6 エプロンとタブレット型コンピュータ
ゆっくりとシャワーを浴びていいと言われたが、朝乃は手早く髪と体を洗った。朝乃は、功のこともドルーアのことも信用している。だがふたりは、やはり出会ったばかりの男性だ。風呂でリラックスできるほどの信頼は、まだ持てなかった。
朝乃はバスタオルで体をふくと、新しい下着と服を身につけた。今まで着ていたものは、アタッシュケースに入れる。エプロンとタブレット型コンピュータと髪をくくっていたゴムも入れて、ケースをしっかりとしめた。
洗面台の鏡に映る朝乃は、さっきまでとちがう人物に見えた。普段くくっている長い髪を下ろして、服だって新品のかわいらしいものだ。食事をして風呂にも入れたので、血色もいい。
風呂に入る前は素敵な服に喜んでいたのに、朝乃は心細くなった。今、まさに身ひとつで見知らぬ場所にいる。
(いつ裕也と連絡が取れるの? 裕也のことを恨みそうだよ。いきなり孤児院に帰ってきて、ほとんど何も説明せずに私を月面都市に送って)
朝乃は唇をかんで、ケースを持って階段を下りた。一階のリビングには、誰もいない。しかし奥の扉が開いていて、ダイニングルームが見えた。
テーブルでは、ドルーアがカレーを食べている。お昼ご飯なのだろう、おいしそうに食べている。ドルーアと功の談笑する声が聞こえる。ドルーアの笑顔を見ると、朝乃の気持ちは自然に楽になった。
朝乃はダイニングルームに入る。ドルーアは朝乃に気づいて、うれしそうに顔をほころばせた。功も朝乃を見て、ほほ笑む。彼はドルーアの向かいに腰かけて、お茶を飲んでいた。
「ドルーアさん、服をありがとうございます。すごくかわいくて、うれしいです」
朝乃は注目されることに照れながら、お礼を言った。
「うん、服もかわいいよ。でも」
ドルーアは、魅力的な笑みを浮かべる。
「君自身の方が、ずっとかわいい。湯上がり美人、――いや、ドレスアップしたシンデレラかな? ここがお城なら、ダンスを申しこむところだ」
朝乃は顔を赤くした。なぜこんなくさいせりふを、彼はあっさりと言うのだろう。そして、いちいち赤くなる自分が悲しい。
「お前、さっき朝乃は、自分の末の弟より年下と言わなかったか?」
功があきれている。
「こんな愛らしい人を前にして、ほめないなんてありえない」
ドルーアは軽く笑う。功は、げんなりとした。
「弟さんがいるのですか?」
朝乃はドルーアにたずねた。末の弟ということは、複数いるのだろう。
「あぁ。僕は長男で、ふたりの弟とひとりの妹がいる。名前は上から、ゲイター、ジュノ、ニューヨーク」
ドルーアは、苦々しい笑みを見せた。
「名前を覚えていて。みんな、君と裕也の敵だから」
え? 朝乃は虚をつかれた。ドルーアはいすから立ち上がり、キッチンへ行く。彼の背中は、会話を拒絶していた。
朝乃はとまどった。ドルーアの家族が、朝乃と裕也の敵とはどういうことだ? 意地の悪い冗談とも思えない。朝乃が不安になっていると、功がため息をつく。
「俺に説明を押しつけて、逃げたな」
彼は朝乃に、いすに座るように促す。朝乃は功の向かいに腰かけた。
「特に、ゲイター・コリントという名前を覚えてほしい」
功は、まじめな調子でしゃべる。
「世界有数の軍需企業であるドラド社の、役員のひとりだ。まだ二十代の若者だが、冷静で頭が切れる男らしい。将来は、ドラド社のトップに立つとも言われている」
「軍需企業って、武器とか宇宙戦艦とかを作っている会社のことですよね?」
朝乃はたずねた。
「あぁ、だいたいそんな認識で合っている。ドラド社は基本的には、宇宙船を作って売っている」
「月側の軍用船を作っている会社だから、地球側の私と裕也の敵ということですか?」
「それはちがう」
功は難しい顔をして否定した。それから考えこんで黙ってしまう。朝乃は、別の質問をしてみた。
「ドルーアさんは、ひとり暮らしと聞きました。ご家族は、どこに住んでいるのですか?」
「彼の家族はみんな、月面都市ヌールにいる。北極付近にある都市だから、ここ、――浮舟からは遠いな。浮舟は南極付近にあるから。ただ、親せきが浮舟にいると聞いたことはある」
功はキッチンの方を見た。朝乃もそちらに目をやると、ドルーアがガラスコップを持って戻ってくる。そして朝乃の前に、コップを置いた。オレンジジュースが入っているようだ。
「ありがとうございます」
朝乃は恐縮した。彼がキッチンへ向かったのは、お風呂上がりの朝乃にジュースを用意するためでもあったらしい。彼は本当に優しい。
「どういたしまして」
ドルーアはほほ笑んで、朝乃の隣に腰かけた。カレーライスの続きを食べ始める。功は、湯飲みでお茶を飲んでから話した。
「本題に入ろう。なぜ君に発信器がついていたか分かった」
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