第15話
アリューシャとしての日々に馴染み、グルーと暮らしているところ、ある日を境に王宮から立て続けに書簡が届くようになった。
「グルー、書簡では何をやり取りされているんですか?」
気になって訊ねると、グルーは度重なる書簡で困惑気味になっていたものの、あっさりと答えてくれた。
「王太子妃殿下の食欲が高まりすぎて困っているらしくてな……俺は異国の薬膳について、少しだけ学んだ経験があるから、何か食欲を減退させる食べ物や飲み物はないかと相談を受けたんだが……」
「困る程の食欲、ですか?普通の食事で満腹感を得られれば……よく噛んで召し上がる事が満腹感を得やすくなりますが」
「ああ、良く知ってるな。俺もはじめはそう進言したんだが……何でも、その場では満腹感を得ても、すぐに何かを召し上がりたがるらしい」
「それは困りましたね……あの、王宮にはグルーより薬膳に詳しい者がいるのではないでしょうか?香辛料や柑橘類を用いて、食欲を刺激しているのでは」
「実は俺も、それを疑っている」
前の人生で聞いた事だけど、妊娠時の体重管理は大事で、増やしすぎも良くないらしいから、このまま好き勝手に食べていたら妃殿下の体に問題が起きてしまう。
だけど、相手は仮にも王太子妃殿下。そんな秘密裡に動く程、悪意的に健康を害そうとする人なんて誰がいるだろう?
いくらエスター様が、国の外交問題に発展しかねない過ちを犯してしまったくらい、問題児だとしても……。
──と、考える私の認識はまだ甘かった。
エスター様が反省して心を新たに学ぼうとするどころか、喉元過ぎれば熱さを忘れるで、すっかり忘れて遊びたがっている内情なんて、知りようもなかったのだから仕方ない。
「それにしても、周りの方々の目がありますよね?止めに入るかと思うのですが」
「周りの者が止めようとすると、感情的になって話が成り立たなくなるそうだ」
「そうなると、あとは王太子殿下ですが……」
「王太子殿下は公務もあるからな、常には見ていられない。しかし、一緒にいて目に余る時は注意するそうだが……」
「効き目がないのですね?」
問うと、グルーは悩ましげに溜め息をついた。
「どうにも、腹の子が欲しがっていると甘えてくるらしい」
「……すみませんが、呆れました」
「いや、俺も呆れている。妃殿下にも王太子殿下にも、だ」
「……とりあえず、タンパク質の豊富な食べ物と、飲み物は炭酸水をお勧めしてみるしかないですね……あとは、間食をアーモンドにして」
これは私が前の人生でダイエット中に覚えた事だ。タンパク質は満腹ホルモンを変化させるし、腹持ちが良い。炭酸水は食前に飲むと食べすぎを抑えられる。アーモンドは美容的な効果だけでなく、満腹感ももたらしてくれる。
すると、グルーが感心した様子で私をまじまじと見つめた。
「どうかしましたか?」
「いや、詳しいなと思った。お前も令嬢時代に体重管理で苦労したんだろうな」
「それは、コルセットを締められなくなれば困りますので……」
そういう事にしておこう。
「しかし、そうなると妃殿下も令嬢時代は体重管理をしていたはずだが……ん?それはないか」
結婚式で見た、エスター様の体型を思い出したらしいグルーが一人で納得する。
エスター様は別に太っているわけではない。けれど、時代背景の割りには少しふくよかだ。
現代日本なら、標準体型だろう。
この時代の女性が、無理にウエストを細く見せようとしすぎてるのよ。
ヴィーナス誕生の女神を美しいと見る時代とは違う時代なんだろうか?絵画についての知識が足りなくて分からないけど。
「ここは、お前からの入れ知恵通りに進言してみよう。助かったよ、ありがとう」
「いえ、お役に立てたようでしたら嬉しいです」
「……このまま食べすぎて、もし腹の御子が大きくなりすぎたら、出産が大変になるからな。ただでさえ子を産むには若すぎるんだ」
「……そうですね」
これが理由で、私達は初夜を迎えていないまま夫婦として暮らしているのだし。
「……出産の大変さを思えば、気軽に言うべきではありませんが……グルーの子なら元気に育つでしょうね」
「まあ、焦るなよ?」
「理解はしていますけど……何歳になれば、子供を授かってもいいのですか?」
少し拗ね気味に問いかけると、ぽんぽんと頭を撫でられた。こうして子供扱いするのだから、グルーの余裕が悔しい気もする。
「少なくとも、二十歳を過ぎるまでは駄目だぞ」
「先が長いですね……グルー、長生きして下さいね?」
「何だ?唐突に」
「辺境伯家の主ですもの、戦いに身を置いています。危険でも必ず生きて帰還して、私の成長を待って下さい。そしていつか、我が子を必ず抱いて下さい」
「アリューシャ……そうだな、約束だ」
頷くグルーは、周りの空気まで温もりそうな程の柔らかい笑みを浮かべている。
私の前にいる時のグルーは、優しい表情をしているのに、なぜ社交界では「血に飢えた烈火の狼」だなんて呼ばれていたのか謎になる。
──もっとも、これは私が戦地でのグルーを知らないからだ。
戦場では、グルーは恐ろしい狼になって敵を食い破るように倒すのだから。
優しい表情は、王都の令嬢だった私を怯えさせない心遣いか、それとも私がグルーの心をほぐしているのか。
後者ならば、私は十分に幸せ者だろう。
その自覚を持つ機会もないままに。
「じゃあ、俺は返事を書いてくる」
「はい、お疲れ様です」
なごやかな雰囲気にも慣れたものだ。その日常が、どれだけありがたいか。
──グルーからの進言を受け取った王家は、エスター様の食事内容を徹底的に見直した。
すると、エスター様は大変な癇癪を起こした。
「何なんですの?!砂糖も加えず、レモンさえ搾っていない炭酸水に、大豆のスープと塩で味つけしただけの肉料理!しかも加熱した野菜のサラダなんて、メイン料理のような扱いではないの!私のお腹には大事な御子がいるのに!」
「エスター、君の体と子の為を思うからこそのメニューだ。安産で元気な子が産まれれば一番だろう?」
「それは、そうですけれども……このような味気ないものなど、食べたくありませんわ……痩せてしまいそうです、殿下……」
「栄養は配慮されているから、きちんと食べるんだ」
「ですが……誰が考えましたの?このひどいメニューは?」
「ああ、薬膳というものに詳しい辺境伯が進言してくれたんだ」
「辺境伯……?あのアリューシャ様がいる家ですわね?」
「?そうだが……」
どうにも、エスター様は私が悪意をもって進言させたと思い込んでしまったようだ。
「──私、メニューを見直して頂くまでは、食事を放棄致しますわ」
「エスター?何を言うんだ」
「アリューシャ様は私を恨み憎んでおいでですもの、毒になるものを勧めかねませんわ」
「しかし、宮廷医師も料理長も認めていて……」
「いいえ、これは陰謀でございます!」
なぜか、すっかり私が悪者になってしまった。
周りはエスター様の思考についていけずに、ひたすら戸惑っていたようだけれど……。
婚約者候補として争ってきた頃からの、エスター様のネガティブな感情は、ここにきて爆発したらしかった。
その為、私はエスター様から隠そうともしない憎しみをぶつけられる日がくる事になる。
愕然とするような形で。
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