第8話
「グルーのいないお城は灯火が消えたようね……使用人ならば、それでも日々の仕事があるけれど……あら?」
廊下を歩いていて曲がり角に来ると、掃除担当のメイド達が、箒を動かす手も止めてお喋りしている声が聞こえてきた。
でも、その内容は通り過ぎるにも引き返すにもいかない、看過しかねるものだった。
まだ若さを残すメイドが、しきりに私への陰口を叩いているのだから、見逃せという方が無理だ。
「旦那様も、とんだ貧乏くじを引かされたものよね。ようやく妻を娶る事になっても、あんな悪評高い令嬢だなんて。だから子を成す事も控えてらっしゃるんでしょ」
「ちょっとアーシャ、言い過ぎよ。それに旦那様は仰っているじゃない、奥様はまだ出産を経験させるには若すぎて危険だって」
「何よ、それってつまりは幼稚すぎて、女としての魅力がないって意味でしょ?見れば分かるじゃない。細身なのはまだ良いとして、あの細すぎて貧相な胸に腰ときたら」
「誰かに聞かれたらどうするの?奥様への侮辱よ、許される内容じゃないわ」
「私は事実しか言ってないでしょうに。奥様が悪評ばかりだった事も、女性の魅力に欠ける事も」
私は相手の暴言を引き出すだけ引き出してから、メイド達の前に出た。
「──ずいぶん楽しそうな話をしているわね」
「お、奥様!」
「そこのあなた。当主の妻である私を否定する事は、そのまま当主を貶める事になると知っていて?当主を敬えない使用人なんて辺境伯家には不要なのよ?」
「そんな、奥様……私は旦那様を貶めるつもりなどございません!」
「それにしては品位に欠ける発言を延々としていたでしょう。あれら全てが、あなたの主を見下しているからこそ言えるものなのよ。──衛兵をここに」
「お待ち下さいませ、奥様!私は……」
「言い訳は私の耳に障るわ。衛兵、この女を城外に叩き出して」
「そんなっ……奥様の気持ち一つだけで、仕えてきた使用人を勝手に解雇したと知れば、旦那様も黙ってはおりません!」
「ええ、黙ってはいないわね。グルーの留守を預かる妻が貶されてはね。鞭打ちと追放だけでは済まないでしょう」
独断だけれど、主の妻を認めない使用人は城を蝕む事に繋がる。自由と好き勝手は違うのよ。
「私の事が言われていたから、私は追放だけで済ませてあげるのよ」
「奥様!私は……ちょっと離して!誰か!あんたも見てないで助けなさいよ!一緒に話してたでしょ!」
衛兵に両脇を固められたメイドが、一緒にいたメイドに怒鳴る。
「悪いけど……あんたの物言いはひどくて、奥様に聞かれてしまったなら仕方ないと思うわよ」
淡々とした口調で諦めるよう告げるメイド仲間に、彼女は言葉を失った。
「そんな……!奥様、紹介状なしでは奉公先もありませんのに!」
この期に及んで厚かましい。私は言い放ってやった。
「必要ならあげるわ。お仕えする主の妻を散々悪しざまに言う悪いお口の持ち主です、と書いてね」
そのメイドは、まだ騒いで抗っていたけど、衛兵に引きずられて退場した。
「──奥様、アーシャにつきましては、私からメイド長にお話し致します。彼女の口を止められず、すみません」
暴言の主は処罰したし、深々と頭を下げられ謝罪されてなお、とばっちりを食らわせる程怒り狂ってはいない。
私は浴びた罵りの言葉に胸が冷える思いを味わいながらも、平然と振る舞った。
「いいのよ。悪く言う声は、ひそめていても威力が大きいもの。それに、あんな勢いで話されては止めようがなかったでしょう」
「それは……本当に申し訳ございませんでした」
「いいから、仕事に戻りなさい」
「は、はい……失礼致します」
ぺこぺこと頭を下げて立ち去るメイドを見送って、私は小さく溜め息をついた。
──それにしても、やっぱり私は元が悪役令嬢なのね……あんな雑用だけ任されている使用人から、口汚く言われ蔑まれるなんて。
こうも言われたら、さすがに気落ちするけれど、それでもグルーの留守はきちんと守らないといけない。
執務に関しては執事長のウァジリーがついているから任せられるものの、お城の秩序を保つには、執事長だけに頼りきってしまうのは無理があるもの。
「……あんな言葉……グルーには聞かれなくて良かった……」
呟きは微かで、広いお城の中に響く事もなく消えた。
──グルーが無事に帰還したのは、その二日後だった。
「帰ったぞ、アリューシャ。出迎えてくれる妻がいるのも悪くないな。変わりはないか?」
「大丈夫ですわ。ご無事のお帰りで何よりです、お待ちしておりました」
我ながら、すんなりと思う言葉を口に出来たと安心していると、グルーの精悍な顔が赤くなった。
「あの、何か……」
「いや、何でもない。帰りを待つ妻に出迎えられるのも……まあ、な。それより、賊も首領格もきっちり仕留められたし、宴の準備をさせよう」
「?……はい、私にお手伝い出来る事は……」
「宴の時に、俺の妻として隣に座っていてくれればいい。段取りなら使用人達も慣れたものだからな」
「そうなのですね」
どこか不思議に思いながら、とりあえず頷いておく。
「それより、お前の持たせてくれた呪符は、てきめんな効果があったぞ」
「私が書いた呪符がお役に立ったのですか?」
「お前を宴の主役にしたいくらいだ、ありがとう。──さ、中に入ろう」
促されて隣を歩きながら、頑張って良かったと嬉しく感じる。こんな感情は、この世界で生きるようになって初めて味わえた。
グルーの留守中にアーシャを追放した事は、メイド長からウァジリーへ話を通してあったので、すぐにグルーへも伝えられたらしい。恥ずかしい事に、吐かれた暴言の内容まで。
グルーは相当立腹したようで、怒りもあらわに、ウァジリーへ唾棄すべき事として言ったそうだ。
「この城に巣食ったネズミみたいな使用人がいたとはな。アリューシャは追放以外の罰をどうした?」
「追放のみでございます」
「甘いな。実家に帰る為の金品も持たされていないなら、まだ領地のどこかにうろついているだろう。探し出して厳罰を下すか?」
「旦那様のお気が済むように。その追放されたアーシャというメイドは、道行く者に春をひさぎながら食いつないでいるようです」
「仮にも辺境伯家に仕えていた身で売春婦か?とことん恥を知らないな。──しかしアリューシャは傷ついたり悲しんだりしていないか?」
「奥様でしたら、たいそう毅然とした振る舞いで追放を命じたそうでございます。居合わせたメイドには寛大でいらしたとか」
「そうか……彼女は王太子妃の座を巡って、一瞬でも気を抜けば謀略される場所で生きてきたからな。せめて、この辺境伯家では寛いでいて欲しいと願っているが……」
「心より同感致しますところでございます」
「なのに、それを快く思わない奴もいたわけか。やはり許しがたい。今後はなんぴとたりとも、アリューシャに後ろ指など指させない」
その為か、仲睦まじい夫婦であると見せつけるように、宴でのグルーは距離が近かった。時おり私の肩を抱き、耳元で戦果について囁きかける。
「……それでな、首領格の元へ導いてくれるようにお前のくれた呪符が飛んでいったんだ。すごいだろう」
戦いの話なのに、これでは睦言みたいで、とにかく物慣れない私には刺激が強かった。
「グルー……あの、顔が近くて……どうしたらいいか……」
耐えかねて言うと、グルーは面白そうに笑って更に囁いてきた。
「そのまま、頬を染めていればいい。ありのままのアリューシャを見せてくれないか?」
こんなの、困る。蕩けるように甘すぎて、めまいがしそうだった。
アリューシャの生家である侯爵家の末路を明かさなかったのは、宴でひたすら照れるばかりの私を思いやっての事だった。
グルーは、侯爵家について一言も口にしようとしないまま、それを貫き通した。
だから、私は知る事もない。自分を売った家族の末路──その悲惨な最期を。
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