第2話 エリート

「おいっ」

「あ?」

 隣りを走っていた小村が私に話しかけてくる。その顔はなぜかうれしそうだった。

「よくSFなんかで、AIが暴走して世界が滅びるなんて話あるじゃない」

「ああ」

「あれが今現実になろうとしているんだな」

 小村が興奮気味に僕を見る。名前は小村だが、その体は太っている。隣りを走るその姿は少し大変そうだ。

「ああ、ていうかなんでお前はそんなに楽しそうなんだよ。今はこの国の危機なんだぞ」

「俺はSF好きなんだ」

「そうだったのか?」

 こいつとは三年以上のつき合いだが、そんなことは初めて知った。彼とはたまたま年が同じで、彼の陽気な性格も幸いして、この職場で唯一気楽にしゃべることのできる間柄だった。

「ああ、俺はこういう日が来るのをずっと待っていたんだ。俺は人類の救世主になる」

「映画の見過ぎじゃねぇのか」

 私は呆れる。この危急事態に、そんなのんきなことを言える小村の性格が信じられなかった。

「いや、絶対にこういう日が来ると思っていたんだ。AIなんてものをありがたがる時代が来た時から俺は予感していたんだ」

「ほんとかよ」

「ほんとだ。だから、俺は今猛烈に興奮している」

 やはり、小村はうれしそうだった。本気で自分がヒーローになれると思い込んでいるらしい。

「・・・」

 大体、小村は映画のヒーローというガラじゃない。だが、それは言うのはやめた。

「・・・」

 しかし・・。

 確かに、これを機に、AIとの全面戦争なんてこともなくはない。実際、モノリスは人間の出す命令を無視しているのだ。原発が爆発すれば、絵空事ではなく本当に人類、いや、地球は終わる。噂通り軍とモノリスが繋がっていれば、正に戦争だ。

「おいっ」

 その時、突然、私の背後で、声がした。それはどこか上からのニュアンスを含んだ偉そうな声だった。

「んっ?」

 私は振り返る。

「・・・」

 そして、声の主を見る。それは、早間だった。

「君は必要ないんじゃないか」

 そして、早間が出し抜けに、何か言い出した。

「はっ?」

 私は早間を呆然と見る。早間は色白のひょろっとした、一応職場では先輩ではあるが、私よりも六つ年下の、まだ三十になったばかりの若造だった。

「・・・」

 私はいったいこの男が何を言い出したのかと、その場に固まってしまった。

 彼は普段、私など完全に見下していて、私となどろくろく口も利かないような男だった。東大卒、そして官僚、この職場へは所長と同じ出向でやって来た、典型的な日本のエリートコースを辿って来た男だった。この職場でも、官庁に戻っても、どちらでも出世が約束されているような立場の男だった。そして、それを反映するかのように、その態度は映画やドラマに出て来るような典型的なエリートの尊大さが、それ以外の態度を知らないかのように身に沁みついている、自分を何か特別な存在であるかのような勘違いを大真面目にしているような人格のそれだった。

 そして、彼は日頃から大した学歴のない、中途採用の私を、どこか見下だし、何が気に入らないのか意味もなく目の敵にしているところがあった。

「・・・」

 私は呆然とそんな早間を見つめる。早間がこんな緊急の時にまで、私に何かを言い出して来た。本当に反吐が出るほど最低な奴だった。しかし、この職場にはこんな人間がゴロゴロとしていた。

 重要な社会インフラのAI化は、世界的にも進んでおり、日本でもそれは重要な必要性と大きな課題として進められている国策事業だった。国の重要なインフラの中枢を担う、ある意味では政治よりも重要な責任ある機関だった。それを担うこの施設は、日本の最先端のエリートが集められた職場だった。

 そんな中で私は、中途採用であり、学歴も実績も特に目覚ましいものもなく、ただ、運よく、まだ日本では知られていないAIに関する技術を、たまたまアメリカに留学していた際に身につけていたため、採用されたに過ぎない存在だった。

 エリートというと、それだけで一般の人はすばらしい立派な人というイメージを持つかもしれない。だが、実際は全然そんなことはなく、彼らは異常なほどプライドが高く、そしてまた、異常なほど、出世欲、名誉欲、権力欲の強い生き物であり、そして、頭がよ過ぎるが故の人間としての能力の偏りが人間性や社会性を侵しており、そういった特殊な人間の集まるこの職場は、人間関係において、最悪の場所となっていた。

 そんな職場で私は弱い立場の人間であり、底辺の存在であり、エリートたちの尊大さに抗う術をまったくもっていない、無防備な状況にいる人間だった。当然私は、日々、この職場で生きづらい毎日を送っていた。彼らは頭がよ過ぎて、話についていけないし、彼らも端から私など見下して、まともに会話すらしようとしなかった。そういったことは、本当に露骨に、日々なされていた。そんなエリートたちの中にあって早間は、さらに抜きん出てエリート意識の強い男だった。

「まあ、いいじゃないですか。こういう時は人が多いほどいい」

 比較的この職場で私と気が合い、性格的に大らかな小村が間に立ってなだめるように言った。(だが、この小村でさえもが、しかし、やはり、エリートの尊大さは自覚なく持っていた)

「そうですよ、それに、そんなこと言っている場合じゃないでしょ」

 一緒に来ていたエンジニアの香山も言う。

「・・・」

 早間は黙る。

「今はそんなこと言っている場合じゃないでしょ」

 この中で唯一の女性の水野も言った。

「まあ、な・・」

 早間は納得していない顔をしていたが、誰も味方してくれない周囲の反応を見て、みんなの言うことをしぶしぶ受け入れた。

 実際、それどころではない緊急事態が、今目の前にあるのだ。日本が、この国が、今大変なことになろうとしている時だった。こんな重大な時に、何を言っているのだ、この男は。こんな時にすら自分の我がままや、エリート意識を抑えられない早間に、私は猛烈な怒りを覚えた。

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