第13話
「……おかしくないか?」
「旦那様?我が軍は優勢ですが……」
「そこが、おかしいんだ。数的優位もあるが、相手に覇気が感じられない。何やら攻めてきているのか、躱しているのか、時間稼ぎされているような感覚だ」
「──旦那様、諜報員から伝達です」
「ご苦労。──敵勢およそ千人が辺境伯領の城を目指してるだと?!……ちくしょう、道理で攻め方が甘いわけだ」
「敵の狙いは何なのでしょうか」
「悔しいが、狙いは俺の内部崩壊だ。アリューシャを潰せば、俺は使い物にならなくなると踏んでいるらしい」
「しかし、城は深くて幅の広い堀に囲まれています。城で使われている特殊な橋を渡さなければ、敵勢は奥様の事を害する以前にお姿を拝む事も出来ませんが……」
「誰かが中途半端に情報を漏らしてるって事はないでしょうか?」
「だとしたら、誰が何の目的で……」
「それより今は対策だ。国王陛下の援軍は動かせば陛下の意思に背く事になるな、自軍もだ。──領地の城に向かった敵軍の数は千人程度で間違いないな?」
「はい、確かな情報です」
「なら、伯爵家と子爵家の援軍を直ちに向かわせろ。城とアリューシャには傷一つつけさせない」
「はい!」
「ここの敵勢を打ち倒したら、後を追う。奴らには地獄を見せてやる」
彼らの誤算は、間違いではない認識の上にあった。
グルーが喪いたくないもの、それは即ち、害意を向ければグルーの逆鱗に触れるものなのだ。
それを知らず、敵の天幕では上に立つ人間が部下を従えて愚痴をこぼし、太鼓持ちのような相槌を受けていた。
「まさか、王家直属の部隊が参戦するとは、忌々しい程ハイラアット辺境伯の信望が厚い事だな」
「全くです。ですが、あの辺境伯が潰れれば代わりに国境を守り抜ける人材などありません」
「──女、ハイラアット辺境伯の弱点は妻で間違いないな?」
「はい、確かでございます。彼は城から追放された私を、妻ごときの言い分だけ鵜呑みにして領地からをも追い出しました」
女──国境付近で隣国に拾われたアーシャは悪意のこもった顔つきで頷いた。
それを聞いた敵勢は話し合いを始める。
「ですが、領主不在の城とはいえ、千人程度では少なすぎは致しませんか?」
「生え抜きの者だけを選んで送り込んだ。第一、あまり目立つ軍勢を送れば、すぐさま辺境伯は狙いに気づくだろうよ」
「あの国は辺境伯が国境を守る力が、邪魔をしてきていますからね。ここで辺境伯の弱みを叩いて潰せれば、辺境伯は使い物にならなくなります。後の侵攻もしやすくなるでしょう」
「あの国の鉄鉱石を手に入れられれば大陸を制覇出来るからな」
「それにしても、あの血に飢えた烈火の狼が小娘一人に現を抜かして骨抜きにされているとは、所詮女に恵まれていなかっただけの男だったんですね」
「本当に愚かしいがな。ああいう堅物は女にはまると却って尻に敷かれるし、弱体化するものだ。根は軟弱な凡夫だったという事か」
「──あの、成功なされた暁には、私を本当に隣国の皇城で働かせて下さるのですよね?」
「あ?まあ、約束してやる」
「ありがとうございます!あの憎い女の首を、早く見たいものです」
アーシャごとき、単なる平民の出の元下女でしかない。身の程を弁えられずにいるアーシャは、不届きな妄想を膨らませていた。
そこに、見張りの兵が慌てて飛び込んできた。
「隊長!辺境伯軍のうち、およそ三千人程が引き返して城に向かっています!」
「──何だと?!」
「気づかれるのが早すぎる。このままでは辺境伯領に着くまでに追いつかれる!」
「あの……此方様の軍が辺境伯領に向かったのは数日前でございましょう?なぜ追いつかれてしまうのですか?」
「うるさい、この女を黙らせておけ!」
「何を──きゃあっ!お助けを!」
「連れて行け!」
「約束が、違います!隊長様!──離して下さ……」
そこで猿ぐつわを噛まされたアーシャの声は途切れた。また引きずられて消えてゆく。
「……あいつらは辺境伯領への、独自の最短ルートを共有してるんだ……くそっ!こうなったら、ここにいる兵達で辺境伯を亡き者にするぞ!」
「しかし、戦力のある者の多くが辺境伯領に向かっているのに──」
「隊長の俺が辺境伯と戦う!一騎打ちする道を開け!」
「は、はい……」
「屍はいくらでも積めばいい!行け!」
この、味方であり従う部下達の命を、人間扱いしないところがグルーとの大きな違いであり、彼がグルーには敵わないまま鬱屈してきた理由だろう。
敵勢は急な作戦の変更に乱れながら、統率が取れない中で足掻いていた。逃げ出す兵士も少なくない。
グルーに残された軍勢は国王陛下直属の軍と、辺境伯領の鍛え抜かれた軍だ。
敵勢は明らかに恐れをなしていた。それでも泣きながら盾を持って剣を突き出す。
そこで、グルーからすれば読み通りの展開になってきた。
「旦那様、伝令です!敵の動きが変わりました!総隊長が旦那様を狙っております!」
「──ようやく出たか」
グルーは手にしていた呪符に、そっと唇を落としてから、勢いよく立ち上がった。
「生まれてきた事を、後悔させてやる」
敵の総隊長については把握してある。五十歳手前で若さはないが、総隊長にまで成り上がった力は侮ってはいけない。
しかし、怒りで血に飢えた烈火の狼の敵ではない。
「よくも、人を小馬鹿にした真似をしてくれたな?」
その声に呼応して、呪符が灰になったかと思うと、震え上がった総隊長の眼に向かって散った。
灰で目を潰された総隊長は、無様にうろたえている。
「アリューシャ……俺の戦女神」
突然の事にグルーも驚いたが、すんなりと受け入れて恐ろしいまでの凄絶な笑みを浮かべた。
「──楽には地獄へ逃げさせてやらんぞ」
「ひっ……い……悪魔っ……!」
グルーは容赦なく剣を振り下ろした。
──その頃、辺境伯領の城内で領民の炊き出しや、情報の整理をしていた私は、ふとした胸騒ぎに手を止めた。
「──奥様?いかがなさいましたか」
「いえ……あら?向こうから大きな鳥が……鷹?」
「あれは、旦那様の使う伝令鳥でございます!」
ものすごい勢いで飛んでくる鳥は、あっという間に城内へ着いた。足に伝令の紙が巻かれている。
ウァジリーが解いて真剣な面持ちで読んだ後、息をついて私に向き直る。
「奥様、ご心配には及びません。敵勢およそ千人が辺境伯領に向かったそうですが、今ごろ伯爵家と子爵家の援軍が叩きのめしている事でしょう。旦那様は敵の総隊長の首を手土産にご帰還なされるかと」
「では……勝ったの……?」
「その通りになります」
「グルー……帰ってきてくれるの……」
「──奥様?!」
膝から力が抜けて、私はその場に崩れた。
でも、心は崩れた訳じゃない。
「大丈夫よ、ウァジリー。安心しただけなの」
「奥様、お手を。どうかゆっくり立ち上がって下さいませ」
エミリーが背後に回り、手を貸してくれる。
「ありがとう。──グルーの帰還に合わせて、色々準備しなければならないわね。皆、協力を頼むわ」
「もちろんです、奥様」
──こうして戦は勝利に終わり、私はグルーを出迎える事が出来た。
重厚な城門が開き、騎馬のグルーが近づいてくる。
「グルー……!お帰りなさいませ」
私が感極まって声を張り上げると、グルーは身軽な動きで馬から降りて、一直線に私の前へと歩み寄った。
そして、万感の思いがこもった眼差しで私を見つめて、応えてくれた。
「俺の戦女神──ただ一人の俺の妻だ。約束を守れたぞ。お前の祈りは神に届いたんだ」
それから後の事も慌ただしかったけれど、やがて援軍は帰ってゆき、城内は平穏を取り戻した。
──けれど、闇の中でグルーとの平穏を妬み、憎しみを向けてくる存在が現れるようになる。
私は、それと対峙しなければいけない。
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