第19話

ある秋の日、グルーから執務室に呼ばれて相談を受けた。


「調査を進めていたトリーティ山で、大規模な金鉱脈が発見されたんだが、お前はどうしたいか確かめたい」


「私が、ですか?」


「ああ、元はお前の持参した山だからな。山にも領民がいる事だし、民は神の黄金と崇めているしな」


「そうですね……」


私は考える素振りを見せたけれど、既に心は決まっている。


「採掘に乗り出して下さい。山の民には安定した生活を保障して、守ってあげたいです」


「分かった、そのようにしよう。領民の暮らしを守るのも貴族の務めだ」


「辺境伯領には、金細工の工房も置きたいですね。腕のある職人を集められれば、特産にもなりますわ」


「それはいいな、領民にも技術を磨かせれば、手に職を持てる。その分生活もしやすくなる」


繊細な装飾品を作る技術を学ばせるには、長期的な計画が必要になるものの、手先の器用な人達だって領民の中にはいる。彼らの才能を活かせるようになる。


「グルーは、今までお一人で領地の運営と国境の防衛を担われておいでだったのですよね?」


「……そうだな、辺境伯家に仕えてくれている者達は頼もしいが、その彼らを守る事もまた、俺には大切な事だ」


「全ての安寧と平和を願われてきたんですね」


「アリューシャ……」


「グルー、人は自分の人生という物語を各々が描きながら生きているものです。そこで人が何かを願い、それを叶える為に努力する時、そこには孤独が寄り添っております。──ですが、私達夫婦には孤独さえ分かち合う互いがおります事、忘れないで下さいね」


「俺の妻は、日に日に逞しくなってゆくな。これ以上の力になる味方がいるか」


グルーの眼差しが、あまりにも優しくて嬉しそうで、私はまだ大した事も出来ていないのに、そんなに幸せそうに言われたら彼を直視出来なくなる。


「……私はグルーの、妻ですから。これから慌ただしさを増しますからね?お体は大事にしないといけませんよ?」


グルーも私も、領地の運営は忙しくなるけれど、活気に溢れる事は喜ばしい。


他にも、私の日々には楽しめる事が加わった。


援軍を送ってくれた、マークシュタイン伯爵家のマリアナ夫人と、ホルストン子爵家のブランシュ夫人が、時おり辺境伯家を訪れて交流してくれるようになったのだ。


彼女達は温和で話しやすく、また社交界の話にも通じていて、お茶会や会食の時は明るい話題を提供してくれて、本当にありがたい。


マリアナ夫人は二十代後半、ブランシュ夫人は二十代半ばと、私より歳上なので、貴族夫人の先輩としても頼もしい。


この日も、両夫人が辺境伯家を訪れていた。


しかし、何やら顔を見合わせたりして、様子がおかしい。何か伝えたいけど、伝えにくい事があるように見える。


「お二方とも、どうかなさったのですか?喉に何かがつかえているようですわ」


私から切り出すと、それを皮切りにお二人は重い口調で話し始めた。


「……何でも、今の王宮には……髪切りの鬼女が住まうそうなのですわ。それで、王都の貴族令嬢達は怯えておられるとか」


「髪切りの鬼女?恐ろしい呼び名ですのね」


「ええ。どうも、王太子殿下の宮殿に呼ばれた令嬢達が、鬼女の配下の者達に襲われて、髪を切り落とされてしまったそうなのです」


「王太子殿下の宮殿、ですか……妃殿下もお住まいですよね?」


「ええ、そうなのですわ。ですから、皆は……」


彼女達には、これ以上言及する事は出来ないだろう。


髪切りの鬼女が、まさに王太子妃殿下だとは言えない。かつて妃殿下と、婚約者候補として争った私の前で。


それに、鬼女と呼ばれるくらいなら、髪の切り落とし形も相当残酷なものだろう。貴族令嬢ならば、人前には出られなくなっているはずだ。


──こうなるともう、ストーリーの悪役令嬢はアリューシャなのかエスターなのか分からないわね……。


まあ、悪役令嬢のアリューシャは断罪が済んだ後なのだから、辺境伯家の妻として第二の人生を生きさせてもらうけれど。


グルーも、もちろん髪切りの鬼女の話は聞き及んでいた。


「妃殿下が鬼になるのも、王太子殿下の行ないに憤ったからだろうが……俺からすれば、夫婦揃って人の道を外れているとしか思えん」


呆れた様子で、そう断言した。


「グルー……子というものは、親を憎む事を本能が拒みますし、子の本能は親の愛を求めます。にもかかわらず、人の道を外れた親の元で産まれる王太子夫妻の御子は……大丈夫でしょうか?もしも親を恨むように育てば、親子に待ち受けているのは地獄です」


「アリューシャ……お前の言う事はもっともだが、こればかりは俺達でどうこう出来る問題じゃない。出来るとしたら、産まれてくる御子がしっかり生きてゆけるように祈る事だけだ」


「……そうですね……」


エスター様には、たとえ鬼女と言われても、我が子を思う親心だけでいいから、残されている事に期待するしかない。


王太子殿下だって、我が子が産まれれば人の親としての自覚が芽生えると信じたいし……。


だけど、私を切り捨てた世界なのよ、あの場所は。だから、産まれてくる子供に罪はなくとも、結局は他人事としてしか願えない。


私には私の暮らしがあるから。


一方で王宮では、髪切りの鬼女について、国王陛下の耳にも入る事になり、王太子殿下が詰問されていた。


「──これはどういう事だ?一部の貴族から、娘が王太子より命じられた通りに従ったところ、王太子妃により無惨にも髪を切り落とされた、と抗議の声が上がっている」


「も、申し訳ございません……父上」


「彼らは自分の娘が、王太子の命令に従っただけで何故このような辱めを受けねばならなかったのかと嘆いている。王太子妃を侮蔑した罰だと言い残して配下の者は去ったそうだが、これは由々しき傷害行為だ。王太子妃について、お前は何をしている?」


「重ねてお詫び申し上げます。私の妃には、私から叱責と罰を与えますので……」


「……そもそも、お前が王太子妃を放置している事が事の発端であろう。それを自覚しているか?」


「はっ……心より反省の意を示して……」


「言葉だけで済む事ではない。髪を切られた令嬢達への謝罪と賠償は、王太子妃への処断とは同列に扱うものではない。王太子妃を罰するならば、王太子妃を蔑ろにしたお前自身をも罰しろ、いいな?」


「……心しておきます……王家に泥を塗り、申し訳ございません……全ては私の不徳の致すところでございました……」


「──もう下がれ、己の置かれた立ち位置と、なすべき振る舞いをよく考えろ」


「はっ……」


ひたすら逓信低頭にしているしかなかった王太子殿下は、国王陛下の御前から離れたところで口惜しそうに独りごちた。


「くそっ、夜伽を命じた令嬢達には言っておいただろう。そのうち側妃に迎えるから秘密にしているようにと。なのに……エスターはどこで嗅ぎつけた?」


どうも、反省の色は皆無らしい。


「だが、父上はエスターよりも私にお怒りの様子だ……忌々しいが、エスターに全ての責を負わせる訳にもいかない……」


王太子殿下の呟きは、結論を見いだせないままに。足はエスター様の部屋へ向かっていた。


「……エスター、何か……足りないものはないか?何でも用意させよう。君が望むなら──」


なだめようと口にした言葉は中身が虚ろだ。エスター様は、それでも微笑んだ。


「まあ、嬉しいですわ。私の望みはただ一つですのよ。──殿下のお心のみ……ですから、私はその為に心を砕きましたの」


「エスター……?一体、何を……」


戸惑う王太子殿下の胸に、エスター様がもたれかかり囁く。


「殿下……お薬は苦いものでございましょう?そのようなもの、無理にお口になさる原因は私が排除して差し上げましたからね……これからも、殿下の事は私が見ております。何ものからも守りますわ」


「エスター……」


「──ですから、安心なさって?」


その言葉の孕む罪深さに、王太子殿下は戦慄を覚えて凍りついた。


けれど、エスター様は殿下を見上げて満面の笑みになり言葉を続ける。


「今夜からは寝室を共に致しましょうね。私も臨月を迎えましたもの、いつ産気づくか分かりませんわ。誰よりも殿下が傍にいて下さらないと」


「あ、ああ……そうだな……エスターに寄り添おう。それがエスターの望みなら」


「ですけれどね、殿下?会話のない夜は寂しく、とても長く感じてしまいますのよ?──季節も夜を長くしておりますわ、どうかたくさんお話しして下さいませ。二人きりの寝室を共にする夫婦ですもの」


「あ、ああ……そうだな……エスター、君が喜び幸せを味わう時、私も夫として喜ばしく幸せを思うよ」


「まあ、嬉しい。これも愛の形ですのよね?」


「そうだとも……」


「ふふ、……殿下……私、儚い口約束が嫌いですの。守ると心に決めている事は、必ず守って行動に表して下さいな」


「……もちろんだ……私のエスター……」


これが王太子殿下の選んだエスター様の隠し持っていた猛毒。


それは王太子殿下のみならず、誰も彼もを蝕み苛なんで、果てには毒蛇のようにエスター様の自我へと呑み込んでゆく。


誰もが毒されて抗えない。エスター様は笑いながら大きくなった腹を撫で、更なる獲物に毒牙を向ける為に画策する。


「私は頑張って御子を育んでまいりましたわ。きっと素晴らしい御子が産まれますのよ。どうか、殿下が素敵な名前をつけて下さいませね。──ですけれど、御子を慈しむお心と私を愛して下さるお心は別物ですわ。お忘れにならないで下さらないと、私は悲しみますの」


「……そうだな、君は私の妻だ……この胸に刻もう……エスター、だから君には心を安らかに保っていて欲しい……」


絞り出した言葉は心の叫びを押し潰し、王太子殿下ご自身の逃げ場を失わせる。


こうして王太子夫妻は、壊れてゆく心と関係を継ぎ合わせて寄り添い、やがてエスター様は出産の時を迎えたのだった。

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