第11話

王太子夫妻がトリステア帝国の宰相を出迎えた事は、グルーから知らされた。


「アリューシャなら習ったか?トリステア帝国は十五年程前の戦争で負けを喫して、当時良質で大粒の真珠が採れる海域を奪われているんだが……」


「はい、それ以降のトリステア帝国では、真珠が悲しみの涙と呼ばれるようになり、宝飾品にも使われなくなったのだとか」


「さすがだな。──王太子夫妻がトリステア帝国の宰相をもてなす場で、事は起きたらしいが……妃殿下が真珠を用いた指輪を着けていたらしい」


「──誰かが諌めなかったのですか?王太子殿下も気づいていなかったのでしょうか……まさか、そんな野放図は許される世界ではございませんでしょう」


「王太子殿下は気づいていなかったらしい。妻の装いに対して、無関心にも程があるが」


「まあ……それでは、トリステア帝国の宰相も神経を逆撫でされて、お怒りになられたのではないですか?」


指輪ならば、ネックレスやイヤリングよりも目立たないようには出来る。でも、そこだけが問題なのではない。


相手国が不快になるであろう装飾品を着ける事で、相手国を尊重しない姿勢で接した──それも、国の代表として──これは責任を問われる重大な問題なの。


「もし、最初に気づいたのがトリステア帝国の宰相ならば……椅子を蹴って帰国しかねません」


「ああ、そのまさかだ。しかも、宰相が我が母国が奪われたものの悲しさを思い返されますので、その指輪を外してはくれないかと、妃殿下に言ったのだが……」


「普通ならば、無知を陳謝して外しますわね」


「そうだな。しかし、そこで王太子妃がトリステア帝国の宰相に、真珠の美しさは世界共通ゆえ、悲しみに捕らわれて遠ざけるばかりでは、美しいものを美しいと愛せません、とのたまったそうだ……」


「そんな、愚かすぎますわ」


負けた戦が十五年前なら、まだ生々しい記憶が残っているはずよ。国民の間にも、国を率いる陣営にも。


それに、皇帝陛下は五年前に代替わりしているものの、当時前線で命を懸けて戦った兵士の多くが存命しているのよ。彼らの国民感情がまだ苛烈な火種を抱えているでしょう。


それを思いやれば、たとえ正論のつもりでも相手には傷に塩を塗る行為なの。本来ならば、とても言える事ではない。


「……宰相様は……さぞご不快になられた事でしょうに……」


「もちろんだ。憤り、我が国の歴史を軽んじられたと仰せになり、最終的には国王夫妻が仲介に入って詫びたそうだ」


この展開は、あまりにもひどいわ。


ゲームのエスター様は、リアルではここまで物知らずで無知蒙昧な育ちをした令嬢なの?


それでも王太子妃になった以上、妃殿下教育は受けているでしょうに。


「……辺境伯領にまで聞こえてきたという事は、王都では広く知られてしまっていますよね?」


「その通りだ。茶会でもサロンでも、王太子妃殿下を非難する声が高まっている。もちろん議会でも追及されているところだ」


「廃妃されかねませんわね……」


「まあ、な。だが、腹には王太子殿下の御子が宿っている現状では、廃妃も難しい。王室の連中は頭を抱えているところだろう」


「それは、私には既に与り知らぬところですけれども……国の為を思うと、妃殿下が心を入れ替えて下さる事を望みますわ」


もう他人事だ。そう言うしかない。せめて国が危うくならない事を祈るばかりだ。


だけど、私が日々を辺境伯家の妻として恥じないように努める一方で、エスター様は苛立ちを募らせていた。


「──もう、お茶会も駄目、パーティーも駄目、何もかも駄目と言われ、一通りの事を学ぶまでは自室で授業を受けていろだなんて、ひどすぎますわ!」


「ですけれど、国母となる妃殿下には、どうか周りから冷ややかな目で見られる事のないように、との心遣いでもございますから……王太子殿下も仰せでしたでしょう、王室の一員としての責務の為にも、諸外国それぞれの歴史が抱えている問題と痛みを深く理解し、我が国がどう接するべきかを学ぶようにと」


「グロウラッシュ殿下と私は、愛し合っているから夫婦になったのでしょう?!その想いを蔑ろにして、王室の責務ばかりを押しつけてくるなんて!こんなの愛じゃありませんわ、政略結婚よりも重たく冷たい関係に成り果ててしまっていますもの……」


「妃殿下に申し上げますが、庶民の夫婦にさえ課される務めがございます。王家の妃殿下ともなれば、民の命を守る為にも責任は重大なのです」


「もう、堅苦しい話はうんざり!せめて気晴らしにドレスを作らせたいわ、デザイナーを呼んで!」


「つい先日も同じ事を仰ってドレスをお作りになられましたでしょう。国民の血税で贅沢をする王太子妃殿下として汚名を着せられましたら……」


「それなら、アリューシャ様は何だって言うの?私達の結婚式で王都に滞在していた間に、辺境伯はアリューシャ様に山ほどドレスを作ったと聞いているわ!あれも領地民の血税ではなくて?」


「アリューシャ様は輿入れに僅かなドレスしかお持ちではございませんでしたので、着るものに困ってらしたのですよ。辺境伯は普段着を作らせて差し上げたのです。実際、装飾を控えたシンプルなドレスのみでした」


「お茶会やサロンの噂に過ぎないでしょう!見てきたように言わないで!」


「ですが、実際に宝飾品は一つたりとも作らせは致しませんでした」


「それは、どうせ辺境伯家に戻った後に作らせているわよ!」


エスター様は知らないでいるけれど、王都でドレスをあつらえて頂いてから、私は新しいドレスを欲しがったりしていないし、宝飾品も求めていない。


当然ながら、グルーもデザイナーを呼ぼうと言い出したりしないで、辺境伯家は質素倹約を旨に地道に務めを果たしている。


満ち足りていると自覚しているから、余計な贅沢は求めていないのよ。


だけど、隣の芝生は青い、とはよく言ったものだわ。


エスター様は自分が学びを怠ってきた結果が今なのに、私が自分より恵まれていると勘違いして妬んでいるようね。


せっかく王太子妃に昇り詰めたのに……。地位も名声も、王太子殿下からの愛も、全てが見えなくなっているわ。


「せめてお茶会くらい開かせてちょうだい!お友達とお話しして心を癒す時間があってもいいでしょう!効率を求めるなら息抜きも必要なのは当たり前なのよ!」


「畏れながら、お友達という令嬢達に、どれほどの信頼関係がございますでしょうか?妃殿下の失態は貴族ならば知るところです」


「私は常に社交界で持て囃されてきたのよ!たった一度の失敗が私を地に落とすとでも?」


「その一度が許されない世界です。お茶会の席では、あからさまに妃殿下を非難はしないでしょう。しかし、皆が心の中で何を思うかは操れません」


「私は何かを操ったりせずに社交界での立場を確立してきたのよ?嫌味ばかりを言って、何が言いたいの!」


「率直に申し上げます。耳触りの良いお世辞を言いながら、内心では嘲笑している。そのような上辺だけのお友達と息抜きが出来ますか?」


「なっ……こんなの侮辱してるわ!私は国の王太子妃よ!そうやって貶めて脅して、単に勉強を休ませたくないだけでしょう!」


エスター様は金切り声を上げて怒ったそうだけれど、これが貴族社会の現実なのよ。


だから、私の家も傾いたのだもの。


「こんなにも悪辣な人が教師だなんて!あなたなんてグロウラッシュ殿下に虐待する悪人だって言いつけてやるわ!」


「──ならば私は、力不足ゆえ教師を辞退させて頂きますと申し上げます。学ぼうとなさらない方にお教え出来る事はございません」


「ああ、そう!ならば今すぐ出てゆきなさい、見ていて腹立たしいだけだわ!」


「かしこまりました、では失礼致します。後任の者には何とぞ真摯に向き合って下さいませ」


こうして、エスター様は手に負えないと判断されてしまい、専任の教師も離れてゆく。


こんなやり取りを王太子殿下が目の当たりにしていたら、何を思うやら。


「お茶会が開けないなら、お友達を個人的に呼ぶわ。そこのメイド、招待状を書くから便箋を出しなさい!」


声を荒らげて命じたものの、メイドは身を竦ませながら意に反する言葉を返した。


「ですが……レターセットは王妃陛下により没収されておりますので……」


この返事に、エスター様は足を踏み鳴らして激怒したそうだ。


「──何なのよ、この王家は!人を人とも思わないで!こんな牢獄みたいな所が、私の今の家だって言えるの?!こんなの家族なんかじゃないわよ!」


エスター様に謙虚さがあれば、責務を果たす覚悟を持っていれば、今ごろ王太子殿下はエスター様と、産まれる御子について睦まじく語らいもしていただろうに。


あまりにも幼稚なエスター様。


そのエスター様により、遠く離れた辺境伯領まで影響が及ぶだなんて、この時の私には予想も出来なかった。

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