第七話 筋を通すべき人

 奥の屋敷から渡り廊下を通って表の屋敷へ行くと、部屋の景色が変わった。綺麗に清められているのは奥屋敷と同様だが、調度品が明らかに人へ魅せるものへと変わっている。豪華な品々は、まさに大金持ちといったところ。

 あの壺は何十両、あの掛け軸は何十両、と品定めをしているうちに、客をもてなすための部屋へと到着する。そこで待ち構えていた二人の顔に佐那は驚いた。

 佐那と同じ歳くらいの少年が、今にもこちらを見詰めている。

 その隣では、黒紙で総髪の長身の男。その鋭い瞳に睨まれれば、何者をもひれ伏さすだろう。『玉楼』の店主であり、かつ、義賊としての佐那の頭領でもある左近だった。

「吉平、左近様!」

 無事だったのね、と続けかけて佐那は慌てて口を噤んだ。この二人と自分の関係は、どこまで幸庵に知られているのだろうか。思わず二人の名を呼んでしまったのは不味かったのではないだろうか。

 対応に悩んでいると、左近が安心しろというように頷いた。

「お前は幸庵殿の屋敷の前で『倒れていた』そうだな。よくぞ無事でいてくれた」

「左近様……」

 ほっ、と佐那は息を吐く。それと同時に、佐那の知らないところで幸庵と左近。二人の間でやり取りがあったのだろうなとも直感した。

 お茶を持ってきた文福がみんなの前に出すと、その場には幸庵、佐那、左近、吉平の四人が残される。

 茶を一口啜ってから幸庵が口を開いた。

「これはこれは、玉楼の楼主ではありませんか。しがない金貸しの私へ何の御用で?」

「ふん、白々しい。俺の店の者が世話になったそうではないか」

 左近は鼻で笑うと、二日前に忍び込んでいるのは棚に上げて、いけしゃあしゃあととぼけた。幸庵は「うふ」と笑い、佐那へちらりと視線を向けた。

「いやぁ、驚きましたよ。私の屋敷にこのような可憐な少女が倒れていたのですから。聞けば『玉楼』の者だと言うではないですか。私も何度か『玉楼』へは足を運んだことがありますからねえ。そこで、左近殿へ使いの者を出したというわけです」

「ほほう。その者が白状したと申すか」

 冷やりとするような左近の声音。幸庵がやや慌てたように付け足す。

「私は『玉楼』で彼女の顔を見ていましたからね。確認しただけですよ」

 ふうむ、と左近が顎を撫でる。

 佐那は唇を噛んで視線を落とした。捕まってしまったのは佐那の責任。おまけに『玉楼』との繋がりもこうしてバレてしまった。左近はどう思っているのだろうか。

 そんな佐那を見ていたたまれなくなったのか、吉平が声を上げた。

「左近様! 佐那は『倒れていた』だけなんですから。その佐那を今日は迎えに来たんじゃないですか!」

「そうだな。吉平も心配し過ぎだ」

 厳しい表情を左近は崩し、今度は少しばかり皮肉気な笑いを浮かべた。

「名だたる者から金品を巻き上げ、ここまで大きくなった幸庵殿の商売。これを機会に少しでも学んで帰りたいものだ」

「うふ。何を仰いますか」

 幸庵は余裕の表情で受けた。

「玉楼といえば、春は売らないという特異な商売で人を惹き付けることに成功した。左近殿の手腕はこの幸庵、まことに感服しておりますよ。この幸庵にも、その秘訣をご教授お願いしたいものです」

 ふふふふ――男二人の腹の探り合い。

(ええと……?)

 見た目とは裏腹の、張り詰めた雰囲気に、佐那は背筋に冷や汗が流れるのを感じた。下手に自分が口を挟まないほうがよさそうだ。

「幸庵殿も、朝の時間は忙しかろうから、話を早くに済ませよう」

 薄い笑いを引っ込めると、左近が本題に入った。

「『倒れていた』佐那を返してもらいたい。しかし、こちらもせっかく連絡を頂いたのに、手ぶらというわけにはいかないだろう」

 話をする左近の隣で、吉平が風呂敷包みを開いた。そこから出てきたのは切り餅が四つほど。

「幸庵殿にとってははした金かもしれぬが、これでどうだろうか? 足りぬというのであれば、追加を持ってこさせるが?」

「おやおや、これはご丁寧なことだ」

 百両という金額に、佐那はくらりと眩暈を感じてしまった。自分のためにこれだけのお金を使わせてしまうのを申し訳なく思う。

(だけど、あたし……しばらく動けないんだよね)

 自分の負った胸の傷の件がある。幸庵が取引に応じたとしても、その治療が終わるまでは頷かないだろう。左近も吉平も陰陽師的な力は持っておらず、幸庵があやかしというのは夢にも思っていないに違いない。

 幸庵の様子は飄々としており、何を考えているのか全く掴めない。だが、佐那の裏事情を知らないと、左近には不利である。どうやってそれを伝えるか悩んでいると、おもむろに幸庵の腕が彼女へ伸びて来た。ひょい、と持ち上げられて幸庵の膝の上へ。

「ほえ……?」

 突然の出来事に、間の抜けた声を上げるしかできない佐那の頭を、幸庵の手が優しく触れた。

「せっかくの左近殿の申し出ですが、私はこの佐那を気に入ってしまいましてねえ。こうして『倒れていた』のを拾ったのも何かの縁。手放したくないのですよ……ああ、もちろん、ただとは申しませんよ」

 口を開きかけた左近を遮るかのように幸庵が続けた。

「五百両出しましょう。これでお互い手を打ちませんか?」

 うわあ……と、心の中で佐那は悲鳴を上げた。

 幸庵は佐那に義賊を辞めさせたいと言っていた。そのための一手とするならば、これは有効な手段だ。左近からすれば、佐那一人で全ての秘密が守られる。彼女の感情や立場を抜きにすれば、お互いにとってこれほどよい取引はない。

「ほほう、幸庵殿もそのような小娘を欲するとは奇特な趣味ですな。残念ながら『玉楼』の商売に、女は入っていないのだが」

 左近が渋い表情で肩をすくめ、売るつもりはないと告げる。幸庵は穏やかな表情のまま食い下がった。

「人の好みはそれぞれですからねえ。五百両で足りないとなれば、千両とかどうです。それとも、二千両かな? お金だけは捨てるほどありますから、そちらの言い値をお支払いいたしますよ?」

 負けじと金額が上積みされていく。

 千両など遊女でも最高位である、花魁が身請けする時の金額だ。玉楼では下っ端扱いの自分にかけられる金額ではない。

(ま、まさか、売られたりはしないよね!?)

 ふむ、と腕を組んで考え込む左近を見て佐那は焦った。その隣に座る吉平も不安そうな顔をしている。助けに来てくれたと思ったら、売られるのが確定しました……なんてことになったら、心身ともに立ち直れなくなってしまう。

「……安いな」

 腕を組んだ姿勢のまま呟いたのは左近だった。

「うちの店の女が千や二千両程度で買えるとは安く見られたものだ。そんなに欲しいのであれば、最低でも一万両は持ってきてもらわねばな」

「一万両ですか」

 完全に吹っ掛けられた値段。幸庵はふわりと笑みを浮かべた。

「それで買えるとあれば……」

「ま、残念ながら、その娘は売り物ではないのだが」

 まるで返答を予想していたかのように、左近が幸庵を遮った。

「ゆくゆくは俺を支える者として育てようと考えている娘だ。身請けなどといった話は受け付けておらぬのでな。さっさと返してもらおうか」

 有無を言わせぬ気配に、佐那はほっと安堵の息を漏らす。心配するまでもなかった。やはり左近は、自分のことをかけがえのない仲間だと思ってくれている。

「それは残念です」

 幸庵も想定内の反応だったのだろう。大して残念な様子も見せずに頷いたが、すぐに後を続けた。

「ですが、こちらも『倒れていた』彼女を助けた身なのでね。その恩を返してもらうまでは手放すわけにはいきませんねぇ」

「ふむ。確かにそちらの懐具合を考えると、百両や千両ではとても足りませんでしたな。こちらも恥ずかしい金額を提示してしまった」

「いえいえ。お金の問題ではないのですよ」

 ほう、と左近の眉が上がった。駆け引きの連続で、佐那は口を挟む暇がない。幸庵の手は相変わらず佐那の頭を撫でている。

「どうやらこの娘は、私の店に対して偏見を持っている様子。それでは私も面白くないのですよねえ。ひと月ほど、私がこの娘を拝借するということでどうでしょう? 片腕として育てるおつもりなら、別の店の仕組みを覚えるのもきっと役に立つはず」

 ひと月。佐那はそれが自分の傷が治るまでの期間だと悟った。どちらにしろ、それまではここを離れられない。幸庵の腕の中から身体を起こして逃れると、佐那は畳に両手をついて頭を下げた。

「左近様、あたしも『お勉強』のためにここへとどまりたいです。どうか、お願いいたします」

 この『お勉強』とは、佐那が店の事情を詳しく探るという意味だ。最初の忍び込みは失敗してしまったが、ここで佐那が状況提供者になることで、次回は確実かつ安全に金目の物を盗み出す。

「成程、このあたりが手の打ちどころか」

 深掘りされて困るのは左近のほうだ。佐那だけなら御用聞きあたりに引き渡すのも可能なのだから。立場的なところを考えると、ここで引くべきだと決断したようだ。

「では、幸庵殿。ひと月ほど預ける」

 吉平に荷物をまとめるよう指示し、左近は立ち上がった。去り際に佐那へと視線を向ける。

「佐那。よく学んでくるのだぞ。期待している」

 その背中を追いかけようとしていた吉平だったが、どうしても心配だったのか、佐那の前にいそいそと戻って来ると手を握ってきた。

「苦しかったらいつでも手紙を寄越せよ。オレがすぐに助けに来てやるからな!」

「はいはい。威勢のいい少年はお帰り」

 ひょい、と横から手が伸びてきたかと思うと、佐那から吉平は引き剥がされた。幸庵はちょっぴり不満そうに唇を曲げて、吉平の背中を押していく。

(あれ? 実は幸庵って子供っぽい?)

 少しだけ笑いそうになった佐那なのだった。


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