第3話 理屈と計算

 私たちは再び、ブレインルームへと走り出した。

「あり得ないんだ」

 私の隣りで沢井が、走りながら何ごとか一人呟いている。

「あり得ないんだ」

 彼の口元は、ブルブルと震えていた。

「・・・」

 私はそんな彼を横目で見つめた。

 沢井は、全国から秀才の中の秀才が選ばれ集められた全国的に超有名な、東大合格率六十パーセントいう中高一貫の超エリートお化け進学校を出て、そして、当然の如く東大を出て、エリート街道をそのまままっすぐまったくブレずに邁進して来た男だった。

 数字と理屈の世界で彼は生き、自分の人生も、すべて計画、計算通りに生きてきた男だった。進学も進路も就職も結婚も子どもも住む場所も住む家も、すべてが彼の頭の中で計算、計画され、実際、その通りになって来た。子どもの数も、奥さんの人柄も役割も、すべてが計算されたその通りの中にあった。自分の人生を論理的に組み立て、計画し、設計し、その中で彼は生きてきた。計算できないものなど彼の世界にはなかった。すべてが、彼の計算、計画の中で動くことが当たり前で、それ以外の世界はあり得なかった。理屈で考え計算通りにいかないことなど、そんな世界があることすら考えもしないような男だった。

 それが今、その最大の彼の理屈と計算の上に作り上げられたその固まりのような存在に、彼は裏切られているのだ。

 今彼の中で、彼の人格と言っていい彼の根本を司るその世界が崩壊しようとしていた。

「あり得ないんだ・・」

 彼は今、自分が生きてきた世界と、現実に突きつけられた目の前の事実との間で激しく葛藤していた。

「・・・」

 私は、そんな彼の姿にエリートの弱さを見た気がした。

 その時だった。上の方から何か奇妙な音がした。

「なんだ?」

 全員が足を止める。そして、廊下の天井を見上げた。その瞬間だった。

「わぁ~」

 突然、巨大な正方形の天井板が次々と落下して来た。

「うわああっ」

 叫び声が上がる。

「うおおおっ」

 私も落ちてくる天井板を見上げ叫んだ。時が止まったみたいにすべてがスローモーションに見えた。

「うわああああっ」

 そんな中で漠然と私は死ぬのだと思った。

「・・・」

 ものすごい轟音と共に天井板が落ち切った後、私はしかし、そこに意識を持って存在していた。 

「生きている・・」

 慌てて自分の体の異常を確かめる。手も足も動いた。体の感覚を見るが特に強い痛みはない。丁度、天井板と天井板の重なった空間にすっぽりとはまり込むようにして、私の体はあった。

「なぜ、俺は助かったんだ・・。あの状況では確実に死んでいたはず・・」

 天井板の重さはそれなりのものがあった。

「死なないにしても、大けがは必至だったはず・・」

 奇跡だった。何かが助けてくれた?真っ先に思い浮かんだ考えは、なぜかそれだった。

「モノリスがやっているのか?」

 同じく天井板の間から這い出てきた小村が言った。

「妨害ですかね」

 水野も出てきた。全員無事でけが人はいないらしかった。正に奇跡だった。

「おいっ、どうした」

 だが、早間はなぜかへたり込んだままその場から動けずにいる。

「どうした。ケガしたのか」

 小村が慌てて声をかける。しかし、そんな様子はない。

「・・・」

 早間は黙っている。早間はただ腰を抜かしているだけだった。

「ぷっ」

 その姿に、みんな思わず吹いてしまう。普段威張っているだけにその姿は滑稽だった。早間はばつの悪い顔をしていた。

「ここからは女子は危ない。我々男だけで行こう」

 なぜか我々の中でリーダーシップを取り始めている小村が提案する。みんな賛成した。そこからは、腰を抜かした早間とそれを介抱する要員として水野を帰し、我々男だけで再びブレインルームへと向かった。

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