第十一話 実は策士
「嬢ちゃん。これを書いてもらえるかの」
「は~い!」
それから数日。佐那は利康の手伝いをしていた。
浅野屋は繁盛しており、客が途切れることはない。台帳の付け方は、コツさえ覚えればすぐに慣れた。数日もすると台帳管理はほぼ任され、利康は質に入れられる品物を蔵から持ってきたり、小者に渡したりすることに専念出来ている。
それよりも問題は幸庵だった。
(う~……なんかだかなぁ……)
あれから幸庵がよそよそしい、というわけではなかった。むしろ、夜は佐那を篭絡しようと、美味しい食事がたんまりと出され、耳元で甘く囁かれる。それを冷たくあしらうのが日課となりつつある。
一番の問題はそこではない。鈴姫に苛められないように見張っているつもりなのか、毎朝掃除をしている佐那を、柱の影からずーっと無言で見続けているのだ。その瞳はなぜか悲し気で、やりづらいことこの上ない。
鈴姫の方はといえば、さすがに幸庵がいる前では何もしてこない。とはいえ、幸庵も四六時中、佐那に張り付いているわけではない。ちょっとした隙に、廊下に土をバラまかれたり、庭へ突き落されたりと、単純な嫌がらせは受けている。
(ほんと、腹立つ……)
佐那に対する鈴姫の『泥棒』という単語は間違っていない。この屋敷に忍び込んで損害を与えようとしたのだから。いくら悪徳商人しか狙わないといっても、やっていることは泥棒と同じ。だから、自分に幸せになる権利などはない。いつか捕縛され、三条瓦あたりに晒されるのが当然の結末。
それでも、佐那は己の裏の仕事に誇りを持っていた……持とうと努力していた。自分は『義賊』であり『泥棒』ではない。『義賊』になってから、己の欲望のために盗みを働いたことなど、ただの一度もないのだから。
(……ん?)
台帳を付けていると、佐那の耳は店の外で大きな籠のようなものが止まるのを捉えていた。がやがやと騒々しい声がして、すぐに浅野屋の暖簾が動いた。
「幸庵はいるか?」
暖簾をくぐって入って来たのは、二十代前半ぐらいだろうか。涼しい目元の優男。護衛なのか牢人風の男を数人引き連れている。
「私が幸庵ですよ。ものものしい雰囲気ですねえ」
対応する幸庵の声を聞きながら、優男の顔をどこかで見たことがある、と佐那は首を捻っていた。
(げっ、思い出した! あの男は……)
「越後屋の高安と申す」
尊大な態度で名乗った男は、町でも一、二を争う大店、越後屋の長男だった。春を売らない『玉楼』で無理を押し通そうと暴れたあげく、出入り禁止になった男だ。
(それだけじゃないんだよね~……)
これは不味い……とばかりに、台帳へ記入する振りをして顔を隠していると、幸庵に声を掛けられた。
「佐那、大事なお客様だ。奥の部屋で応対するからお茶を持って来なさい」
いつになく真剣な表情の幸庵に、佐那も背筋が伸びた。
「はい。すぐに」
腰を上げたところで、高安に呼び止められた。
「おい、そこの女」
ぎぎぎ、とぎこちなく佐那は振り返る。少し……どころではなく非常に嫌な予感がする。
「『玉楼』の佐那だな? やはり、ここにいたか。やっと見つけたぞ」
「き、気のせいだと思います!」
視線が追いすがってくる気配がしたが、佐那はくるりと振り返ると、いそいそと店の奥へと移動した。
(うへえ……こんなとこに来るなんて)
冷や汗が首筋を流れる。
義賊として活動するための情報を集めるために、佐那も『玉楼』で客の前に出る機会もあった。そこで色々な話を教えてくれたのが高安だった。佐那も調子に乗って、気を持たせるような素振りを見せたのがまずかったのだろう。
最終的には、あろうことか佐那を押し倒そうとしたところで、『玉楼』を出入り禁止になって解決した……と、佐那は思っていたのだが、まさかここまで追いかけて来るとは思わなかった。
正直、顔もみたくない。さっさとお茶を出してずらかるべきだろう。
「佐那もそこに控えておきなさい」
ところが、奥の部屋でお茶を出し、逃げるように退散しようとすると、幸庵に呼び止められてしまった。渋々ながら幸庵の斜め後ろに隠れるように座ると、商談が始まった。
「高安様。越後屋の若旦那が私のような店をご利用とは、これは如何した次第でございましょうか」
「幸庵。詮索は身のためではないぞ」
「これはこれは、私としたことが。申し訳ありません」
丁寧に幸庵が頭を下げる。高安の隣で細長い布包みを持っていた者が、二人の中央でその包みを開いた。中から出てきたのは見事な黄金の拵えの脇差だった。まるで将軍が大名に下賜するような見栄えである。
「これを質草として千両用立ててくれ」
「ほほお。千両とはなかなかの大金。元金が大きければ利子も大きくなるというもの。この品物も名のあるものに見受けられますが、返す当てはあるので?」
「失礼な口を慎め!」
用心棒がいきり立つも、高安が右手を上げて制した。
「幸庵の心配は尤もなこと。お主が懸念している通り、これは越後屋でも由緒ある大切な脇差。決して質流れになってよいものではない。近日中に大きな取引がある。それが済めば千両など二倍にしても安いもの」
「ほほう……。念のためにお訊ねしたいのですが、それは間違いないのですね?」
「それこそ、これ以上は幸庵が知る必要はないな」
にべもない回答に、幸庵は「ふむ」と小さく呟いた。脇差を持ってしばらく吟味していたが、やがて佐那の前にそれを置いた。
「佐那」
査定しなさい、ということだろう。このようなものを女である自分が手に触れていいのだろうか。おそるおそる手を伸ばし、着物の袖越しに直接触れないようにして確認する。
「幸庵はその女を『玉楼』で買ったのか?」
高安の言葉に、佐那の肩がびくりと反応した。いつの間にか、高安が舐め回すような視線を向けていた。気持ち悪くて背筋がもぞもぞしてしまう。
(どこから漏れたのやら……)
遊び過ぎて金の尽きた者が質入れに来ることもある。もしかすると、その足で吉原に繰り出しているのかもしれない。佐那も顔を隠しているわけではないので、噂が立ったとしたらその辺りからだろう。
「まあ、そのようなところです」
穏やかに幸庵はこたえると、そっと佐那の背中に手を触れた。
「利発で非常に頭の回転も早い娘でしてね。『玉楼』の遊女としておくには惜しい。聞けばまだ『玉楼』でも身分が低く、身請けにも手ごろな金額。誰かのものになる前にと、私が千両で買ったのですよ」
「ほう。千両」
高安の唇が皮肉気に歪んだ。
「そのような金額をポンと出せるとは。さすが、浅野屋さんは景気がいいことですなあ」
「なあに。先行投資だと思えば安いもの。ここの仕事も覚えるのが早い。玉楼で良い品を目にしてきたからか、彼女の目利きは正確でね。それに、閨の中でも私を十分に満足させてくれております」
これ見よがしに、ぐいっと腰を引き寄せられ、佐那は危うく悲鳴を上げるところだった。
(嘘よ、嘘! 何もされてないから!)
なぜか殺気の籠った高安の視線がこちらへ向けられている。それに気付いていないのか、幸庵の手は優しく佐那の肩を撫でる。これでは新婚がイチャイチャしているようにしか見えないではないか。
「佐那、終わったかい?」
逃げ出すべきか本気で迷っていると、幸庵が催促してきた。いつの間にか仕事をする時の、柔らかいながらも厳しい視線に戻っている。
「君の見立てを聞かせてもらおうか」
佐那はどう回答するべきか迷った。
見事な拵えで刃の波紋も芸術的な美しさ。しかし、この一振りに千両の価値があるとは佐那には思えなかった。高安の表情を見ると、自信満々ではあるが、どこかそわそわしているようにも見える。
(そもそも、大店の若旦那が、質屋に来てまで千両も必要な理由ってなんだろう?)
「女。早く結果を聞かせよ」
苛々と高安が言ってくる。その背後では用心棒が睨みを利かせてくる。この場の雰囲気にそぐわぬ回答をすれば、刃傷沙汰になってしまうかもしれない。佐那は両手を畳につき深々と頭を下げた。
「千両。びた一文まかることはないかと」
「おお、佐那もそう判じたのかね。私と同じ意見だ」
よしよし、とばかりに下げた頭を撫でられる。高安の緊張が解けたのを佐那は感じた。
「そ、その脇差は千両でも安いくらいであるからな。浅野屋よ、心して預かっておくがいい」
「この幸庵の名に懸けて、虫一匹近づけないように保管しておきましょう」
「言葉だけでは安心できんからな。保管する場所も見せてもらおうじゃないか」
「おお、たしかにその通りですね。高安様にご安心頂くためにも、蔵の場所へご案内いたしましょう」
(それは、ちょっと……)
不用心ではないのだろうか。佐那が忠告しようとするも、「もう下がっていいよ」と告げられ機会を無くしてしまう。奥の部屋から表へ戻ると、幸庵が利康と鈴姫を連れて、蔵の方へ行ってしまったので、一人で店の番をする羽目になった。
幸いにもお客が来ることもなく、手持ち無沙汰にしていると幸庵が戻って来た。高安を送り出してから佐那に声を掛ける。
「ありがとう、佐那。お疲れだったね」
「ねえ、一体何を考えているの? わざわざ保管場所を教えるとか。泥棒に入って下さいって宣言しているようなものなんだけど?」
「ふふふ。一番の凄腕は私の元にいるからね。心配はないはずなのだが」
うぐっ、と佐那は口をへの字に曲げた。一番の凄腕というのは、佐那にとって賞賛ではあるのだが、皮肉もなしに言われると何だかこそばゆい。
「そりゃあ、あたしほどの錠前破りの腕を持ってる人はそういないはずだけど……でも、絶対あの人たちあやしくない?」
佐那の『玉楼』で培った直感がそう告げる。必ず裏で何かを企んでいる。義賊として忍び込む家の者はみんなそんな感じだ。何かしらやましい雰囲気を抱えている。
「いいねえ、いいねえ」
ところが幸庵は、佐那の懸念に動じることもなく、嬉しそうに唇を綻ばせた。
「佐那が浅野屋を心配くれるとは、私もとても嬉しいよ。だんだん店の一員になってきたのだね」
「そ、そういうのじゃないし!」
しまった、とばかりに佐那は視線を逸らした。相手は高利貸し。彼らを助けるつもりではなかった。何かよからぬ問題が起きてしまいそう……そんな純粋な思いから忠告してしまった。
盗まれてしまえばいいのに失敗した、と落ち込んでいると幸庵が訊ねてきた。
「佐那は気付かなかったのかい?」
「気付くって、何を?」
「あの男の目的は佐那だよ」
「へっ……あたし?」
思わず自分の顔を指すと幸庵は頷いた。
「君の『玉楼』での武勇伝は聞いているからねぇ。お客を吹っ飛ばしたのだって?」
「ど、どうしてそのことを!?」
赤くなってしどろもどろになる佐那。
「実は私もその日、ちょうど『玉楼』にいたのだよ。騒ぎが起きて、何事かと後で話を聞いたら、手を出されそうになった遊女が暴れたとね」
「し、仕方がないじゃない! あのお店は、そういう約束のお店なんだから!」
吉原の中にありながら、春は売らないという特異な『玉楼』という店。
高安に押し倒されかけた佐那は、義賊で鍛えた身のこなしでするりと逃げると、庭先へ蹴り飛ばしたのだ。高安はあのような男故、ちょっとした……むしろかなりの騒ぎになったのだが、左近が強気で押し通してくれたので助かった。まさか、その時のことを幸庵も知っていたとは。
「よほど佐那は気に入られているようだねえ。ここまで追いかけてくるのだから」
ふふふ、と愉快そうに笑う幸庵。佐那は盛大に顔をしかめた。全くもって面白くない。
「最悪な気分。でも、どうするつもりなのかな?」
「きっと私のやることにケチを付けて、その落とし前で佐那を要求したいのだろうよ。女遊びで金がないのも事実かもしれないがね。君を手に入れて、ここでの借金も踏み倒せれば、あの男にとっては万々歳だとは思わないかい?」
「まさか、本当に盗みに入ってくる……?」
「それはどうだろうねえ。餌は撒いたのだが」
幸庵の台詞に、わざと蔵の様子を見せたのだと佐那は悟る。
「あなた……策士ね」
「それは、もちろん」
これぞ高利貸し。そんな、極上で、極悪の笑みを幸庵は浮かべた。
「佐那についた悪い虫は退治しないとね。問題はあの男が、屋敷に忍び込んでくれるほどの勇気があればいいのだが」
怒らせたら怖い種類の人――もとい、あやかしかもしれない。初めて佐那はそんなことを思ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます