第八話 初仕事

「――ということで、今日からこの店で働くことになった佐那だ」

「ひと月ほどお世話になります。よろしくお願いします!」

 佐那の前には、人型へと化けた何匹ものあやかしの姿。文福と鈴姫の姿もある。「これは美味そうな人間のおなご」などと、一部物騒な声が聞こえた気もしたが、おおむね好意的に受け入れられているようだ。その中で唯一、隠そうともしない敵意を向けて来るのが鈴姫だった。

「幸庵様。本当にその娘を店に置くのですか? 何をしでかすかわからないのに……昨日だって大騒ぎをしましたのよ。わたくしは今すぐ叩き出してやりたいですわ!」

 物凄い剣幕で幸庵に詰め寄る鈴姫。

 佐那はむっとするも、同じ立場なら似たような行動をするだろうなと理解もできる。自分でもよくもまあ、まだこの首が繋がっていると思っているくらいなのだから。

「まあまあ、そんなに怒っていては、妖力の無駄遣いというものじゃのう」

 ふぉっふぉっふぉ、と大らかな声で鈴姫を諫めたのは、老人のような喋り方にも関わらず、見た目は二十代前半くらいの青年姿のあやかしだった。鈴姫が鋭い視線をそちらへ向ける。

「いいえ、いくら利康様といえど、これはわたくしも黙ってはいられませんわ!」

「お主が怒り狂うのもわからぬでもないがのう。しかし、己の力不足をその嬢ちゃんにぶつけるのはお門違いじゃろうて」

 利康の言葉に、鈴姫が悔しそうに顔を歪める。腰の横で強く握った拳がぶるぶると揺れていた。

「ええい、うるさいわ! とにかく、わたくしはお前のことは認めませんからね!」

 びしっ、と佐那に人差し指を突き付けて宣戦布告をすると、足音も大きく奥屋敷の方へと消えていく。そんな鈴姫の姿に、やれやれとため息もつくも、幸庵は大きく両手を叩いて気合を入れた。

「さあ、もう店も始まる時間だ。みんなは持ち場に着くように」

 へーい、と声もそれぞれに、人型へ化けたあやかし達が動く。表屋敷に出るあやかしはみんな完全な人型を取っており、それは幸庵も例外ではなかった。奥屋敷で見せる耳と尻尾はすっかり隠されている。

「さて、佐那には何をしてもらおうかね。読み書きはできるかい?」

 幸庵の問いかけに、佐那は胸を張った。

「馬鹿にしないで! 読み書きだけじゃなくて、算盤もばっちりよ」

 表の顔である『玉楼』で裏方仕事の多い佐那は、店の掃除などの雑用だけでなく、忙しい時は帳簿の手伝いもしていた。

「それは心強いね。まずは利康にいろいろと教えてもらうといい」

「嬢ちゃん、こっちじゃ」

 店の表玄関を上がったところ。左の方にある帳場机に座った利康が手招きをする。

「台帳の見方はわかるかのう?」

 ぱらら、と広げられた台帳に、佐那の見たことのない文章や数字が羅列してある。未知のものにわくわくしながら、佐那は利康の隣に座った。

「うちはお客から物を預かり、その価値に応じて金を貸しているのじゃ」

「要するに質屋さんってことね」

 高利貸しの悪い噂が立っているが、表向きには質屋という情報も佐那は調べていた。

「うむり。ま、商売はそれだけではないがの。とにかく、この台帳は貸した金額や、預かった質草を記録したものじゃ。これが借りた者の名前で、こっちが質草。これは貸した金額じゃの。そして……」

 ふむふむと説明を聞いていると、さっそく一人の若い男が店を訪れた。暖簾をくぐって聞こえるは威勢のよい声が響く。

「ようっ! 幸庵の旦那!」

「おお、次郎じゃないか。今日は何の用かい?」

 幸庵の座る位置は店の中央。そこからにこやかに対応する。

「そりゃあ、今日が質流れの日だからな。忘れずに取り戻しておかねえと。お、そっちの可愛らしいお嬢さんは新顔か? 幸庵の旦那も隅に置けねえなあ。あ~、もしかして、質入れされちまったのか? そいつあ可哀そうだ。金があればオイラが買い取ってやりたいくらいだ」

 ポンポン飛んでくる軽口に、佐那は微笑をもって応じた。この程度の輩は『玉楼』でいくらでも慣れている。

「いいえ~、これからひと月、ここで修業させてもらうんです。次郎さん……でしたっけ、この佐那を是非に御贔屓に!」

「おう、いい返事だ! 幸庵の旦那もいい嫁さんをもらったもんだ」

「残念! あたしは嫁じゃありません~!」

 そんなやり取りをしているうちに、いつの間に席を外していたのか、利康が奥の部屋から布に包まれた品物を持ってやってきた。幸庵に「おいで」と手招きされ、佐那もその隣へと移動する。

「次郎様、こちらですかな」

 利康が丁寧に包んでいた布を解くと、中から出てきたのは金槌やノミなどの大工道具。どう見ても仕事道具にしか見えない。

「佐那ちゃんだっけか。いまオイラのこと、仕事道具を質草にする、どうしようもねえやつって思ったろ?」

「い、いいえ~、そんなことは……!」

 図星を突かれ視線が泳ぐ。うははは、と次郎は声を上げて笑った。

「いいんだぜ、オイラは甲斐性のねぇ男だからな。こうして仕事道具の一部を質入れしとかなきゃ、働こうって気にならねえんだ」

 次郎は腰の巾着を外すと、じゃららと銭を畳へとバラまいた。ひの、ふの、と数えてから幸庵へと渡す。

「これで二分と八百文あるはずだ」

「佐那、確認しなさい」

 銅銭の山を押し付けられ、めんどくさ、と思いながらも佐那は数える。四文銭も混じっているため、間違えないように山を分けながら数えていく。

「おお、初めてにしちゃ手際がいいねえ。まるで熟練の技みてえだ」

 佐那の手元を見詰めながら次郎が感嘆の声を上げる。『玉楼』でお金も扱っていた佐那にとってはお手のものである。いくらもしないうちに全ての銅銭を数え終わった。

「ええっと……十六文足りない……」

 ぼそっと呟くと、次郎の肩がびくっと震えた。幸庵は面と向かって責めるわけでもなく、にこにこと次郎を見詰めるのみ。

「ちぇー、佐那ちゃん、少しくらい間違えてくれてもいいんだぜ?」

 次郎はおどけて見せると、観念した様子で足りない十六文を佐那の前に足した。

「はい! これでぴったりですね。ありがとうございます!」

「うおう……いいねえ、その笑顔。勢いで追加の銭を置いていっちまいそうだ」

「私の店としては多い分には全く問題ないのだがねえ」

 幸庵の口ぶりがおかしかったのか、次郎が、うははと大声で笑う。

 次郎は取り戻した大工道具を風呂敷に包むと、別の包みを差し出してきた。それを幸庵が開けると、中身はお猪口や徳利といった酒器の一式。

「しばらく酒断ちをするつもりなんだ。だが、これが家にあっちゃ飲むなってほうが無理ってもんだ。しばらく預かってくれねえかい」

「それは殊勝な心掛けだねえ。何かあったのかい?」

 訊ねる幸庵に次郎ははにかんだような笑みを見せた。

「うちの嫁さんがね、そろそろなんだ」

 お腹をさするような仕草で、子供が産まれるのだと佐那は察する。幸庵もそれを理解したようで、営業用の愛想笑いから、本当の微笑みへと表情が変わった。

「それはおめでたいね。これを機に、真っ当に仕事を頑張ろうってことかね」

「ま、そんなところさぁ。それより、そいつはいくらだ?」

 ふぅむ、と幸庵は徳利と猪口を品定め。

(大したものじゃないんだけど、どうするつもりだろ)

 義賊として活動したおかげで、佐那もある程度の目利きはできる。薄い灰色をした徳利は悪い品物ではないが、それほど特別な値段はつかないはずだ。

「そうだねえ、この品はうちで買い取ってしまいたいところだ。二両といったところでどうだい?」

「おおっ! 幸庵の旦那、太っ腹だな。助かるぜ!」

 驚いて目を丸くする佐那の隣で、利康が小判を二枚用意して次郎へと渡す。

「じゃ、また気が向いたら立ち寄るぜえ!」

 次郎にとっても想像以上の金額だったのだろう。口笛を吹きながら、意気揚々と店を出て行く。

「ねえ、これどういうつもり?」

 佐那は次郎の姿が見えなくなるなり幸庵へと向き直った。酒器を指さして問い詰める。

「そんな価値ないよね? もしかして、高い値段を提示して、あたしにいい顔しようって思ってる? だとしたら、あたしをバカにするのも大概にして!」

「ほほう。では、佐那。君の見立てではいくらくらいかね」

 逆に問い返され、佐那は眉間に皺を寄せた。徳利を手に取って、再度確認する。

「……二分ってところかな。どんなに頑張っても一両はいかない」

 佐那の言葉に幸庵の右手が上がる。目利きが間違っていて、ぶたれるのかと身を硬くしていると、よしよしとばかりに頭を撫でられてしまった。

「素晴らしい目利きだ。佐那はまるで私の店へ嫁ぐために生まれてきたような娘だね。ますます欲しくなったよ」

 褒められている……のだが、なんだか全然嬉しくない。佐那はぶるる、と頭を振って手を払いのけた。

「じゃあ、どうしてあんな値段を?」

 相場を無視した高額な値段での買い取り。高利貸しとしての悪い印象を消そうとしたとしか考えらえない。だとしたら、佐那にとっては逆に幻滅でしかない。

「安心するがいいよ。君にあんな誤魔化しは通用しない。こうして逆に怒って来るのは当然だろう。私がこれだけの値段をつけたのは別に理由がある」

「……もしかして、ご祝儀?」

 生まれてくる子供のためなのだろうか。それにしても奮発し過ぎな気がする。

「それもあるが、他にも理由があるのだよ」

「他にも……?」

「おっと、考えるのは後だね。先ほどの分を台帳に記録しておかないといけないからね。利康に教えてもらいなさい」

 佐那を帳場机の前に座らせると、幸庵は次の客に応対すべく店の前へと出て行く。

(何なのだろう……)

 もやもやと疑問が残るも、佐那に考えている猶予はなかった。利康に帳簿の付け方など、多くのことを教わって、それを覚えるのに精いっぱいになってしまったからだ。


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