2 ほおにキスくらいなら

 二十三世紀の今、超能力者はいっぱいいる。けれど、そのほとんどがたいした力を持たない。超能力者ではない普通の人たちと、あまり変わらない。

 ただまれに、すごい超能力者たちがいる。軽いものを浮かせたり、裏返したトランプの数字を当てたり、人やものの記憶を読み取ったりする。そんな特殊な力で、宇宙空間で一騎当千の戦士として戦うのだ。

 朝乃は知らなかったが、裕也はそのすごい超能力者のひとりだったらしい。そうでないと説明がつかない。ついさっきまで孤児院にいた朝乃は、まったく知らない人の家の中にいるのだから。

 しかも今、朝乃の目の前にいる人物は外国人だ。日本に外国人は、ほとんどいない。まさかここは、外国なのか? 外国人男性は最初こそは驚いていたが、やがてあきれたようにほほ笑んだ。

「どうやって僕の家に入ったのかな、お嬢さん。君を招待した覚えはないけれど」

 予想外に日本語が出てきて、朝乃はほっとした。よかった、ここは日本らしい。

「ごめんなさい。すぐに孤児院に帰ります」

 朝乃はソファーから飛び降りた。とたんに、強烈な違和感におそわれる。今のは何だ? 体が予想以上に上に行った。しかし今は、それどころではない。朝乃は周囲を見回した。男は、あきれたような笑みのままでいる。

 男の背後には、彼が登場したドア。左側の壁には、ロールカーテンの降ろされた掃き出し窓。右側の壁にもドア。振り返って後ろを見ると、のぼり階段がある。つまりリビングには、出入り口が四か所ある。

「玄関はどこですか?」

 朝乃が問うと、男は自分がいない方のドアを指した。

「ありがとうございます。お邪魔しました」

 朝乃はそそくさと、そちらへ向かう。さっさと逃げたい、というのが本音だ。だが歩いているときも、何とも言えない違和感がある。変な浮遊感があるのだ。

「今後のセキュリティのために聞きたい。君はどうやって、僕の家に入った?」

 背後から男に抱きつかれて、朝乃は驚いて悲鳴を上げた。

「教えて」

 耳もとで甘い声でささやかれて、ぞくっとした。怖い。とにかく怖い。

「離して!」

 朝乃は男から逃げようと、じたばたと暴れる。すると彼は朝乃を、さっと手放した。朝乃は前のめりにこける。だがあまり痛くなかった。朝乃の体は、ゆっくりと落ちたのだ。

 朝乃は倒れたままで、頭の中にクエスチョンマークを踊らせる。男は同情したのか、ひざをついて手を差し出してきた。

「ごめんね。大丈夫かい? 君に、はじをかかせるつもりはなかった」

 すまなさそうに、まゆじりを下げている。どうやら優しい人らしい。朝乃は彼の手を取り、立ち上がった。

「ありがとうございます。そして、あなたの家に勝手にお邪魔して、申し訳ございません」

 できるだけ誠実に謝罪する。

「弟が私を、ここへやったのです。多分、超能力で」

 男は困ったように笑った。

「君の発言が真実ならば、君の弟は、世界で十本の指に入る超能力者だ」

 朝乃は何とも答えられず、うつむいた。確かに瞬間移動できる超能力者が、そうそういるわけがない。

「いや、人間ひとりを無事に瞬間移動させたから、世界で二、三本かもしれない」

 朝乃はますます下を向く。裕也は、そんなにすごい人物なのか? もしもそうなら、彼は日本人の誇りとして、日本で一番有名になるだろう。朝乃だって、裕也の唯一の肉親として注目される。そしてマスコミが大挙して、孤児院に押し寄せるはずだ。

「弟の名前は?」

「村越(むらこし)裕也です」

「君は?」

「村越朝乃です」

 朝乃が顔を上げると、男は好意的にほほ笑んだ。

「それで、僕の家に侵入した君の目的は何だい? 握手? それともサイン?」

 朝乃が答えないうちに、なぜか握手してくれる。

「一緒に写真を撮りたい? もしくはキスしたい?」

 抱き寄せられて、朝乃は再び悲鳴を上げて彼から逃げた。彼はにこにこと笑う。

「写真は許可できないけれど、ほおにキスくらいなら許してあげるよ」

「しないです!」

 何を考えているのか分からない男から、朝乃は距離を取った。

「孤児院に帰ります。本当にごめんなさい」

 朝乃は逃げるように、リビングのドアを開けて廊下を進む。廊下のさきに、玄関が見える。歩くときの違和感は、慣れたためだろう、減ってきた。

 だが朝乃は、玄関で立ち止まった。靴がない。靴下のまま、――しかもかかとの布地のすり切れた靴下のまま、外に出るのはためらわれた。すると男が、玄関のすみに置かれたサンダルを朝乃の足もとに置く。

「シンデレラに、靴のプレゼントだ」

 仕方ないなぁといった風に苦笑している。

「お城の舞踏会に行っても、十二時の鐘が鳴り終わるまでには家にお帰り」

「ありがとうございます」

 なんて親切な人だろう。それによく見れば、ハンサムだ。朝乃は感激しつつ、サンダルに足を突っこむ。朝乃の足には大きすぎたが、靴下のまま外を歩くより、だんぜんましだ。

 朝乃は、玄関のドアを開けた。ドアの向こうには広い前庭があり、前庭の向こうには背の低い塀と門扉がある。前庭には五、六本ほど木があり、花が咲いている。朝乃の知らない花だった。

 朝乃は外の扉に向かって、前庭を歩く。男は、朝乃を不審に思っているのだろう、後ろについてきていた。朝乃はふと、空を見上げた。とたんに信じがたい光景に、腰を抜かしそうになる。

「な、なんで!?」

 倒れそうになる朝乃を、男が支えてくれる。朝乃は彼にすがりついて、空を指さした。

「これは、いったい……」

 驚きすぎて、どうすればいいのか分からない。空が、空ではないのだ。奥行きがなく、平べったい。そして近い場所にある。本物の空ではなく、まるでスクリーンに映った空。大変な閉塞感があり、屋外に出たという気がしない。

「この空は何ですか? 何がどうなって、こうなっているのですか?」

 朝乃は、パニックになって聞いた。男は笑みを消して、まゆをひそめる。

「聞いていいかな?」

 私の質問にさきに答えてよと思いつつも、朝乃は首を縦に振った。

「君は地球の日本から、僕の家に送られた?」

 朝乃はうなずいた。とんでもなく嫌な予感がする。このさきを聞くのが怖い。けれど男は、口を開いた。

「ここは、月面ドーム都市のひとつである浮舟(うきふね)だよ。空が不思議に見えるのは、ドームの天井に映像を映しているからだ」

「うそ」

 朝乃は腰を抜かして、地面にへたりこんだ。ここは月だ。朝乃にとって敵国だ。死んだ両親の敵でもある。ぞーっとして、嫌な汗が背中を伝った。

「人間ひとりを地球から月まで、――約四十万キロメートルを瞬間移動させることができる。君がうそをついていないならば、君の弟は、世界最高の、そしてほかの追随を許さない超能力者だ」

 何かの冗談に思える。裕也は、そんな特別な人物ではない。朝乃と同じ、普通の人間のはずだ。

「もしも一秒以下の時間で移動したならば、光の速さを超えたな」

 彼がぼう然としてつぶやく。朝乃は血の気が引く思いで、彼の声を聞いた。

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