第十五話 奮闘する佐那

「おーい、佐那や。無理はしなくていいのだよ」

「大丈夫ー!」

 埃っぽい屋敷の蔵の中。佐那は梯子から身を乗り出して右手を伸ばしていた。下では文福が梯子を支えてくれており、幸庵が心配そうに佐那を見守っている。

(あと少し……)

 佐那の指がお目当ての箱に届いた。そろそろとずらしてから、箱の取っ手を掴む。見た目よりもあった重量にバランスを崩し、文福が悲鳴を上げるも、佐那は軽業師のように体勢を立て直して、足だけで梯子にぶら下がっていた。

「はい、幸庵。これだよね?」

 焦った表情で両手を差し出していた幸庵へ、逆さ吊りのまま箱を渡す。

「佐那は私の心臓を止める気かい? 落ちてしまうかと思ったよ」

「あはは、あたしは義賊よ? このくらいは朝飯前なんだから」

 梯子を掴んで、くるっと一回転しながら地面へと着地する。

 質屋が休みの日は、蔵の点検をしているとのことで、その手伝いをしている。

 お客から預かった質草は大切な預かり物。カビが生えたり埃が被ったりしないよう、定期的に掃除をしているのだ。左右を見渡せば、あやかし達が妖力ではたきを操って埃を払っている。力の扱いが未熟なあやかしは、雑巾や箒を持って人力(?)で掃除をしていた。

 その中で佐那は、幸庵に渡された書き付けを元に、いくつかの品物を蔵から取り出していた。簪や根付けといった小物から、ちょっとした大きさの壺まで。玉石混合の質草を幸庵へ渡していく。

「これで最後かな?」

 もう一度上った梯子をするすると降りてから、壺の入った箱を開けて見せる。

「ふむ……付喪神になる気配はないようだね。それも持って行ってしまおうか」

 幸庵は大きな風呂敷を広げると、佐那の運んだ雑貨を丁寧に包んだ。壺は桐の箱に布でくるんで入れる。

「文福や、話は通してくれたかい?」

「はい! 目録は先に送っていたので、それほど時間はかからないかと」

 文福が風呂敷包みを荷車に乗せる。そこには既に取り出した質草が所狭しと並んでいた。最後に桐の箱に入れた壺を置けば準備完了のようだった。

「佐那、ちょっとおいで」

 幸庵に手招きをされて、何だろうと首を傾げながら幸庵の側へ行くと、頭の上に手を置かれた。不意にそこから流れ込んでくる妖力に驚いて逃げようとするも、「じっとしているんだよ」と肩を掴まれた。

「な、何を……んっ……」

 目を閉じて身体が膨れ上がるような感覚に耐えていると、佐那の周囲に透明なシャボン玉のような膜が張られていた。

「屋敷の中ばかりでは佐那も息が詰まってしまうだろう? 今日は外へ連れ出してあげよう」

「でも、あたしの傷って、まだ治ってないんじゃ?」

「いま張ったのが私の結界だよ。一刻くらいは屋敷の中にいるのと同じ状態だ」

 なるほど、と佐那は頷いた。膜に手で触れてみると、確かに外の世界と区切られているような力を感じる。

「今からどこかに行くの?」

 歩き始めた幸庵の背中を追いながら佐那は訊ねた。

「質流れになったものや買い取ったものを、いつまでも蔵に置いておくわけにはいかないからね。懇意にしている古物商に引き取ってもらうのだよ」

 そういえば、選んだのはそのような品物ばかりだった。

 裏の木戸を開いて佐那達は屋敷の外へ出る。久しぶりの外の空気に、佐那は大きく両手を伸ばした。幸庵の屋敷が狭いわけではないが、それとは違った解放感がある。

(あ、いたいた)

 佐那の視界の端に、一人の少年の姿が映った。髪型を変えて変装はしているが、間違いなく吉平だ。屋敷に異変がないか見張ってくれているのだろう。

(ごめんね、心配かけて)

 幸庵と文福の一歩後ろを歩き、気付かれないよう紙片を落とす。

 自分の身に危害は加えられていないということや、ここを離れるにはもう少し時間がかかりそうだ、といった近況を書いている。それを吉平が拾ったのを確認して、ほっと息を吐いていると幸庵から声が掛かった。

「君のお仲間は息災かい?」

(ば、バレてる!?)

 危うく悲鳴を上げるところだったが、何とかそれを飲み込む。

「な、何のことぉ~?」

 白々しく口笛を吹いた佐那を見て、幸庵が声を上げて笑った。

「ふふふ、佐那の気が済むまで私のことを調べるといいよ。私のことを知れば知るほど、最終的に君は、私の虜になっているのだから」

「木乃伊取りが木乃伊になる、なんてことはありませんよーだ」

 ぺろっと舌を出して佐那は否定する。本当に自分のことをよく見ている。捕らえた盗賊であるから当然と言えば当然だが、手のひらの上で泳がされているだけではないかと、不安にもなってくる。

「あ、そろそろ着きますよ! 今井屋さんです!」

 文福の指した先には、浅野屋ほどではないが大店があった。

 今井屋は佐那も名前を聞いたことがある。ただし、義賊の対象としては認識していないので、真っ当な商売をしているということなのだろうか。

「――これはこれは、幸庵さん。お待ちしておりました」

 出迎えてくれたのは六十歳を超えているだろうか。白髪で小柄。顔に多くの皺が刻まれたお爺さんだった。

(え、これって……)

 佐那はお爺さんを見てしばし驚く。陰陽師の力を持つ佐那には直感で理解した。彼があやかしの化けた姿であることを。

「おお、この娘さんが、有名な新入りさんですな。儂のことは白夜(びゃくや)と呼んでくだされ」

「は、はあ……佐那です」

 あやかしである幸庵が質屋を営んでいるのだ。他にあやかしで人間の世界に溶け込んでいる者がいてもおかしくはない。それでも、こんなに身近にいたとは驚きだ。

「緊張しなくてもよいのじゃよ。義賊の噂は儂も知っておるからのう。いつ娘さんに儂の店も忍び込まれるかと、夜も心配で眠れませなんだなあ。ふぉっふぉっふぉ」

「真っ当な商売をしているお店は、あたしの専門外ですから」

 唇を尖らし、佐那は小さく肩をすくめた。その姿がツボに入ったのか、ますます白夜が愉快そうに笑う。文福まで笑いに参加してしまって、とうとう佐那は頬を膨らました。

「さて、時間も惜しいですからね」

 幸庵が荷車から荷物を下ろしながら言った。

「先に商談といきましょう。文福、下ろすのを手伝っておくれ」

「わわ、すみません! 幸庵様、すぐに!」

 佐那も二人を手伝い、荷物をせっせと白夜の前に並べた。

「ふむふむ。どれもよい品じゃな。付喪神になって足が生えたりもしなさそうじゃのう」

(確かに、妖力は感じない……)

 佐那も身を乗り出して、陰陽師としての視点で品物を観察する。どれも年季が入って古い物だが、幸庵が高値で買い取った徳利のような妖力は感じない。白夜は次から次へと、手際よく品物を確認する。

「古ければみな付喪神になるわけではないからの。むしろ、こうして何十年経過しても、妖力を持たない物のほうが多い。その代わり、それらは骨董品として人間達の間ではよい価値になる」

「あー、なるほど」

 その言葉に佐那は納得して頷いた。

 いくら骨董的価値があったとしても、付喪神になってしまえば、人間からは恐れの対象でしかない。付喪神の全てが完全な人型を取るわけでもないし、手と足が生えて、どこかへ行ってしまっても困るだろう。付喪神が人間と共存の道を選びたくても、品物としての価値は無きに等しくなりそうだ。

「娘さんは鑑定をする間、ゆっくりしていきなさい」

 座敷へ上げてもらい、佐那はありがたく腰を下ろした。蔵で大掃除の如く動き回ったのと、久しぶりに外を歩いたので、少々くたびれてしまった。

(なまっちゃってるなあ)

 ふくらはぎを自分で揉んでいると、奥からカタカタとからくり人形が出てきた。手にはお茶と羊羹を乗せたお盆を持っている。

「わあ、可愛い……って、ひょえぇっ!」

 頭をなでなですると、からくり人形が佐那へ笑いかけてきた。どうやら、これは付喪神になりかけらしい。

「あー、びっくりしたあ」

 油断してたとはいえ心臓に悪い。あやかしが経営する古物商なのだから、これくらいは当然だろう。

「うふ。娘さんはあやかしを怖がらないのじゃのう」

「え、ま、まあ……これでも陰陽師の卵だったから。あああ、でも!」

 幸庵は気にしていないようだが、白夜までどうかは分からない。佐那は慌てて付け足した。

「落ちこぼれだったから! あやかし退治とかしたことないから!」

「そうかのう。娘さんは、あやかし相手でも分け隔てなく接していたと聞いているがのう? 落ちこぼれとかは関係ないのではないか?」

「……ど、どこからそれを」

 佐那の表情が暗く沈んだ。落ちこぼれと称された一番の理由。それは、陰陽師としての力を、あやかし相手に行使出来なかったからだ。佐那自身、忘れようとしていた過去を、どうしてこの白夜は知っているのだろうか。

「ふぉっふぉっふぉ。儂がまだ浅野屋の主をしていた頃かのう」

「え? 白夜さんは、浅野屋の主をしていたの?」

 初めて聞く情報に、佐那は目を瞬かせた。

「うむり。もう四、五年くらい前のことじゃがの。幸庵が独り立ちしたのに合わせて、店を譲ったのじゃよ。それまで幸庵は、外で付喪神になりそうなあやかしを探し回っていたのじゃが、面白い娘さんがいると、それはそれは心配しておったのじゃよ。幸庵よ、間に合ってよかったの」

「え……あたしを心配? 間に合ってよかった? どういうこと?」

 首を捻って戸惑っていると、幸庵が慌てたように割り込んで来た。

「昔話もよいが、そろそろ鑑定結果は出ているのではないかな? 私も忙しい身でねえ。早く戻らないと鈴姫に怒られてしまいそうだ。佐那も疲れただろう?」

 問答無用の幸庵の声は、この話題はここでおしまいと言っている。

「そうじゃの。これはこれで、こっちは……このくらいでどうじゃろうか。娘さんもいるから、弾んでおいたぞ」

 紙に書かれた金額を見て、幸庵は満足そうに頷いた。

「これだけあれば、佐那をもっと甘やかして、お給金も十分に出せそうだね」

「これ以上甘やかされたら溶けちゃいそうなんだけど……って、お給金!?」

「もちろんだとも。佐那はうちの店でよく働いてくれているからね」

 驚いて声を裏返らせた佐那へ、銭を入れた巾着を幸庵が渡してくる。これはお前のだよ、と文福にも同じように渡す。

「あやかしも人間の世界で暮らすなら、人間の世界の銭がいるからね。わたしを頼ってきた者に貧乏な思いはさせたくない。だから、質屋で稼ぐところは稼いでいるし、お灸を据えたほうがいい客に対しては高い利息を取っているのだよ」

 幸庵の話を聞きながら、佐那は『玉楼』での暮らしを思い出す。

 吉原の中にありながら、春を売らないと強気の営業をしている『玉楼』だったが、それほど台所事情が豊かなわけではなかった。

 ほとんどの妓楼では、華やかな生活を送れる女はごく一部のみ。それに対して『玉楼』では、ひもじく惨めな思いをする者がいないよう、下の者にもきちんとした給金を支払っていたからだ。義賊として盗んだ金は全て町にバラまいている。表向きは華やかでも、裏では赤字続きのことすらあった。そんな時佐那は、せめてもの助けにと自分の給金は受け取らずにいた。

(幸庵は食事をタダで食べさせてくれる。あたしだけいい生活をするわけにはいかない)

 囚われの身とはいえ、不自由のない暮らしを提供してもらっている。そんな中で、これ以上を貰うのは罰が当たるというものだ。

「もしかして、『玉楼』へとか考えているのかい?」

 図星を突かれ、佐那は反射的に巾着を胸に抱きかかえていた。

「あ、あたしがもらったものなら、あたしの好きにしていいでしょ!」

「いやはや。君の自己犠牲精神は度を逸しているねえ」

 珍しく幸庵の声の調子が落ちた。

「ふうむ。それがそなたの悩みの種か。人の世は簡単にはいかぬものじゃのう」

 白夜はどこか面白がるかのように佐那と幸庵を交互に見る。幸庵は渋い表情で、受け取った残り銭を数え終わると、壺を入れてきた桐の箱へと納めた。

「これは私の問題ですからねえ。私のほうで何とかしますよ」

「そうかそうか。朗報を待っておるぞ」

 気まずい雰囲気のまま、佐那は幸庵の背中を追って店を出た。

 帰り道は見事に会話がなかった。文福が気を使ってくれて会話をしようとするも空振りばかり。佐那も何と言えばいいかわからない。

(だって……!)

 佐那は自分の考えが、幸庵の意図からは外れてしまったのだろうという気はしている。それでも、幸庵の屋敷に捕まってからの待遇は、罪人ではなく完全に客人……どころか新婚のそれである。心配してくれている仲間に対して、申し訳ないという罪悪感で一杯なのだ。

「――佐那や」

 考え込んでいるうちに浅野屋に到着していたようだ。入る前にくるりと幸庵がこちらを向いた。

「私の想いがまだ届かない。これは私の不徳の致すところなのだろうね。これは君を責めても仕方がない。だけどね、その一方で君の自己犠牲精神には怒りすら覚えるのだよ。よって、今夜は罰を与えようと思う」

「罰……」

 一体何をされるというのだろうか。佐那は警戒して、やや上目遣い。拷問くらいなら覚悟している。とうとう、罪人としての扱いをされるのだ。どんな酷いことをされたって、きっと耐えてみせる。

「まず、今夜は盛大な宴を開くことにしよう」

「……へっ……?」

 予想外の展開に、間抜けな声が漏れた。幸庵は悪徳商人のような笑みを浮かべながら、その内容は全く違う事を嬉々として告げてきた。

「佐那の誕生日にはまだ少し早いが前祝いだ。美しい着物と素晴らしい贈り物を用意して、ぱーっと祝おうではないか。浅野屋をあげた大宴会だ。もちろん主役は佐那だよ」

「待って待って! どうしてそうなるの!?」

「簡単なことだよ」

 ふふふ、と幸庵は相変わらず不気味な笑みを浮かべる。

「佐那に拷問など出来るわけがない。豪華な暮らしが君の気に病むというのなら、これを使わない手はない。私にとっては君を好きに甘やかせるし、君にとってはそれが拷問となる。こんな一石二鳥の手はないと思わないかい?」

「なるほど、たしかに……いやいやいや」

 納得しかけ、佐那は勢いよく首を横に振った。正しいようで何かが間違っている。絶対に間違っている。

「抵抗する手段はただ一つ。私の宴を心から楽しんで、その身を私に預けて存分に甘やかされればいい。そうすれば、君に対する罰という私の目的は達成できなくなる」

 思わずその場でコケそうになるような幸庵の論理。容赦なく佐那はツッコミを入れていた。

「待って! それ、幸庵しか得してなくない!?」

「ふふふ。本来、あやかしとはそういうものだよ。さあ、佐那。今夜は私を怒らせた罰を受け入れるといいよ」

「勝手に決めないでー!?」

 店へと入った幸庵の後に続き、佐那はなおも抗議の声を上げようとしたが、それは別の者によって遮られることになった。

 がらら――がっしゃーん!

 不意に頭上から聞こえたけたたましい音。気が付けば佐那は、降って来た鉄の檻の中に閉じ込められていた。その目の前には、肩を怒らせた鈴姫の姿。

「やっと捕まえましたわ、泥棒娘!」

「……これは、一体どういうことだい、鈴姫?」

 幸庵の厳しい視線が、店の玄関の上で腕を組んで仁王立ちの鈴姫へと向けられる。突然の出来事に佐那は目をぱちくりとするしかない。鈴姫はびしっと佐那へ指を突き付けた。

「屋敷から徳利が無くなりましたの。この泥棒娘の仕業に他なりませんわ!」

 どうやら泥棒に入られたらしい。

 あやかし達のざわめきが、佐那の心に突き刺さったのだった。

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