第三話 まさかのあやかし屋敷

(これはまずい、ひじょーにまずい!)

 部屋に残された佐那は焦っていた。

 差し迫った問題の中に、命の危機はないようだ。しかし、何を血迷ったのかあやかしに気に入られてしまい、今度は貞操の危機に陥っているような気がする。

 人ならぬ力を持つあやかし。彼らが人間の世に関わり合いを持つことは多くはないが、人間の常識が通用しない存在であるのも事実。それらから人間を守るために陰陽師なるものがあるのだ。

(力づくでは何もしないって……)

 弱いながらも陰陽師の才がある佐那は、彼女を治療したという人形に掛けられた術が、かなり高度なものであることを読み取っていた。瀕死の人間を救うだけの力があるあやかし。今は機嫌がいいものの、その機嫌を損ねれば一体どうなってしまうのか。

「やっぱり、どうにかして逃げるしかない」

「え? 佐那様? 何か仰られましたか?」

「おっと……な、何でもない!」

 隣に狸のあやかし――文福が残っているのを忘れていた。佐那は慌てて笑顔で取り繕う。このあやかしは人型だが、それほど力を持っているわけではない。そう見定めながら佐那は問いかける。

「ねえねえ、あたしって、ずっとこの部屋の中にいないと駄目なの?」

「いいえ。屋敷の中なら自由に歩けますよ。その時はわたしが案内するように申し付けられています!」

 ふうん、と佐那は顎に指を当てて考える。

 逃がさないつもりならこの部屋に缶詰めかと思いきや、自由は与えられているらしい。逃げるにしても屋敷の内部構造を目にしておくのは役に立つはず。そう考えた佐那は、案内してもらうよう頼むことにした。

「ならよかった。えっと、文福だっけ? 案内お願いね!」

「いえ! 佐那様はわたしの命を救ってくれた恩人なのです! なんでもお申し付けくださいね!」

 小気味よい文福の返事に、佐那は少しだけ胸が痛んだ。逃げるための偵察、とは露ほども文福は思っていないようだ。

(こう、真っ直ぐな子だと……やりにくいなぁ)

 くりっとした真ん丸瞳は、とても可愛らしい。むしろ、悪徳高利貸しの元から救い出してやらないといけない気すらしてくる。

(助ける……か)

 吉平に左近。二人とも無事に逃げられただろうか。

 不意に黙り込んだ佐那を不審に思ったのか、文福が心配そうに問いかけてきた。

「どうかしました?」

「昨日の襲われたときのことを考えてたの」

 文福がその時を思い出したのか、ぶるりと肩を震わせた。

「物音がしたので何があるのかと蔵へ行ったのですが、あんなおっかない人間が出て来るなんて思ってもみませんでした」

「え? 人間? あたしには、黒いもやもやをした、あやかしにしか見えなかったんだけど」

 そんな馬鹿な、と佐那は首を傾げる。あやかしが、あやかしを見間違えることがあるのだろうか。

「あ、あやかしだったのですか? う~、わたしは怖くて腰が抜けちゃって、あまりよく見てなかったのですよね……」

「あれは絶対にあやかしだったから!」

 きっぱりと佐那は言い切った。

 あれは絶対にあやかしの気配だった。それに忍び込んだ仲間が屋敷の者を襲うわけがないし、何より佐那に斬りかかってくるわけもない。

「そうですかぁ、あやかしだったのですねぇ……同じあやかしとして、腰を抜かすとか情けない。でも、幸庵様はすごいですよねぇ。心の臓を貫かれた佐那様を、こうして何事もなく復活させたのですから」

「あは、あははは……そ、そうね」

 頬を引きつらせて佐那は何とか平静を保った。傷の位置とその深さ。あまり考えないようにしていたのだが、面と向かって指摘されると笑うしかない。即死していて同然の傷だったのだ。

「とにかく! 早く屋敷の中を案内してほしいな!」

「はい! 疲れたらすぐに教えてくださいね?」

 文福が引き戸を開けて佐那は外へ出る。

「おお……」

 青々と茂る庭木の数々。流れる小川はまるで自然のようであり、庭の奥側に見える池には何匹もの鯉だけでなく、他の小魚も泳いでいるようだ。何処からか鹿威しの音が響くと、木に止まっていた鳥が、ぱっと空へと飛び立つ。ところどころに立つ蔵は、見事に周囲に溶け込んでおり、まるで打ち捨てられた廃屋のように趣がある。

 まるで大名屋敷のような庭園は、夜に忍び込んだ時とは全く違った様子に感じられて、見る者の目を楽しませ、佐那ですら感動してしまったほどだ。

「素晴らしい眺めでしょう! このお庭は幸庵様の自信作なのですよ。わたしも毎日お手入れを手伝っているのです」

 えっへん、とばかりに隣で文福が胸を反らした。

「この広さだと管理が大変じゃない?」

「お庭はそうでもないですよ。毎日お手入れをしなくても、植物のほうが幸庵様に気に入られようと思っているのか、ほどよく伸びてくれるので。お屋敷の掃除のほうが大変ですね。毎日やらないといけないのと……」

 がっちゃーん!

 屋敷の縁側を歩いていると、派手な音が幾つか部屋をまたいだ向こう側から響いた。なんだなんだと文福が走り出す。その後を付いて行くと、部屋を三つ挟んだ奥の部屋の縁側で、倒れた手桶が水をぶちまけていた。その側には、文福よりもさらに若い、七、八歳ほどの男の子の姿。彼にも丸い耳とぼてっとした尻尾がある。

「あら、大変!」

 文福が動くよりも先に佐那は身体が動いていた。手桶の側に駆け寄ると、落ちていた雑巾を拾い、畳にも侵入していた水を手早く追い出していく。

「お、お姉さん!?」

 驚いたような男の子の声。すぐに文福の叱責が飛んだ。

「こら、福太っ! ま~たやってしまいましたね!」

「ひぃ~、文福お姉ェ、ごめんなさいい~~」

 微笑ましいやり取りではあるが雑巾が足りない。佐那は雑巾を力いっぱい絞りながら指示を出す。

「文福、もっと雑巾ないかな?」

「あ、はい。今お持ちします! っていうか、わたしたちが片付けるので、佐那様はお構いなく~!」

 だだだ、と足音が遠ざかり、いくらも経たないうちに戻って来た。

 文福の両手に十枚以上雑巾が抱えられている。佐那はそれを受け取ると、部屋の内側から外側へと水を押し出すようにして拭いた。彼女の真似をするように文福も、福太も手伝ってくれる。結構な大惨事ではあったが、三人で協力したおかげで思ったよりも早く拭き終わった。

「さすが、佐那様。的確な指示をいただき、ありがとうございます! おかげで助かりました。ほら、福太もきちんと礼をする!」

「えへへ、ありがとうお姉さん!」

 ぺこり、と頭を下げてくる福太が可愛らしい。だが、佐那はひらひらと手を振りながらも、心の中では頭を抱えていた。

(しまった。どうしてあたしはこんなことを~~っ!)

『玉楼』での癖で、つい身体が動いてしまった。義賊の仕事もあるため、あまり客を取らない佐那は、『玉楼』では裏方仕事が多かったのだ。

「このような感じで、うちの屋敷にはまだ若いあやかしが多いのです。いまも手桶を妖術で操り損ねちゃいましたね。正式な人型に化けられる者は店に出ていますが、そうでない者はこうして屋敷や庭の維持をしています」

 へえ、と佐那は縁側を歩きながら屋敷の部屋を覗いていく。たしかに掃除をしている者は若そうに見えるあやかしばかりだ。人型への変化も怪しい。ふと、隣を歩く文福を見ると、いつの間にか耳と尻尾が隠されていた。彼女は店へ出るあやかしなのだろう。

「このお屋敷って人間はいないの……って、いるわけないか」

 質問しかけて、自分でそれを否定する。くすくすと文福が笑った。

「付喪神になりたてや、あやかしとして人型が取れるようになった者ばかりを幸庵様が集めていますからね。人間の世の常識を知らないと、あっという間に陰陽師に討たれてしまいますから」

「ふうん……」

 高利貸しの割には、やっていることは人助け――もとい、あやかし助けのようだ。あやかしの悪戯は人間の世では、当然の如く好まれない。それが行われる前に防いでいるとすれば、少しは見直してもいいのかもしれない。

(いやいや、そんなことないし!)

 ぶんぶん、と佐那は首を横に振って否定する。集めてきた情報では、ここのために身ぐるみ剥がされた者が多いということだったではないか。

「――あら? その娘が昨日の賊かしら?」

 背後から敵意を感じ取り佐那は振り返った。佐那よりも少し背が高く、花魁もかくやというほどの美しい顔立ちの女性。黄色を基調とした格子柄の着物の上からでも、身体の凹凸がわかる。耳に下げている和錠のような耳飾りが目を引いた。

「鈴姫(すずひめ)様、おはようございます! 佐那様、こちらがこのお店の蔵の管理をしている鈴姫様です」

「はあ。おはようござい……っ!?」

 文福に紹介されるも、最後まで挨拶をする前に、佐那の身体が強烈な力で上から押さえつけられた。たまらず膝をつき、そのまま土下座をするような格好になる。

(こ、これは、妖力っ……!)

 必死に抗おうとするもどうにもならない。

「人様の家に泥棒に入っておいて、いけない娘ですわ」

 目の前にしゃがみ込んで来た鈴姫が、佐那の顎をぐいっと掴むと顔を上に上げさせた。

「申し訳ありません、わたくしたちの奴隷として一生を捧げます、くらい言えないものなのかしら? 躾けのなっていない人間は嫌いですわ」

「す、鈴姫様! お待ちください!」

 文福が慌てたように鈴姫の耳元で何かを囁いた。「はあ?」と眉間に皺を寄せて、刺すような視線が佐那へと向けられる。そのまま殺気だけで殺されてしまいそうな雰囲気。

 やがて、鈴姫がパチンと指を鳴らすと、佐那の身体は後方へ弾き飛ばされ、一間ほど縁側をゴロゴロと転がった。

「幸庵様が仰るならしかたがないですわ。命拾いをしましたわね」

 腰を打って、イタタ、とさすっている佐那をしり目に、鈴姫は屋敷の表の方へと立ち去った。

「お怪我はないですか、佐那様!」

「……なに、あいつ!」

 泥棒に入ったのは事実だが、なぜかそれ以上に恨まれている気がする。

「鈴姫様は責任感が強いお方ですからね。お屋敷の警備も任されていますから。佐那様に出し抜かれてしまって面白くないのだと思います」

「あー、あのあやかしが警備もしてるのね」

 その説明に納得もする。鈴姫の顔に見事に泥を塗ったのだから。

(まあ……捕まったあたしが悪いんだけど)

「佐那様、どうされましたか? もしや風邪でも……」

 大きなため息をついていると、文福が気遣ってくれる。佐那は猫のように、うんっ、と大きく身体を伸ばした。

「うーん、ちょっと疲れちゃったかも」

「それはいけませんね! お部屋に戻りましょう!」

 うんうん、と頷きながら回れ右をして部屋へと向かう。

 ここまでのやり取りで、脱出経路は頭の中に完成した。あとは頃合いを待って実行に移すだけだ。

(左近様、吉平……心配してるだろうな)

 佐那は縁側で一瞬だけ立ち止まり、庭のはるか向こう側にある白壁を見る。

 みんなのためにも絶対に脱出しなければ。

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