5 恋人として不適切
「ドルーアは、君の恋人として不適切だ。彼を慕うなら、親切なお兄さんとして慕ってくれ」
朝乃は言葉に詰まった。功は心配そうに、朝乃を見ている。なんとなく気づかないふりをしていたが、朝乃はドルーアに恋している。功はそれに気づいて、ドルーアはやめろと言っている。彼には恋人がいるのだから。
それにドルーアは十才以上も年上のおじさんで、出会ったばかりの外国人だ。そもそも朝乃は、恋などしている場合ではない。朝乃はうつむいて落ちこんだ。
「ドルーアが門扉を開けるように要求しています」
ケプラーが功に声をかける。
「あいつひとりか?」
「はい。同行者はいません」
「なら、門扉と玄関を開けてくれ」
しばらくすると、ドルーアが玄関の扉を開けて入ってきた。彼は迷った表情で、朝乃を見ている。朝乃も不安げに、ドルーアを見返した。
「さっきの女性は、役者のアーリヤーだろ?」
功は軽い調子で聞いた。ドルーアは驚く。
「知っているのか?」
「翠(みどり)が、彼女の出ているドラマを観ている」
ドルーアと功は会話しながら、リビングへ歩いていった。朝乃は、ふたりの後をついていく。気のないふりをしながら、耳を大きくして話を聞いている。
「美人だな」
「そうかな?」
ドルーアは苦く笑った。それから朝乃の方を振り返り、手に持っていた黒色のアタッシュケースを差し出す。
「さっそく服を着替えてほしい。そして今、身につけているものは全部、この中に入れて」
「はい」
朝乃はケースを受け取る。見た目以上に重かった。
「このケースの中に入れれば、発信器は無効化されるから。服とかタブレットとかを入れたら、ちゃんとふたを閉めるんだ」
「はい」
「紙バッグの方には、ちがうサイズの靴が三足入っている。後で、サイズの合うものを選んでくれ。サイズの合わないものは返品する」
「はい」
朝乃は返事をした後で、頭を下げた。
「着替えも靴もケースも、本当にありがとうございます」
情けないことに朝乃は、お金を払えない。タブレット型コンピュータは手もとにあるが、朝乃の口座には一円も入っていない。親が残してくれたお金があったが、学費やら税金やらで消えてしまった。
「乗りかかった船だ。構わないよ」
ドルーアは優しくほほ笑んだ。
「ついでに、シャワーも浴びた方がいい。朝乃、ついておいで」
功は言って、リビングから階段をのぼっていく。朝乃はついていこうとしたが、立ち止まって振り返る。ドルーアは上に行かないようだ。勝手知ったるわが家という風情で、ダイニングの方へ向かう。
「待ってください」
朝乃は彼を呼び止めた。ドルーアは、少し嫌そうな顔で振り返る。
「病院へ行ったのですよね。足のけがは、どうなのですか?」
さっきから彼は、けがなどないように歩いている。ドルーアはひとつまばたきをすると、うれしそうに笑った。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫だよ。医者は面倒そうな顔をして、僕に湿布を与えただけだった」
彼は両目を細めて、朝乃のほおを右手でなでた。朝乃はぼっと赤くなって、ドルーアから逃げる。
「かわいい子猫に逃げられた」
ドルーアは楽しそうに笑って、ダイニングへ向かった。朝乃はいまだに、どきどきしている。ドルーアには恋人がいるのに。
「朝乃、おいで」
階段の途中で、功が呼んだ。あきれた顔をしている。
「はい」
朝乃はなんとかドルーアを心から追い出して、階段を上がる。二階は、夫婦の寝室だった。大きなダブルベッドに、洋タンスなどの家具がある。部屋のすみには、やはり段ボールが積まれている。部屋は散らかっていたので、功はばつの悪い様子だった。
朝乃と功はそそくさと、右側のドアを開けて別の部屋に入る。そこには、トイレ、洗面台、バスタブとシャワーがあった。洗濯機と洗濯かごもある。
朝乃はシャワーを浴びられることに、ひそかに喜んでいた。朝乃は今、あせくさい。朝から働きどおしで、月に来てからも動き回っている。
さらに地球から来た朝乃は、月面で暮らすドルーアたちよりくさいらしい。シャワーごときで改善されるとは思えないが、やはり気持ち的にはシャワーを浴びたい。
「ボディソープもシャンプーもリンスも、好きに使っていい」
功は、着替えの入っている布バッグを朝乃に手渡す。
「バスタオルを持ってくるから、待っていてくれ」
「はい」
功がバスルームから消えると、朝乃は布バッグの中身を確認した。クリーム色のアンサンブル、ひらひらとした紺色のミニスカート、そして七分丈の黒色のレギンスだった。とてもかわいいコーディネートで、しかも孤児院ではめったにお目にかかれない新品だ。
こんな素敵な服が着れるなんてうれしい。朝乃の心は浮き立った。孤児院ではおしゃれに縁がなかったが、朝乃だっておしゃれしたい気持ちはある。
それに今のぼろい服では、センスのいい服を着るドルーアの隣にいるのがはずかしかった。ノックの後で、功が扉を開ける。
「朝乃、バスタオルだ。それと君のエプロン」
彼はタオルと、ダイニングテーブルのいすに置きっぱなしだったエプロンを渡してきた。
「ありがとうございます」
朝乃は弾んだ声で、礼を言う。功は首をかしげた。
「風呂が好きなのか?」
「はい、まぁ」
朝乃は、ごまかし笑いをした。功も笑う。
「なら、ゆっくりとシャワーしていいから。困ったことがあれば、あそこのボタンを押してくれ。リビングと通話できる」
功は、バスタブのそばの壁にあるコントロールパネルを指した。湯の温度を変えたり、自動でお湯はりができたりするもので、通話と書かれたボタンもある。日本メーカーのものだった。
「じゃ」
功はさっとバスルームから出ていった。
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