第十二話 泥棒退治
その数日後の夜。厠へ立った佐那は、井戸の水で手を洗っていた。
(月が綺麗)
幸庵の屋敷へ忍び込んだ日は新月だった。それから時は過ぎ、今日は上弦の月といったところか。雲一つない夜空からの星明りもあって、十分に庭を青白く彩っている。幻想的な雰囲気はいつまで見ていても飽きない。
(まさか、ここまで追いかけてくるなんて)
そんなお金の取れそうな景色を眺めながらも、佐那の頭の中は高安のことで占められていた。こんなに執念深い男なら、もっとギャフンと言わせて、二度とお目にかかりたくないと思うくらい痛めつけてやればよかった。
(だけど……)
すっかり佐那の役目となった、台帳への記帳内容を思い出しながら佐那は腕を組む。ここ数日、記帳していて分かってきたことがある。
それは、幸庵が世間の噂ほど、高利を貪っているわけではないということだ。たまに目の玉の飛び出るような利息を要求する時もあるが、それは相手も悪名高い者だったり、賄賂で重罪人を逃がすような役人だったりと、佐那の義賊としての相手となるような者ばかりだった。一般人への商売は、むしろ薄利である。
(本当は悪い人じゃない……?)
だとしたら、その噂はどこから出たのだろうか。
(火のないところに煙は立たない、って)
佐那は首を振って疑念を追い払った。まだこの質屋の仕事を全て把握したわけではない。幸庵にとって都合の悪い事実が隠されているかもしれないではないか。
「あー、今日も離してくれないんだろうなー……」
ぐったりと肩を落としながら佐那はとぼとぼと廊下を歩く。
一つの布団で寝ながらも、幸庵は決して佐那を辱めるようなことはしない。赤子をあやすかのような扱いは、むしろ心地よいとすら思ってしまう自分に戸惑う。
(……ん?)
視界の端。黒い影が動いたような気がして佐那は足を止めた。反射的に身体が動いて、縁の下に身を潜めたのは、義賊の本能のようなものだっただろう。
(誰かいる!)
緊張で胸元をぎゅっと掴む。その中には、幸庵からもらった朝顔の簪。お守りとして常に持ち歩くように言われていた。
庭を凝視していると、池を挟んだ向こう側の茂みから、ゆるゆると人の動き出す気配がした。注意深く身を潜めているつもりだろうが、時折り影が庭へと伸びてしまっている。
(警備ってものがなってないよねー)
足音を立てないように気を付けながら、佐那は人の気配を追った。
屋敷の者は寝静まっているのか、どこからも反応がない。屋敷を覆う壁こそ高いものの、内部へ入ってしまえば、庭の植木に多くの蔵。身を潜める場所には困らない。
忍び込んだ賊の目的地は決まっているようだ。物陰に身を隠し、少々遠回りをしつつも足取りに迷いがない。
(これは、もしかして……)
立派な拵えの脇差を思い浮かべる。賊の一人がある蔵の前で足を止めたことで、佐那の直感は確信に変わった。
「何をしているの!?」
潜んでいた物陰から飛び出して佐那は叫んだ。ぎょっ、としたように賊の視線がこちらへ向いた。数は四人。そのうちの一人は高安ではないだろうか。
「このまま立ち去るなら見逃してあげるけど、そうじゃないな……っ!?」
不意に背後から羽交い絞めにされ口を塞がれる。
(しまった!)
別行動を取っていた者がいたようだ。四人に注意を向けていた佐那はそれに気が付かなかった。力任せに暴れるも掴まれてしまうと男の力には敵わない。あっという間に地面に押し付けられ、手首と足を縄で縛られた。声を出せないように口に布も突っ込まれる。
「まさか本人が登場するとはなあ」
ぐふふ、と下卑た声が覆面の奥から漏れる。佐那の予想通り、それは高安のものだった。彼女の目の前で蔵の閂が外され、男が一人中へ入ったかと思うと、すぐに昼に質入れした脇差を持って出てきた。
「この脇差の管理不行き届きで、お前をもらおうと考えていたが、ここで捕らえることができるとは俺も運がいい。おいお前ら、見つかる前にずらかるぞ」
(や、屋敷の外に出たら……っ!)
それは非常にまずい。恐怖で心が凍り付く。
胸の傷はまだ癒えていない。この屋敷から出れば幸庵の術が切れ、佐那の身体には致命傷が刻まれて絶命してしまう。そして、そのことを賊は知らない。目的の場所――きっと高安の屋敷――に到着した時には、佐那は死体となっているだろう。
必死にもがくも、芋虫のように身をくねらせることしか出来ない。賊達が頷き、佐那の身体は物でも抱えるかのように持ち上げられた。
(誰か、助けて……幸庵っ!)
その直後、佐那の身体は意に反して大きくのけ反っていた。ぼわわん、と胸元から何かが飛び出した感触。
「うわあっ!?」
同時に聞こえた男達の悲鳴。投げ出された佐那は、受け身も取れずに地面に落下する。
(いったぁ……な、なにが!)
ゴロゴロと転がり、何とか顔だけを上げた。
「もが……」
布を詰められた口から驚きの声が漏れる。佐那の目の前では大きく開いた花――朝顔だろうか――が、盗賊の一人の頭を、まるで噛みつくかのように、ばっくりと覆っていたからだ。
(あやかしだ!)
胸元に仕込んでいた冷たい簪の感触がない。あの朝顔の化け物は、その簪が変化したものに違いない。簪は使いようによっては護身用の武器にもなる。佐那に持たせることによって、彼女からの信頼を得ようとしているのかと思っていたが、まさかこんなからくりが仕込んであったとは。
「な、何だこいつは、やめろおおおっ!」
盗賊達は混乱の真っただ中となっていた。脇差や短剣。それぞれの得物を抜いて、朝顔のあやかしに立ち向かっていくも、陰陽師の気の籠っていない武器では傷をつけられない。ぱくっとかぶりつかれたり、放り投げられたりと散々である。
「――おやおや、これは騒がしいことですねえ」
ぜえぜえ、と盗賊達の息が上がってきたあたりで、背後から静かな声が聞こえた。佐那が顔を上げようとすると、縛られた縄を解かれる気配。口の中の布も取り出された次の瞬間、佐那は安堵のあまり、自分よりも一回り大きな身体に抱き付いていた。
「幸庵っ!」
「いつもこのくらい素直だったら私も嬉しいのだが」
耳元でからかうように囁かれ、はっと気づいて慌てて両腕を離す。
「まったく、どうして先に私を呼ばないのかねえ。後でたっぷりとお仕置きをしてあげないといけない。覚悟しておくがいいよ」
不満そうな……実に不満そうな幸庵の表情。ある意味、盗賊に連れ去られそうになった時よりも怖い。「ひょえええ」と心の中で悲鳴を上げていると、幸庵の視線が目の前の盗賊達へと向かった。
「さて、どうやら見覚えのあるお人もいるようですが、これは気のせいでしょうか」
武器を抜いたまま、盗賊達がじりじりと下がる。
朝顔のあやかしは力を使い果たしたのか簪の姿に戻ると、佐那の元に戻ってきた。それに勇気を得たのだろうか。相手は五人、こちらは二人。今度は逆にじりじりと距離を詰めてくる。
「やっちまえ!」
高安が覆面越しに叫ぶのと同時に、盗賊達が襲い掛かって来た。
「ふむ。これはこちらにお仕置きをして差し上げるのが先のようですね」
佐那を庇うように前に出ると、幸庵は半身になって腰を落とした。
盗賊の一人が突き出してきた短剣をひょいと避け、その勢いを使って投げ飛ばす。背後からの脇差は身をかがめて躱し、足払いで転ばせた。
(す、すごい……)
幸庵はあやかしとしての力は使っていない。体術だけで盗賊達を手玉に取っていた。
「くそっ、仕方ねえ。ずらかるぞ!」
敵わないと悟ったのか、ぴいぃっ、と高安が口笛を吹いた。それが合図なのだろう。盗賊達が一斉に退却の準備を始める。
「私の領域を侵したのですから、少しばかり脅かせてもらいますよ」
幸庵がすっと右手を上げると、ぱっと昼間のように周囲が明るく照らされた。
(文福! 利康、鈴姫も……?)
そこに現れたのは浅野屋の者達。茶釜に手足が生えていたり、火を吐く白い犬であったり、和鍵を竜の頭のようにしてじゃらじゃらと鎖が空を飛んでいたり。他にも鬼火や、手毬が一人でポンポンと跳ねたりと、奇怪な現象のオンパレード。陰陽師の力のある佐那だからこそ、全て浅野屋の者達だと見抜けたが、盗賊達にとってはただのあやかしでしかないだろう。
「あ、あやかし屋敷……」
呆然と呟いたのは高安だったか。
「お前たち、懲らしめてやりなさい」
「うぎゃあああああ!」
幸庵の掛け声を合図に、あやかし達が一斉に盗賊達へと襲い掛かる。悲鳴を上げて逃げ回る高安と他の盗賊達。それを追いかけるあやかし。最初から戦いにすらならず、一方的な展開だった。
一番、臆病に逃げ回っているのは高安だ。屋敷から脱出することすらも頭から抜けているようで、すっかり腰を抜かしている。その取り巻きの盗賊達はもう少し冷静だった。高安を守るようにしながらも、退路を確保しようと奮闘している。
(男達の狙いは何だろう)
まだ彼等は諦めていない。嫌な予感がして佐那は右へ左へと視線を巡らせた。切り札をまだ隠しているはず……と、ふと、屋敷の塀の上で何かが動いた。夜目の効く佐那は、それが弓を構えた男の姿だと察した。やはり、逃げるための手段を残していた。狙う先は――幸庵。
「だめぇっ!」
頭で考えるよりも先に身体が動いた。体当たりで幸庵を突き飛ばすと同時、男の手から矢が放たれた。体勢を崩している佐那は避けられない。そのまま矢は、吸い込まれるように彼女の胸を貫いた。
(これ、死んだ……って、あれ?)
ポカンと佐那は己の胸に刺さった矢を見詰めた。背中へ手を伸ばすと、確かに矢じりが貫通している。それなのに意識ははっきりしているし、死にそうな気配もない。
「え、え……どういうこと」
右手で矢を掴んでぐいっと引き抜く。痛くもないし血も出ていない。
ひょぉう、という風切り音。今度は喉元を矢が貫く。衝撃で少しよろめいたものの、これもまた同じ。倒れる様子もない佐那を見て、慄いた悲鳴が聞こえた。
「ば、化け物……お前もあやかしだったのか!」
「誰があやかしよっ! あたしは人間だから!」
かっ、と頭に血が上った佐那は、喉に刺さった矢を抜くと、化け物呼ばわりした高安へと投げつけた。
「ひいいい、や、やめてくれ。オレが悪かった。祟らないでくれえええええ!」
「幽霊とも一緒にしないで!?」
「ひぎいいいいっ!」
とうとう口から泡を吹いて失神してしまう高安。
他の盗賊達も、佐那の不死身ぶりに恐れをなしたようで、主人であるはずの高安を置き去りにして、さっさと塀をよじ登って逃げてしまった。
「おやおや、忘れ物だよ」
幸庵はやれやれと首をすくめると、高安の襟首を掴んで空中へ放り投げた。塀の外でどさりという音がする。その衝撃で目が覚めたのか、「ひいいいい」と悲鳴を上げながら逃げていったようだ。
盗賊達がいなくなると、庭は嘘のように静かになった。他に賊の気配がないのを確かめてから佐那の元へと幸庵が戻って来た。
「佐那も無茶をするねえ。大丈夫かい?」
「……こ、幸庵」
静けさとともに、佐那の頭も冷静さを取り戻してきた。二回ぐらい死んだはずなのに、なぜかピンピンしている自分の身体。こんなの人間ではない。
「あ、あたしどうなっちゃったの!? まさか幸庵……知らない間に、あたしをあやかしにしちゃったの!?」
「ああ、てっきり気付いているものだと思っていたのだが」
慌てふためき、我を忘れそうになる佐那を宥めながら、幸庵は種明かしをする。
「佐那に掛けた術を忘れたかい? 君の負った怪我は、人形が引き受けてくれている」
「あっ……」
それで佐那はピンときた。胸と喉に刺さった矢傷は、あの人形が引き受けてくれたのだ。
「少しばかり人形が酷いことになってしまったかもしれないがね。君の身体には傷一つついていないはずだよ」
乱れた寝間着姿の佐那を見て、幸庵は上掛けを脱いでくるんでくれる。
「それって、実は……」
あやかしになったわけではなかった。その事実に安堵したところで、ふと別のことに思い当たる。
「新しい傷のおかげで、あたしの完治が遅れるとか、そんなのはないの?」
「それはその通りだねえ。私はあやかしだから、あの程度の矢では傷すらつかないというに……。でも、とても嬉しかったよ。ありがとう」
そうだった。幸庵はあやかしで、それも妖狐。陰陽師でもない盗賊如きに、傷を付けられるような相手ではない。
(要するにこれって……)
単に佐那は己の傷を増やしただけ。
その事実に気付き、がっくりとその場に膝から崩れ落ちたのだった。
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