気持ちに戸惑ってしまう。

 いつの間にか幸庵の小袖の袖を強く握りしめていた。慌ててその手を離し、一歩距離を取る。興味深そうな幸庵の視線から逃げるように顔を背けた。なぜか頬が熱い。

「ほう。これはよい傾向だね」

 何がよい傾向なのだ。そんな目で見ないでほしい。心の中で憤慨していると、幸庵の表情が引き締まった。

「どちらにしても、早くこの事件は解決しないといけないね。私が何とかするから、佐那は気にする必要はないよ」

 その口調で、どうやら幸庵にも心当たりはないようだと知る。再び不安な思いに包まれ、佐那は少しだけ視線を落としたのだった。

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