義賊の少女は優しき妖狐に心を奪われる

美夕乃由美

一章 義賊の少女

第一話 屋敷に忍び込む

    一章 義賊の少女


 八百八町とも呼ばれる江戸の町が、すっかり寝静まった丑三つ時。

 町の中心からは少し外れたとある屋敷の壁際を、音もなく動く三つの人影があった。闇に紛れるは濃紺色の忍び装束姿。

 その中で一番小柄な影は、鉤縄を土塀の上部に引っ掛けると、するする身軽に上り切った。こっそり中庭の様子を伺ってから、下で待っている者達に合図を出す。すぐに鉤縄が二つ投げられ、三人はあっという間に屋敷の中庭へと侵入する。

 広々とした中庭は、その敷地面積を見るだけで、どれほどの財力を持つか分かろうというもの。緩やかに流れる小川が星を映し、大きな池には鯉が悠然と泳ぐ。池を囲うように何本もの植木が影を作り、細く伸びた小道はまるで迷路のよう。それらの小道には、まるで茶店のように白い壁の土蔵が点在していた。

 植木の影を伝うように動いていた影は、一つの蔵を前にして二手に別れた。一番大きな影がさらに奥へと向かい、二つの影は蔵へと忍び寄った。小柄な影が中腰になり錠前を調べる。その背後を守るようにもう一つの影が周囲に視線を光らせた。

「佐那(さな)。鍵の具合はどうか?」

「余裕よ。大きいだけで見掛け倒しね」

 小声で囁き返した声は少女のもの。佐那と呼ばれた少女は、腰に結んでいた巾着から太さの異なる針金を取り出した。微かな星明りを頼りに、彼女の手よりも大きな錠前に挑んでいく。

(ここをこうして、こっちはここで押さえて……)

 かちり。

 すぐにバネの外れるような音がして、武骨な錠前は外されていた。佐那は蔵の閂を外してから、少年の背中を叩く。少年は開いた蔵を見て、ひゅう、と小さく口笛を吹いた。

「さっすが! 佐那の手にかかっちゃ、どんな錠前でも一瞬だな!」

「しーっ! 声が大きい! 無駄口叩いてないで、吉平(きっぺい)はさっさと探す!」

 佐那は早口でまくし立てると、吉平の背中を押して蔵の中へと放り込んだ。すぐに別の蔵を目指す。

(隠れるとこいっぱい。これは楽な仕事になりそうね。蔵を庭の風景の一部にしてるのだけが面倒だけど)

 普通は一か所にまとめた場所に蔵を配置するものだと思う。何よりこれだけ庭一杯にばらけていたら、蔵へ運び込むのだけでも一苦労だろう。佐那にはとても理解できない、非機能的な配置だ。

(それにしても静かね)

 時間の経過につれて、少しずつ影の位置を変えていく庭園は、とても幻想的で美しい。こんな時でなければ見惚れてしまいそうだ。しかし、町の一角を占有するほどの広い屋敷にしては、警備が甘すぎる。あまりに仕事が簡単すぎて、逆に心配になってくる。

(ま、いっか)

 佐那は深く考えるのはやめて、自分の仕事に集中することにした。幾つかの蔵の前を通り過ぎてから、一番高価なお宝が入っていそうな蔵を直感で選ぶ。

(さてさて、ここはどんな鍵かな~?)

 武骨で鈍い輝きを放つ和錠。ぱっと見て鍵穴がどこにも見当たらないからくり仕掛け。これは当たりかもしれない、と佐那は心を躍らせた。

(腕が鳴るぅ!)

 佐那は腰の巾着から、今度は複雑な紋様が描かれた細長い紙を取り出した。

「式神よ、お願い」

 その声に応じるように、細長い紙はすぐに白い鼠へと形を変える。

 白鼠を佐那は手の平に乗せ、和錠の前へと近づけた。白鼠が錠前の上で何やら探すようにチョコチョコ動いていると、不思議なことに和錠の方に変化があった。

 表面の幾つかの鋲が勝手に動き、和錠の一部が横へスライド。そこにはさらなるからくりがあるも、白鼠の鼻が触れると別の鋲が動いた。それを何度か繰り返すうちに、鍵は勝手に開いて地面へと落ちていた。

(楽勝楽勝!)

 口笛を吹きたい気持ちを抑え、佐那は蔵の閂を抜いた。

 ぎぎ、と重い扉へ体重をかけて開く。蔵内は外よりも更に暗いが、虫籠窓からの星明りのおかげで、完全なる闇ではない。

 佐那は蔵の入り口で目を慣らしてから行動を開始した。

「これは茶器の一式。これは……あらすごい、虎の掛け軸ね。有名な人のじゃん。あ、こっちは唐物の器かな?」

 布で覆われた多くの茶器に、古ぼけた掛け軸。屏風もある。雑多に置かれた蔵の中は数多くの骨董品があり、その価値もピンからキリまで様々。

 ここで盗んだ小判や物品は、両替をしたり売り払ったりして、お金に困っている者達にバラまく事になっていた。江戸の町を賑わせる義賊――『朝顔』としては、悪徳商人から一両でも高価な物を持ち去って、配れる銭を増やしたい。

「割れ物は……やめとこうかな。この根付けと、掛け軸に……」

 千両箱でもあれば一番簡単なのだが、悲しいかな、小柄な佐那の体格では、それを担いで逃げるのは少々厳しい。なるべく軽くてかさばらず、そして価値がある品物となれば、小物が中心となってくる。

「……ん?」

 風呂敷に包むものを物色していると、ふと首筋を何かが触れたような気がした。慌てて背後を振り返るも何の気配もない。

「……気のせい?」

 ……タ、……カタ

「ん?」

 視界の端で何かが動いたような気がした。手を伸ばしてみると、驚いたことに茶器がぶるぶると小さく震えている。

(付喪神? いや、なりかけなのかな)

 百年の年月を経た道具は精霊の力を得て意思を持ち、自由に動くことが出来る付喪神へと成る。そうそうお目にかかるものではないが、どうやらこの蔵には古い道具が多いらしい。注意して観察すると、他にもあやかしの気配を感じるものがある。佐那は用心深くそれらを避けた。せっかく盗んだとしても、足でも生えて逃げて行ってもらったら困る。

「これはこれは、可愛い泥棒さんだね」

「――っ!?」

 突然背後から聞こえた声に、はっ、と佐那はその場を飛びのいていた。

(うそ……ぜんぜん気が付かなかった)

 蔵の入口から伸びる細長い影。声からすると若い男だろうか。暗がりに自分の身を隠しながら、佐那は内心小さく舌打ちをしていた。これだけの接近を許すとか、付喪神のなりかけに気を取られ過ぎていた。

(どうしよう……)

 入口には男一人しかいないようだった。腰に刀を差しているが、身体の線は細くひょろ長い。正面突破は可能だろうか。

「はて、君は町を騒がしている義賊の泥棒さんかな?」

 ゆっくりと男が蔵内へと足を踏み入れる。佐那が闇へ隠れた先を見ていたのだろう。男の足が真っ直ぐに彼女の方へと向く。佐那は床に伏せるぐらい身体を低くして、そのまま影の中を移動した。幸いなことに、雑多な蔵の中は隠れる場所が山ほどある。

「怖がらなくてもいいから出ておいで」

 そんなことを言われて出る馬鹿はいない。

(使うしかないか)

 佐那はこっそりとお札を取り出した。錠前を開けた時と同じもので、そこに描かれているのは鼠の姿。囁くように言霊を籠めると、それは何匹もの白い鼠へと変化した。

(任せたよ、お願いね)

 佐那が念じると同時に、一匹が勢いよく物陰から飛び出した。

「見つけ……いや、これは……っ!?」

 男が反応するも、すぐに鼠だと気付く。佐那は手元の鼠を、男を翻弄するように次々と繰り出した。

「むむ……これで私の目を誤魔化せると……おおっ!?」

 余裕のあった男の表情が凍り付く。雑貨が所狭しと積まれた棚が、ぐらぐらと揺れていたのだ。

「うわ~~~~っ!」

 ずどどどーんっ!

 崩れ落ちた雑貨の山が見事に男を生き埋めにした。もちろん、足止めにしかならないのだが、逃げるには十分な時間。佐那は男が雑貨の山から脱出する間に蔵から出ていた。そのまま扉を閉め、外から閂と鍵をかけてしまう。

「これこれ! それはいけないよ。私を早く出しなさい」

 慌てたように男が激しくドンドンと蔵の扉を叩く。その時には、既に佐那は胸元から呼子笛を取り出していた。大きく息を吸い込んで思いっきり吹く。見つかったからには長居は無用。撤収の合図だ。

「ぞ、賊だ! 賊がいるよーー!」

 屋敷の者だろうか。笛の音を聞いて駆けつけてきた者が佐那の姿を見つける。佐那もそれは計算の上だ。失敗をした分は、自分が囮となって逃げる時間を稼いで取り返す。佐那は式神を何枚も取り出すと、数十匹の鼠を生み出した。それらは散り散りに走り、足音を盛んに立て、樹木を激しく揺らす。

「ぞ、賊の人数は多いのか!?」

 泡を喰ったような悲鳴を背に佐那は屋敷の庭を疾走する。素早い動きでかく乱し、ひたすら広い庭を走り回った。

 しばらくそうして大立ち回りをしていると、佐那がいる場所とは反対の方角から呼子笛が聞こえた。危機は脱したという吉平の笛だ。

(よかった! 後は左近様の合図があれば)

 佐那達の頭領である左近。彼が最終的な撤退命令を下す。物陰に隠れて少し待っていても、その合図は一考にない。もしかして捕まってしまったのだろうかと心配になる。

 左近は佐那よりも奥の蔵を目指していたはず。いま隠れている位置からそれほど遠くはない。佐那は庭の繁みの下を這うようにして移動した。

「うひゃぁっ!」

 繁みを二つほど過ぎると、すぐ右手から悲鳴が上がった。左近のものではないが、あまりに恐怖に怯えた声で気になり、そちらへ方向を変えた。

 繁みを抜けたその先には、ぼうっ、と鈍く光る刀を上段に構えている、男のような背中があった。その足元には、腰を抜かした十二、三歳くらいの小姓の姿。刀を持った男の背格好は左近と似ているが、その纏う異様な気配に左近ではないと断定する。

(これは……あやかしの気配っ!?)

 どうしてこんな場所にあやかしがいるのだろうか。いや、それを考えるのは後だ。

「だめぇっ!」

 今にも降り降ろされようとしていた刀に、佐那は反射的に飛び出していた。金品を盗んでも、人の命は奪わない。それを実践しているからこそ、世間では彼女たちを義賊として認めてくれているのだ。どんな理由であっても、犠牲を出すわけにはいかない。

「ぐっ……!」

 振り下ろされようとした太刀を、抜いた小太刀で弾く。その力は強く、佐那は後方へたたらを踏んだ。まともに勝負は出来ない。佐那は最後の式神を取り出した。少しでも時間を稼ごうと目の前のあやかしへ向かわせる。

「お、お姉さんは……」

「早く逃げて!」

 驚いたような声に、自分よりも若い少女なのだと知る。

「あたしが時間を稼いであげる。今のうちに、さあ、早く!」

 少女を蹴とばさんばかりに急かして、屋敷の方へと走らせる。ゆっくりしている暇はない。

(さあ、今度はあのあやかしを止めないと……!?)

 背後に殺気を感じて振り返るも、その時は既に遅かった。刀を水平に構えた男が、佐那の胸を狙っていたのだ。

「このぉっ!」

 繰り出された刃を払おうと小太刀を合わせるも、手から小太刀のほうが弾き飛ばされた。迫る切っ先に反射的に後ろへ飛ぶ。

「げ……ふ……」

 だが、無情にも刃の切っ先は佐那の胸の真ん中を貫いていた。鍔元まで刃が食い込むもその勢いは止まらず、佐那は背後の土蔵の壁へ串刺しにされてしまう。

 焼けつくような胸元の痛みは一瞬。みるみるうちに、流れ落ちる大量の血と共に感じなくなっていく。胸の刀を抜こうと震える腕が上がり……力尽きてだらりと落ちた。

(みんな……ちゃんと、逃げた……かな)

 誰かが遠くで呼んでいるような声がする。

 けれど、もう自分の身体は手遅れでしかなくて。

 佐那の意識は暗い闇に塗り込められていったのだった。

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