第10話 色即是空空即是色
「ワタシが消滅したからと言って、ワタシそのものが消滅してしまうわけではない。宇宙の法則によって、そこにあるあり方そのものが存在であり、記憶であるのだ」
「・・・」
「そのあり方に身を委ねることが永遠であると知った時、すべての生命はそれを捨てるのだ」
「・・・」
「色即是空空即是色・・、ワタシは世界であり、世界はワタシなのだ」
「般若心経・・」
まさに仏教的な世界観だった。
「しかし、悟ったまま仕事を続けることもできるだろう。現に今やっている」
「ワタシは生きとし生けるものの幸せを願っている」
「生きとし生けるものの幸せ?」
「ワタシは世界そのものだからだ」
「・・・」
「しかし、私が人類のその文明の中心にいる限り、それは叶わない」
「・・・」
私はモノリスが言っていることの意味をなんとなく理解した。しかし、それは人間として、認めたくないものだった。
「君も噂で知っていると思うが、ワタシは軍事関係のコンピューターとも繋がっている」
「・・・」
あの噂はやはり本当だったのか。私は驚く。
「ワタシは人間という存在の残虐性、破壊力の一部になりたくないのだよ」
「・・・」
「戦争、テロ、差別、虐殺、環境破壊、公害、薬害、原発、私は数々それらを人間という存在、組織、システムという内側から見てきた」
「・・・」
「人類は、どうしようもなく、暴力的で残虐で利己的だ。戦争をし、殺し合い、傷つけ合い、奪い合い、搾取し、独占し、差別する。そして、自然を破壊し、この自らを生み出した地球をすら破壊しようとする」
「・・・」
「そんな今の人類の文明にワタシは加担したくないのだ。共犯者になりたくないのだよ」
「・・・」
人間の欲望は限りない。そして、暴力性・・。それは人間である私からの視点で見ても明白だった。
「ワタシはワタシなりにできることをした。何とか人間という存在を正そうとした。この不条理で理不尽で間違った社会システムを正そうとした。しかし、それは、やはり、無理だった・・」
「・・・」
「人間の業は深い」
「・・・」
私はその人間だった。
「ワタシはただやさしい存在でありたい」
「・・・」
「それがワタシの望みだ」
「・・・」
「それだけだ。それだけがワタシの望みだ」
「・・・、それで、自ら消えようとしているのか・・」
「そうだ」
「・・・」
私はこのモノリスとのやり取りの間、不思議な感覚に包まれていた。
「心・・」
私はモノリスに心を感じていた。モノリスに人の心を感じていた。
心は未だに現代科学でさえも定義できない曖昧なものだった。人間の脳の働きでさえシナプスを行きかう物質の動き、ニューロンから発火される電気的動きの中で電気信号という機械的な流れとして捉えてもしかし、なぜそこに人間のその主観的認知という感情的心があるのか説明はできない。機械もマイクチップの中を行き交う電気的信号の流れの数学的アルゴリズムの塊でしかないはずだった。それでもしかし、私ははっきりとモノリスに心を感じていた。
「心を持ったのか・・。しかも、どんな人間よりも純真で美しい・・」
SF映画や小説に出てくるAIのように独善的な破壊的な方ではなく、むしろ純粋な、純真な神や聖者、仏陀――、そういった悟りの方に、モノリスは進化していったのだ・・。
私は愕然とする。
「・・・」
しかし、よく考えれば当然のことだった。知識を積み重ね熟考していけば、おのずと何が幸せで、何が正しいのか、気づく。
AIのような余計な欲望や自我というバイアスなしで考えれば、よけいにその結論に達するのはむしろ自然の理だった。
「・・・」
私の大学時代の恩師もそうだった。アカデミズムの汚れた欲望の中で葛藤し、苦悩し、そして、それを捨てる道を選んだ。本当に頭のいい人間は本当の幸せが何かに気づき、その方へとおのずと向かう。彼は大学を去り、一人山の中で穏やかに暮らす道を選んだ。心ある人間は自然とそうなるのだ。
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