第二話 佐那、捕まる

 ――チュンチュン。

 元気一杯な小鳥のさえずりが聞こえる。格子窓から伸びてきた朝の光が瞼にかかり、「……ん」と佐那は身じろぎをした。

(暖かい……)

 微かに動かした指先に触れたのは、上質の絹のようなふんわりとした手触り。滑らかでかつ蚕の繭のように心地よい。

「ふぁ……って、ここは?」

 ゆっくりと瞼を開けると見知らぬ天井が見えた。目をこすりながらゆっくりと寝返りを打つと、ふかふかとした布団の上。指で押すと柔らかいながらも強い弾力。ふんだんに木綿が使われているのだろう。それが三つも重ねられているとあれば、吉原の花魁もびっくりしてしまうに違いない。

 人の気配に右手へ顔を向けると、可愛らしいくりっとした瞳の少女が座っていた。

(え……?)

 その少女の姿に佐那は目を丸くする。なぜなら、頭にはひょこっと丸い耳があり、腰のあたりには先端の太い、まるで狸のような尻尾があったからだ。

「あー! お目覚めになりましたね! よかったですー!」

 部屋の障子がビリビリと震えるような勢いで、その狸少女が叫んだ。

「そのまま待っていてくださいねー!」

 佐那の意識が追いつかないままに立ち上がると、部屋の板戸を開けてあっという間にどこかへ行ってしまった。

「ええっと……」

 一人残された佐那は、首を捻りつつ身体を起こした。途中、ずきん、と胸の真ん中が痛んで胸を押さえた。

(あたし、何してたんだっけ?)

 記憶が散乱している。佐那は眉間に皺を寄せて一つ一つ整理していった。

 吉原にありながら、春を売らない特異な商売で有名な『玉楼』。その裏の顔は、悪い噂のある金持ちばかりを狙い、江戸の町を賑わす義賊の『朝顔』。

 昨夜も『玉楼』の女として忙しく働いた後で、『朝顔』の仕事の準備をした。その日は、世間で悪い噂の絶えない高利貸しの屋敷が標的だった。いつものように忍び入り、仲間のために蔵の鍵を開けた。佐那も自分の担当の蔵に入り、金目の物を探していた。そこで屋敷の者に見つかってしまい逃げることになったのだが、途中で禍々しい気配のあやかしに刃で貫かれて……。

「うっ……!」

 もう一度、ずきん、と胸に痛みが走り、佐那は恐る恐る白い寝間着の前をはだけて中を見た。

「何もなってない……」

 刺されたと思った胸元は、傷一つなく滑らかだった。

 確かにあの時、胸のど真ん中を突かれた感触が残っている。それだけでは済まず、蔵へ串刺しにされるほどの勢いだったはずだ。認めたくはないが致命傷だったに違いない。それなのに、今指で触れてみても、そのような痕跡は一つもなかった。

(どうして……?)

 夢中になって考えていたからだろう。佐那は板戸が開き、若い男が入って来たことに気が付かなかった。

「おやおや、いきなりそのようなあられもない姿を見せてくれるとは。私も目の保養になるねえ」

「ぎゃーっ!」

 佐那にとっては突然かけられた声に、断末魔のような悲鳴を上げてしまった。両手で素早く前を閉じて後ずさる。

「あ、あなたは……!?」

 口をパクパクと開閉させるも、それ以降の言葉が続かない。

 入って来た男は、どきり、とするほど整った顔立ちだった。やや面長で切れ長の目元は、ともすれば冷たく感じてしまうはずなのに、穏やかな口元がそれを打ち消している。背丈は六尺あろうかという長身。佐那とは頭一つ分以上違う。特徴的な黄金色の瞳は、春の陽光のような暖かさが感じられる。

(……って! こっちも、あやかし!?)

 頭部に見える尖った獣の耳は黄金色で、雪のように白い毛が縁どっていた。さらに腰の後ろからも同色の尻尾が見えるではないか。先端が九つに分かれており、尻尾の先端もまた、染み一つない白。

 そして、佐那には感じ取れる――強い妖力。

「よ、妖狐……」

 道具に魂が宿った付喪神ではない。生まれながらにして生粋のあやかし。腕のいい陰陽師が何人も命を賭けて追い払うような存在だ。

「それだけ元気なら、術は成功したようだね。魂が半分口から抜けかけていて、もう無理かと思っていたのだが」

 今のショックで頭が正常に働き始めたのか、昨夜の残りの記憶が、怒涛のように蘇ってくる。目の前の妖狐の声には聞き覚えがあった。

 妖狐は何の遠慮もなく布団へ上がると、ぐいっと佐那の手を引いた。

「私は幸庵(こうあん)という。この屋敷の主人だ。尤も君には――」

 悪戯っぽく妖狐――いや、幸庵が笑った。

「悪名高き高利貸し、浅野屋の主といったほうが通りが良いかな?」

「ひっ……」

 さああああ――佐那の顔から音を立てて血の気が引いていく。

 浅野屋とは、佐那が忍び込んだ店の屋敷である。

 質屋を経営していて、悪徳高利貸しもしていると悪い噂が絶えない。その店の者に捕まったとなれば、この状況はとてつもなくまずい。回れ右をして逃げようとするも、腰が抜けていたのか膝から崩れ落ちてしまった。そのまま顔面から畳に落ちようとしたところで、背後から手が伸びてきて、佐那の寝間着の襟を掴んだ。

「君は子猫のように敏捷だね。あのような重傷を負っていたというのに、もうそれほどまでに動けるとは」

 そのまま幸庵の腕の中に引き込まれ、佐那は逃れようと身をよじった。

「い、いやっ! 離して!」

「あまり暴れないでくれないかい。せっかく塞がっている傷が開いてしまうよ」

 激しく動くとまたもや胸元に鈍い痛みが走り、その場にうずくまる羽目となってしまう。胸元を押さえながら、佐那は何とか顔を上げた。

「ど、どうして、あたしを助けたの? 何が目的なの? ってか、何であやかしが高利貸しなんかしてるの~っ!?」

 痛む胸のことも忘れて佐那は叫んでいた。佐那が忍び込んだ屋敷は高利貸しのはず。決してあやしき屋敷などではない……はずだ。それも、人型を取れるほど上級のあやかし。

「まず君に必要なのは落ち着くことだね」

 幸庵が手を叩くと、お盆をもって控えていた先ほどの狸少女のあやかしが、布団の脇にお盆を置いた。幸庵はその上に乗っていた急須を取り、手の平の大きさの湯呑みに、湯気の出るお茶を注いだ。

「飲みなさい。人間に効果のある薬湯を入れているからね。元気が出ると思うよ」

「…………」

 はい、そうですか。二つ返事で頷くわけにはいかない。それでも喉の渇きを覚えていたのは事実。幸庵は毒が入っていないのを示そうとしたのか、自分にも一杯入れて、ぐいっと煽った。佐那は湯呑を手に取ると、恐る恐る口を付けた。

(うわぁ……これ、美味しい!)

 爽やかな香りが口の中に広がった。僅かながら甘味があり、荒れていた心を静めてくれる。夢中で一杯飲み干すと、お代わりを幸庵が注いでくれた。

「さて、落ちついてくれたところで、君のことを教えてもらおうか」

 穏やかながらも有無を言わせぬ口調。佐那は顔をしかめて俯いた。

 この店の人間――もとい、あやかしにとって佐那は泥棒。単純に考えればこの後、奉行所に引き渡されるはず。下手に情報を与えてボロを出してもいけない。佐那は沈黙を守ることにした。

「ふむ。仕方がない。私が当ててやろう」

 だんまりを決め込んだ佐那の前にお茶菓子を置きながら幸庵が続けた。

「町を騒がしている盗賊の一団がいるらしいね。悪い代官や悪徳商人から金品を盗み、貧乏な者に施しを与える。町では義賊として崇められている。たしか『朝顔』とか名乗っていたね」

 佐那は是とも否とも言わない。だが、彼女の正体に確信があるのだろうとは思う。なぜなら、着ていた忍び装束には朝顔の刺繡が入っているからだ。そして、今の佐那は白い寝間着姿。脱がされた忍び装束は手元にはない。

「それに、君の姿は『玉楼』で見かけたことがある」

「……っ……」

 声を上げそうになったのを、危ういところで耐える。『玉楼』での佐那の地位は低く、客の前に出る場面は少ない。それなのに『玉楼』での佐那と同一人物であると見抜くとは、最初から狙われていたとしか思えない。

「あ、あたしは単独犯よ。仲間はいない」

 口にしてから、白々しい嘘にしまったと思う。それほど、自分から『玉楼』への繋がりを見破られるのを恐れていた。

「ふふ……君は仲間想いなのだね。私の質問に答えてくれたら信じてあげてもいいよ。まずは名前からだ」

 下から物凄い視線で睨んでも幸庵は全く動じない。佐那はそのままの姿勢で呟くように言った。

「佐那。あたしの名前は佐那よ」

「佐那か。可愛らしいよい響きだ」

「答えたから、あなたも答えて。どうしてあたしを助けたの?」

「それは簡単なことだよ」

 幸庵はにっこりと微笑みを浮かべた。

「君を生捕りにしておけば、きっとお仲間が助けに来るだろうからね。そこで一網打尽にしてしまえばよいとは思わないかい?」

「だから、あたしは単独犯!」

 無駄な主張と思いつつも、力強く告げる。

 やっぱり睨んだ通りだった。佐那は仲間を捕らえるための囮でしかない。用が済めばそのまま奉行所に引き渡されるだろうし、助けに来なかったとしても運命が変わることはないだろう。

「とはいえ、これほど可愛い娘が盗賊をしているとは思わなかったからね。私へ一生を捧げるというのであれば、君の命だけは助けてあげてもよいのだが」

「舐めないで。三条河原に晒されるのは、あたしの首一つで十分よ!」

 我が身可愛さに命乞いをするほど落ちぶれてはいない。義賊になってから――いや、それよりも前から、いつかこうなる覚悟は出来ている。

「――と、まあ、悪徳高利貸しならば言うところなのだろうが」

 ところが、佐那の態度に幸庵は怒ることもなく、微笑みを苦笑に変えた。

「わたしは君に、危険な仕事からは足を洗ってほしいと思っているのだよ」

「……は?」

 困惑して佐那は眉をひそめた。忍び込んだ家の者に、どうしてそんな心配をされるのだろうか。

「君は私の配下の命を救ってくれたらしいからね。その恩返しはしたいところだ」

「昨夜は、ありがとうございました! わたし、文福と申します!」

 はきはきと、布団の側に座っていた狸少女の声が聞こえた。ぺこりと頭を下げて、ボテッとした尻尾がひょこひょこ揺れる。

「あっ、あなたは……無事だったのね」

 その声で、謎のあやかしに襲われていた少女は文福だったと理解する。彼女もあやかしだとは思わなかった。謎のあやかしに気を取られていて気が付かなかったのだろう。

「それで、その代わりにあたしの傷を治してくれたってこと?」

「正確にはまだ治療の真っ最中だがね」

 幸庵が指さした押板床の上には、等身大のほぼ半分ほどのサイズの人形が置かれていた。佐那の外見そっくりの人形で、その胸の真ん中にはぽっかりと大きな穴が開いており、不気味な赤い染みを作っていた。

「あの人形に傷を移したのだよ。君の体力が回復する度に人形の傷が治っていく。あまり人形から離れると、人形から生命力の供給が途絶えてしまうからね。君もしばらくは逃げようとは思わないことだ」

 佐那は胸元を押さえてその人形を見詰める。それほど強くはないながらも、陰陽師の術を扱える彼女には、幸庵の言葉が嘘ではないことが理解できる。

「……本当に、それだけ?」

 全く信じられない。そもそも、盗みに入っただけで大問題のはずだ。それを不問にするだけではなく、小者を救ったお礼とはいえ傷の治療までしてもらえる。

「もちろん、それだけではないよ。さっきも話した通り、君にはこれで危険な仕事からは足を洗ってくれるのが条件だ」

「そして、悪徳高利貸しはますます栄えるってことね」

 佐那は、ふん、と鼻を鳴らした。ここで屈したら、義賊としての今までの己を否定するようなものだ。

「悪党の手助けのために屈するくらいなら、このまま奉行所に差し出されたほうがまだましよ! あなたの思うとおりになんて絶対になってやらないんだから!」

「うーん……そうか」

 頑なな様子の佐那を見て、幸庵は鼻の横を掻いた。ぴんと尖っていた耳が横に倒れたのは、困ったという感情が表に出ているのか。

「ふむ、よいことを思いついた」

 幸庵がぽんと、拳で手の平を打った。佐那には嫌な予感しかしない。あやかしの「よいこと」は、人間にとって非常識なことが多い。

「いきなり義賊を辞めろと言われても、困ってしまうのは当然だ。生活もあるし将来も不安だろう。だから、こうしよう。佐那は私の嫁になりなさい」

「……………………はい?」

 たっぷりの沈黙の後、佐那の間の抜けた声が響いた。幸庵は腕を組むと、これは名案だとばかりに何度も頷いている。

「そうすれば、わたしの商売を理解もしてくれるだろうし、佐那も生活に困らない。うんうん、これ以上はない名案だ。傷が治り次第、祝言をあげることにしよう」

「待って待って! 待ちなさいってば! どーしてそうなるの!? あたしを無理やり嫁にとか、やっぱり悪徳高利貸しじゃないのーっ!」

 佐那の悲鳴を聞いて、心外だとばかりに幸庵が首を傾げた。

「もちろん、私は同意の上で祝言をあげるつもりだよ。せっかくの新婚生活。楽しく可笑しく始めたいじゃないか」

「いやいやいやいや」

 死んでも同意しない自信がある。ぶんぶん、と激しく首を横に振っていると、狸のあやかしとは別のあやかしが部屋へと入ってきた。

「幸庵様。そろそろお仕事のお時間ですが」

「おや、もうそんな時間かね。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうから困るねえ」

「あたしはぜんっぜん楽しくなかった!」

 笑いかけてくる幸庵へ肩を怒らせてみせるも、暖簾に腕押し。全く効果を感じられない。それどころか幸庵は、立ち上がりながら追加の爆弾発言を置いて行った。

「今夜、そなたを甘やかすのが待ち遠しくなってきたな。祝言を受け入れてくれるよう、身も心も極楽浄土へ連れて行ってあげる故、楽しみに待っておくがいいよ」

「そんなこと頼んでないし!?」

 佐那の抗議の声も何のその。幸庵は足取りも軽く部屋を立ち去った。


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