第十三話 義賊になった理由

 ――浅野屋の新入りはあやかしらしい。なんでも、斬っても突いても死なないようだ。

 そんな根も葉もない噂が流れ始めたのは、賊が忍び込んだ翌日からだった。

 もちろん、佐那には噂の出所の見当はついている。命からがら逃げだした高安達に決まっている。

 質入れした脇差の代金を彼等が払いに来たのは、それから五日後だった。ただし、訪れたのは高安ではなく全く別の人間だった。さすがに本人が訪れるだけの度胸はなかったようである。

「ひとまずは一件落着だね」

 その夜。二人で夕餉を前にして、幸庵は上機嫌な様子で酒を煽っていた。

「あたしは……すごく複雑」

 二度と高安に付きまとわれなくなった代償に、自分の治療の時間が長くなるのは想定外だ。身代わりになってくれた人形はといえば、首に矢傷が増えていたし、塞がりかけていた胸には再び大穴が開いて、向こう側の壁が見えんばかりだ。

「そんなに卑下するものではないよ。佐那は自分の身を代償に、私を助けようとしてくれたのだから。これほど人のために動ける娘を私は知らないよ」

「…………そんなんじゃない」

 居心地悪く佐那は座り直した。

 確かに幸庵を助けようとしたのは事実。それが結果として無駄な行為だったとしても。だが、相手が幸庵でなくとも、佐那は同じことをしただろう。

「そうだね。佐那は私を助けようとしたのではない」

 見抜かれていた。その事実に、佐那はますます小さくなった。幸庵は手酌で盃を満たすと、彼女に言い聞かすように告げてきた。

「あのようなことは、もう二度とするのではないよ」

 いつになく厳しい口調に、はっと佐那は顔を上げた。幸庵の視線は射抜くかのようで、どんな矢に射られるよりも痛く感じた。

「ここ数日の君を見ていたがね、己を痛めつけても誰も褒めてはくれない。自分の気持ちは楽になるかもしれないが。それで得られるのは自己満足だけだ」

「そんなこと……」

「いいや、そうなのだよ。君は囚われの身になる元凶となった私を助けるために、何のためらいのもなく身を危険に晒した。これが何よりの証拠だ」

 きっぱりと言い切られ、佐那は言葉に詰まった。

 そうなのだろうか。義賊として誰かのためになれるよう働いてきた。日々の生活もその延長のつもりだった。困っている人を助け、掃除のような下働きは率先する。自分でも意識していなかったが、もしかしてそれらのことは、己のためにやっていたのだろうか。

「……そんなこと」

 口に出そうとすると嘘に思えてくるから不思議なものだ。

「……ないし」

 何とかそれだけを呟いて、こっそりと幸庵の表情を窺う。幸庵はそんな佐那をしばらく観察するように見詰めていたが、これ以上は無駄だと思ったのか、小さく嘆息した。

「今日のところはこれくらいにしておいてあげよう。あまり追い詰めて、将来のお嫁さんに嫌われたくはないからね」

「だからあ、あなたの嫁にはなりませんーっ!」

 ここ数日、繰り返されているやり取りに、やっと佐那は警戒心を解いた。焼き魚にお刺身に卵焼きと、今日も豪勢な夕餉をちまちまとつつく。幸庵はむっつりと黙り込み、どうやら機嫌がよろしくない様子。どう考えても自分が原因とあれば、美味しいはずの食事もパサパサしてしまって味気ない。

(でもな~……)

 佐那は諦めて箸を置いた。このもやもやを解決しなければ、食欲が戻らない。

「ねえ、幸庵。あなたはどうして、あたしにここまでよくしてくれるの? この店にとって、あたしはただの泥棒娘でしょうに」

「私にとっては嫁でしかないのだが?」

「茶化さないでよ!」

 はぐらかされそうになり佐那は声を大きくした。

「ふふふ。君が自分に対して優しくなったら教えてあげるよ」

 微笑みながら幸庵は盃に口を付けた。その姿は、これ以上は答えるつもりはないと告げている。

「佐那こそ、どうして義賊をしているのだい? 君ほど手先が器用で目端が利く娘ならば、他の道だってあると思うのだがねえ」

「そ、それは……」

『玉楼』で働き始める……いや、『玉楼』で捕まる前、遠い記憶の奥底に封じていた記憶が蘇りそうになり、佐那は慌てて首を振った。今は佐那。表は『玉楼』の少女。裏は義賊で弱き者を救う。

「ど、どうだっていいじゃない! 幸庵は答えなくて、あたしは答えないといけないって、不公平じゃない?」

「ふふふ、佐那は自分の立場というものがわかっていないようだねえ。はてはて、今夜はどんな目に遭わせてやろうか」

 幸庵は邪悪な笑みを浮かべているつもりなのだろうが、どこか滑稽に見えて、佐那は笑いそうになるのを必死に耐えた。

 とはいえ、逃がしてはくれなさそうな雰囲気も同時に伝わってくる。困って俯いていると、空の猪口へこぼれんばかりに透明な液体が注がれた。

「お酒は便利な飲み物だ。話したくないことも、この一瞬だけだと考えると口が滑らかになる。人によっては都合の悪いことはみんな忘れてしまう」

「あたしは記憶を失ったりはしないんだけど」

 促されるままに飲み干すと、胸の奥が焼けるように熱くなった。さらに注がれそうになり、佐那は手で猪口に蓋をした。この前のような過ちは起こさないように日々抑えている。幸庵の理性をいつまでも当てにするわけにはいかない。

「……あたしね」

 その代わり、少しだけ自分のことを話してもいいかなと思った。これが酔った勢いというのであれば、それに乗せられてみようではないか。

「実は陰陽師の娘なの。だから、本来は泥棒娘どころか、あなた達あやかしの敵」

「うんうん、私は知っていたよ」

 幸庵は驚く様子もなく頷いた。完全な人型を取れる上級のあやかし――それも妖狐なら、佐那の力は一目瞭然だったのだろう。それに励まされるようにして佐那は続ける。

「家は一流の陰陽師の家系だったのに、あたしは落ちこぼれで、いくら教わっても親の期待には応えられなかったの。毎回、罰として蔵に閉じ込められて怖かったぁ……」

 当時の記憶は今でもこびりついている。定期的に夢を見てしまうくらいには。

「だけどね、わたしの親は悪いことをしていたの。ぼったくりのような報酬を受け取ったり、あやかしがいないのにいるような事件を起こして、それで討伐料をせしめたりしてたの。それで、ある日、怒ったお侍さんに家ごと襲われてね」

 その日、佐那はちょうど蔵に閉じ込められていて難を逃れた。だが、蔵から出て目にした光景は、そこら中が血の海となっていて、生きている者は誰もいなかった。その時から、佐那は一人になった。

「あたしに行く当てなんかなくて野垂れ死にしかけたけど、手先が器用だったのと、式神を使った錠前破りの特技おかげで、盗賊集団に拾われたの」

「それが『玉楼』なのかい?」

 問いかけに、ううん、と佐那は首を横に振る。

「それは本当にゴロツキ集団。そこで悪いことを一杯して、たっくさん盗んで、最終的に『玉楼』に忍び込んだ時、左近様に捕まっちゃったの。ああ、ここであたしは死ぬんだー、って本気で思った」

 その時の佐那は十三歳。仲間を逃がすため、囮になったことで捕まってしまった。全てを投げ出したかのような佐那へ、義賊として生まれ変わらないか、と誘ってくれたのが左近だった。

「『玉楼』に拾われてから、あたしは心を入れ替えて働くことにしたの。今まで犯した罪を償わないといけない……ううん、それだけじゃない。陰陽師として悪事を働いた親の分まで返さないといけない。だけど、真っ当に生きるにはあたしはもう遅すぎる。この義賊って仕事は、まさにあたしのためにあるような仕事」

 生きるためとはいえ、人様には言えない罪を背負った。この両手は既に真っ黒に染まっている。今さら表の世界では生きられない。

「いっぱい償って、いっぱい返して……もしも償い終わる時があるのなら、その時に捕まりたい。それで三条河原にでも晒されるのなら本望かな。だから、幸庵――」

 くすり、と佐那は悪戯っぽく笑った。

「あたしはお嫁さんには向いてないの。白無垢なんて裸足で逃げ出しちゃうくらい黒いんだから。さっさと諦めて他の人を探して?」

「……ふむ。君の自己犠牲精神は、そこから来ているのか。やはりあの時、無理にでも連れて行くべきだった」

 苦し気に言った幸庵の言葉を、酔いの回り始めた佐那は聞き逃した。

「じこ……なんて?」

「君は苦しみ過ぎだということだよ」

 幸庵は両腕を佐那に伸ばすと、そのまま己の胸にかき抱いた。骨が軋むほどに強く、強く抱きしめられる。

「ちょ、幸庵……痛い」

「すまない。もっと早くに迎えに行くべきだった」

「え? え? どういうこと?」

 迎えに、とは何を意味しているのだろうか。

「あたし、幸庵に会ったことあるっけ?」

「ふふふ。『玉楼』から身請けすればよかったってことだよ」

 ――かわされた。

 そう直感するも、いつもよりも強い酒だったのか、すっかり酔いが回ってしまった佐那は思考がまとまらない。それどころか、幸庵の腕の中で眠気の限界が訪れる。

(ああ……なんだかここ、とっても安心しちゃうのよね)

 また幸庵の理性を試してしまうかも。そんなことを思いながら、佐那は深い眠りへと落ちていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る