5 ロボットにも兵器にも興味が持てなかった

 朝乃は夕食作りの最中に、月に送られた。なので腹が減っている。けれどとんでもない犯罪を犯して、目の前は真っ暗だ。だが実際には朝乃の目の前には、おいしそうなクッキーと紅茶がある。朝乃は誘惑に負けた。

「いただいてもいいですか?」

 遠慮がちにたずねる。

「もちろんさ、子ウサギちゃん。君の口に合うように、僕は最善を尽くした」

 ドルーアは笑った。

「ありがとうございます。いただきます」

 朝乃は手を合わせてから、紅茶を飲む。ドルーアの言ったとおり、飲みやすくておいしい。次にクッキーを口に含むと慣れない味がしたが、おいしかった。おなかが減っているから、余計においしく感じられる。

 しばらく無心で飲み食いしていると、朝乃の気持ちは楽になってきた。朝乃は今、国外逃亡をしているが、この犯罪は誰にもばれていない。朝乃を送った裕也しか知らない。だから周囲にばれないうちに孤児院に帰れば、すべてが解決する。

 それに裕也が、軍から脱走するわけがない。

「弟は軍に入るときに、私に『いっぱい手柄を立てて、出世する』と言いました」

 朝乃は、裕也と離れるのが嫌だった。さらに弟が両親みたいに死ぬのではないかと、心がちぎれそうだった。しかし裕也は従軍に乗り気だった。両親のかたきをうつと張り切っていた。

「出世してお金持ちになって、私と一緒においしいものを食べて、大きな家に住んで、ぜいたくざんまいをするって」

 そのときのことを思い出して、朝乃はほほ笑んだ。ドルーアは裕也をほめてくれると思ったが、なぜか黙っていた。しばらくすると、カウンターテーブルの端にあるボタンに人差し指を置く。おそらく指紋認証ボタンだ。ぴっと音が鳴る。

「―――――――」

 電子音声が、朝乃には分からない言葉でしゃべる。カウンターの中空に、立体映像が浮かんだ。Hello! という文字が、陽気に踊っている。テーブル埋めこみタイプのコンピュータだ。

「ハロー、スプーキー」

 ドルーアはコンピュータに、友人のように呼びかける。

「―――――」

 再びコンピュータ、――スプーキーが話す。多分、これは月面英語だ。

「―――――。――――――。―――――――」

 ドルーアは、ぺらぺらと英語で話す。

「――――」

 スプーキーが答える。理解できない言語に、朝乃は不安になる。ドルーアが優しい笑顔を向けてきた。

「僕の友人に、細田功(ほそだ こう)という男がいる。二年前に、日本から浮舟に亡命してきたロボット設計技術者だ」

「はい」

 朝乃は返事する。

「彼なら君の力になってくれるだろう。今、彼に電話をかけている」

 確かに、相談相手になってくれるだろう。秘密裏に日本に帰る方法も教えてくれるかもしれない。ベイビーだの子ウサギちゃんだの言ってくるドルーアより、話が通じそうだ。朝乃の気持ちは、さらに軽くなった。

「ありがとうございます」

 ドルーアの善意に感謝する。それから、細田という名前とロボットという単語から思い出した。

「もしかして、川本製作所の細田さんですか?」

「それは知らないが、君は功の知り合いかい?」

 ドルーアは驚く。

「もしも川本製作所の方なら、一度だけ会ったことがあります」

 十一才のときだったと思う。朝乃と裕也の通う小学校に、川本製作所の技術者たちがやってきた。川本製作所は国内屈指の大企業だ。技術者たちは子どもたちに、実際に開発している兵器を見せてくれた。

 そのときはまだ孤児院に余裕があり、朝乃と裕也は学校に通っていた。孤児ということで、ひどいいじめにあっていたが、ふたりで支え合っていた。

 学校に来た技術者たちのうちのひとりが、功だった。二十代の若い男性で、軍事用ロボットを作っているらしかった。朝乃はロボットにも兵器にも興味が持てなかったが、弟はちがった。功にまとわりついて、ロボット操縦シミュレータで遊んでいた。

 その後、裕也は川本製作所のニュース記事やドキュメンタリー映像などをネットで見つけるたびに、熱心に読んだり観たりした。

「裕也は細田さんをよく覚えていますが、細田さんは覚えていないと思います」

 功にとって裕也は、小学校に大勢いた子どもたちのうちのひとりだろう。

「なるほど」

 ドルーアは考えこむ。そのとき、キンコーンとベルが鳴る。朝乃は、功と電話がつながったと思い、居住まいを正した。だが、

「来客だ」

 ドルーアは、けげんそうな顔をした。

「スプーキー、―――――?」

 コンピュータに問いかける。

「――――――」

 スプーキーは答え、カウンターの中空に、今度は二次元の画面が現れた。正方形の画面には、一組の男女が映っている。

 人のよい中年の日本人夫婦に見えた。朝乃や功と同じく、国外逃亡者だろうか。彼らは、ドルーアの家の前庭に立っているようだ。彼らの背後に、前庭の樹木が見えた。

「誰だ? 宅配業者でもないし、僕のファンにも見えない」

 ドルーアはまゆをひそめた。次に朝乃に向かってたずねる。

「君の知っている人かい?」

「いいえ。私は月面都市に初めて来たので」

 朝乃は、月へ行くどころか日本から出たことさえなかった。そして二年前からは、ほぼ孤児院の中に閉じこめられていた。孤児に対する世間の風当たりがきつくなったので、院長たち大人は子どもたちを守るために、外に出さないようにしたのだ。

「そうだな」

 ドルーアは納得する。それから、

「スプーキー、――――――――。―――――――――」

「了解しました」

 いきなりスプーキーが日本語をしゃべって、朝乃はびっくりした。

「今後は日本語を使うようにした」

 ドルーアがほほ笑む。

「ありがとうございます」

 朝乃のために、使用言語を日本語に変更したらしい。彼は親切で、気がきく人だ。少し待つと、スプーキーがまた話し出す。

「訪問者たちに再度、名前や所属などをたずねました。しかし彼らは答えません。村越朝乃に会いたいと告げています」

 朝乃はドルーアと顔を見合わせた。朝乃は彼らを知らないが、彼らは朝乃を知っているようだ。そしてなぜ、朝乃がここにいると分かっているのか。

「まさか日本の警察ですか?」

 朝乃は真っ青になった。朝乃の犯罪がばれたのか? 国外逃亡は重罪だ。しかも朝乃は孤児なので、見せしめの銃殺刑かもしれない。

「それはない。浮舟では、日本軍も日本警察も活動を禁止されている」

 ドルーアは否定する。

「ならば誰でしょうか?」

 朝乃は不安なままだ。ドルーアは片手をあごに当てて、考える。

「僕は基本的に、名乗らないやつは信用しない」

 彼はつぶやいた。そう言えば、ドルーアはちゃんと朝乃に名をたずねた。彼はスプーキーに、ちょっといらいらした調子で問う。

「功とは、まだ連絡がつかないのか?」

「今、呼び出し中です」

 朝乃は、画面の中のおじさんとおばさんを観察した。彼らは、にこにこと優しげに笑っている。

「悪い人たちに見えないのですが」

 朝乃はドルーアに言った。

「もしかしたら、裕也の知り合いかもしれません」

 彼らは裕也から連絡を受けて、ここに来たのかもしれない。ならば朝乃は、彼らに会いたい。朝乃は何も分からずに、月にいるのだ。不安だし、誰かを頼りたい。そして今、前庭にいる大人たちは、頼れる人たちかもしれない。ドルーアは難しい顔をした。

「僕には悪い人たちに見える。――よし、かまをかけてみよう」

 いたずらっこの目つきで笑った。

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